スノーホワイト

   ~Imperial force~

 

◆ pieces of children6

 

 

 

―――エリオスタワー アリスの部屋・夜

 

 

「パパ~、おかえり~」

 

部屋の扉を開けると、開口一番にティアが出迎えてくれた。ブラッドはくすっと笑うと、「ただいま」と言って、そっとティアの頬にキスを落とす。すると、ティアが嬉しそうに笑う。そんなティアの頭を撫でると、部屋の奥を見た。

いつもなら、シュンとアリスも出迎えてくれるのだが、今日はその気配がない。何かあったのか? と、思っていると、ティアがくいっとブラッドの制服を引っ張った。

 

「ティア?」

 

何かと思いブラッドが耳を寄せると、ティアはこそっと耳打ちする様に、

 

「ママ、今寝てるの。だから、し~~」

 

「寝てる?」

 

アリスにしては珍しいと思った。彼女の性格的に、子供達を放って寝るような事はない筈なのだが……。そう思っていると、ティアがブラッドの手を引いてリビングへと向かいだした。

連れられるようにブラッドがリビングに向かうと、ソファでアリスがうたた寝しているのが見て取れた。その傍に、シュンもいる。シュンは、ブラッドに気付くと、たたっと駆け寄ってきて、その足にしがみ付いた。

 

「父さん、おかえりなさい」

 

「ああ、ただいま」

 

そう言って、シュンの頬にもキスをする。それから、ソファで眠るアリスを見た。どうやら、ここ数日子供達の相手をしていた所為か、疲れて眠ってしまったようだった。その手には、読みかけの資料があり、仕事をしていたのだろうというのが伺えた。

 

俺の所為だな……。

 

どうしても、昼間は子供達の相手をアリスに任せっきりになってしまっている。だが、アリスも慣れない環境の所為で疲労が溜まるのは当然だった。しかも、合間に仕事を片付けている所をみると、その気苦労は相当のものだろう。

 

ブラッドは小さく息を吐くと、すっとアリスの持っている資料を机の上に避け、彼女を横に抱き上げた。それでも、アリスはすぅすぅ……と眠っており、起きる気配すらなかった。ブラッドの腕の中で眠る彼女は、とても疲れている様に見えた。

 

「パパ?」

 

アリスを抱き上げたブラッドを見て、ティアが首を傾げた。ブラッドはくすっと笑みを浮かべると、ティアとシュン見て、しっと人差指を自身の口に当てた。

 

「アリスを寝かせてくる。ここで大人しくしているように」

 

そう2人に言うと、2人はぱっと口元を手で押さえて、こくこくと頷いた。それを見届けた後、ブラッドはリビングを出てアリスの寝室へと向かった。

 

寝室に入ると、ひんやりとした空気が肌を掠めた。ブラッドはアリスを起こさないように部屋の電気を付けずに、そのまま彼女を寝室のベッドへと運んだ。最近は、子供達がいるので、ゲストルームで一緒に寝ていた様だったが、今日ぐらいはこちらの方がいいだろうと思ったのだ。

 

彼女をベッドに横たえると、その横に座る。眠る彼女の顔色は少し疲労が見て取れた。そんな彼女の頬に触れると、ひんやりとした感触がした。

 

「アリス……」

 

彼女の名をそっと呟く。だが、彼女は起きる気配もなく、こんこんと眠っていた。そんな彼女を見ていたら、申し訳ない気持ちが溢れてきて、ブラッドは知らず「すまない……」と口にしていた。

 

いつもだったら、にこっと微笑んで「大丈夫ですよ。心配なさらないで下さい」と言ってくれるであろう彼女のライトグリーンの瞳は閉じられたままだった。それだけで、かなりの疲労が溜まっているであろう事が伺えた。

ブラッドは、そっと彼女の頬を優しく撫でると、その唇に触れた。そして、静かにその唇に口付けを落としたのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……ん」

 

カチカチと時計の針の音が聞こえてくる。アリスはぼんやりする頭で、ゆっくりとその瞳を開けた。視界に入るのは見慣れた寝室の天井で……。一瞬「え?」と思うが、頭が上手く働かない。

もそりと身体を起こすと、いつの間に自身の寝室に移動したのか、ベッドの上で寝ていた。時計を見ると、午前2時を指していた。

 

「……どう、したんだったかしら……」

 

確か、リビングで子供達の相手をしながら、仕事の資料を読んでいた様な……。気がするのだが、どうにもこうにも思い出せない。とりあえず、アリスはベッドから身体を起こすと、そのまま寝室を出てリビングに向かった。

 

リビングに行くと、電気は消えており誰もいなかった。ふと、机の上を見ると、見ていた筈の資料が整えて置かれていた。

 

「……?」

 

