スノーホワイト
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◆ Chapter1 氷結の魔女5
「……」
アリスは、セントラルからブルーノースに向かうリニアの中で、ぼんやりと外を眺めていた。風景が、次第に高層ビルの立ち並ぶセントラルから、洗礼された高級感のかる建物の並ぶブルーノースへと変わっていく。その光景に、アリスは何となく小さく息を吐いてしまった。
今日は別に自分に割り振られたパトロールはない。ノースセクター所属のアリスにとって、ブルーノースの街並みは、見慣れた光景でもあった。
ブラッドから逃げるように、タワーから出てしまったのだが……。逃げた所で、直ぐに仕事で顔を合わす事になるというのに……だ。
「……何をやっているのから」
はぁ……と、溜息を漏らすとアリスは、そのまま視線を落とした。未だ残るブラッドの唇の感触が、酷くリアルで……彼の事を少し考えただけで、頬が熱くなる。これでは駄目なのに、どうしても思い出してしまう。これ以上、仕事に支障をきたす訳にはいかないと思って、気分転換に外に出たのはよいものの、この後どうするかなど、考えすらしていない。
ただ、何となく、気が付けば、いつもブラッドと一緒に向かっていたブルーノースに向かうリニアに乗っていた。彼と一緒の時は、リニアを使う事は殆どなかったが、今、ブラッドはセクターを異動したので、一緒にブルーノースへ任務で向かう事は殆ど無い。だから、アリスは自然とリニアで移動する事が多くなっていた。
端末を開いてスケジュールを見れば、夕方から会議が1件入っている。勿論、この会議にはブラッドも出席する。必然的に顔を合わす訳だが……。先程あんな、態度を取ってしまった手前、どんな顔をして出席すればいいのか分からない。
しかも「寝不足で」などと言ってしまったのに、こうして外に出ている事がバレたら、またなんと言われるか、想像に難くないのは事実で……。
「はぁ……」
また、溜息が零れた。
「もう……ブラッドさんの、馬鹿……」
誰も聞いていないのをよい事に、ついそう漏らした時だった。突然持っていた端末が振動した。リニアに乘っているので、ミュートにしていたので音は鳴らなかったが、タワーからの呼び出しの可能性もあるので、バイブレーションはONにしていたのだ。何か緊急の連絡かと思い、アリスが端末の画面を見た時だった。
「え……?」
それを見た瞬間、そのライトグリーンの瞳を大きく見開いた。その画面の通知に載っていたのは――。
**** ****
――その少し前
―――グリーンイーストヴィレッジ・カフェ
「別に……」
ジェイや、キース・ディノにまで問い詰められて、ブラッドが言い淀む。思い当たる節は無くもない。だが、それを口にするのは少々憚られた。ブラッドは小さく息を吐くと、
「特に何もない」
そう言って、運ばれてきたコーヒーに口を付ける。そんなブラッドに、ジェイは「そうなのか?」と言うと、考え込んでしまった。だが、そんな事でキースとディノは騙せなかった。2人はじっとブラッドを見た後、
「ブラッド~? 隠し事はよくないぜ?」
「そうだぞ、ブラッド! ここは、俺達に相談してくれても良い所だぞ!」
そう言って、身を乗り出してくる。すると、ジェイがきょとんとして、首を傾げた。
「なんだなんだ? やっぱり何かあったのか?」
「あ~あったも何も、コイツこの間、周りに見せつける様にアリスにキ――」
「――キース」
瞬間、ブラッドがキースの話を遮るように、絶対零度のような低温ボイスで名を呼んだ。その声が余りにもドスが効いていて、キースが「う……っ」と口籠る。すると、ブラッドのルビーの瞳が冷たく光った。
「……貴様、何故その事を知っている」
ブラッドのその言葉に、キースが半分たじろぐが、その口元はにやにやと笑っていた。
「んだよ。あんな場所でやってたら、見てくれって言ってたようなもんだろ~?」
「やってた?」
