深紅の冠 ~無幻碧環~

 

◆ love at first sight:fourth contact(hrhn)

 

 

それは、夏油の一言から始まった。

 

 

―――某TV局 控室

 

 

 

「悟。私、そろそろ彼女作ろうと思うんだ」

 

「は?」

 

突然の相方の彼女作る宣言に、五条は素っ頓狂な声を上げてしまった。五条と夏油は、今をときめく漫才コンビ“祓ったれ本舗”を組んでいる。だからと言って、お互いのプライベートにあれこれ口出す事は基本しない。なので、夏油の「彼女作る」宣言を聞いても、「ああ、そう」としか思わなかった。

 

だが、相手は誰だろう? ぐらいは、思ってしまう。前に雑誌の撮影で一緒になったモデルか? それとも、最近夏油に言い寄ってきている、あの有名な女優か? などと考えていた時だった。夏油の口から出たのは、予想外の人物の名だった。

 

「凛花ちゃんに、告白しようと思うんだ」

 

「へぇ、凛花に……………………はぁ!!?

 

がたん! と、五条が立ち上がったのは言うまでもなく……。驚きの余り、口をあんぐり開けて固まってしまう。

 

「え……いや、ちょっと、待……っ!!」

 

まさかの凛花の名に、五条が慌てる。それはそうだろう、夏油は五条が凛花に好意を持っている事を知っている筈なのだから。なのに、それを五条にわざわざ告げてきたのだ。だが、夏油はけろっとして、

 

「実は、前から気になっていたんだ。いいだろう? 別に、悟と付き合っている訳ではないし」

 

「そ……っ」

 

確かに、五条と凛花は付き合っている訳ではない。だが……。五条が何か言いたそうに、口をぱくぱくしていると、夏油はにっこりと微笑んで、

 

「勿論、応援してくれるよね?」

 

「……っ」

 

そう言われて、ぐっと五条が押し黙る。ここで、引き下がれば、もしかしたら凛花は夏油を選んでしまうかもしれない。そう思った五条は、苦し紛れに、

 

「で、でもよ……、す、昴が黙ってないぜ!?」

 

と、なんとか理由を付けて止めようとする。昴というのは、五条と夏油のマネージャー兼友人でもあり、しかも、妹・凛花を溺愛する超シスコン兄である。凛花に悪い虫が寄り付きそうなものならば、ここぞとばかりに妨害してくる程で、勿論、五条も何度も制裁を食らっている。しかし、夏油はさほど気にする様子もなく、

 

「昴は関係ないよ。私が、凛花ちゃんに伝えたいんだ。受け入れるかどうかは凛花ちゃん次第だけど、諦める気はないよ」

 

「う……っ」

 

これは、本気ってやつなのか……。じょ、冗談だろ……。まさかの強力なライバル出現に、五条が息を呑む。すると、夏油はふっと笑みを浮かべ、席を立った。

 

「じゃぁ、私はそろそろ先にお暇するよ」

 

「お、おい! 話はまだ――っ」

 

そう制止を掛けようとするが、夏油は軽く手を振りながら楽屋を出ていってしまった。残された、五条は愕然としながら、

 

「うそ、だろ……」

 

と、言葉を漏らす事しか出来なかったのだった。

 

 

 

 

 

   ****    ****

 

 

 

 

 

―――数日後

 

 

 

その日、凛花は学院の下校途中だった。友人と別れて屋敷の方へ向かって歩く。空を見ると、もう10月も終わりな所為か、日が暮れるのが早くなってきていて、太陽が半分沈み掛かっていた。あんまり遅くなると、屋敷の者に心配を掛けてしまうかもしれない。そう思って、足早に家路につこうとした時だった。

 

「凛花ちゃん」

 

不意に、誰かに呼ばれて「え?」と、凛花が振り返る。すると、そこには兄・昴がマネージングしている“祓ったれ本舗”の1人の夏油傑がいた。思わず、凛花がきょとんと、その深紅の瞳を瞬かせる。いつもは、どちらかというと、相方の五条の方と話す事が多く、夏油1人と話す事は、殆どなかった。だからだろうか、無意識的に五条を視線で探してしまう。すると、それに気付いた夏油が、くすっと笑みを浮かべ、

 

「今日は、悟はいないよ。今頃、グラビアの撮影じゃないかな? トップモデルの愛名ゆう子と。昴は、勿論付き添いで」

 

「え……あ、そう、なんですね……」

 

五条さん、いないのね……。

あからさまに、気落ちする凛花を見て、思わず夏油は笑ってしまった。

 

「凛花ちゃん、分かりやすいよね。そんなに悟に逢いたかった?」

 

