スノーホワイト
~Imperial force~
![]()
◆ ROMANTIC SYNDROME3
―――ブルーノースシティ・撮影スタジオ
や……。やっと、終わった……。
撮影が何とか終わり、アリスが解放される頃には、昼頃になっていた。正直、何をどう撮られたかすら、緊張のあまり記憶にない。とにもかくも、ブラッドが近すぎて、心臓がやばかったという事以外は……。
モデルさんって凄いわ……。
あんな事を平然とやってのけるモデルは本当に凄いと思う。とてもじゃないが、アリスには無理だと思った。
とりあえず着替えをして戻ると、先に戻っていたブラッドが、カメラマンと何やら話をし込んでいる。ふと、ブラッドがこちらを見て、少し思案した後「アリス」と名を呼んできた。
「……?」
何か問題でもあったのだろうか。アリスが不思議に思っていると、カメラマンがアリスに気付き、
「あ! アリスちゃん、こっちよ、こっち~」
と、何故か手招きされた。一瞬、アリスがライトグリーンの瞳を瞬かせる。
「えっと……お疲れさまです。どうかされましたか?」
そう尋ねると、カメラマンは「うふふ~」と笑いながら、
「違うのよ! 今、ブラッドくんに特集に載せる写真を見てもらってたの!」
言われてテーブルの上を見ると、先程撮った写真が大量に置かれている。が、その写真を見た瞬間、アリスが大きく目を見開いた。見ると、どの写真もアリスがばっちり写り込んでいるのだ。
「あ、あの……っ」
流石に、黙っていられなくてアリスは口を開いた。
「すみません、ほとんどの写真に私も写っているのですが……」
アリスが了承したのは、「ハンドモデル」であって、全身は対象外の筈だ。なのに――。すると、ブラッドが小さく息を吐いた。
「確かに、アリスに了承を得たのは、あくまで“ハンドモデル”の仕事だけだ。“全身モデル”に関しては了承した憶えはないが――これだと、そもそもコンセプトが変わるんじゃないのか?」
そうなのだ。広報に送られてきているコンセプトとかけ離れてしまう。これでは、ほとんどの写真は使えない事になる。かといって、今から撮り直す訳にもいかない。
すると、カメラマンは、特に悪びれた様子もなく、
「あんな素敵なモデルさんなら、絶対に全身も欲しいじゃない~? プロとして、これは譲れないわ!」
「と、とにかく、顔は絶対に隠して下さい……っ。後、私と分からないように――」
もし、ブラッドと写っている相手がアリスだと市民に気付かれたら、絶対に問題になるのが目に見えている。それだけは、避けなければならない。
そう言うと、カメラマンはにやりと笑って、
「そこは任せて! コンセプトも変えないわ! テーマはずばり『悪いが、誰にも渡さない』!! これよ!!」
「……」
だ、大丈夫なのだろうか……。なんだか、不安ではあるが、これ以上論議しても何も変わらない様な気がして、アリスは小さく息を吐いたのだった。
結局――あの後、ブラッドがカメラマンを説得して事なきを得たのだが……なんだか、どっと疲れてしまった気分だ。とりあえず、ほっとしてブラッドと一緒にアキラの元へと戻ると――。
「おせーよ。つか、なんか揉めてたっぽいけど、もういいのか?」
「ああ、ひとまず納得はしてもらったが……」
と、ブラッドが答えたのに、違和感を覚えたのか、アキラが「ん?」と首を傾げた。
「んだよ、珍しく歯切れわりーな」
「……まあ、大丈夫だろう」
「ふーん?」
少し考える素振りを見せたブラッドに、アキラがやはり首を傾げた。そんなブラッドを見て、アリスもそのライトグリーンの瞳を瞬かせると、
「ブラッドさん……?」
「いや、何でもない」
そう言って、ブラッドがアリスの髪を梳くように頭を撫でた。その心地良さに、アリスが小さく笑う。と、その時だった。
“シャララ~ン”
「ああ!!」
突然、アキラが叫んだ。驚いてそちらを見ると、アキラは興奮気味に“ロマンチック測定器”を指さし、
「また鳴った! いま、鳴ったよな!?」
