スノーホワイト
◆ Chapter1 氷結の魔女2
もう!!
もうもうもうもう!!
恥ずかしい~~~~!!
アリスは顔を真っ赤にして、タワー内の廊下を走っていた。今思い出しただけでも、恥ずかしい。穴があったら駆け込みたいぐらいだ。
でも……。
思わず、その足を止める。先程のブラッドの行動を思い出す。
触れられた手に、髪に……彼の感触が未だに残っている。あの時――もし、誰もこなかったら……。
「……っ」
知らず、顔が紅潮していく。考えただけで、頭が沸騰しそうだった。
そんな――きっと、私の思い違いよ……。
そうだ。ブラッドに限ってきっとそれはない。
まさか、あのブラッドが自分に―――。
「あれ、アリス?」
ふと、そこまで考えた所で、誰かに呼び止められた。はっとして振り返ると、ブラッドと同じ、ルビーの瞳にブルネットの髪の青年が立っていた。その青年の顔を見た瞬間、アリスがじわりと涙を浮かべる。
「フェイス君~~」
思わず、泣きついてくる彼女に、フェイスは何かを察したのか……。彼女の柔らかいキャラメルブロンドの髪に触れながら、
「なに~? また、ブラッドになにかされたの?」
フェイスのその言葉に、アリスが小さく首を振る。だが、それとは裏腹に彼女の顔は真っ赤だった。それで全てを察したのか……。フェイスは、よしよしとアリスの髪を撫でながら、
「もう、ブラッドなんてやめて、俺にしたら? 俺だったら、アリスを泣かせたりしないよ?」
冗談めかしてそう言うが、アリスは、むぅ……と頬を膨らませて、
「フェイス君……、いつもそうやって女の人を口説いているのね……」
アリスがそう言う。が、フェイスは心外そうに、
「まさか、俺からこうして言うのはアリスにだけだよ?」
「……でも、“彼女達”が沢山いるじゃない」
そこ突かれるが、フェイスが何でもない事の様に、
「“彼女達”は、俺から誘たんじゃないよ? みんな自分から俺の“彼女”になりたいって言ってきたんだ」
「……だからって、複数と同時に付き合うのはどうかと思うの」
アリスのその言葉に、フェイスが「ふぅん?」と意味深に笑みを浮かべた。そして、不意に顔を近づけてきて、
「だったら……さ、アリスが“俺だけの彼女”になってくれる?」
「え……?」
一瞬、何を言われたのか理解できず、アリスのそのライトグリーンの瞳を瞬かせる。
「だから、ブラッドなんてやめて俺にしてよ……ね? アリス」
「な……」
やっと問われた意味が理解出来たのか、アリスが、かぁっと顔を赤らませた。
「も、もう! 冗談はよしてよ……。心臓に悪いわ」
どきどきと鳴り響く心臓を押さえたくて、アリスがふいっとそっぽを向く。だが、その顔は朱に染まっていた。
馬鹿だなぁ……アリス。そういう態度が“余計にそそられる”のに……。
などと、フェイスが思っているなど当の本人は微塵も思っていないだろう。アリスは、「んんっ」と、息を整えると、
「もう、フェイス君の話は真に受けていたら、身が幾つあっても足りません!」
はぁ……と、小さくため息を洩らして、そう言う。そんなアリスを見たフェイスが、くつくつと笑いだし、
「でも、ブラッドと何かあった時、いつも俺の所に来るのはアリスの方だよ?」
「うっ……」
痛い所を突かれて、アリスが口籠る。
「それは、その……だって、こんな話聞いてくれるのは、フェイス君だけだし……」
もごもごと、小さな声でそう呟く。それを見たフェイスは、満足げに笑った。
「ありがと」
「……お礼を言われるようなことはしてないと思うけど」
と、その時だった。
「アリス」
不意に、誰かに呼ばれた。はっとして顔を上げると、いつの間に来たのか……そこには、フェイスの兄・ブラッドが立っていた。
驚いたのは外でもないアリスだ。ぎょっとして、思わずフェイスの影に隠れようとするが――伸びてきたブラッドの手に、あっという間に捕まってしまう。
「あっ……」
そのままぐいっと肩を抱き寄せられる。まさかの展開にアリスが付ていけないでいると、フェイスが「へぇ……」と少し怒気の混じった声で、ブラッドを見た。
だが、ブラッドは平然したまま、
「アリス、行くぞ」
そう言って、そのままアリスの肩を抱き寄せて歩き出す。アリスがおろおろと、ブラッドとフェイスを見た。瞬間、フェイスの声が響いた。
「――邪魔しなでくれる? ブラッド。アリスは俺と話してたんだけど」
フェイスのその言葉に、一瞬ブラッドが一瞥する。が、そのまま何でもない事の様に、
「――そうか。アリスが世話になったな」
その言葉に、フェイスはカチンッとした。まるで、アリスを自分の所有物の様に言うブラッドのその言葉に、苛立ちを抑えきれなかったのだ。
「あんたが! そうやってアリスに期待させる態度だけして流してっから、アリスが泣くんだろ!!」
堪らずそう叫ぶと、ふとブラッドがフェイスの方を見た。だが、ブラッドは一言だけ――。
「――お前には関係ない事だろう」
と、返すとそのままアリスを連れて去って行ってしまった。
