紅夜煉抄 ~久遠の標~

 

 第1話 -信乃と荘介- 5 

 

 

信乃は“彼女”を見た瞬間、大きく目を見開いた

 

流れる様な長く艶やかな漆黒の髪

風になびく、紅く長い結い紐

そして、全てを見通す様な金にも似た琥珀の瞳――――……

 

その姿は

信乃の記憶にある“彼女”と寸分なき姿そのものだった

 

あり得ない

と、思った

 

何故なら、“彼女”は5年前の“あの日”に……

自分達を庇って死んだはずなのだ―――……

 

今でも覚えている

泣き叫ぶ浜路と、腕の中で冷たくなっていく“彼女”――――……

 

動かなくなった身体

閉じられたままの、瞳

ぱたり…と、彼女の手が地に落ちた時

 

ああ……死んだんだ……

 

そう思った

思った、筈、な、のに――――……

 

信乃はごくりと息を飲んで、目の前の“彼女”を見た

 

死んだはずの“彼女”が――――真夜が、立っている

あの時と変わらない姿で……

あの時と変わらない声で自分の名を呼ぶ

 

「壮介……」

 

信乃が、声を潜めて壮介を呼んだ

壮介は、不思議そうに目を瞬かせた後、「なんですか?」と答えた

すると、信乃は、ぐいぐいっと肘で壮介を突き

 

「壮介……俺を殴れ」

 

「は?」

 

唐突にそう信乃に言われ、壮介が首を傾げる

 

「信乃…?」

 

すると、信乃はふーと額の汗をぬぐい

 

「いいから、殴れ」

 

尚もそう言ってくる信乃に、壮介は「はぁ…」と言いながら

ばきっと信乃の頭を殴った

 

「いてぇ!! 壮!! 本気で殴る奴があるかぁ!!」

 

瞬間、信乃が頭を押さえて蹲った

意味が分からないのは壮介だ

 

いきなり殴れと言っておきながら、殴ったら 殴ったで文句を言われる

これほど、理不尽な事があるだろうか…

 

「何がしたいんですか…信乃?」

 

壮介が困った様にそう尋ねると

信乃が突然「ふふふふふ……」と変な笑い声を上げながら ゆらりと起き上がる

 

「壮介…俺、今の今までまだ寝てたみたいなんだ…」

 

「はぁ……」

 

「だが、俺は今目覚めた!! だから、真夜の幻が見える筈が―――――」

 

びしいいいいい! と真夜が居たであろう場所を指さす

が……

 

 

「……………?」

 

指をさした先に居た真夜が、不思議そうに首を傾げる

 

「…………っ、…………っ、…………っ」

 

信乃が、ぷるぷると震えだしたかと思うと、ぐわし!! と、壮介の襟首を掴んだ

 

「ちょっ、信乃……」

 

首が閉まるぐらいぎゅぎゅーと襟首を掴まれて、壮介が抗議の声を上げる

が、信乃はそれどころではなかった

 

 

 

「ギャ―――――――!!! 真夜の…真夜のユーレイがあああああ!!!」

 

 

 

がくがくと揺さぶられながら壮介が冷静に

 

「信乃、信乃! 落ち着いて下さい…っ! あれは、そういう類ではありません…っ」

 

「じゃあ、何なんだよぉ!! 真夜は5年前に死んだはずだぞ!!?」

 

半泣きになりながらそう訴えてくるが、壮介は至極冷静に

 

「信乃…俺達も5年前に…死にかけた筈…ですよね?」

 

その言葉に、信乃がはっとする

 

そうだ

確かに、自分も壮介もあの時、死んでいたに近かった

辛うじて息があっただけで、あの時…あの男が来なければそのまま生き絶えていた筈…だった

 

じゃあ…じゃあ、真夜…も……?

 

真夜を見る

真夜がそれに気付き、にっこりと微笑んだ

 

真夜だ…

あの笑い方は、5年前の真夜のものと一緒だった

 

「……………っ」

 

知らず、信乃の瞳に涙が浮かんだ

真夜が生きている…

その事実が、信乃の瞳をにじませた

 

ぐいっと、知られまいと腕で涙を拭く

 

「………信乃? 泣いているんですか?」

 

だが、壮介にはお見通しだったのか…

そう尋ねられて、信乃は小さく首を振った

 

「泣いてねえ……」

 

なんとか、苦し紛れにそう言う

それを見た壮介はふっと微かに笑みを浮かべ

 

「仕方ないですねえ……」

 

そう言って、壮介が信乃の背中を撫でる

すると、我慢していたものが溢れ出て来たのか…

信乃が声を殺して泣き始めた

 

その時だった

 

「信乃」

 

ふいに、真夜の声が響いたかと思うと、ふわりと信乃を抱きしめた

一瞬、信乃がぴくりと反応する

が、今度こそ我慢の限界だったのが……

真夜にしがみ付いて泣きだした

 