誰かがまるで整理した様に置かれた資料に、思わず首を傾げる。と、その時だった。いつも、子供達を寝かしつけているゲストルームの方から明かりが微かに洩れていた。

もしや、2人ともまだ起きているのだろうか? と、思い、アリスがそっとそちらの部屋に向かい、扉に手を掛けた時だった。

 

「アリス?」

 

不意に、部屋の中からいる筈のない人の声が聞こえたのだ。

 

「え……? あ……」

 

そこにはブラッドがいた。ベッドの上で、サイドテーブルにあるスタンドの明かりを使って何かの資料を見ていたのだ。その横では、シュンとティアがすやすやと寝ている。どうやら、ブラッドが寝かしつけてくれた様だった。

 

「す、すみません、ブラッドさん……っ、お手を煩わせて――」

 

アリスが慌ててそう言いうと、ブラッドは何でもない事のように、「いや……」と口にした後、手招きしてきた。アリスは少し躊躇った後、そっとゲストルームの中に入った。そして、そのままベッドサイドに座る。すると、ブラッドがすっとその長い指をアリスのキャラメルブロンドの髪に絡めると、頬を撫でてきた。

 

「もう、身体はいいのか?」

 

「あ……はい、なんだか、お手を煩わせてしまったようで……」

 

と、アリスが恐縮していると、ブラッドはふっと笑って、

 

「いや、俺こそ気付いてやれなくてすまなかった」

 

ブラッドの言葉に、アリスが小さくかぶりを振る。

 

「いえ、ブラッドさんもお仕事大変ですし……。その……私が本来担う筈の分もして頂いてますから……」

 

そう言って、ブラッドの横で眠る2人を見る。甘く見ていた部分はあった。子供2人ぐらいなら1人でも大丈夫だと思っていた。が、実際は違った。色んな人に助けられて、ブラッドの手も煩わせて今に至る。

 

「……正直な話、ここまで大変だとは思っていなかったです。世のお母さん達は凄いなって実感しました」

 

でも、無下にはしたくなかった。きちんと、2人の気持ちに応えたかった。今の自分が産んだ訳ではないが、自分を「母」だと慕ってくれるこの子達にちゃんと返したかった。

 

「……結局は、私のエゴかもしれませんけど――」

 

それでも、少しだけでも、この想いが伝わればいいと――。

 

「あ……」

 

気付けば、アリスは泣いていた。涙が頬を伝う感触が、酷く冷たく感じた。

 

「す、すみません……っ」

 

ブラッドに涙を見られまいと、アリスが慌てて顔を背けようとする。が――それは、伸びてきたブラッドの手によって阻まれた。そして、そのまま手を引っ張られたかと思うと、気付けばブラッドの腕に抱かれていた。

 

「……っ」

 

知らず、アリスの頬が朱に染まっていく。

 

「あ、あの……っ」

 

どうしてよいか分からず、アリスがぴくんっと肩を震わす。すると、ブラッドがアリスの涙を拭う様に、その瞼に口付けを落としてきた。

 

「泣くな」

 

 

そう言って、優しく頭を撫でてくれる。

 

「お前に泣かれたら、どうしていいか分からなくなる」

 

「……っ、で、も……」

 

一度関を切った涙は止まらず、次から次へと溢れてきた。まるで、彼女自身の感情を表すかの様に、とめどなく流れるそれは水泡の様で……。

そしてブラッドは、そのまま腕の中で嗚咽を洩らす彼女の背を撫でる事しか出来なかったのだった――。

 

 

 

 

*** ***

 

 

 

 

―――エリオスタワー 廊下

 

 

「お~い、ブラッド!」

 

次の会議へ移動中、急に後ろから声を掛けられた。足を止めて振り返ると、ジェイが何故かこちらへ手を振りながらやってくるではないか。

 

「ジェイ?」

 

ブラッドが何用かと首を傾げると、不意にジェイがぽんっと背を叩いてきた。

 

「なんか、背中に哀愁が漂ってるぞ。どうしたんだ?」

 

「……」

 

ジェイの言葉に、ブラッドにしては珍しく言葉を詰まらせた。その様子にジェイが「うん?」と首を傾げる。すると、ブラッドは小さく息を吐き、ぽつりと呟くように、

 

「……アリスに、泣かれた」

 

と、言った。その言葉に、ジェイが耳を疑うかのようにまた首を傾げた。

 

「泣かれた? アリスにか?」

 

「……ああ」

 

そう呟くブラッドは、傍から見ても気落ちしているように見えた。ぱっと見は分からないが、ブラッドを良く知る人間から見れば、一目で分かるレベルで。あのブラッドが!? と思ってしまうが、ブラッドも人間だ。そういう時もあるだろう。

 

ジェイは、う~ん? と、考えながら、

 

「なんだ、泣かすようなことしたのか? 浮気とか」

 

「ジェイ……」

 