「え、ええ? アキラ君、その測定器の電源切ってなかったの?」
切っておいた方がいいと言っておいたのに、まさかの伏兵にアリスが動揺していると、アキラは目をきらきらさせながら、
「なぁ! ここの撮影所めっちゃ鳴るしよ。ここにいたら“ロマンチック”が何か分かるんじゃね!?」
「……」
あれだけ説明しても、理解出来なかった人に、ここで分かるとは到底思えなかった。アリスが、困った様にブラッドを見る。それに気付いたブラッドが、小さく息を吐いた。
「アキラ、ここには仕事で来ていたんだ。それに、アリスに散々説明して貰ったが、理解出来なかったのだろう? これ以上、ここで時間を費やすのは得策とは思えないが」
「う……っ、そ、それは……」
「はぁ……、まあ、いい。この後の予定はどうするつもりだったんだ? お前が考えてくると言っていただろう」
ブラッドがそう尋ねると、アキラが「あ~」と少し声を洩らし、
「本当は、ウィルのおすすめの映画行くつもりだったんだけどよ、腹減ってきたし、先に昼にしねぇ?」
「そうね……」
流石に、アリスも少しお腹が空いてきた。それに、映画を見るならお腹は満たしておきたい。もし、万が一にも映画の最中にお腹が鳴ったら、恥かしいのを通り越して、軽く死にたい気分になる。
アリスは、ちらっと一瞬ブラッドを見て、躊躇いがちに、
「どうしますか、ブラッドさん」
そう尋ねると、ブラッドは「ああ……」と答えて、
「そうだな。店は決めてあるのか?」
アキラにそう話を振ると、アキラは「う~ん」と何故か唸った。
「いや、ここノースだろ? 本当は、オレの行きつけのホットドックの美味い店に行こうかと思ったんだけど、遠いんだよなー」
アキラの好物のホットドックの美味しい店というと、恐らくレッドサウスストリートにあるカフェの事だろう。確かに、今いるブルーノースシティ真反対の位置になる為、今から移動は少し厳しく思えた。
それに――ブラッドがホットドックを食べる光景など想像出来ない。
「だったら、俺が決めても問題ないか?」
「ん? おう、ブラッドの“おすすめ”ってやつでいいんじゃね? あ、リトルトーキョーまでは流石にオレの腹がもたねーぞ?」
「安心しろ、ノースで済ませる。アリス、ノースに来た時、いつも行くフレンチの店に、席が空いているか確認して貰えるか」
「分かりました」
そう言って、アリスが電話しにその場を離れた。そんな2人のやり取りに、アキラが首を傾げる。
「うん? いつも行く店って……?」
「行けば分かる」
そう言って、ブラッドが微かに笑ったのだった。
*** ***
―――ブルーノースシティ・展望台レストラン
「おおお」
と、店に入るなり、アキラが歓喜の声を上げた。エリオスタワー程では無いにしろ、かなり高層の展望台を一面フロアとしているその店は、全面ガラス張りで、ニュー・ミリオンが一望出来るほどだった。
初めて見る者からすれば、かなりの圧巻だろう。かくいうアリスも、最初は驚いた。
「はぁ……アキラ、きょろきょろするな。こういう店では静かにするのが――」
「マナーだっつーんだろ? 聞き飽きたっての」
「だったら、いちいち声を上げるな」
「へいへい」
そんな2人のやり取りを見て、アリスがくすっと笑った。と、そこへ、このレストランの支配人が挨拶にやってきた。
「ビームス様。いらっしゃいませ」
「ああ、世話になる。いつもの席は空いているだろうか?」
「はい、ご用意出来ておりますので、ご案内いたします」
そうして案内された席は、いつも使う個室だった。個室と言っても、前面がガラス張りになっており、外が一望出来る仕様だ。
ブラッドの様な、顔が知れ渡っているヒーローなどは、騒ぎを避ける為に、あえてこういう場所では個室を選ぶ。
席に座ると、事前に言っておいたアペリティフが提供される。普通はここで、乾杯をするのだが、今回はアキラもいる事なので、軽く済ませた。ブラッドは手慣れた手つきでメニューを開くと、