「え……っ」

 

瞬間、凛花の顔が、かぁっと朱に染まる。それから、慌てて視線を逸らすと、どうして良いのか分からず、俯いてしまった。そんな彼女の様子に、くすくすと笑いながら、そっと、夏油の手が凛花の髪に触れてきた。そして――。

 

「悟の事、好き?」

 

「そ……それは、その……」

 

凛花が答えに困っていると、夏油は優しく微笑みながら、

 

「ねぇ、私じゃ駄目かな?」

 

「……え……?」

 

一瞬、凛花は何を問われているのか、理解出来なかった。その瞳を瞬かせて夏油を見る。すると、夏油はにっこりと微笑んだのだった。

 

 

 

 

 

   ****    ****

 

 

 

 

 

 

―――某撮影所

 

 

五条は、撮影の間ずっと落ち着かなかった。というのも、先程 夏油から電話が掛かってきて、

 

『今から、凛花ちゃんと新橋でデートしてくるよ』

 

と言うのだ。しかも、

 

『一応、連絡しておこうと思って。こういうのは、フェアじゃないとね』

 

とだけ言い残して、五条の返事も聞かずに、ぶちっと電話を切ったのだ。まさかの展開に、五条はもう気が気ではなかった。グラビアの撮影など放っておいて、凛花のとこに行きたいぐらいだ。しかし、これは仕事。そういう訳にもいかず、速攻で終わらせるしかなかった。

ちなみに、一応昴もストッパーになる筈なので、報告すると、今にも仕事放り投げていきそうになったので、珍しく五条が止めたぐらいだ。そうして、無駄に絡んでくるモデルの愛名ゆう子をさらっと、かわすと五条と昴は、さっさと撮影所を後にしたのだった。

 

 

 

凛花と夏油が、新橋でデートをしているらしい……。でも、一体何をしているんだ? そんな考えがぐるぐる回って、五条は落ち着かなかった。移動中も、昴が運転しながら「うおおおおお!!! 凛花あああ!!!」と叫んで、猛スピードを出すが、急いでいるのは五条も同じなので、止めなかった。そうして、新橋にあるパーキングに車を停めると、2人は足早に街中へ出た。

 

それから、夏油と凛花を探したのだが、見つからない。というか、普通に考えて「新橋」というだけで、探すのには無理がある。でも、こうしている内に、凛花が夏油を受け入れてしまったら? そう思うと、五条はいてもたってもいられなかった。早く見つけて止めなければ……っ! と、思うものの、何の手掛かりもなく探せる筈もない。すると、突然昴が、

 

「ふふふふ。こんな時の為に手は打ってある!! 来い!! 文明の利器!!」

 

そう言って、昴が携帯を取り出すと、何かのボタンをぽちっと押した。すると、画面に地図が現れ、一か所を点滅しだす。

 

「お、おい、これ……」

 

まさか、とは思うが……。五条が昴を見る。すると、昴はにやりと笑って、

 

「G・P・S!!」

 

こ、こいつ、妹の携帯のGPSを読んでやがる!!!

プライバシーの侵害もいい所だが、今はそんな事構っていられない。凛花が危ない(?)かもしれないのだ。なら、それを使わない手はないだろう。五条も昴の携帯を覗き込んだ。すると彼女の現在地が画面に表示される。恐らく、夏油と一緒だろう。その場所は……。

 

「新橋の繁華街……? だ、よな?」

 

それは、新橋駅周辺にある繁華街を指していた。その時、昴がはっとした。

 

「待て、この先は横に少し逸れたらラブホテル街!!!」

 

「はぁ!!?」

 

まさかの情報に、五条が素っ頓狂な声を上げた。すると、昴が怒りの炎で燃え上がった。

 

「お~の~れ~! 傑!!! さては、凛花を手籠めにする気だな!! お兄ちゃんが許すと思っているのか!!? 待ってろ、凛花! 直ぐ、お兄ちゃんが行くからな!!!」

 

そう叫ぶや否や、猛獣の如く駆け出したのだった。

 

 

 

 

 

―――数分後

 

 

 

漸く暴走する昴に追いついた五条だが、目の前の光景に息を呑んだ。見ると、夏油と凛花が街の中を並んで歩いていたのだ。凛花が時折、驚いたように目を瞬かせたあと、頬を染めて俯いている。その姿に、ずきっと胸の奥が痛んだ。

 

傑相手に、あんな顔するのか……。

 

その現実が、五条を絶望の淵に突き落とした。すると、不意に夏油と一瞬目が合ったような気がした。夏油はこちらを見て、意味ありげにくすっと笑みを浮かべると、凛花の肩に自身の手を掛けたのだ。そして、そっと彼女の耳元に顔を寄せていく。その指先が、凛花の髪をなぞった瞬間。世界が、音を失った気がした。

 

まさか、キス……っ!?

