CRYSTAL GATE

  -The Goddess of Light-

 

 

 第二夜 ルシとマギ 23

 

 

 

「ヤム……助けて………」

 

エリスティアからの助けを求める声に、ヤムライハはその瞳を大きく見開いた

今まで、ヤムライハから助けを乞う事はあっても、エリスティアからは無かったからだ

エリスティアは何でも一人で解決しようとする面がある

だから、基本誰かに助けを乞う事はしない

 

今回の件もそうだ

不思議なルフを感じるからと、一人シンドバッドの為に旅に出た

相談はしても、決して助けて欲しいとは言わなかった

 

いつもそうだ

一人で悩み、一人で解決する

 

彼女は誰かに“頼る”という事をしない

それは彼女の美徳でもあるが、欠点でもあった

もっと、頼って欲しい

そう思うのは、必然だった

 

きっと、ヤムライハだけじゃない

シンドバッドもピスティもそう思っている

彼らだけじゃない

八人将の誰もが思っている事だ

 

だが、今回は違った

 

今にも泣き崩れそうなエリスティアを見て、ヤムライハは息を飲んだ

こんな、エリスティアを見た事がない

一体、何があったというのだろうか…?

 

「エリス…どうしたの?」

 

ヤムライハが優しくそう語りかける

一瞬、ぴくりとエリスティアの肩が揺れた

 

まるで何かに怯える様に、彼女の美しいアクアマリンの瞳が揺れる

 

「ヤム…私………」

 

何かを言おうと、エリスティアが口を開くが

言い出せないのか…また閉じては開きかけるという行為を繰り返した

 

それから、少しの間俯いた後ぽつりと小さな声で

 

「私…これ以上シンを裏切りたくない……」

 

そう呟いた

一瞬、ヤムライハには何の事か分からなかった

シンドバッドを裏切りたくないというのは、何を示しての事だろうか

 

だが、分かる事がひとつだけあった

 

「エリス…やっぱり、まだあの事気にしてるの…?」

 

一瞬、またエリスティアの肩がぴくんっと揺れた

 

“あの事”とは、シンドリア建国式典の日にあったあの出来事の事だ

シンドバッドから、王妃にと望まれたのをエリスティアは断ったのだ

何故断ったのかは、ヤムライハも知らない

 

だがあの日、エリスティアは涙でその頬を濡らしていた

式典の後、ヤムライハの前で大粒の涙を流していた

後にも先にも、ヤムライハを頼ってきたのはあの時だけだ
泣きながら、彼女は謝っていた

 

『シン…ごめんなさい……っ』 と――――

 

それが、彼女の中で“しこり”を残しているのは、ヤムライハも気付いていた

だから、エリスティアはシンドバッドには絶対に逆らわない

いや、絶対的な信頼と好意から、そうしている節もあるが

一番の要因はあの断った件だろう

 

そのエリスティアがもう、シンドバッドを裏切りたくないと言っている

それはつまり、“裏切る様な何か”が在った事に他ならない

 

だが、それを口にするのは阻まれるのか…

エリスティアは、言い掛けては止めるという行為を繰り返した

 

ふと、エリスティアが一度だけそのアクアマリンの瞳を伏せた

そして、小さな声で

 

「ヤム…、シンは元気……?」

 

「え?」

 

突然の、話の方向性の違う話題にヤムライハが首を傾げる

が、少し考えた後、小さく頷いた

 

「ええ…シンドバッド王は元気よ。ただ……」

 

「ただ?」

 

一瞬、言うべきか悩む

だが、今のエリスティアには知っていて欲しかった

 

「…………エリスがいなくなってから、王は一時期荒れていたわ」

 

その言葉に、エリスティアが顔を上げる

 

「シンが……? そう、なの……?」

 

エリスティアにはその言葉は予想外だったのか

そのアクアマリンの瞳を大きく見開いた

 

ヤムライハは小さく頷くと

 

「本当よ、食事も喉を通らないぐらいだったわ。お酒も女の人も遠ざけて…今にも飛び出しそうなのを、私達総出て止めたもの」

 

「……あのシン…が……?」

 

信じられないものを聞いたかの様に、エリスティアがその瞳を瞬かせた

 

「ねぇ、エリス。 帰って来てよ。 王だけじゃないわ。 私達、貴女が帰ってくるのをずっと待ってるのよ」

 

「それは……」

 

ヤムライハの言葉に、エリスティアがその表情を曇らせた

まるで、帰れないとでもいう風に

 

「エリス……」

 

帰りたくないのだろうか

それとも、帰れない理由でもあるのだろうか

 

エリスティアに限ってシンドバッドに愛想が付いたという事は、まず考えられなかった

ヤムライハは、冒険に明け暮れていた頃から二人の仲を知っている

ヤムライハが加入した頃には既にシンドバッドとエリスティアは深い仲だった

少なくとも、夜を一緒に寝るぐらいは仲良かったはずだ

 

もし、他に“帰れない” 理由があるのなら、それを教えて欲しい

 

その時だった、以前エリスティアが言っていた事を思い出した

あの時、彼女は恩返しをしている最中だと言っていた

その“恩返し”がまだ終わっていないから、帰れないのだろうか…?

