紅夜煉抄 ~久遠の標~

 

 第1話 -信乃と荘介- 9 

 

 

―――帝都・旧市街

 

 

「信乃? 信乃――?」

 

後ろから真夜の呼ぶ声が聞こえる。

だが、信乃は振りむかずに、ずんずんと街の中をどこへ向かうでもなく歩いていた。

 

「……」

 

真夜が小さく、息を吐く。

こうなってしまっては、もう、信乃が機嫌を直してくれるのを待つしかない。

真夜は信乃の後ろを、付かず離れずの距離で歩いた。

 

こうして歩くのが少し懐かしい。

昔、大塚村で信乃が機嫌を損ねた時、よくこうやって信乃の後ろを歩いた。

 

そんな事を思い出しながら歩いていると、ふと、信乃がぴたりと足を止めた。

それに気づいた真夜が、不思議そうに首を傾げる。

 

「し―――「……どういう、関係なんだよ……」

 

「信乃」と呼ぼうとした声は、信乃の言葉によって遮られた。

一瞬、信乃が何について問うているのか理解できず、首を傾げる。

 

「関係?」

 

なんの?

という風な真夜の反応に、信乃が少し苛立ちを混ぜた声で。

 

「だから! ……っ」

 

そこまで言いかけて、信乃がぷいっとそっぽを見る。

そして、小さな声で……、

 

「……莉芳だよ……」

 

「莉芳?」

 

信乃の言葉に、真夜がきょとんとその琥珀色の瞳を瞬かせた。

 

「~~~~~っ、だから!! 莉芳とは、どーいう関係なんだよ!!? なんで、真夜が莉芳と一緒にいるんだよ!! それに、“夜刀神”って―――」

 

「それは……」

 

そこまで言いかけて、真夜は言葉を切った。

正直、どこまで言っていいのか――迷う。

 

全部話してはいけない気がしたからだ。

下手をしたら、自分の問題に巻き込んでしまう。

 

でも―――。

 

信乃や荘介にあまり、秘密は作りたくない。

真夜は少し考え、

 

「……“夜刀神”というのは、“今”の私の名前よ。夜刀神真夜と言うの」

 

「なんだよ、それ。……どっかの養子とかになったとか?」

 

信乃のその言葉に真夜はかぶりを振った。

 

「違うわ……もっと別の“モノ”よ……」

 

「別のモノ?」

 

「……信乃なら、分かるのではないかしら? 村雨――いるわけだし」

 

「村雨?」

 

すると、信乃の肩にいつの間にか乗っていた黒い烏――村雨がくりと首を傾げ、

 

『村雨!! ヨんだ?』

 

そう言って、羽根をばたつかせる。

それを見て、真夜がくすっと笑った。

 

「違うわよ。……私のは、もっとずっとおぞましいモノよ」

 

そう―――。

“これ”は、村雨の比ではない。

もっと、凶悪でおぞましい―――“バケモノ”。

 

あの時の事はよく覚えていない。

微かに身体に残るのは―――その“バケモノ”に“喰われた”という感覚だけ……。

私は、私であると同時に、もう“昔の私”ではない。

 

「……っ」

 

真夜がぎゅっと、腕を掴んでいた手に力を籠める。

それだけで、信乃は察したのか、

 

「ふーん? まぁ、“夜刀神”の事はいいよ。あんまり言えないんだろ? 莉芳が絡んでるなら、教会とか四獣神家とか、関わってそうだしな――」

 

「……ごめんなさい」

 

真夜が申し訳なさそうにそう謝る。

それを見た、信乃は何でもない事の様に、

 

「いいよ、謝んなくて。俺だって、村雨の事を知らない奴に説明しろって言われたら、困るし。……それよりも、莉芳だよな!」

 

信乃のその言葉に、真夜が首を傾げた。

 

「莉芳? 莉芳がどうかしたの?」

 

「どうかって……人の事迎えに来たとか言っときながら、宿に着くなり放り出されて、説明もいっさいねーしよ!? 真夜の事だって、まるで自分の所有物です~~~みたいな涼しい顔しやがってさ――。あ~思い出しただけでも腹立つ!!」

 

そう言って、信乃がふんっと鼻を鳴らし頭の上で腕を組む。

信乃のその様子に、真夜がふふっ笑みを浮かべた。

 

「それは仕方ないわ、だって莉芳は私の―――」

 

その時だった。

 

 

「ねぇ、聞いた? 鬼が出るそうよ」

 

「最近、噂になっているアレだろ?」

 

「朱雀門に出るっていう……」

 

「噂では、面妖な出で立ちで身の丈10尺はあるそうな……」

 

「怖い……人を襲ったりするの?」

 

「―――いや、喰らうのは“人”じゃない。化け物を――妖を喰らうんだそうだ」

 

 

「……」

 

人々が、ひそひそと話している言葉が、耳に入ってきた。

信乃は一瞬だけ、そちらに視線を送るが――そのまま気付かなかった様に、その人の波を通り抜ける。

真夜も一瞥だけ向けると、そのまま信乃の後に続いた。

 

鬼に……化け物……。

それは、今、巷で一番噂になっている話だった。

南の朱雀門に出るという“鬼”。

その“鬼”は人ではなく、“化け物”を――。

 

「……」

 

 

 

「鬼は人、人は鬼―――」

 

 

 

ぽつりと真夜が呟いた。

 

「……? 真夜?」

 

信乃が不思議に思い、真夜の方を見た時だった。

急に村雨が鳴き声を上げながら、その羽根をばたつかせた。

 

「わっ……! 村雨?」

 

信乃が少し驚いたように、その目を見開いた。

すると、村雨は近くの桟橋に降り立ち、

 

