紅夜煉抄 ~久遠の標~

 

 第2話 -人鬼- 4 

 

 

さらさら……。

心地の良い風が、頬を撫でる。

 

開けたままにしていた窓のカーテンが、風に吹かれ靡いている。

 

「……」

 

ぼんやりとする意識の中、真夜はゆっくりとその琥珀色の瞳を開けた。

視界に、ベッドの上の天蓋が入る。

 

ここは……。

 

見覚えのない紋様の天蓋に、真夜は少し首を傾げながら、ゆっくりと身体を起こした。

瞬間、はらりと掛けられていたシーツがはだける。

 

「あ……」

 

あらわになった自分の胸元が、視界にある鏡に映る。

 

「……」

 

わた、し……。

 

ゆっくりと、シーツを手繰り寄せると、そのまま自身の身体を包む様に巻いた。

そして、ベッドから出ると、開いている窓の方を見る。

 

カーテンの隙間から微かに見える金髪の髪を見て、真夜はまた少し息を洩らした。

 

「……莉芳」

 

そこにいるであろう“彼”の名を呼ぶ。

ふと、バルコニーに出ていた莉芳が振り返った。

 

真夜が莉芳にゆっくりと近づく。

手が届くほどの距離に来た時、すっと莉芳の手が真夜に頬に触れた。

 

「……まだ、身体と魂が安定していない。寝ていろ」

 

「……莉芳」

 

真夜の手が、自分の頬に触れる莉芳の手に重なる。

そして、ゆっくりと琥珀の瞳を閉じ、

 

「ごめんなさい、また莉芳に迷惑かけてしまって……」

 

そう言って、申し訳なさそうに視線を落とした。

すると、莉芳は何でもない事の様に笑って、

 

「お前が、無事ならいい」

 

そう言って、真夜の髪を撫でた。

そして、そのままその手が真夜の顎に添えられる。

 

「……ぁ……莉……」

 

「莉芳」という言葉は音にはならなかった。

不意に、降ってきた莉芳からの口付けに、真夜がぴくっと肩を震わす。

 

「ん……、ぁ……り、おう……」

 

真夜が震える手で莉芳の袖を掴む。

すると、莉芳がその手に自身の手を重ねてきた。

 

まるで、「安心しろ」と言っている様に――。

 

不思議な感覚だった。

莉芳に名を呼ばれるだけで、こうして触れられるだけで、何故か“安心感”を覚える。

大丈夫だと――そう思ってしまう。

 

「真夜……」

 

莉芳が名を呼ぶ。

甘く囁かれ、真夜がまたぴくっと肩を震わせた。

 

「ぁ、ん……っ、まっ……」

 

「待って」と言おうとした瞬間、莉芳からの口付けが更に深くなった。

 

「んん……っ、り、お……っ」

 

どんどん、激しくなる口付けに、流石の真夜も身の危険を感じたのか、思わず後退してしまう。

だが、直ぐにバルコニーの壁にぶち当たった。

逃げる道などなかったように、そのまま壁際に追い込まれる。

 

「りお――」

 

「逃げるな。……逃げないでくれ――真夜……」

 

莉芳らしからぬ、弱々しい言葉に真夜がその琥珀の瞳を大きく見開いた。

 

「莉芳――?」

 

真夜がそう名を呼ぶと、莉芳がこつん……と、真夜の肩に自身の頭を預けてきた。

 

「私を、避けるな――、真夜……」

 

「……? どうか、した、の……?」

 

避けた覚えなどない。

莉芳には、いつも助けられてばかりだ。

 

それなのに……。

 

莉芳は、手は微かに震えていた。

まるで、何かに恐れる子供の様に……。

 

「真夜……」

 

莉芳が、ゆっくりと顔上げる。

彼の綺麗な灰青色の瞳と目があった。

 

「いつか、お前が―――」

 

私ではない、“他の誰か”を選んだ時。

 

 

 

   私は、“私”でいられるだろうか……。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

   ****    ****

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

―――旧市街・古城宿 見狼館 別室

 

 

「……」

 

四白の姿の荘介が、ゆっくりと目を開ける。

窓からは微かに朝日が差し込んでいた。

 

横では、信乃が気持ちよさそうにすやすやと眠っている。

荘介は寝ている信乃を起こさない様に静かに、ベッドから降りた。

そして、そのまま四白の姿から荘介の姿に形を変える。

 

