紅夜煉抄 ~久遠の標~

 

 第2話 -人鬼- 7

 

 

 

――――帝都・古城区 四獣神家の屋敷 夜

 

 

真夜は自室で神家の屋敷にある書庫から、いくつかの書物を持ちだして調べ物をしていた。

ぱら、ぱらっと、ゆっくりページをめくる。

 

それは、神家に古くから伝わる古文書だった。

「四獣神家」

それは、四つの獣神の恩恵を受けた家系。

 

五匹の狐神を従える「尾崎家」

二股の猫神を従える「緋ノ塚家」

巨大な白い巳神を従える「観月家」

犬神を従える「里見家」

 

そして――――・・・・・・

 

それとは別に、美しい八咫烏神を従える「夜刀神家」だ。

 

夜刀神家については、基本表沙汰にされていない獣神であり、ずっと空席だった。

――――何十年もの間、ずっと。

 

だが、3年前突如として教会に現れたのが真夜だ。

しかし、真夜が一度死んだ・・・・・のは5年前の“大塚村”あの事件の時だ。

そう――あの時、確かに “私は死んだ”。

 

 

だった。

それなのに……目が覚めたら知らない祭壇に寝かされていた。

視界に入ったのは、美しいステンドグラスに巨大なパイプオルガン。

そして、自分を見つめていた美しい金髪の青年――里見莉芳だった。

 

そう、それが“夜刀神真夜”としての始まり――――。

 

『目を、覚ましてしまったのだな……』

 

と、莉芳が哀しそうにそう呟いたのを今でもはっきりと覚えている。

 

あれはどういう意味だったのか……。

そして記憶のない、死んでから目覚めるまでの空白の2年間に何があったのか――――。

 

その“答え”をずっと探しているのに、見つからない。

そして……何故、私は 生きている・・・・・のか。

 

「…………」

 

真夜は小さく息を吐くと、ぱたんっと書物を閉じた。

莉芳に聞くのが一番早いのかもしれないのは分かっている。

でも、出来れば彼の口からは聞きたくない。

聞けば、それが“事実”となってしまうから――――。

 

私は、何を恐れているのだろうか……?

真実を知る事?

それとも、もっと別の――――。

 

「はぁ……」

 

真夜がまた息を吐いた時だった、不意に部屋の扉をノックする音が聞こえたかと思うと、トレイに紅茶の入ったティーセットを持った夜刀が現れた。

 

「夜刀……」

 

夜刀は、すっと手慣れた手つきで、真夜のいるテーブルにクッキーの入った皿を置く。

そして、ポットを持つと高い所から優雅にカップに紅茶を注ぎながら、

 

「真夜、少し休憩にしませんか? 根を詰め過ぎはよくありません」

 

そう言って、紅茶の入ったカップをテーブルに置いた。

真夜は小さく息を吐くと、

 

「……わかったわ」

 

そう言って、夜刀の淹れてくれた紅茶に口付ける。

すると、アールグレイのほのかな香りと共に、口当たりの良い紅茶が真夜の心を落ち着かせてくれた。

 

「ふふ、やっぱり夜刀の淹れる紅茶に勝るものはないわね」

 

半分冗談めかしてそう言うと、夜刀がすっと少し頭を下げて、

 

「勿体ないお言葉、ありがとうございます」

 

そう言って、微かにその瞳を細めた。

と、その時だった。

 

不意に、誰かが部屋の扉をノックする音が聞こえてきた。

思わず、真夜と夜刀が顔を見合わす。

 

もう夜も更けている。

こんな時間に一体誰だろうか……?

 

夜刀がすっと一礼し真夜から離れると、扉の方に向かって歩き始めた。

すると程なくして、扉が開かれノックの主が姿を現した。

 

「こんばんは、真夜。少しお邪魔してもいいかな?」

 

「え……? 要様、に莉芳??」

 

てっきり、信乃や浜路かどっちかかと思ったのだが、来訪者は予想に反して要と莉芳だった。

真夜は慌てて立ち上がると駆け寄り、

 

「すみません、お出迎えもせずに……」

 

そう言って、莉芳と要に頭を下げる。

すると、莉芳は半ば少し呆れたかの様に、

 

「気にするな。こいつが勝手にこんな時間に来たいと言ってきただけだ」

 

そう言って、莉芳が溜息を洩らすと、要がずいっと莉芳を押しのけて、

 

「あ、莉芳は“おまけ”だから。なんか、勝手についてくるって聞かなかったんだよね」

 

「……おい」

 

「僕としては、二人きりでキミと会いたかったんだけど」

 

そう言って、そっと真夜の手を握るとその甲に口付けを落とす。

 

「今日も綺麗だよ、僕の真夜」

 