『鬼はヒトが作るもの。ヒトのココロが作るもの。鬼はヒトの闇に巣食うもの。ココロの闇に生まれるもの』

 

「村雨? それってどういう意味―――」

 

信乃が村雨にそう問おうとした時だった、村雨が真剣な眼差しでこちらを見た。

そして……。

 

 

 

 

『オエエエエエエエ、ヒト酔いしちゃった……』

 

 

 

 

「―――って、おい!!」

 

信乃がすかさず突っ込む。

が、はぁ――と、ため息を洩らし、

 

「仕方ない、帰るか……。村雨、荘介呼んできてよ」

 

『ラジャ――!!』

 

そう言って、バサッバサッと、羽根を羽ばたかせて空高く、飛んでいく。

と、その時だった、

 

 

 

 

 

 

「いい加減、しつこいぞ!!!!!!」

 

 

 

 

 

 

突然、その金切り声と共に“なにか”がこちらに向かって吹っ飛んできたのだ。

 

 

 

「信乃!!!!」

 

 

 

真夜がそう叫ぶが――時既に遅し。

“それ”は思いっきり信乃に直撃したのだ。

 

「し――」

 

真夜が、慌てて信乃に駆け寄ろうとした時だった。

突然、傍の寺院の門から三人の僧侶が姿を現した。

その内の一人が大きな声で、

 

「知らんと言ったら、知らん!! とっとと、去ね!!」

 

その僧侶を見た時、真夜の表情が変わった。

あの人は―――っ。

 

だが、僧侶は真夜には気づいておらず、自身が追い出したであろう“それ”に向かって叫んだ。

 

 

 

 

「ここは、貴様の様な者が足を踏み入れていい場所ではないわ!!!」

 

 

 

 

すると、投げ飛ばされた“それ”―――青年はギリっと奥歯を噛みしめて、

 

「……に言ってやがる、クソ坊主!!! 現八がここにいるって事は、もうとっくに判ってんだよ!! とっとと、兄貴を返しやがれ!!!」

 

すると、それを聞いた僧侶がふっとその口元に笑みを浮かべ、

 

「何を異なことを。我らが捕らえたのは人ではない――“鬼”じゃ」

 

「何だと!?」

 

「鬼を調伏するのは我らが役目。“あれ”を兄と呼ぶならばお前も鬼ぞ?」

 

「……っ、ふざけ―――」

 

 

 

 

 

「小文吾!!!!!」

 

 

 

 

 

突然、そこに乱入してくる声が聞こえてきた。

小文吾と呼ばれたその青年が、はっとして声のした方を見る。

そこには、壮年の……しかし威厳のある男性が立っていた。

 

「ゲッ、親父……っ」

 

「お前はまた、バチ当りなことを……っ!!」

 

そう言って、つかつかとやってくると、ぐいっと小文吾と呼ばれたその青年の頭をぐいっと無理やり下げさせる。

 

「本当に愚息がご迷惑をお掛けしまして、申し訳ございませぬ。青蘭殿!」

 

その言葉に、青蘭と呼ばれた僧侶はふんっと鼻を鳴らすと、

 

「まことに、迷惑だ。こちらの務めを邪魔されては叶わん。二度と来ぬようきつく頼むぞ」

 

それだけ言い放つと、青蘭と呼ばれた僧侶は後ろの僧侶を伴って寺院の中に入っていったのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「親父!!!」

 

「阿保か!? お前はっ!!」

 

小文吾が親父殿に食って掛かるが、親父殿は呆れた様に、

 

「今ここで騒いでも無駄だ! もっと頭を使わんか!  あの僧共は“鬼”を捕らえたのだぞ? 現八を返せと言っても無駄だ!」

 

「兄貴は鬼じゃねぇ!!!!」

 

「わかっとるわい!!!」

 

 

 

「……」

 

 

 

半ば傍観していた真夜だったが、さすがに“それ”が気になって、思わず口を開いた。

 

「あの、お話し中すみませんが―――」

 

そう二人に声を掛けた時だった。

二人が真夜を見てその目を大きく見開く。

 

「あ、ねき……?」

 

「え……?」

 

一瞬、彼――小文吾が何を言っているのか分からなかった。

 

「あの……」

 

困惑した様に、真夜がそう声をかけると、小文吾は小さく頭を振り、

 

「違う、姉貴はあの時……」

 

「落ち着け、小文吾。彼女は沼蘭ではない」

 

「でも、親父――っ、あの、瞳は……」

 

「わかっとるわい!! 儂とて、一瞬 沼蘭が生きて帰ってきたのかと思った! だが違う……そんな事はあり得ない・・・・・のだ」

 

「それは――」

 

そう言って、小文吾がもう一度真夜を見る。

その姿は、小文吾の知っている姉の姿ではなかった。

だが―――。

 

俺が見間違うはずがねぇ……あの瞳は、あの姿は―――。

 

脳裏に浮かぶのは、優しそうに微笑みかける姉の姿だった。

だが、それと同時に“それはあり得ない”のだと思い知らされる。

何故なら、姉の沼蘭はあの日……。

 

 

 

「あの……」

 

その時、真夜が申し訳なさそうに、口を開いた。

 

「は、はいっ」

 

思わず、小文吾が背筋を伸ばして返事をする。

すると、真夜はとある一方に視線を向けて、

 

「……その足、そろそろどけて頂けると助かるのですが―――」

 

 

 

 

「……へ?」

 

 

 

 

予想に反した真夜の言葉に、小文吾は一瞬躊躇する。

すると、それに気づいた親父殿が、

 

「……ん? 小文吾。お前、なんぞ踏んどるぞ?」

 

「んあ?」

 

そう言って、足元を見る。

と、そこには―――。

 

小文吾に踏みつけられて、半死状態の信乃の姿があったのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

新:2025.05.18

旧:2021.01.10