昨日……。

あの里見莉芳と言ったか。

信乃と互いに面識がある風だった。

 

そして、真夜とも―――。

 

荘介はシャツのボタンを留めながら、小さく息を吐いた。

 

5年前―――。

あの時・・・の記憶が、荘介にはあまりなかった。

気が付けば、村は焼かれ全てが終わった後だったのだ。

 

けれど―――。

あの時、確かに“選んだ”。

その事に、後悔はない。

 

だが……。

脳裏に、昨日の真夜の姿が過ぎった。

あの時・・・、真夜は確かに――。

 

殺された・・・・

 

それだけは、鮮明に覚えている。

なのに何故、彼女は5年前とまったく変わらない姿で、生きているのだろうか―――。

 

それに……。

昨夜の、莉芳の言葉が脳裏を過る。

 

『今から、真夜を抱く。信乃を連れて別室に行っていろ』

 

彼はそう言っていた。

あの二人の関係は、一体……。

 

と、その時だった。

もそもそと、ベッドの方で動く気配があった。

 

「……荘?」

 

半分まだ夢うつつなのか、ぼんやりと、信乃が目を擦りながらこちらを見ていた。

 

「信乃? まだ早いですよ。もう少し、休んでいてください」

 

「ん、ん~~~」

 

「後で、朝食を持ってきますから」

 

そう言うと、半分寝ぼけ声で、

 

「お――」

 

とだけ、返ってきた。

見ると、よほど疲れていたのか……目を閉じたまま、また寝に入っている。

村雨が朝になっても、勝手に出てこないのがいい証拠だった。

 

「信乃、俺は少し散歩してきますね」

 

そう言うと、一応信乃から「んー」という、返事と言っていいのか分からないレベルの返事が返ってきた。

荘介は苦笑いを浮かべながら、そのまま部屋を出た。

 

少し廊下を歩いた後だろうか、昨日部屋へ案内してくれた旅館で働く三つ編みの少女がいた。

 

「あら、おはようございます」

 

荘介を見かけると、彼女はにっこりと微笑んで挨拶をしてきた。

 

「ずいぶん早いんですね。もう、朝食にないさいますか?」

 

少女がそう尋ねてくる。

それに対して、荘介は小さく首を振り、

 

「――いえ、連れがまだ休んでいるので結構ですよ。起きるまでちょっと散歩に行ってきます」

 

「この時間なら、朝市もやってますし覗いてみるのも楽しいですよ。この宿の名前は『見狼館』です。迷ったら誰かに聞けばすぐ判るはずですから。あ、お戻り次第朝食の方、お部屋にお持ちしますね」

 

はきはきと、言う彼女に荘介は「ありがとうございます」と返して、宿を出た。

 

出てみると、旧市街の朝は人ごみでごった返していた。

きっと、先ほどの少女が言っていた“朝市”の所為もあるだろう。

こんな所に信乃を連れてきたら、一発で人酔いするに違いない。

置いてきて正解だったな……と、再認識した。

 

それにしても……。

結局、昨夜遅くまで起きてはいたが(信乃は寝ていた)、結局莉芳には呼ばれなかった。

莉芳は、『終わったら呼ぶ』と言っていたが……。

 

まさか、まだ終わってないとかじゃないよな?

いや、もしくは真夜がまだ目を覚まさないとか……?

 

そこまで考えて、荘介は小さくかぶりを振った。

果たして、莉芳をどこまで信じていいのかは分からない。

だが、夜刀は言っていた。

 

『――医者では、意味がありませんので……。あのお方でなければ』

 

と……。

夜刀の言う“あのお方”とは、きっと莉芳の事だろう。

莉芳に何の力があるのは知らない。

だが、少なくとも荘介の知らない何かがあるのだろう。

 

帝都で、浜路を助けたらそれで終わり――とは、いかなさそうな雰囲気だった。

 

だが……。

信乃と浜路だけは、何があても守らなくては―――。

今、荘介に出来ることは、それしかないのだから……。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

―――旧市街・古城宿 見狼館

 

 

「……ふぅ」

 

真夜はシャワー室から出てくると、濡れた髪をタオルで拭きながらベッドに腰かけた。

長いので、なかなか乾かないから念入りにタオルで水気を拭いていく。

 

ふと、鏡に自分の姿が映っているのが見えた。

 