と、ブラッドが訝しげにジェイを見る。その目が「あり得ない」と言っていて、ジェイは慌てて苦笑いを浮かべた。

 

「冗談だ、冗談! そう怒るな」

 

「……別に、怒っている訳では」

 

「でも、呆れてただろう?」

 

「そうだな」

 

そうブラッドに即答されて、ジェイはやはり苦笑いを浮かべた。ただ、アリスが泣いたというのは本当らしく、ブラッドはどうしていいのか分からないといった雰囲気だった。

 

「で、なにがあったんだ?」

 

「……」

 

ブラッドは少し悩んだ後、かいつまんで説明した。ジェイは話を聞きながら、う~んと唸る。

 

「要は、慣れない育児で疲れが溜まっている状態で、ブラッドに迷惑を掛けた事に対して泣いたという事か」

 

「俺は、迷惑を掛けられたとは思っていないんだが……」

 

そうブラッドは言うが、恐らくそれは口にはしていないんだろうなぁと、ジェイは思った。ブラッドはそういう感情表現を口にしない節がある。だから、今回も言っていない事は容易に想像付いた。

それに、アリスが泣いた理由はそれだけでは無い気がした。ジェイも詳しくはないが、別れた妻がいつも言っていた。どうして自分ばっかり……っと。つまりは、子育ては協力体制があってこそ円満に成り立つ。

 

女だから、全部見なきゃいけないというのは古い考えだ。ブラッドはそんな事は思っていないだろうが、立場上どうしてもアリスに頼りがちになっている。そして、アリスは慣れない子供の相手と、仕事の両立。そして、子供の気持ちに応えたいという想いの板挟みで疲弊しているのだろう。

 

「うん、あれだな。“仕事と私達、どっちが大事なの!?”だ」

 

「アリスはそんな事は言わない」

 

ばっさりブラッドに否定されて、ジェイが苦笑いを浮かべる。

 

「まあ、アリスは言わないだろうが、心境的には似たようなものだろう。少なくとも、俺は別れた妻に言われたぞ?」

 

と、どや顔で言われても……と、ブラッドが眉を寄せた。それから、頭を抱えて溜息を付くと、

 

「貴方に相談した、俺が馬鹿だった」

 

と、結論付けてしまった。その言葉に、ジェイが「おいおい」と待ったを掛ける。

 

「それは心外だなぁ~。俺だってお前達の事が心配なんだ。少なくとも、お前らなら俺みたいにはならないと信じてるしな」

 

「ジェイ……」

 

それは、ジェイの別れた妻との事を言っているのは直ぐに分かった。言い辛い事を言わせてしまった事へ、少しだが罪悪感を抱いてしまう。すると、ジェイは少し考えた後、

 

「よし、ブラッド。お前、近いうちに2日ぐらい休みを取れ」

 

「藪から棒に何を……意味が分からないんだが」

 

ブラッドが、突然提示された提案に眉を寄せる。だが、ジェイはさも当然のように、

 

「お前もアリスも、リフレッシュするのが大事だ! 特に、アリスはストレスが溜まってそうだからな、こういうのも大事だぞ?」

 

「それは――」

 

そうかもしれないが、オフは取ろうと思ってそう簡単に取れるものではない。特にブラッドは、今はアリスがいない分、仕事が押している状態だ。近々ある【LOM】の準備もあるし、パトロールの強化の話も出ている。会議や視察も詰まっているし、1日ならまだしも、2日もオフをとなると、かなり調整しなくてはならない。

だが……。

 

昨夜のアリスの顔が脳裏を過ぎる。今にも倒れそうなぐらい青白く、無理をしているのは一目瞭然だった。アリスの事を思うならば、一度しっかり休ませる必要もあるし、リフレッシュも必要だろう。

 

「……」

 

「そうだなぁ、何処か風景の綺麗な所に連れ出してもいいかもしれないな」

 

と、何故かジェイの中で計画が立てられている。だが、ジェイの言う事も一理あった。

 

風景の綺麗な所、か……。

 

「……」

 

考え込んでしまったブラッドを見て、ジェイがにやりと笑う。ブラッドにとっても良い傾向だと思った。これを機に、アリスのとの仲が進展すると良いんだがなぁ~などと、ジェイが思っているとは露とも思っていないブラッドは、ジェイの方を見ると、

 

「話を聞いてくれて助かった、ジェイ。礼を言う」

 

「いや、全然お安い御用だ」

 

「……オフの件は、一応調整はしてみるが……」

 

やってみないと何とも言えないという事だろう。まあ、それはブラッドの立場を考えれば仕方のない事だった。それでも、ブラッド自身がやろうとする事が大事なのだ。

 

「では、次の会議の時間が迫っているので、これで失礼する」

 

そう言って、ブラッドは歩いて行ってしまった。そんなブラッドの背を眺めながらジェイは顔が緩むのを抑えられずにいたのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

2025.03.23