「アリス、メインはどちらか希望はあるか?」
「そう、ですね。魚料理でしょうか」
「そうか。ならメインはポアソンで、ドリンクは――」
と、さくっとオーダーしてしまった。アキラはというと……。
「ぐぬぬ~何だこのメニュー読めねぇ……」
と、唸っていた。そんなアキラの様子がおかしくて、アリスはまた笑ってしまった。基本、フランス料理のコースメニューはフランス語で書かれている。馴染みがないと読めないかもしれない。
そうしているうちに、小前菜と呼ばれるアミューズが運ばれてきた。そうしてオードブル、スープと料理が入れ替わっていく。
「こちら、本日のメインの鮮魚のポワレと、旬野菜のハーブ香る甲殻類のソースでございます」
「ありがとう」
メインディッシュは魚料理を頼んだので、ポワレが目の前に置かれた。基本、魚料理――ポワソンは、フォークとナイフではなく、フォークとフィッシュスプーンと呼ばれる、ソーススプーンで一口サイズにカットして、フォークの背に料理とソースを乗せて食べる。のだが……、
アキラはというと、フォークでポワレをダイレクトにカットしてしまった。まあ、まだそのまま刺して食さないだけマシなのかもしれない。
「アキラ……食べ方は、以前教えただろう」
ブラッドが半ば呆れてそう言うが、アキラは気にした様子もなく、
「美味いんだけど、皿に対して量が少ねーんだよな」
などと、ぼやいていた。そんなブラッドとアキラのやり取りに、やはりアリスはくすくすと笑いながら、
「こういう店では、視覚でも料理を楽しめるように工夫が凝らされているのよ」
「ふーん……。その割には、測定器はなんの反応もねーけどな」
言われてみれば、“ロマンチック測定器”はうんともすんとも言わなくなっていた。アリスは少し考えて、
「アキラ君は、こういうお店あんまり楽しくない感じかしら」
アリスが、ナプキンで口元を軽く拭きながらそう言うと、アキラは「う~ん」と唸りながら、
「ん~まぁ、あれだ。ブラッドと一緒だと、マナーがどうのって言われそうで、料理の味が入ってこねーからだな」
と、さも当然のように言い切った。すると、ブラッドがやはり呆れ顔で、
「普段からマナーを意識していれば、気にせずに食べられる筈だが?」
「う……っ」
と、ブラッドの言葉にアキラが口籠もる。アキラのその反応に、ブラッドは小さく息を吐くと、
「少しはマナーが身に付いたかと思ったが、まだまだのようだな」
「ぐっ……ちゃんと成長してんだよ! ネクタイだって、完璧に結べるんだからな」
「そんな事で、成長したと言われたいのか?」
ブラッドの突っ込みに、アキラがぐっとまた口籠もった後、はぁ~と息を吐いて、
「……全然言われたくねぇ」
と、ぼやいた。すると、アリスがやはりくすくすと笑いながら、
「まあ、たまには良いんじゃないですか? アキラ君、マナーは気にせず、料理を楽しんだら良いわ。ただし、今日だけよ」
そう言って、アリスが人差し指を口に当てる。アリスのその言葉に、アキラがぱぁっと、表情を明るくさせた。それから、美味しそうにポワレを頬張ると、
「アリスは分かってんな~。だよな! 今日は、マナー講座はお預けな、ブラッド!」
「はぁ……仕方ない」
と、諦めにも似た溜息をブラッドが零した。そんなブラッドに、アリスが笑う。それから、そっとバケットを一口サイズにちぎって、バターを付けると、口に運んだ。ふと視線を感じて顔を上げると、何故かブラッドのルビーの瞳と目が合った。
「?」
一瞬、何か変だったのかとアリスが首を傾げた時だった。ブラッドがふっと優しげに微笑んだのだ。
「……っ」
瞬間、どきん……と、心臓が鳴った。知らず、顔が紅潮していく。なんだか、恥かしくなって、アリスが誤魔化すかのように口を開いた。
「あ、の……どうかされました? ブラッドさん」
そう尋ねると、ブラッドはくすっと笑って、
「いや、アリスはマナーがしっかり身に付いているなと、思っただけだ」
「あ、ありがとうございます」
と、その時だった。