「あ……」

 

鏡には、バスローブの隙間から見える首元に、赤い痕がいくつもあるのが映っていた。

 

「……もう、莉芳……。あんまり、痕は残さないでっていつも言っているのに……」

 

こんなに、首元にあると着物は着られない。

首元を隠せる洋服の部類でなければ、あれこれ追及される羽目になるのは、目に見えていた。

真夜は小さく息を吐きながら、

 

「夜刀、いる?」

 

静かに、そう語りかける。

すると、幾分もしない内にすっと背後に気配を感じた。

 

「……お呼びですか? 真夜」

 

振り返ると、夜刀が手に何かを持ってそこに立っていた。

 

「ごめんなさい、神家の屋敷の私の部屋から、首元の隠れる洋服を―――」

 

そこまで言い掛けた時だった。

すっと、夜刀が持っていた“何か”を指し出す。

 

「……? 夜刀?」

 

真夜が不思議そうに首を傾げると、夜刀は何でもない事の様に。

 

「真夜の御所望の洋服です。首元が隠れるデザインをご希望かと思いまして」

 

「……っ」

 

瞬間、かぁ……っと真夜が頬を赤く染めた。

夜刀がこう言ってくるという事は、全てお見通しという事で――。

だが、今更夜刀に隠し事など出来る筈もなく……。

真夜は、恥ずかしそうにおずおずと、夜刀の差し出した洋服を受け取った。

 

「真夜」

 

不意に、夜刀に名を呼ばれた。

真夜が顔を上げると、夜刀がゆっくりと頭を垂れ、

 

「昨夜は、助けるのが遅くなり申し訳ございませんでした。私がもう少し早くあの場に着いていれば――真夜に、あのような苦しみを与える事もなかったのに……」

 

そう言って、頭を深く垂れたまま謝罪の言葉を述べた。

だが、真夜は小さくかぶりを振り、

 

「ううん、いつも助けてくれてありがとう。昨夜も――今までも。私は、いつも貴方に助けられているわ。感謝してもしきれないほどよ? だから、謝らないで」

 

「勿体ないお言葉です」

 

そう言って、夜刀が微かに笑う。

夜刀のその言葉に少しほっとしたのか、真夜もくすっと笑みを浮かべた。

 

「夜刀の、笑う姿なんて久しぶりに見た気がするわ」

 

それだけ、心を許してくれたと思ってもいいだろうか?

そんな風に、やり取りをしている時だった。

 

「あ……」

 

ふと、真夜が何かを思い出したかのように声を洩らした。

 

「真夜?」

 

「あ、うん……、その……昨夜――助けに来てくれた時に、鎖に繋がれている男の方がいたでしょう?」

 

真夜がそう尋ねると、夜刀は少し考え、

 

「笙月院の青蘭がいたことは記憶しています」

 

「あ、その人ではなくて――」

 

もしかして、夜刀は現八の存在に気付かなかったのだろうか?

真夜が考え込む様に押し黙った時だった。

夜刀が小さく息を吐き、

 

「繋がれていたのは、最近旧市街で噂になっている、“鬼”だと推測しますが」

 

「鬼……? でも、彼は“人”だったわ」

 

そう――現八の放つ気は人のものだった。

もし、人ならざるモノなら、“夜刀神”を宿している真夜に気づけない筈がない。

それとも、何か別の要因があるのだろうか……?

 

真夜が考え込む様な仕草をした時だった。

突然、ばふっと頭の上から新しいタオルをかけられた。

そして、問答無用で夜刀が真夜の髪を拭き始める。

 

「や、夜刀?」

 

突然の、出来事に真夜が一瞬驚いたように、その琥珀色の瞳を瞬かせる。

 

「……このまま話していては、風邪を召されますよ? さきに髪をちゃんと拭いてください」

 

そう言って、丁寧な手つきで髪を拭いていく。

 

「や、夜刀! 自分で――」

 

「出来る」と言おうとしたが、夜刀の手は止まらない。

 

「真夜の事ですから、その繋がれていた男性の話を聞くまで、髪を放置したままにするつもりだったでしょう。いつも、他に気になる事がると、他が疎かになる――」

 

「うっ……」

 

事実なだけに、言い返せない。

そして結局、着替えの最後まで夜刀が手伝ったのは言うまでもないのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

新:2025.05.18

旧:2022.03.31