真夜が唖然としていると、要はにっこりと微笑み、

 

「ここは邪魔者が多いから、二人で夜の庭園でも散歩なんてどう? ――キミに話したいことがあるんだ」

 

 

 

 

 

 

 

 

   ****    ****

 

 

 

 

 

 

 

「……これ」

 

ベッドの上でとある新聞記事を読んでいた信乃が、大きく目を見開く。

そこには、“鬼、帝都に現る――――”と記されていた。

 

「なぁ、村雨。これって―――」

 

そう隣にちょこんっと座っている村雨に話しかけようとした時だった。

 

「信乃、お風呂どうぞ」

 

不意に、風呂あがりだろうか……濡れた髪にタオルを頭に賭けたままの姿で、荘介が部屋に入ってきた。

それを見た信乃が「あああああ!!!」と叫んだのは言うまでもなく……。

 

「シャンプーなら、俺がしてやったのにっ!!」

(※注:グルーミングです)

 

「結構です。風呂ぐらい一人でゆっくり入らせて下さい」

 

そう言って、ベッドに座るとそのまま自分で髪を拭き始める。

信乃が「ちぇ」っと、ぶすくれた様な顔をするが……やはりうずうずしてしまうのだろう。

 

「かせよ」

 

そう言って荘介のタオルを取り上げると、彼の頭を拭き始めた。

 

「……信乃」

 

「んー?」

 

「……改めて聞きますが。今朝――里見さんと、一体何の話をしていたんです?」

 

「…………」

 

今、この場でそれを聞かれるとは思っていなかったのか……、一瞬 信乃が言葉に詰まる。

だが、直ぐに何でもない事に用に、

 

「荘介。お前、明日 浜路を連れて先に村へ帰れ」

 

「は?! 何です? 急に……」

 

「急じゃねえよ。最初からそうするつもりだったし」

 

視界に入る――荘介の後ろ首にある 大きな傷で裂かれた牡丹の痣。

 

「……とにかく、お前は先に帰ってろ。ああ、そうだ、真夜も一緒に連れて行ってくれると助か――――「信乃!」

 

「…………っ」

 

荘介の瞳がじっと信乃を真っ直ぐに見ていた。

 

「まだ、俺の質問に答えていませんよ?」

 

痛い所を衝いてくる。

信乃は小さく息を吐くと、

 

「……里見とは約束があるんだよ。5年前から」

 

「里見さんとの約束!? 何を?」

 

「内緒。とりあえずお前には全然 関係ねえ事だから――――」

 

 

 

「……関係、ない?」

 

 

 

瞬間、ぴりっとした空気が一気に押し寄せてきた。

ぎくり……と、信乃が顔を強張らせる。

 

それ・・を信乃が、俺に言うんですか?」

 

「…あ………」

 

ヤバ……。

本気マジで、怒ってら。

 

いつもの穏やかな荘介とは違い、今の荘介の目は本気で自分に対して怒っていた。

流石の信乃も、それに気づかないほど鈍くはない。

むしろ、荘介の“変化”に対しては敏感な方だ。

 

「あ、あ~いや……うん……」

 

信乃が視線を泳がせながら、すっと荘介の頭を拭いていたタオルごと手を放すと、

 

「その、ゴメンナサイ。今のは……俺が悪かったです」

 

こういう時は、即座に謝る。

荘介を本気で怒らせたら、正直 後が怖い……。

 

身を以て何度も経験している信乃にとっては、そこらの幽霊よりも怖かった。

そんな信乃の様子を見て、荘介は小さく息を吐くと、

 

「では、“約束”とは?」

 

「ん? あ、あー別に大した事じゃねーよ。5年前の“借り”を返すだけ。俺の手が必要な時は、いつでも呼べって言っておいたからな」

 

「……いつの間に、そんな約束……っ」

 

「ああ、お前も浜路も覚えてないだろうけど、大塚の村で瀕死の俺らを助けたのは――里見」

 

その言葉に、荘介が一瞬驚いたような顔をする。

 

「……里見さんに、助けられた?」

 

「ああ」

 

今でも思い出す――あの時の莉芳の言葉。

 

 

『このまま、ただの“人”として命を終えるか、それとも身の内に“化け物”を飼ってでも生きながらえるか――――好きな方を、選べ』

 

 

「あの後……、里見に借りは必ず返すと約束したんだ」

 

「……さっぱり覚えてないです」

 

「うん、だからお前はいいんだっ――――のわっ!!?」

 

突然、荘介が信乃の右足を引っ張った。

ぎょっとしたのは信乃だ。

 

「荘介!! 何しやが――――」

 

 

「あの男が、信乃に村雨を選ばせたんですか?」

 

 

「それは……」

 

そこまで言いかけて、信乃は「はぁ……」と溜息を洩らしながらベッドに頭を付けた。

 

「“死ぬ”以外の選択肢を与えてくれたんだ。俺はとにかく死にたくなかったし」

 

「……13歳の姿のままで、時が止まったままでも?」

 

「中身まで止まってるワケじゃねーもん!」

 

「……それは……」

 

どうだろう?