 

「エリス、以前言っていた恩を返すっていう用件は終わったの?」

 

ヤムライハの言葉に、エリスティアが小さく首を振った

 

「まだ、途中なんだけれど……、蘭朱はもう大丈夫だって…」

 

「だったら…」

 

帰って来れるじゃない

そう言おうとした時だった

 

エリスティアが首を横に振った

 

「違うの…そうじゃなくて……っ」

 

「エリス…?」

 

エリスティアの尋常でない反応に、ヤムライハが表情を曇らせる

だが、エリスティアは尚も首を振った

 

「違うのよ…ヤム……っ、私……私……っ」

 

エリスティアが、顔を覆いその瞳に涙を浮かべる

 

 

 

「私……シンを裏切ってしまったの……」

 

 

 

 

「…え……」

 

一瞬、エリスティアが何を言っているのかヤムライハには理解出来なかった

 

何においても、あのシンドバッド王 第一のエリスがその王を裏切る…?

まさか、そんな筈…

 

そんな考えが脳裏を過ぎる

だが、目の前のエリスティアは今にも零れそうな位その瞳に涙をいっぱいに溜めていた

 

「どう、したら……いい、の…か……」

 

次第に止めておけなかった涙がぽろぽろと零れ落ちてきた

 

ヤムライハは、今 エリスティアの側に駆け寄れない事をこれ程悔やんだ事は無かった

本当なら今直ぐ傍に行き、その背に触れて「大丈夫」だと言ってあげたい

だが、今のヤムライハにはそれが出来なかった

 

「エリス……」

 

ぐっと、ヤムライハの握る手に力が篭る

 

私、無力だわ……

エリスがこんな時に、傍にすらいてあげられないなんて……っ

 

きっと、エリスティアは一人だ

一人でまた抱え込んで、誰にも相談出来ずに結果こうなってしまったのだ

 

今の私に出来る事は……

 

「エリス…エリスの中で、シンドバッド王はどういう存在?」

 

 

「……え………」

 

 

一瞬、ヤムライハが何を問いたいのか分からずにエリスティアがその涙で濡れた瞳を一度だけ瞬かせる

 

「シン…の、そん、ざ…い……?」

 

「そう」

 

「………………」

 

本気で考えたことも無かったのか、エリスティアが黙り込んでしまう

いつもは、半分冗談の様に「単なる知り合い」だとか「腐れ縁」だとか言って濁しているが

実際の所は違うのは、明らかだった

 

少なくとも、ヤムライハが知る エリスティアのシンドバッドを見る目は他のそれとは違う

明らかに、「特別」な「存在」として見ていた筈だ

 

彼女の中でシンドバッドが第一の様に、シンドバッドも彼女を一番に想っていた

それは、二人を見ていれば自然と分かる事だった

恋愛に疎いヤムライハでさえ、二人は「特別」で、「お互いに信頼している」関係に見えた

 

そのエリスティアが、自らの意思でシンドバッドを裏切るなど到底思えなかった

何らかの理由があった筈だ

 

ふと、エリスティアを見るとまだ答えが出せないのか、俯いて考え込んでいる

その様子に、くすっとヤムライハが笑みを浮かべる

 

「じゃあ、この答えは今度会う時までの宿題ね」

 

 

「え…!?」

 

 

ヤムライハのまさかの反応に、エリスティアが思わず声を上げる

だが、ヤムライハはにっこりと微笑むと

 

「エリスの答えが楽しみだわ、じゃぁね」

 

「ヤ…ヤム……っ!」

 

エリスティアが止めるのも聞かすに、ヤムライハは通信を切った

ブン…と音がしたかと思うと、目の前の結晶石に写っていたエリスティアの姿が消える

 

それを確認した後、ヤムライハは小さく息を吐いた

 

「……盗み聞きとは趣味が悪いんじゃありませんか?」

 

そう言って、廊下の向こうに立っているであろう人物に話し掛けた

 

「――――シンドバッド王

 

ヤムライハの声に、その人物が口元に笑みを浮かべる

 

「なんだ、気が付いていたのか」

 

そう言って姿を現したのは、シンドバッドだった

悪びれる様子のまったくないシンドバッドに、ヤムライハは呆れにも似た溜息を付いた

 

「いつからそこに?」

 

ヤムライハからの問いに、シンドバッドは微笑むと

 

「“数日ぶりね、エリス”の辺りからかな?」

 

「……つまり、最初からなんですね」

 

またヤムライハが溜息を付いた

 

失敗した

エリスティアには、シンドバッドはいないと言ったものの

実際はいたなどと言える筈が無い

 

