CRYSTAL GATE
-The Goddess of Light-
◆ 第四夜 霧の団 13
―――バルバッド・豪商アルジャリス邸前
辺りは淀んだ赤い霧に包まれていた。
闇夜の霧に混ざったそれは、徐々に広がっていき、周りをどんどん侵蝕していく。
そんな中、ざっざっと不穏な幾つもの足音がアルジャリス邸の前に近付いていた。
「この霧を吸うんじゃないよ。手前の根性に自信のない奴ぁ、マスクを付けな」
女の声が響く。
編込みの髪に、鋭い目つき、そして唇にピアスをしたその女は、目を細め後ろの仲間と思しき彼らにそう促す。
すると、女の隣を歩いていた ガタイのいい男がにやりと笑みを浮かべ、
「へへっ、相変わらずおっかねぇな、ザイナブ。オメェの赤い霧はよ」
そう言って、男がくくっと喉の奥で笑った。
すると、ザイナブと呼ばれた女はフンッと鼻を鳴らして、持っているそれを見る。
彼女の左手には、謎の刀が嵌められており、その刀から赤い霧が濛々と発生していた。
「魔法武器“赤幻霧刀”――発生する赤い霧を吸い込んだ人間の、不安や期待を煽り、その幻を見せる……」
すぅっと、ザイナブの目が自分達の足元に転がっている国軍の兵に向けられる。
それは、先程までこのアルジャリス邸も守っていた筈の国軍だった。
彼らは、赤い霧に惑わされ、幻覚の中 国軍の兵同士で戦い、そして幻に飲まれた。
そんな彼らを、苛立だしげに蹴り飛ばすと、
「フン……あたしの霧は、心を冷静に強く保つ奴には、幻を見せないんだ。毎回引っ掛るなんざ、国軍の兵共はとんだ腑抜けだよ」
そうぼやくと、ガタイのいい男の方に視線を向ける。
「今度はアンタの仕事をさっさとしな、ハッサン」
そう冷たく言い放つと、ハッサンと呼ばれたガタイのいい男は「へいへい」と言いながら、右腕に嵌めていたザイナブと同じ形状の刀を構えると、そのまま目の前のアルジャリス邸の壁に刃を立てた。
ギイイイイ……という、嫌な音と共に、刃の斬り跡が残る。
瞬間――その跡がじゅううう……と何か溶ける様な音を立て出した。
「魔法武器“黄侵霧刀”――これで傷を付ければ、そこはたちまち俺の黄色い酸の霧に浸蝕されて……」
ハッサンと呼ばれた男がそう呟いた時だった。
目の前の壁が溶けだす。
そして、そこからビキ、ピシピシと亀裂が入ったかと思うと――瞬く間に、その壁が砕けていったのだ。
それを見て、ハッサンがにやりと笑みを浮かべる。
「――どんな硬い屋敷の壁だろうと、意味を成さないのさ! さぁ、いくぞ!! 肥え太った豚野郎の屋敷だ! 遠慮はいらねぇ!!!」
うおおおおおおおお!!!