と、荘介が首を傾げたものだから、信乃の顔がひくっと引きつかせ、

 

「オマエ、今 すっごく失礼な事考えてるだろ!!」

 

そう言って、タオルを思いっきり投げつけた。

そして、

 

「平気だよ。俺には、お前や浜路がいるし、今は真夜もいる。一人でないならどんな姿だって生きてられる。な!」

 

「…………」

 

そう明るく振る舞われると、追及したくともこれ以上追及出来なかった。

荘介は、小さく息を吐くと、

 

「わかりました。里見さんの用件は明日にでも聞いてみましょう。今日はもう遅いですから―――」

 

「ああ」

 

そう言って、信乃が布団にくるまる。

それを確認した後、荘介は部屋の電気を消した。

ぱたんっと扉を閉め、自分に宛がわれた部屋へ向かう。

 

ふと、先程の信乃の言葉が気になった。

 

『平気だよ。俺には、お前や浜路がいるし、今は真夜もいる。一人でないならどんな姿だって生きてられる。な!』

 

信乃はそう言っていたが……。

 

いつか――――。

一人取り残されても、信乃は正気のまま生きていけるのだろうか……。

 

そんな風に考えながら窓の外を見た時だった。

ふと、見慣れた姿が視界に入った。

 

あれは――――・・・・・・。

 

「真夜……?」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

   ****    ****

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

神家の屋敷の夜の庭園は、所々光が灯されていてとても綺麗だった。

いつもなら、真夜は一人(正確には、夜刀も一緒に)で散歩する事が多いのだが……何故こうなったのか……。

真夜の隣には要が居た。

そして、その真反対には莉芳。

 

後ろの方に夜刀がいるのは感じるが……。

 

何故、こんな事に……。

 

真夜が頭を抱えそうになった時だった。

要が、不満そうに莉芳を見て、

 

「なんで、莉芳までいるのかな? 僕は真夜だけ・・を誘ったんだけどね」

 

「…………」

 

要のその言葉に、莉芳は完全無視だった。

 

「ねぇ、莉芳、聞いてるかな?」

 

「……うるさい。嫌ならお前が部屋へ戻れ」

 

何やら頭上でバチバチと火花を散らされて、真夜は半分うんざりしながら小さく溜息を零していた。

 

「そうだ! ねえ、真夜。この先に新しく東屋が出来たんだけど、行ってみない? 今なら丁度花も咲いていて綺麗だよ」

 

そう言って、要がすっと右手を差し出す。

真夜は一瞬その手を見た後、じっと要の方を見た。

 

その視線に気づいた要がにっこりと微笑む。

 

だから嫌でも気づかされてしまう。

これは、わざと・・・右手を出しているのだと。

 

真夜は小さく息を吐くと、あえて左手をその手に乗せた。

すると要は真夜の手をぎゅっと握ると、

 

「ほら、行くよ! 真夜!」

 

そう言って、真夜の手を引いて駆け出した。

 

「え、ちょっ……お、お待ちくださいっ、要様っ」

 

真夜が慌てて声を掛けるが、要は楽しそうに笑っているだけだった。

そんな要の様子を見ながら、莉芳が溜息を零したのは言うまでもなく……、

 

「ったく、呆れるな」

 

そうぼやくと、二人が行ったであろう後をゆっくりと歩き始めた。

 

 

 

 

 

要に案内されて辿り着いた先は、綺麗な東屋だった。白い花が幻想的に咲き乱れ、水面に姿見の様に写っている。

 

「……いつの間にこんな場所を……?」

 

個人的に、庭園の散歩は良くしていた方だと思うのだが、この場所は初めて見る場所だった。

真夜が少し驚いた様にそう声を洩らすと、要はちょいちょいっと手招きしながら、

 

「ん? ああ、つい最近だよ。開放したのは。真夜が丁度 帝都を離れている間かな?」

 

「そう、なんですね」

 

それなら、見た事が無いのも納得いく。

夜見ても幻想的だが、昼見てもとても綺麗そうだと思った。

 

と、その時だった。

ふいに、要がそっと真夜の手を取ると、

 

「それで、キミは一体いつになったら僕のものになってくれるのかな?」

 

「え?」

 

唐突にそう言われ、真夜がその金にも似た琥珀の瞳を瞬かせる。

すると、ふっと要が笑い、

 

「とぼけても無駄だよ。僕がキミに何度プロポーズしたと思ってるのかな、真夜」

 

「そ、それ、は……」

 

どれの事を言っているのだろうか?