その言葉にいち早く反応したのは、他ならぬディノだった。まるで何か新たな楽しい事でも発見したかのように、きらきらの視線をブラッドに送りだす。
「アリスに何をやったんだ? ブラッド」
純粋無垢なその瞳に、ブラッドが一瞬無言になる。が、次の瞬間、諦めにも似た溜息を漏らした。それから、少しだけ視線を逸らすと、
「……虫除けをしただけだ」
「虫除け?」
ディノとジェイの声が重なる。が、ディノには通じてしまったのか、「あー」と声を漏らした後、嬉しそうに微笑みながら、
「そっかそっかぁ~。ブラッドやるじゃないか! へぇ、ブラッドがアリスにねぇ~。あ、だからアリスは気まずそうにしてたのか! 女の子だもんな!」
うんうんっと、頷きながら、1人納得してしまった。逆にジェイはというと、さっぱり意味が分からないのか、首を傾げていた。
「なんだ? アリスに虫でも付いてて、それを除けてやったのか?」
ジェイのその言葉に、ディノとキースがぷはっ! と、吹き出す。
「まぁ、間違いじゃないよな。そうそう、悪い虫が付かないようにしたんだよ!」
「あ~ジェイには、ちょっと難しすぎたかぁ~?」
などと言っている横で、ブラッドは無言でコーヒーを飲んでいる。そんなメンティー3人に、1人だけ置いてきぼりを食らい、ジェイはやはり首を傾げていた。すると、ディノが「あ、でも……」と声を漏らした。
「アリスは、その事を気付いてるのかな?」
「んあ? どういう事だよ」
キースがそう問うと、ディノは「えーと」と、少し考える素振りをして、
「だから、アリスの為の“虫除け”って事に」
その言葉に、ブラッドがそのルビーの瞳を瞬かせる。ビリーの台詞も踏まえたあの状況下で、それ以外の「虫除け」の意味があるのだろうか。そう思っていると、ディノが首を横に振った。
「甘い! 甘いぞブラッド!! ブラッドは、自分で思ってるよりずっと人気あるんだ。だから、アリスが“ブラッドの為の虫除け”と思ってる可能性だって――」
「……俺が、アリスを利用する訳ないだろう」
至極当然そうにブラッドは言い放ったが、ディノはやはり首を横に振った。
「そういう問題じゃないんだよ。それにブラッド――ちゃんとアリスの了承を得てしたのか? 女の子はそういうの気にするぞー」
「……」
ディノの言葉に、ブラッドは押し黙った。確かに、アリスの了承を得た覚えはない。だが、あの時は……気が付けば、自然と身体が動いてしまっていたのだ。すると、そんなブラッドにディノがずいっと顔を近付けた。
「駄目だぞ~ブラッド! 女の子の気持ちはデリケートなんだ! ちゃんと了承を得てから、そういう行為には及ばないといけないんだからな! ちゃんと、アリスと一度話した方がいいと思うぞ?」
そう言うと、ディノは腕を組んでうんうんっと頷きだす。それを見ていたジェイが思わず声を上げた。
「話が見えないんだが……、結局なんだ。ブラッドがアリスに何をしたんだ?」
その言葉に、思わずキースとディノが顔を見合わす。そして、小声で、
「おい、ジェイにこの手の話って……」
「う~ん、喜びそうだけど、どうだろう……広まりそうだよね、タワー全体に……」
と、ひそひそと相談しだした。それを見たジェイが心外だと言わんばかりに、溜息を漏らした。
「まぁ、言いたくない事を無理矢理聞き出すような真似はしないが……。俺は、双方の間に問題が無いならそれでいいんだ」
「問題……」
ディノが、うーんと考え込む。ふと、ここ最近のアリスのブラッドに対する態度を思い出す。アリスは、少し困ったような表情をしていたが、それは決して嫌がっているとかではなく……むしろ……。
あ……。
そこまで考えて、ディノは1人納得したように、にかっと笑った。そして、満面の笑みでブラッドの方を見た。その笑みが余りにも意味深で、ブラッドが怪訝そうに顔を顰める。こういう顔をしている時のディノは、大概余計な事を思い付いた時だからだ。
「もうさ、アリスと付き合っちゃえば良いんじゃないか? なぁ、ブラッド」