ハッサンの掛け声と共に、後ろに控えていた彼らの仲間達が一気にアルジャリス邸の中へと突入しようと、駆け出した――その時だった。
「成程、そういう効果があるのね。ご丁寧に説明ありがとう」
突如、彼らの後方から凛とした声が響いた。
ざわりと、突入しようとしていた彼らがざわめく。
「――誰だ!?」
ハッサンが前に出ると、黄侵霧刀を声のした方へと突き付ける様に構えた。
すると、コツ……コツ……と、足音が霧の中に響き渡経ったかと思うと、目の前に一人の女が立っていた。
ストロベリー・ブロンドの髪に、アクアマリンの瞳、そして美しいシアンのドレスとショールを身に纏ったエリスティアが――。
彼女を見た瞬間、ハッサンが顔を顰める。
「女……?」
それはそうだろう。
今は夜も遅く、霧も濃い。
何よりも辺り一面、ザイナブの赤幻霧刀の幻を見せる赤い霧が支配している。
それなのに、エリスティアはその霧など関係ないという様に、その場に立っていたのだ。
ふと、彼女が周りの赤い霧を見て、何かに気付いたかの様に呟く。
「……サルビア・ディビノルムというよりも、アサに近いかしら。アルコールと良く似た中枢抑制作用と、幻覚作用による、認知・判断能力の低下という所ね。ヤムがいたら喜びそう。研究材料になるって」
そう言って、エリスティアがにっこりと微笑んだ。
それを見たザイナブが、その目を鋭くさせると、赤幻霧刀を構える。
「――何をごちゃごちゃと……っ。これでも、くらいな!」
そう言ったかと思うと、ザイナブの嵌めている赤幻霧刀から一気に、高濃度の赤い霧が発生したのだ。
その霧は、一気にエリスティアの姿が見えなくなる位、燃える様に真っ赤に染まると、彼女を飲み込んだ。
「ははははは! 残念だったなぁ、お嬢ちゃん!! ザイナブの赤幻霧刀で永遠に幻を見てな!!」
ハッサンが勝ち誇った様に、声を上げて笑い出す。
それから、自身の持つ黄侵霧刀を高々と空に掲げ、
「さぁ! 野郎ども!! さっさといただくモン、いただいてくぞ!!」
ハッサンの掛け声と共に、仲間達が「おおおおお!!!」と声を上げながら一気に、アルジャリス邸に押し寄せる――かと思われた刹那。
「うわぁ!!」
突然、見えない壁に阻まれたかの様に、アルジャリス邸の前で足が止まったのだ。
皆、何が起こったのか分からないという風に、前方の何もない空間を見た。
「何だこれ、通れねぇ!!」
「変な、見えない壁があるぞ!?」
そう叫ぶ、仲間たちにハッサンが訝し気に、顔を顰めた。
「お前達、何言って――」
そう言って、手を伸ばすが――何故かその手が前方で止まったのだ。
そう――まるで、何か塀でも在るかの様に、それ以上先へ伸ばせない。
「なに、が――」
そうハッサンが言い掛けた時だった。
「“結界”っていうの。知ってるかしら」
コツン……と、足音がしたかと思うと、あの赤い濃厚の霧の中から平然としたエリスティアが現れたのだ。
エリスティアは、くすっと笑みを浮かべると、くいくいと片指を動かしながら、
「申し訳ないけれど――この屋敷を囲む様に結界を張らせて貰ったの。だから、貴方達の侵入は不可能よ」
そう言って、にっこりと微笑む。
その笑顔が癪に障ったのか、ザイナブが顔を歪めると、ハッサンの前に出た。
「この女は、あたしがやる。ハッサン、アンタはさっさとその変な壁とかいうのを、その黄侵霧刀で壊しちまいな」
「りょーかい」
そう言ったかと思うと、ザイナブがエリスティアの前に躍り出た。
だが、エリスティアは一度だけそのアクアマリンの瞳を瞬かせた後、やはりにっこりと微笑んだ。
「さっきのを見ていなかったの? 貴女のその赤い霧は私には通用しないのよ」
エリスティアがそう言うが、ザイナブはフンッと鼻を鳴らし、
「考えが、甘いんだよ。この赤幻霧刀は赤い霧を出すだけしか出来ないと思ってんのかい? ならその考え――改めさせてやるよ!!!」
そう叫んだかと思うと、一気にエリスティアに向かって赤幻霧刀の赤い霧を出しながら、斬りかかって来たのだ。
しかし、エリスティアは微動だにせず、すっと片手を前に出すと――、
「雷電の壁神」
瞬間―――。
バチバチバチ!!! と、凄まじい電流の壁がザイナブの霧をかき消したのだ。