余りにも日常茶飯事的に聞いていた為、どれを指して言っているのか真夜には見当も付かなかった。

 

真夜が困ったように視線を逸らしたのを見て、要は一瞬きょとんとしたが次の瞬間、くすっと笑って、

 

「その顔は、本気で分かってなかったのかな?」

 

「あ、そ、その……すみません」

 

正直に謝罪を述べると、要は笑いながら、

 

「そういう素直な所も好きだよ、真夜。ねえ……」

 

不意に影が落ちたかと思うと、いつの間にか東屋の柱際に追い詰められていた。

 

「あ、あの……っ」

 

真夜が慌てて逃れようとするが、要の手がそれを遮るかのように伸びてきて彼女の手を掴んだ。

 

「真夜、僕のものになってよ」

 

「か、要様……っ」

 

「冗談なんかじゃないよ? 僕は本気で言ってるんだ。ねぇ、真夜。僕の――――」

 

その時だった。

突然、要の肩に誰かの手が掛かったかと思うと、そのままぐいっと引っ張られた。

 

「う、わっ……!」

 

そのまま、反動で要が反対側に倒れそうになるのと、真夜の肩を誰かが抱き寄せるのは同時だった。

 

「まったく。油断も隙も無いなお前は」

 

「あ……」

 

美しい金髪の髪が視界で揺れる――――それは……。

 

「莉芳……」

 

それは、後ろを歩いてきた里見莉芳だった。

莉芳の予定よりも早い登場に、要が肩を竦める。

 

「まったく、莉芳は気が利かないな。こういう時は、空気を読んでもう少し後から出てくるものじゃないのかな?」

 

と、文句を言う要を無視して、莉芳は真夜をすっと椅子に掛けさせると、

 

「……御託はいい。さっさと本題に入れ」

 

「え?」

 

まるで、何か別の話があるかのように言う莉芳に、思わず真夜が要と莉芳を見る。

すると、要は降参とでもいう様に両手を上げて、

 

「はいはい。わかったよ」

 

そう半分冗談めかして答えると、自身も椅子に座り――――。

 

「……これは街の噂なんだけど、笙月院が“鬼”を捕らえたそうだよ」

 

「!」

 

要のその言葉に、真夜がぴくっと反応する。

 

「鬼……?」

 

莉芳がそう言葉を発すると、要は少し哀れんだような眼をして

 

「鬼も可哀そうに。よりにもよって“あの人”に捕まるなんてね」

 

“あの人”……。

真夜の脳裏にあの時の青蘭の顔が浮かんだ。

 

「“村雨”の事も注意した方がいいよ。強大な力を欲しがる奴は“教会”だけじゃない」

 

「…………」

 

莉芳は無言だった。

だが、真夜は……、

 

笙月院

そして――――。

 

彼のあおみがかった綺麗な瞳の“彼”が脳裏を過ぎる。

 

違う。

彼は“鬼”なんかじゃ――――。

 

「まぁ、まさか“あんな姿”をしてるとは夢にも思わなかったけど――――」

 

 

 

「ち……違いますっ!! “彼”は“鬼”などでは―――!!」

 

 

 

「真夜?」

 

突然叫び出した真夜に、驚いたかのように要が目を見開く。

 

「あ……」

 

真夜は、はっとして慌てて口元を手で押さえた。

それから、小さく首を振りながらその琥珀の瞳に涙を浮かべる。

 

『真夜――――』

 

“彼”の声が木霊する。

あの地下牢で、“彼”は――現八は捕らわれていた。

でも、“彼”は……。

 

「どうした、真夜」

 

莉芳の手がそっと真夜の髪に触れた瞬間、びくんっと真夜の肩が揺れた。

 

「あ……」

 

「何か、“鬼”について知っているのか?」

 

「…………」

 

莉芳が優しく、まるでなだめる様にそう問うが……真夜の瞳から溢れ出た涙が彼女の頬を伝って落ちた。

 

「ち、がう……」

 

違う。

 

「違う、の……」

 

彼は……現八さんは…………。

 

 

 

「人、な……の…………」

 

 

 

「真夜!!」

 

遠くで、莉芳と要の呼ぶ声が聞こえた――――気がした。

意識が・・・・・・遠のいてゆく――――・・・・・・。

 

 

 

 

    そのまま、真夜は自信の意識を手放したのだった――――。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 続

 

 

ちょっと、色々前後してますが……

気にするなかれ!!笑

 

2023.07.28