次の瞬間、五条の身体は勝手に動いていた。

 

 

「凛花……っ!」

 

 

――ぱしっ!

 

気が付けば、凛花の肩に置かれた夏油の手を掴んで、彼女を自分の方に引き寄せていた。それに驚いたのは、他でもない凛花で……。

 

「え……五条、さん……?」

 

まさかの五条に登場に、凛花は息を呑んだ。ずっと焦がれてきた温もりなのに、今はどうしてか、怖いくらいに近い。だが、五条はそれどころではなかった。凛花をその腕に抱き締めると、キッと夏油を睨んだ。

 

「傑、いくらお前でも、こいつは渡せない……っ!」

 

その言葉に、夏油は一瞬だけ驚いたような顔をするが、直ぐに余裕のある笑みを浮かべる。だが、その瞳の奥が僅かに揺れているようにも見えた。

 

「……そうやって、いつも奪っていくんだね、悟」

 

そう呟く声は低く、淡々とした声なのに、胸の奥を抉られるようだった。

 

「なに、言って……」

 

「凛花ちゃんのことも、ステージも、注目も……。全部、自分の手の中に置いておかないと、気が済まないんだろ?」

 

一歩、夏油が近づく。街の喧騒が酷く遠のいたように感じた。

 

「でも、もし私が本気で奪いに行ったら――悟。君はどうする?」

 

夏油の言葉に、五条の呼吸が止まる。その瞳は笑っているのに、底知れない冷たさを湛えているように思えたのだ。

 

「……俺は、お前に譲る気なんて――」

 

「譲らなくていい」

 

夏油が静かに言葉を被せた。

 

「君が“素直”にならない限り、私は本気で奪うよ。――そういう約束、だろう?」

 

その言葉で、五条の表情がわずかに揺れた。脳裏に、かつて交わした言葉が蘇る。

『お互い、嘘のない関係でいよう』――と。

 

嘘。

嘘を――ついた訳じゃない。ただ、本音を言えなかっただけだ。特に、凛花の事に関しては……。でも――本当は……。一番、夏油に応援して欲しかった。「頑張れ」と言って欲しかったのだ。それに……。

腕の中の凛花を見る。彼女は、驚きと戸惑い、そしてかすかな嬉しさを混ぜた瞳で五条を見上げていた。それを見て、五条は胸の奥が締め付けられるような気がした。

 

ああ、俺は……。凛花を――コイツを誰にも渡したくない。俺だけを見ていて欲しい。彼女の、一番になりたい。

 

それが、嘘偽りのない本当の想いだった。今まで、軽口でしか言えなかった、本音。漸く気付いた自分の気持ちに、五条は はっとなりながらも、自然と笑みが零れていた。それを見た凛花が驚いたような表情をする。そんな様子にすら愛しさを感じるのだから、自分は余程彼女に惚れ込んでいるらしい。そんな事を思いながら、五条の中で決意が固まった。

 

五条の碧い瞳に、光が宿る。その変化を見て、夏油がふっと笑った。

 

「……やっと、いい顔になったじゃないか」

 

「傑?」

 

予想外の夏油の言葉に、一瞬五条が虚を衝かれたような顔をした。すると、夏油は軽く肩を叩き、耳元で、

 

「悟。人間、言葉にしないと分からない事もあるんだよ。特に、恋愛に関してはね」

 

そして、もう一言。

 

「――素直になりなよ」

 

「……っ」

 

そこで、漸く夏油の意図が分かったのか、五条がはっとする。

 

「お、オマエ……っ、まさか――!」

 

全部、わざとか!!? 気付いた時には、夏油がくすっと笑って、1枚のメモを差し出してきた。何かと思ってそのメモを開くと、簡単な地図と一緒に「告白するおすすめスポット」と書かれていた。

 

「お、ま……っ」

 

「頑張れよ。あ、あそこで歯軋りしてる昴は私が拾っておくから」

 

言われてそちらを見ると、昴がぎりぎりと奥歯を鳴らしながら、じいいいいっと、鬼のような形相でこちらを睨んでいる。凛花はというと、五条と夏油のやり取りに、ついていけないのか、きょとんとしていた。すると、そんな凛花を見て、五条が我に返る。

そうだ! 今はそんな事より……っ!! 改めて、腕の中にいる凛花を見下ろすと、その深紅の瞳に自分が映っているのが見えた。それだけで胸が高鳴るのだから、本当に重症だと思う。だが、もう後戻りは出来なかった。だから、五条は彼女の手を取り、短く息を吸うと、