残されたフェイスはぎりっと奥歯を噛みしめた。握った両手の爪が手に食い込む。
「――あんたのそういうところが、嫌いなんだよっ」
吐き捨てる様に呟いたフェイスの声は、そのままかき消えたのだった――。
**** ****
「あの……っ、待っ……待って下さい……っ、ブラッドさん……っ!」
ブラッドに引きずられるように廊下を歩きながら、アリスが声を掛けるが、ブラッドはこちらを見向きもしてくれなかった。心なしが、少し怒っている様にも見えるが、怒られる様な事をしたのかと、不安になる。
そして、そうこうしている内に、レッドサウス・ルームに着いてしまった。
ドアが横に開き、部屋の中へと連れていかれる。アリスはもう、意味が解らなかった。
どうして彼は自分をここに連れ戻したのだろうか……? もしかして、何かやはり不手際をしてしまったのだろうかと、怖くなる。
しかし、ブラッドは部屋に入るなり、ぱっとアリスから手を離した。そしてそのまま、朝座っていたモニターの方に行ってしまう。
アリスが困苦気味に、ブラッドの後ろ姿を見ていると、ふと、ブラッドがサイドテーブルにある空になった皿とカップを見た。
「アリス」
「え、あ、はい……」
名を呼ばれて、どきっと心臓が跳ねる。すると、ブラッドは一度だけアリスの方を見た後、再びサイドテーブルの方に視線を向け、
「――礼を言っていなかったからな。軽食、美味かった。ありがとう」
「あ……」
ただ礼を言われただけなのに、嬉しさが心の中に込み上げてくる。温かい気持ちになる。――嬉しい、と、そう思ってしまう。
アリスはふわりと、笑みを浮かべると、
「いえ、ご迷惑でなければ、またお持ちしても宜しいですか?」
勇気を出して、そう尋ねた。すると、一瞬ブラッドが少しだけ驚いたような顔をしたが、次の瞬間、苦笑いにも似た笑みを浮かべた。
「それだと、君の仕事が増えるんじゃないのか?」
「一応、メンターの補佐が私の仕事ですから。それに、料理するのはいい息抜きにもなりますし……その、ブラッドさんさえ良ければ――」
駄目……だっただろうか? こんな言い方では、まるで義務でやっている様に思われたかもしれない。そう思って、アリスは熱くなる頬を考えない様にしながら、ブラッドの方を見た。そして――、
「あの、ブラッドさんのお役に、少しでも立ちたいのです――」
言ってしまった。心臓が今までにない位、ばくばく鳴っている。でも、きちんと言わないと誤解されてしまうような気がして、言わずにはいられなかった。
ブラッドが少し驚いたように、ルビーの瞳を見開いた。が、くすっとその顔に微かに笑みを浮かべると、
「そうか――」
とだけ、応えてくれた。その事に、アリスがほっとして微笑むと、不意にブラッドの手が伸びてきたかと思うと、アリスのキャラメルブロンドの髪に触れてきた。
「……っ」
余りにも、突然の事にアリスが驚いて顔を上げると、ブラッドのルビーの瞳と目が合った。知らず、かぁ……っと頬が赤くなる。
「あ、の……」
どうしてよいのか分からないのに、アリスは視線を逸らす事が出来なかった。すると、ブラッドが、すっと顔を少し近付けると、手を微かに動かす。そして、そのままアリスの髪を一房手に取り、
「お前の髪は、本当に綺麗だな」
と、言った。その声音があまりにも優しかったから……。
「……っ」
アリスが思わず息を吞む。と、同時にその顔を真っ赤にさせた。
ブラッドは、そんなアリスを見てふっと笑うと、髪から手を離した。そして、再びサイドテーブルの方に向かうと、空になった皿とカップをトレイの上に乗せていく。そして最後に残ったティーポットを手に取ると――、
「これは俺が片付けよう」
そう言って、そのままキッチンの方へと運んでいく。瞬間、アリスがはっとして、慌ててブラッドを追いかけた。
「あ、あの……っ、片付けなら私が――」
「いや、これぐらいはさせてくれ。流石に、全部やってもらうのは忍びないのでな」
「で、でも……」
ブラッドに洗い物をさせるなんて、とてもじゃないがじっとしていられなかった。それに、彼はずっと徹夜で仕事をしていたのだ。洗い物をする暇があるなら、寝て欲しいし、休んで欲しいというのが本音だった。
だが、ブラッドは慣れた手つきでさっと洗ってしまうと、皿やカップをディッシュラックに立て掛けてしまった。
「あ……」
アリスが困ったように眉を下げると、ブラッドは微かに笑った。そしてそのままキッチンから出て行こうとする。と――ふと、思い出したように、振り返るとアリスの方を見た。そして、
「助かった……ありがとう」
そう言って小さく微笑った。
「……っ」
思わず、顔が赤らむのを感じる。心臓がどきどきと早鐘を打つように鳴っているのが分かる。
ブラッドさん……あんな顔もするんだ……と、思うと何だか不思議な気持ちになってくる。
だって、あのブラッドが……あんな優しい顔をするなんて――思わなかったから。だから、かもしれない……。彼があんな風に笑うのを見れるなら、こんな事ぐらい何でもない様な気がしてしまうのだった。
2025.01.04