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◆ Dreams come true
「……恵君」
ふと、自分を呼ぶ声が聞こえて振り返ると――そこには、にっこりと微笑む凛花がいた。伏黒は、一度だけその翠色の瞳を瞬かせると、首を傾げた。
「凛花さん? どうかし――」
「どうかしましたか?」と言いかけて、伏黒は息を吞んだ。凛花がまるで、愛おしいものを見るかのように、自分を見ていたからだ。知らず、心臓が早鐘の様に鳴り響く。
なん、だ……?
いつもとは違う凛花の雰囲気に、伏黒は目が離す事が出来なかった。すると、凛花がゆっくりとこちらへ近づいてくる。そして、そっと伏黒の頬に手を伸ばすと、にっこりと微笑んだ。
「……っ」
その顔が余りにも綺麗で――伏黒は大きく目を見開くと、「あ、の……」と声を発するのが精一杯だった。顔が熱い。触れられたところから、どんどん熱が広がっていく様な、そんな感覚に囚われる。
すると、凛花は少しだけ頬を朱に染めて、恥かしそうに視線を逸らした。
「……恵君、もう少ししたら誕生日でしょう?」
「え……、あ、はい……」
心臓がどきどきと、脈打つ。緊張の余り、手の感覚すらなくなってきそうだった。
凛花は、そっと伏黒の手を取ると、そのままその手を自身の胸へとあてた。瞬間――柔らかな感触と、その熱が伝わってくる。
そして、凛花は少しだけ恥ずかしそうに――だが、嬉しそうに微笑むと、恵に優しく語り掛けた。
「恵君……プレゼント用意、したのよ。なんだと思う?」
今まで聞いた事がない様な優しい声で、言葉を紡いだのだ。それはまるで、愛を告白する様に。その笑顔はあまりにも美しくて――伏黒は、思わず見惚れてしまった。
そして同時に思った。
ああ……俺はこの人が……やっぱり好きだ……っと。
そう思った瞬間、伏黒の心臓は大きく高鳴った。この気持ちは、ずっと、ずっと前から自分の中にあったのだと、改めて自覚する。そして思うのだ。自分はこの人の事が好きなのだと……。
「恵君……プレゼントはね……」
「……はい」
伏黒は小さく頷く。すると、凛花は悪戯っぽく微笑んだ。そして、伏黒の耳元に顔を寄せると、そっと囁く様に言ったのだ。
「私……」
「……っ」
その声があまりにも艶めかしく、伏黒は思わず息を吞んだ。だが、次の瞬間――凛花は、そのまま伏黒に抱き付くと、ぎゅっと強く抱き締めたのだ。そして、耳元で囁く様に、
「だから……恵君の誕生日、私にちょうだい……?」
耳元で囁かれた声は甘く蕩ける様だった。その瞬間、伏黒は無意識に凛花を抱きしめ返したのだ。そして――。
「―――凛花さんっ」
「おわっ!? な、何々!!? どったの、伏黒?!」
突然、目の前に驚いた虎杖の顔があった。伏黒が、はっとして周りを見ると、釘崎がぽかーんと、していて、練習場の向こうでパンダや真希たちが唖然としている。
どう見ても、体術の自主練中である。
「ゆ、め……?」
そう自覚した瞬間、伏黒は「はぁ~~~~~~」と、大きく溜息を付いた。
夢。
それは、睡眠中にあたかも現実の様に感じる一連の心像。一般的には、将来実現したい願望や思い出、不安な気持ちやストレス等が反映されると言われている。
つまりは、自分の深層心理が夢として表れるのだ。
それを自覚した瞬間、伏黒は思わず頭を抱えた。
最悪だ……。
よりにもよって、なんて夢を見ているんだ、俺は。確かに――凛花の事は好きだ。ずっと前から好きだった。その笑顔に癒されるし、一緒にいるだけで幸せな気分になれるのは事実だ。
でも、だからって……っ。
出来過ぎだろう……っ!!!
だが、彼女の胸に触れたあの感触も、彼女を抱き締めたのも、リアルすぎて――、現実と錯覚してしまいそうになる……っ。
そして、あの声も――。
『だから……恵君の誕生日、私にちょうだい……?』
「……っ」
そう考えると、知らず顔が熱くなった。
そんな伏黒を見て、パンダと狗巻が顔を見合わせた。かと思うと、パンダが「ははーん」と、にやりと笑って、
「夢ってさ~“願望”とかよく言わね? 恵~今、“凛花さん”言ったよな? つまり、そゆこと?」
「すじこ」
にやにやしながら、パンダと狗巻がにじり寄ってくる。からかわれる前兆である。それを見た伏黒は、慌てて立ち上がると、
「お、俺……っ、ちょっと顔洗ってきます!!」
そう言って、脱兎の如く逃げたのだった。
*** ***
水場に行くと、思いっきり蛇口を捻り、頭から水をぶっかけた。そのまま、滝に打たれるかの如く、水を流し続ける。
最悪だ。最悪だ。最悪だ……っ!!