“シャララ~ン”
「あ!」
思わず、アキラが声を上げた。流石にもう何度も鳴っているのだから慣れて欲しい、というのは、我儘だろうかとアリスは思ってしまう。だが、アキラにはまだ理解出来ないようで……。
「なぁ、今鳴るとこあったか?」
などと聞いてくる。が……まさか、ブラッドの笑った顔にときめいた……などと、口には出来ず、アリスが顔を赤くしていると、突然アキラが「分かったぞ!」と叫んだ。それに対してブラッドが、
「アキラ、叫ぶな」
と、注意するが、アキラはというと……。
「いやいや、オレら何しに来てんだよ。“ロマンチック”を探す為だろ?! そして、測定器が鳴った今、検証しなくてどうするんだよ!」
「それはそうだが――」
と、そこまで言いかけて、ブラッドがアリスの方を見る。見られたアリスは、視線を逸らす様に、メインコースの後にデセールで出されたケーキを、フォークとスプーンで一口サイズに切り分けて、口に運んでいた。
すると、アキラが空気も読まずに口を開いた。
「なぁ、アリス。今、ブラッドに褒められたから“ロマンチック”な気分になったって事だよな!?」
違います……。と、内心思いながら、アリスがケーキを飲み込む。視線が痛い。アキラとブラッドが自分を見ているのが分かる。なんだか、わざと隠しているようで居た堪れない。
2人は本気で、分からないのだろうか。いや、恐らくブラッドは薄々分かってそうな気がした。アキラは――全く分かってないだろう。
「えっと……」
言い辛い。とても言い辛い。
アリスは少し考えた後、
「……アキラ君は、褒められたら、ときめくの?」
「え? オレ? オレは――う~~~~~ん」
「もし、褒められてときめくのが一般的なら、オスカー君がいつもブラッドさんを褒めるけれど、その度に、ブラッドさんは――」
と、そこまで言いかけた時だった。「アリス」と、ブラッドが珍しく言葉を遮るように名を呼んできた。
「その言い方は語弊がある」
と、不意にブラッドがアリスのテーブルに置かれていた手を、そっと握った。その優しい所作に、どきっとする間もなく……。
「オスカーは“忠誠”の意で俺に言っている」
「……」
いや、そんな真顔で言われても――。と思う反面、ああ……やっぱり分かってたんですね、と内心アリスは思った。すると、ブラッドがそのままアリスの手を掬い上げて、ぎゅっと握りしめてきたのだ。
「あ……」
そこで漸く、手を握られていた事に気付いてアリスの顔が真っ赤に染まっていく。
そんなアリスの反応に、ブラッドが優しく微笑む。その笑みに益々心臓が煩く鳴ってしまって……。それと同時に――。
“シャララ~ン” と、またあの機械的な音が鳴ったのだった。
それから暫くして、デザートを食べ終わった3人は、食後のドリンクを頂いていた訳なのだが……その間、ずっとアキラがアリスに話し掛けていた。
「なぁ、なぁ、アリス。何でアリスはそう簡単に“ロマンチック”な気分になれるんだ?」
「いや、あの……別に簡単になっている訳でも、誰でも良い訳でもないのだけれど……」
うう……とても、コーヒーが飲み辛い。だが、説明出来る筈がない。むしろ、何故分からないのか、そちらの方が謎過ぎて……。アキラ的に言うなれば、考えるな! 察しろ! である。
と言っても、きっとアキラには理解出来ないのだろうけれど……。
「はぁ……」
思わず、アリスが溜息を零した時だった。ふと、視線を感じた。視線は……ブラッドのもので、彼はアリスを見ると、ふっと優しげにまた笑った。その微笑みにまたどき……っとなりそうになり、アリスが慌てて手で頬を抑えた。
「ブ、ブラッドさん……あ、あまりそういう顔で見られると、また――」
鳴ってしまいます。と、最後まで口には出来なかった。だが、ブラッドには伝わった様で、「そうか」と、また笑った。その笑みがまた心臓に悪い。
そんな彼の仕草に、アリスはもう一度、赤くなった頬を今度は両手で抑えるしかなかったのだった。
2025.02.18