「なっ――」
だが、それだけでは無かった。
エリスティアは、続けざまに――。
「現出」
そう唱えたかと思うと、突然ザイナブめがけてその電流の壁から、無数の稲妻が横に走ってきた。
「―――っ」
ザイナブがぎょっとして、慌てて後退る。
その腕からか、掠ったのか、僅かに血が流れ出ていた。
「ザイナブ!!!」
ハッサンの声が響く。
だが、ザイナブは振り返る事なく、
「いいから! アンタはさっさとその変な壁壊しちまいな!!」
「それが――斬っても斬っても、壁が消えねぇんだ!」
「はぁ!?」
混乱しているのか、困惑しているのか。
そんなやり取りをする2人を見て、エリスティアはそのアクアマリンの瞳を瞬かせると、
「無駄よ。貴方達の魔法武器では壊せないわ」
エリスティアのその言葉で何かに気付いたのか、ザイナブがはっとする。
「まさか……、アンタも魔法武器を―――」
「魔法武器? いいえ、これはそんなものでは無いわ。これは純粋な“魔法”よ」
「ま、ほう……だって!? そんなもの――」
「見たことないから信じられない? でも、これが現実よ――雷風の嵐」
エリスティアがそう唱えた瞬間、それは起きた。
彼女の手の中に小さな、謎の球体が出現したかと思うと、そこから一気にバリバリ……ッ! という音と共に、雷を纏った突風が吹き荒れたのだ。
ゴゥ!! と唸りながら、風が辺り一帯を支配する。
「うわああああ!!!」
突然の雷風に、ザイナブの仲間達が次々に吹き飛ばされていく。
そして、あれだけ立ち籠めていた霧が全て飛散したのだ。
「……っ」
ザイナブとハッサンが、信じられないものを見る様に、その瞳を見開いた。
だが、エリスティアはにっこりと微笑み、
「安心して、殺しはしないわ。少し動けなくはなってもらったけれど――」
そう言われて、はっとハッサンが吹き飛ばされて倒れている仲間達を見る。
皆、雷で痺れているのか、痙攣したまま立ち上がれない様だった。
それを見たザイナブが、ぎりっと奥歯を噛み締めてエリスティアを睨み付けた。
「――よくも、あたし達の仲間を……っ」
「ザイナブ……手ぇ貸すぜ。ここまでコケにされて黙ってる訳には、いかねぇ……!」
そう言って、ハッサンもその手の黄侵霧刀を構える。
だが、エリスティアはその顔に、動揺の色すら見せなかった。
ただ彼らを見て、にっこりと微笑むだけ。
それが、余計に二人を苛立たせた。
「あたしは、左から行く! ハッサンは右から行きな!!」
「りょーかい! 挟み撃ちにしてやるよ!!!」
そう言うが早いか、二人は一気にエリスティアめがけて駆け出した。
挟撃して、叩こうというのだ。
しかし、エリスティアはそれを避けようともしなかった。
視線だけ一度彼らに向けると、小さな声で何かを呟く。
そうしている間にも、ハッサンとザイナブは距離を詰めて行き――。
「獲った!!」
「お嬢ちゃんは、おねんねでもしてな!!」
そう叫ぶと、その手の黄侵霧刀と赤幻霧刀を振り上げる。
瞬間―――。
「――ジャーファル」
エリスティアが小さな声でそう言ったかと思った刹那、それは起きた。
何処からともなく、縄鏢がヒュンッ! と、音を立てて伸びてきたかと思うと、そのままハッサンとザイナブの振り上げた手を縛り上げたのだ。
「うぁ……っ!」
突然、腕を締め上げられ、思わずザイナブがその手の赤幻霧刀を落とす。
辛うじてハッサンは黄侵霧刀を落とさなかったが、その腕はギリギリっと縄鏢の赤い縄で締め上げられており、ザイナブを助けに行く事もままならない。
「ザイナブ……っ!」
ハッサンが叫ぶ。
ザイナブは、腕に絡み付いている赤い縄を解こうと足掻くが、抵抗すればするほど、腕に絡み付いて、離れなかった。
逆に、どんどん締め上げられていき、痛みが走り、思わず顔を顰める。
その時だった。
「エリス――ご苦労様でした」
そう声が夜の街に響いた。
はっとして、ハッサンが赤い縄の先を見る。
そこには、カフィーヤを被り、官服に身を包んだ一人の男がいた。
ジャーファルだ。
ジャーファルは、エリスティアの後ろにある建物の屋根の上から、縄鏢の赤い縄でハッサンとザイナブの腕を縛り上げていた。
「くっ……、新手の国軍か!?」