「……っ、げほ、げほっ」
瞬間、ブラッドがぶはっと飲み掛けていたコーヒーを吹き出しそうになった。それを見たジェイが、慌ててナプキンをブラッドに差し出す。
「おいおい、大丈夫か?」
「あ、ああ。すまない、ジェイ」
ブラッドはナプキンを受け取ると、口元を丁寧に拭いた。それから、ディノを見て、
「ディノ。突然、何を言い出すかと思えば――」
「ん? 名案だろ! 恋人になっちゃえば、気まずさもなくなるって!」
「いや……、そういう問題では……」
無いと思うのだが……。そもそも、アリスが自分をどう思っているか――それすらも、はっきりと分からないのに、そんな簡単に考えられる筈もなかった。第一、
「……俺とアリスはそういう関係では――」
「無い」と言い掛けた時だった。ディノとキースが顔を見合わせた。
「え? 何言ってるんだ、ブラッド。ブラッドはアリスの事、嫌いなのか?」
「それは……」
「いや~それは無いだろう。あれだけアリスを気に掛けてんのによ。……って、お前、まさか無自覚とか言うなよ?」
などと、突っ込んでくる。2人のその反応に、ブラッドが苦虫を噛み潰したような顔をしていると、それまで傍観していたジェイが口を開いた。
「なぁ、ブラッド。詳しい事はよくわからんが、口にしないと伝わらない事も、世の中にはあると思うぞ」
「ジェイ……」
「まぁ、元妻に別れを告げられた俺が言うのもなんだけどな」
そう言って、笑う。だが、その言葉は、他の誰よりも重みのある「言葉」だった。ブラッドは一度だけ逡巡する素振りを見せると、端末を開いた。それから、スケジュールを確認する。夕方から1件会議が入っていた。確か、この会議にはアリスも出席する筈だ。出来る事ならば、早くこの状態から脱却して、元の関係に戻りたい所だが……。
そういえば、先程アリスは「寝不足」と言っていた。ただ、誤魔化すように言っていたので、鵜呑みにしている訳ではないが、もしかしたら今部屋で仮眠を取っているかもしれない。そんな彼女の妨げには、なりたくはなかった。そう思って、開き掛けたチャットを閉じる。
「……なんだ?」
ふと視線を感じ、ブラッドがディノとキースの方を見る。すると、2人はにやぁ~と笑って、
「もしかして、アリスに連絡するのか?!」
「おお、行動的だなぁ~ブラッド」
と、何やら2人だけで盛り上がっていた。ブラッドは「はぁ……」と溜息を漏らすと、端末を仕舞った。
「違う。スケジュールを確認しただけだ」
そう言い返すが、キースはにやにやとしながら、ブラッドの肩に腕を置き、
「そんなこと言ってよ~、ちゃっかりアリスにメッセージ送ったりしてんじゃねえの?」
「……していない」
きっぱりそう言い放つブラッドに、キースが「お前な、もっと面白い行動しろよ」と、茶々を入れてくる。が、ブラッドにしてみれば、余計な世話だった。この場でアリスに連絡しようものならば、キースやディノが絶対にウザ絡みしてくるのは、目に見えていた。
後で、連絡するか……。
そう思った時だった。
「これでよし、と」
と、何やらディノがジェイの端末片手に何やら操作していた。
「ディノ?」
訝しげにディノの方を見ると、ディノは にかっと笑って、
「今、ジェイの端末からアリスにメッセージ送ったんだ。ここの店の地図と一緒に」
「何?」
「アリスも、ジェイからの誘いなら断らないだろ?」
さも当然そうに言うが、とんだ策士である。そして、あっさり端末を貸してしまうジェイもジェイだ。ブラッドが怪訝そうに、ディノとジェイの方を見ると、ディノは半分苦笑いを浮かべて、
「強引な事してごめんって。でも、こうでもしないとブラッドはアリスとこの件の話、しないだろ?」
「それは……」
痛い所を突かれて、ブラッドが押し黙る。すると、見かねたジェイが口を開いた。
「さっきも言っただろ? 口にしないと伝わらない事も、世の中にはあると。今まさに、そういう状態なんじゃないか? ブラッド、お前にはお前の考えもあるかもしれない。でも、俺や、ディノ、キースも、お前達2人の事を心配なんだ。そこは理解して欲しい」