 

「傑、サンキューな! 行こう、凛花」

 

「え? あ、あの……っ」

 

凛花の手を引っ張ると、そのまま駆け出していったのだった。

それを見送る夏油は、くすっと笑みを浮かべていた。そして、後を追いかけようとする昴の首根っこを掴むと、

 

「今、追い掛けたら、凛花ちゃんに嫌われるよ」

 

「がーん……っ!!」

 

昴がその場で固まり、夏油は苦笑しながら彼を引きずっていったのだった。

 

 

 

 

 

   ****    ****

 

 

 

 

 

―――都内・某庭園

 

 

 

静かな夜だった。

 

風は柔らかく、秋の匂いを運んでくる。園内の木々は紅に染まり、夜空からは金色の月がゆっくりと昇っていた。池の水面には、紅葉と光が溶け合い、ゆらりと揺れている。

 

その中を、五条と凛花は並んで歩いていた。さっきまで走っていたせいで、凛花の頬は少し赤い。けれど、その頬を照らす月光があまりに柔らかくて、五条は何度も視線を逸らさざるを得なかった。

 

お互いどう話していいのか分からず、沈黙が続く。足元で、落ち葉がさらりと音を立てていた。

 

「あの、さ……」

「あの……」

 

ほぼ同時に声が出て、同時に沈黙した。お互い固まってしまう。が、それが可笑しくて、次の瞬間、2人して笑ってしまった。笑う彼女の頬は、恥ずかしそうに染まっていて、月明かりに照らされて綺麗だな……と思った。

 

「……あの、五条さん。どうして、あんなところに……?」

 

彼女のその問いに、五条は少し間を置いて、照れくさそうに頭を掻いた。

 

「……気付いたら、走ってた」

 

一瞬、凛花がきょとんとした顔を向けてくる。そんな彼女に、五条は少しだけ笑った。その笑みには、いつもの軽さはなかった。ただ、優しく、慈しむような笑み。それに凛花も気付いたのか、少し恥ずかしそうに俯いた。

 

また、沈黙。

でも、その沈黙が苦じゃない。寧ろ、ずっとこうしていたいとすら思えた。

 

――言わなきゃな。ちゃんと、俺の気持ちを。凛花に……。

 

そう思うと、自然と手が伸びていた。そして、彼女の手をそっと取ると優しく握ったのだ。それに驚いたのか、凛花が五条を見上げてくる。視線が合うと、彼女は少し頬を赤くして俯いた。その姿が可愛くて、思わず抱き締めたくなるのを何とか堪える。

 

そして、静かに息を吸い込んだ。

 

 

 

「凛花――俺、オマエの事好きなんだ。……誰にも、渡したくない」

 

 

 

「……っ」

 

五条のその言葉に、凛花は一瞬、呼吸を忘れた。心臓の鼓動が、静けさの中でやけに大きく響く。彼の不器用で、けれど真剣なその声音に、嬉しくて泣きそうな気持ちになった。

 

「五条、さ……」

 

「……最初は、さ。昴に写真見せられて、ただ可愛い子だなって思ってた。でも気付いたら、ステージで笑ってても、お前の顔が浮かぶ。撮影中でも、どっかでお前の声が聞こえる気がして……うるさいくらいだった」

 

五条は夜空を見上げた。金色の月が、紅葉を淡く照らしている。

 

「……俺、ずっと怖かったんだ。オマエに本気で“好きだ”なんて言ったら、壊れそうで。笑ってる関係が、終わっちまうんじゃないかって」

 

紅葉が一枚、風に乗って二人の間を通り抜ける。その赤を目で追ったあと、五条は握る凛花の手に、そっと力を籠めた。

 

「でももう、嘘はやめる。――俺はオマエが好きだ、凛花。だから、その……」

 

そこまで言って、言葉が詰まった。けれど、想いはもう止められなかった。

 

「俺の――恋人として、傍にいて欲しい。オマエに……」

 

その、次の瞬間だった。

五条の言葉に、凛花のその瞳がじんわりと滲み始めたのだ。それを見た五条の鼓動が大きく跳ねる。不意に、彼女が小さく呟いたのが聞こえた気がした。それはとてもか細くて……。でも、しっかりと五条の耳に届いたのだ。

 

「……私もです」――と。

 

一瞬、何を言われたのか分からなかった。いや、本当は分かっていたのかもしれないが、頭が理解するのを拒んでいた。そんな五条に、凛花がもう一度口を開く。

 

「私も……貴方が、好き……です……」

 