ハッサンがそう叫ぶが、ジャーファルは一瞥だけくれると、冷ややかな声で、
「いいえ。ですが訳あって、あなた達を捕らえさせていただきます」
そう言ったかと思うと、自身の手に巻き付けている縄鏢の赤い縄を引っ張った。
ぐぐっと、ハッサンとザイナブがそれに引きずられていく。
「な、何なんだ、テメェ……っ」
「……」
ジャーファルは答えなかった。
そのままハッサンとザイナブが、エリスティアから離されていく。
一定の距離を確認した所で、エリスティアはショールを脱ぐと、落ちている赤幻霧刀をそのショールで包んで拾った。
と、その時だった。
ハッサンとザイナブを締め上げたまま、ジャーファルがエリスティアの横に降りてきた。
「エリス、後は――」
そう言い掛けた時だった。
突如、シュウウウ――という音と共に、何処からか謎の黒い霧がジャーファルとエリスティアを捕らえるかの様に、発現したのだ。
「……っ。ジャーファル……駄目っ!!」
エリスティアが慌てて、ジャーファルに手を伸ばし掛けるが――。
その手に黒い霧が纏わりついたと思った瞬間。
「……っ」
ズン!! と、重石でも乗せられたかのように、その腕に重みが圧し掛かった。
これ、は……っ。
その黒い霧は、まるで重力系の魔法でも掛かっているかのように、圧力が一気に襲い掛かってくる。
瞬間、立っていられないのか……ジャーファルが苦しそうに顔を顰めながら地に膝を付いた。
間違いない。
それは、赤幻霧刀とも黄侵霧刀とも異なる――。
「魔法、武器……っ」
重力系の魔法効果ならば、相反属性の6型の音系か、8型の命系の魔法で相殺できる筈。
でも、霧だから風系も加わっている――となれば……。
すぅっと、エリスティアが小さな声で何かを詠唱しようとした時だった。
「そうさ――魔法武器“黒縛霧刀”。お前らはもう一歩も動けねーよ」
何とか声のする方を見ると――そこには、編込み髪をした男と、その後ろに覆面をした男らしき人物。
そして、大勢の彼らの仲間とおぼしき者達がいた。
「カシム!! カシムの本隊が来たぞ!!」
「ざまあみろ!! 鉛より重いカシムの黒い霧に捕まって、一歩たりとも動けた奴はいねーぜ!」
ザイナブとハッサンの声が響く。
カシムと呼ばれた編込みの髪の男は、自身の放った黒い霧に押さえ付けられている、エリスティアと、ジャーファルを見下す様に視線を向けると、
「見たところ、国軍じゃなさそうだが……仲間を返してもらおうか」
冷たくそう言い放つと、黒い霧で動けないエリスティアとジャーファルの横を通り過ぎていく。
一瞬、覆面の男がこちらを見て動揺した気がした。
「……?」
だが、男はそのままエリスティアの横を通り過ぎていき、ジャーファルの縄鏢で捕らわれていた、ザイナブとハッサンの所へ行く。
そして、そのまま二人の拘束を解くと、立ち上がらせた。
「赤幻霧刀はどうした?」
カシムがそうザイナブに尋ねると、ザイナブはキッとエリスティアの方を見て、
「あの女が――」
そう言い掛けた時だった。
「――カシム!! やべぇのがそっちへ行ったぞ!!!」
突如、後方の仲間の声が響いた。
瞬間――赤い髪が翻ったかと思うと、モルジアナが一気に後ろから駆けてきて、カシムとの距離を詰めたのだ。
「ちぃ! もう一匹いたのか!!」
カシムが、はっとしてその右手にある黒縛霧刀から、あの黒い霧を放った。
「……っ!」
刹那、モルジアナの身体を捕らえるかの様に、黒い霧が纏わりついてくる。
余りの重圧に、モルジアナの片足がズシャっと石畳に沈んだ。
「女のガキ……?」
カシムがモルジアナを見て、訝し気に眉を寄せたが――。
もう一人の覆面の男が、息を吞む。
その時だった。
「――モルさん!!」
アルジャリス邸の屋根の上から、アラジンの声が響いた。
それを見た瞬間、覆面の男が大きくその瞳を見開く。
それを見た瞬間、エリスティアは気付いてしまった。
気付かされてしまった。
『怪傑・アリババが――』
『近頃、厄介な奴が“霧の団”のトップになるし!! 何が“怪傑”だ!!!』
まさか……
まさか、あの覆面の男は―――。
いや、もうヤバいレベルでホーチング💦
すみません……
2024.05.10