心底、エリスティアの話の仔細を聞いてなくて良かったと思った

 

ヤムライハは、また溜息を付くと結晶石に布を掛けた

そして、シンドバッドの方を見て

 

「王自身が黒秤塔に来るのは珍しいんじゃないですか? 政務なら白洋塔でお伺いしますが」

 

棘のあるヤムライハの反応に、シンドバッドが苦笑いを浮かべる

 

「俺はジャーファルにこれを持っていくように頼まれてたまたま来ただけだ」

 

そう言って見せた本は、ヤムライハがジャーファルにお願いして手に入れてもらった魔道書だった

王にお使いを頼むのは、彼ぐらいだろう

 

「そしたら、お前がエリスと交信し始めたから話し掛けそこなったんだぞ?」

 

わざとじゃないという風に、シンドバッドが手を上げる

恐らく事実だろう

もっと気配に気を付けておくべきだったとヤムライハは思った

 

そう思いながら魔道書を受け取ると、そのままそのページを捲った

その時だった

ふと、シンドバッドがとんでもない事を言いだした

 

「エリスが、俺を裏切ったと泣いていたみたいだったな」

 

「…………全部、見てたんですね」

 

女の会話を盗み聞くとは、なんとたちの悪い王だろう

きっと、これがピスティとヤムライハの会話なら完全にスルーしていたであろうに

この男、エリスティアの事となると、本当に心が狭い

 

「聞こえたんだ」

 

悪びれもなくそう言うシンドバッドに、ヤムライハは何度目か分からない溜息を付いた

 

「では、シンドバッド王。裏切られる理由があると?」

 

「いや、ないな」

 

ヤムライハの答えに、シンドバッドはさも当然の様に答えた

 

「エリスは、俺には絶対的な信頼を置いてくれている。そのエリスが俺を裏切るなんてあり得ん話だ」

 

「……では、エリスの意思ではない…と?」

 

ヤムライハの問いに、シンドバッドは小さく頷いた

 

「そうだ。だが――――……」

 

「だが?」

 

「心当たりのある事が一つだけある」

 

そう言って、シンドバッドは布で隠された結晶石を見た

 

「……心当たりって…」

 

シンドバッドの言う事が全然理解出来ず、ヤムライハは首を捻った

それは、エリスティアに、「シンドバッドを裏切ってしまった」と思わせる人物がいるという事だろうか?

 

すると、シンドバッドは結晶石をトンッと指で叩いた

 

「さっき、写っていた場所だが…いつもと違う場所だっただろう?」

 

「え…? ええ…そうですけど…」

 

それが何だというのだ

だが、シンドバッドにはそれだけで十分だったらしく

 

「恐らくあれは煌帝国内の禁城の城内の部屋だ」

 

「え!?」

 

まさかの回答に、ヤムライハが驚愕の声を上げる

禁城と言えば、煌帝国の中心

皇族の住まい、政務を取り行う場所だ

どうして、そんな場所にエリスティアがいるというのだ

 

まさか……

 

「エリスの“恩返し”の相手って、皇族なんですか…?」

 

そうだとしたら、城内に居ても辻褄が合う

だが、シンドバッドは「いや」と否定の言葉を述べた

 

「おそらく、それは違うだろう。以前言っていた“蘭朱”という娘の名は皇族に居ない。だとすると、別の形で皇族の誰かと関わりを持ったと考える方が辻褄が合う」

 

「誰かって……」

 

そんなの分かる筈が無い

だが、シンドバッドには分かるのか

 

「以前、隠し事を俺にしていると言ってただろう? それはその人物の事じゃないのか? そして、それは男だと俺は思っている」

 

「男って…エリスが王以外の男になびいたって言いたいんですか!?」

 

まさかの言葉に反論する様にヤムライハが声を荒げる

だが、シンドバッドは至極落ち着いた様に

 

「そうとは言っていない。エリスが俺以外を選ぶ筈が無いからな。 だが、相手は違う。エリスを見て気に入るかもしれない」

 

その絶対的な自信は、何処から来るのか…

だが、シンドバッドの言葉には説得力があった

ヤムライハも、エリスティアがシンドバッド以外を選ぶとは思えなかったからだ

 

「じゃぁ…エリスが裏切ったと思っているのは…」

 

「おそらく、そう思わせる程の人物なんだろう。 そして、そういう人物に一人だけ俺は心当たりがある」

 

心当たりって……

 

ごくりとヤムライハが息を飲んだ

 

「誰…なんです、か……?」

 

エリスティアの心を揺さぶる程の人物

 

それは――――

 

 

 

 

 

 

 

    「練 紅炎」

 

 

 

 

 

 

「―――え」

 

「俺は直接会った事がないがな。可能性があるとしたらこの男だけだ」

 

シンドバッドの口から出た名

それは、煌帝国第一皇子の名だった

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

あらら、シンドバッドに見られてましたよー

盗み聞きはいかんよ 王サマ!

 

2014/03/07