なんで、あんな夢を……っ。しかも、誕生日プレゼントが自分とか……っ。凛花さんに限って、そんな事言う筈ないのに……っ。
確かに、凛花はよく笑う人だとは思う。でも、あんな表情を向けられた事など一度もない。本当に――先程の夢はなんなんだ。あの艶っぽい雰囲気は……。
あれが、俺の願望……。
『恵君……プレゼントはね……』
いや、待て……もしかしたら夢じゃなく幻かもしれない……。そうだ! そうに違いない!! それなら納得だ!! だって現実ではあり得ないからな! よし、そうと決まったら――。
「恵君?」
すると、突然声を掛けられて、伏黒はびくっとなった。そして、恐る恐る声の方へ顔を向けると、そこにはにっこりと微笑む凛花の姿があったのだ。
思わず見惚れてしまったのは言うまでもないが……それよりも、さっきの夢を思い出してしまった伏黒は、咄嗟に顔を背けた。だが、そんな伏黒の気持ちを他所に凛花は近づいてくると、そのまま隣に並んだと思った瞬間――ばさっと、タオルを頭に被せられた。
「凛花、さん?」
突然の事に、伏黒が困惑すると同時に、どき……っとした。だが、凛花はそんな伏黒の気持ちなど知らず、そのまま伏黒の頭を拭き始めたのだ。
「こんな季節に、外で頭から水被ってたら、風邪ひいてしまうわよ?」
そう言って、ごしごしと丁寧に頭を拭いてくれる。温かい手。柔らかい感触に、伏黒は思わず、胸が高鳴るのを感じた。だが、同時に気恥ずかしさもあって……顔が熱くなる。心臓も早鐘の様に鳴り響き、凛花に聞こえるんじゃないかとはらはらした。
何なんだ、これ……っ!! 夢で感じたものより――ずっと生々しくて……っ! ああもう、本当に最悪だ……っ!
すると、そんな伏黒の気持ちなど知らない凛花は、タオル越しに優しく微笑んだかと思うと、
「ねぇ、恵君。明後日、誕生日でしょう? 何か欲しいものある? もし何も思い浮かばないのだったら――プレゼントは、私……」
『だから……恵君の誕生日、私にちょうだい……?』
「……っ」
脳裏に、夢の中の台詞が浮かぶ。と、同時に伏黒は被りを振った。
違う! あれは、夢だ……っ。現実じゃない……っ!!
でも……でも、もし、凛花さんが……。
「恵君、どうかしたの?」
突然、頭を振った伏黒に、タオルを持った凛花がきょとんとしている。伏黒は、はっとして、慌てて顔を上げると、
「あ……い、いえ……っ。あーえ、えっと……ほ、本! 俺、今欲しい本があるんです! アルフレッド・アドラーの“生きるために大切なこと”というタイトルで。あ、アドラーはジークムント・フロイトやカール・グスタフ・ユングに並ぶ心理学三代巨頭の一人で、現代の自己啓発に影響を与えたため“自己啓発の父”とも呼ばれてるんです! アドラー心理学では「誰もが幸せになれる」という前提のもと、人が幸福になるために大切な5つの理論、自己決定性・目的論・全体論・認知論・対人関係論を展開し――」
「……」
「え、ええっと……つまり……」
ああ、俺は何を言っているんだ……っ!