「……」
ジェイにそこまで言われたら、もうブラッドは、何も言い返す事が出来なってしまうのだった。
**** ****
―――リニア内
「ジェイ、さん?」
突然震えた端末。その通知の正体はジェイからのメッセージだった。まかさのジェイからのメッセージ受信に、アリスが首を傾げる。基本、何か急用でもない限り、ジェイからメッセージが送られてくることは滅多に無い。何か問題でも起きたのだろうかと、一瞬不安になる。
アリスは息を呑むと、ゆっくりとそのメッセージを見た。そこには――。
「ち、ず?」
そこには、謎の地図が一緒に送られてきていたのだ。それから、ジェイらしからぬ一文――『急ぎ、この場所に来て欲しい』というメッセージが添えられていた。
「……?」
意味が分からず、アリスが首を傾げる。一瞬、誤送信かとも思うが、送信元は間違いなくジェイの端末からだった。しかも、ご丁寧に『アリスへ』と書かれている。何か任務で問題でも発生したのだろうか? そう思って、地図を開く。その場所を見た瞬間、アリスはますます意味が分からなくなった。そこは、グリーンイーストのとあるカフェの位置を指していたのだ。
ジェイの所属は、イーストセクターだ。別段、グリーンイーストから呼ばれるのは、不思議ではない。が……。
「カフェ、よね?」
思わず、勘違いかと思い、別のページを立ち上げてそのカフェを検索する。調べると、昼間はランチを楽しめる、いたって普通のカフェだった。だが、カフェだから何も問題が起きないとは限らない。アリスは少し考えると、返事を送った。
ここは、もうブルーノースの圏内だ。ここからグリーンイーストに行くには少し時間が掛かる。その旨を送信したその時だった。
「きゃっ……」
突然、リニアがガタン! と、揺れたのだ。それと同時に、キキキキキ――ッ! とブレーキ音と共に、リニア内の電気がチカチカと点滅し出して、点いたり消えたりする。一瞬、何かの事故かと思うが、リニアはまるで電力を失ったように、動かなくなってしまった。
「なにー?」
「おい、動かねぇぞ!?」
周りの乗客が、ざわざわと騒めきだす。アリスは、辺りの様子を伺いながら、ゆっくりと立ち上がろうとした。その瞬間――。リニアの電灯がまたチカチカを点滅し出したかと思うと、チリ……ッと、音を立てて、電気が完全に消えてしまったのだ。そして、暗闇の中でジジジ……ッという何か電子音が辺りから聞こえ出す。次の瞬間――突如、ガタン! と、大きな音を立ててリニアが動き出したのだ。その衝撃で、アリスの身体が座席に叩きつけられる。だが、そんな衝撃よりも、突然動き出した事の方が問題だった。
「な、に……」
そう疑問を抱いた瞬間、今度は車内の明かりが一斉に消えたではないか。同時に、またもガタン! と大きく揺れると、そのまま急停止してしまったのだ。
まさか……。
嫌な予感が、脳裏を過る。一瞬、故障かとも思ったが、基本、ニュー・ミリオンは、中央塔で電気系統を一括管理している。だから、リニアだけに異変が起こるのは考えづらいのだ。外を見ると、街の電力は消えていない。正常だ。つまり、異変が起きているのは、ここだけなのだ。という事は――【サブスタンス】!
だが、司令部からの連絡はまだない。まだ気付いていないという事だろうか。なら、直ぐに連絡して対応しなければ――。そう思って、インカムに触れた時だった。
「ヒャハ! は~い、静粛に~!!」
と、軽快な声と共に、真っ白な髪に赤い瞳の軽そうな青年が姿を現した。それを見た瞬間、アリスはぎくっと顔を強張らせた。そこにいたのは――。
「オメーらは、今から人質で~す! 泣いても笑っても止まらねぇから、覚悟しとけよぉ?」
「……っ」
そこにいたのは、『HELIOS』と敵対する、組織【イプリクス】のトリニティの1人、シンだったのだ――。
続
2025.12.20