静かに響いたその一言に、五条の世界が明るく開けたような心地がした。気付けば、彼女の瞳からは、零れた涙が頬を伝い落ちていた。それを綺麗だな……と思いながら見ていると、凛花は涙で滲んだ瞳で五条を見上げてきたのだ。

それは初めて見る顔で……とても綺麗だった。思わず見惚れていると、凛花がそっと五条の手に自身の手を重ねてくる。その手の感触がくすぐったくて、同時に愛しさが溢れて止まらなくなるのを、五条は感じた。

 

「凛花……」

 

彼女の名を呼び、その髪にそっと触れる。すると、凛花は頬を染めながら、ほんの少しだけ微笑んでくれた。その笑顔が愛しくて、堪らなくなる。五条は、彼女の涙をその手で優しく拭うと、その瞼に口付けた。けれど、拒む素振りはなかった。だから、そのまま目尻、頬と唇を落としていく。柔らかな唇の感触に、凛花が小さく身じろいだ。それでも嫌がる素振りはなくて……。それが嬉しくて堪らなかった。

 

そして、ゆっくりとその身体を抱き締める。今度は彼女の肩がぴくっと揺れた。だが、突き放されるような事はなかった。だから五条も安心して彼女を抱き締めた。彼女の腕が五条の背中に回され、それに応えるように抱き締める腕に力を籠めると、少し苦しいのか凛花が僅かに身を捩ったのが分かった。それを宥めるように髪を撫でてやりながら、五条はその唇を塞いだのだった。

 

唇が触れ合うと、彼女の肩がまたぴくっと反応して少し緊張しているのが分かる。それを落ち着かせるように髪を撫でてやると、少しずつ力が抜けてきたのが分かった。

唇は柔らかくて暖かくて……。角度を変えて何度も重ねるうちに、もっと触れたい衝動に駆られた。けれど、さすがにこれ以上はまずいと思い直し、名残惜しみながらゆっくりと離す。すると、彼女は少し頬を染め、そして――微笑んでくれた。その笑顔に、五条はただ「ありがとう」と呟いたのだった。

 

風が2人の間を抜け、紅い葉が一枚、池の水面に落ちていく。その波紋が、まるで2人の心を重ねるように静かに広がっていった。

 

――優しく、包み込むように。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「あああああ、凛花ああああ~~~!!」

 

その影で、ハンカチを噛み締めながら泣き喚く昴と、それを苦笑しながら見守る夏油の姿があった。紅葉と月明かりが揺れる庭園の中で、夏油はそっと目を細め、2人の背中を見つめながら、

 

「……やっと、素直になったみたいだね」

 

そうぽつりと呟く。昴が「悟の素直なんて嬉しくない!!」と鼻をすすりながら泣き続ける横で、夏油はふっと笑みを浮かべた。

 

「実は、夕方 凛花ちゃんと一緒にいたのは、デートじゃないんだよね。彼女、最近少し元気がないって言ってたのは、昴だろ? 君が心配してたから、少し息抜きに連れ出しただけだよ」

 

夏油のその言葉に、「は?」と昴が瞬きをする。すると、夏油は空を見上げ、昴に聞こえるかどうかの声で、

 

「それに――あの時、凛花ちゃんが顔を赤くしてたのは、私が悟の話をしてたから。本当に、分かりやすいよね」

 

くつくつと笑いながら、夏油は紅く染まった池を見下ろした。

 

「撮影の時の悟の話とか、いつもどんな話をしてくれるのだとか……彼女の口から出てくるのは、悟の名前ばかりだったよ」

 

夏油のその言葉に、昴がなんだか不服そうに黙り込む。恐らく、そこに出てくるのが、自分の名前じゃないからだろう。夏油はその様子に、揶揄うような笑みを浮かべた。

 

「だから、悟が飛んできたのも、まあ……予想通り――というか、予定通りかな」

 

「……お前、さては最初から、仕組んでただろう!?」

 

昴が睨むと、夏油は肩を竦めながら、

 

「さあ? どうだろうね」

 

月明かりの下、その横顔に浮かぶ笑みはどこか優しかった。

 

「結果的に、2人ともちゃんと自分の気持ちに向き合えたんだし、それでいいじゃないか」

 

そう言って、夏油は立ち上がると昴の肩を軽く叩いた。

 

「ほら、昴。邪魔者は帰ろう」

 

「いやだぁあああ~~~~!!!!」

 

叫ぶ、昴を今度こそ引きずって、夏油は笑いながら、その場を後にしたのだった。

 

 

そして――。

その事実を五条と凛花の2人が知るのは、もう少し後のこと……。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

2025.11.20