自分でも、もう、何を言っているのか理解出来なかった。だが、そんな伏黒に凛花は目を瞬かせながらも、くすくすと笑ってくれた。
「ふふ……そんなにハマっているの? 分かったわ、探しておくわね」
そう言って、タオルを伏黒に渡した後、「ちゃんと、髪乾かして」と言って去っていった。そんな凛花の後ろ姿を見ながら、伏黒は微かにその顔に笑みを浮かべた。
それは、自虐気味にも見える笑みだった。そして……誰にも聞こえないぐらいの小さな声で、
「俺が欲しいのは――貴女だけです……凛花さん……」
そう、呟いたのだった。
*** ***
―――誕生日当日
「伏黒~誕生日、おっめでと~~~!」
パーン!と、虎杖が景気よくクラッカーを鳴らす。それに便乗する様に、パンダ・狗巻もクラッカーを鳴らした。
「おめでと~恵!」
「しゃけ~~~!」
何だか、大げさに祝われているようで、無駄に恥ずかしい。すると、「あ、そだ」と、釘崎が持っていたプレゼントをぽいっと渡してきた。
「はい、アンタの欲しがってたもの」
「あ、ああ。ありが――」
「俺らからは、凛花の隠し撮りブロマイド集だぞ~~~~」
と、パンダと狗巻が分厚い写真集を取り出してきた。それを見た瞬間、伏黒がジンジャエールを吹き出す。
「な……っ、なん……ごほっ、ごほっ!」
咽ている伏黒を他所に、パンダは頬をぱっと赤くしてにやにやしながら、
「いいって、いいって! 照れるなよ~嬉しいんだろ?」
「しゃけしゃけ」
「いや、あの……」
と、伏黒が顔を真っ赤にして、しどろもどろしている横で、釘崎と虎杖がその写真集ページを捲りながら「おお~」と歓喜の声を上げていた。すると、その様子を傍観していた真希も、何かに気付いたのか、
「なんだ、恵。凛花が好きだったのか。そういう事は、早く言えよな」
「……なんでですか」
何故か、もう周知の事実にされているのが、恥かしいを通り越して、謎である。だが、パンダは新しいおもちゃでも出来たかのように、にやにやしながら、
「今夜からのお供に、このブロマイド。役に立つと思うぞ~?」
「ツナマヨ」
「……何言ってるんですか。使いませんよ」
と、伏黒が呆れ顔で返していると、その後ろで釘崎が真希に、
「真希さん、アイツあんな事言ってますけど、きっと、夜な夜なあのブロマイド集を抱き締めて寝るに決まってますよ」
「だな」
「え~? ブロマイド集抱き締めて寝ても意味なくね?」
と、虎杖がぼやいたものだから、釘崎が、「はぁ~~~」と、重い溜息を付き、
「ばっかね~アンタ、伏黒の事、全然解ってない! 伏黒はむっつりだから、大事に大事に抱き締めて、時々ちらっと見んのよ!」
「なるほど!!」
「おいそこ、勝手な事いってんじゃ――」
今にも伏黒が切れそうになった時だった。突然扉をノックする音が聞こえたかと思うと、凛花が姿を現した。
「ごめんなさい、遅くなって。緊急の任務が入ってしまっていて――って、どうかしたの?」
謎の空気感に、凛花がその瞳を瞬かせた。瞬間、わっと、伏黒と真希以外のメンバーが凛花に駆け寄った。そして、「ささ、こちらへ~」と、何故かぐいぐい背中を押されて、伏黒の隣に座らせられる。
「えっと……?」
いまいち、状況が掴めてない凛花が首を傾げる横で、伏黒が、はぁ……と溜息を洩らした。もはや、突っ込む気も失せた様だ。
そんな伏黒と凛花の並んでいる様子を見て、パンダと釘崎がにやにやしている。
凛花は意味が解らず、やはり首を傾げたが「あ……」と、何かを思い出したように、持ってきた物を、伏黒へ差し出した。
「はい、恵君。お誕生日おめでとう。この間言っていた本よ」
「え、あ……ありがとう、ござい、ます……」
まさか、あの時咄嗟に浮かんだ本のタイトルを覚えられてるとは思わず、伏黒が少し感動する。しかし、それだけでは無かった。凛花が少しはにかみながら、少し頬を赤く染め、視線を逸らす。
「後ね、もう一つ……プレゼントがあるの」
「え……?」
「恵君にどうしても渡したくて……。もう一つのプレゼントはね、私……」
…………え……。
まさ、か……。
『だから……恵君の誕生日、私にちょうだい……?』
あの夢の、あの言葉が、再び脳裏を過ぎる。
違う。あれは夢だ。現実じゃない。凛花さんが俺にあんな事言う筈が……っ。
だが、期待と不安で伏黒の心臓はバクバクしていた。まるで、全身が心臓になったかの様に煩く鳴り響く。
すると、凛花はそっと手を伸ばし、伏黒の手を掴んだ。そして……。
「凛花さ―――」
「私……の作った、バースデーケーキです……っ」
「え……」
え? け、ケーキ?
「……」
「……? 恵君? どうかしたの?」
「……っ、……っ、……いえ、なんでもない、です。その、……ありがとうございます」
一瞬、放心状態だったが……何とか持ち直し、礼を言う。すると、凛花は嬉しそうに微笑んだのだった。
その様子を、パンダと釘崎がにやにやしながら見ていたのは言うまでもない。
そして――。
「そういやあ、悟は?」
こういう集まり大好きの五条がいない事に、真希が不思議そうに、そうぼやいたが、凛花が平然としたまま、
「悟さんは、明日まで出張でいないのよ」
と答えた。凛花のその答えに、真希は「それは、まぁ……正解だな。じゃなけりゃ、血の海になってるわ」と言っていたとかなんとか……。
2024.12.31