真夜が優しげに笑いながら、信乃の背中を撫でる

 

その様子に、先生が「おやおや…」と声を洩らした

 

「信乃が、壮介以外にここまで弱い面を見せるのも珍しいですねえ…」

 

と、物珍しそうにそう言う

すると壮介はくすっと笑みを浮かべて

 

「何だかんだで、実は俺よりも真夜に一番懐いていましたからね…信乃は」

 

そう―――

5年前

 

あの時、真夜は17歳で自分達の中で一番年長ということもあり、とても大人に見えたし

 

憧れでもあった

 

そんな真夜に一番懐いていたのが信乃だった

真夜の真似をして髪型をお揃いにするぐらいに

 

あの頃の信乃は、身体が弱かったせいもあり女の子の恰好をしてい

「15歳になるまで男のコは女のコの、女のコは男のコの服を着させて育てると丈夫に育つ」

そんな風習を信乃の両親は頑なに守ったのだ

 

全ては、信乃の為――――……

そう、全ては……

 

だから、5年前のあの時 自分達を庇って死んでいく真夜を見て

本当は、一番泣きたかったのは信乃だったのだろう

でも、あの場には泣き叫ぶ 妹同然の浜路がいて、信乃は泣く訳にはいかなかった

 

ぐっと堪えて、拳を握りしめていたのを今でも覚えている

だからだろう

今、余計にあの時のも含めて全部が押し寄せてきたのだ

 

その時だった、ふと信乃を抱きしめる真夜と目が合った

すると、真夜はにっこりと微笑み 来い来いと手招きした

 

「……………?」

 

不思議に思い、壮介が真夜に近づいた瞬間――――……

 

ぼふっ

 

「わっ……!」

 

突然、真夜の手が伸びて来て 壮介も一緒に抱きしめられた

驚いたのは、他ならぬ壮介だ

最早、混乱と言っていい

 

「あ、あの…? 真夜??」

 

しどろもどろになりながら、壮介がそう声を掛けると

真夜は、くすっと笑みを浮かべ

 

「壮介が何だか、寂しそうだったから」

 

と返された

 

「……………っ」

 

その言葉に、壮介は返す言葉も無かった

参ったな……

すっかり、見透かされている

 

でも……

こうされるのもなんだか…悪くない と思った

 

温かくて、柔らかくて、優しい気持ちにされる――――……

そう――――とても、柔らかくて………柔らか……ん?

 

待て待てと、壮介は思った

 

柔らかい?

いや、年頃の女性は柔らかいとは聞いてはいたが……

目下、5年近くこんな扱いを女性から受けたことがなく、感覚が鈍っていたが……

 

こ、これは、まさか……

 

「あ、あの……真夜? 言いにくいのですが……」

 

壮介が、もごもごと口籠りながらそう言う

すると、真夜は不思議そうに首を傾げ

 

「なあに?」

 

「あ、いえ……その…貴女の胸が俺の顔に思いっきり当たっているのですが……」

 

そうなのだ

真夜のふくよかな胸の中に思いっきり顔がうずくまっている

 

その言葉に、真夜が「あら……」とだけ、言葉を洩らした後、くすりと笑を浮かべ

 

「壮介なら、構わないわよ?」

 

そう返ってきたものだから、流石の壮介も顔を真っ赤にして慌てながら

 

「だ、駄目ですよ!! お、俺、こう見えてももう19歳ですよ? 未婚の女性が男にこんな事を……っ」

 

そう言って、暴れ出した

その時だった

 

隣にいた信乃が

 

「壮介、顔真っ赤~~~! …スケベ」

 

にたりと笑ってそう言うものだから、壮介が ガーンっとショックを受けた様に固まった

が、信乃はそのままくつくつと笑いながら

 

「はは……っ、なんか、懐かしいな!」

 

そう嬉しそうに言うものだから、壮介は何も言えなくなってしまった

そう――――

5年前ではよくあった光景

何かあるたびに、真夜がこうして慰めてくれた

その度に、壮介が慌てていた

 

懐かしい……

もう、二度とないとさえ思っていた事

それが今こうして、真夜に触れられている

 

とくん とくん

と、確かに鼓動が響いてくる――――……

 

真夜が“生きている”証

 

その音が、酷く心地よい――――

 

「……変わりませんね、真夜は」

 

壮介が観念した様にそう言うと、真夜が少しだけ寂しそうに笑みを浮かべて

 

「そう……見えるなら、よかった…」

 

と、呟いた

何故、真夜がそう呟いたのか……

その時の壮介にも信乃にも分からなかった

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

          

 

 

           ◆             ◆

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

―――――帝都

 

その日、その屋敷の中はばたばたと走り回る5匹の狐の姿が見られた

 

「着物はイヤよ、信乃の方が似合うもの」

 

「地味な修道服も大っ嫌い。 ああ…でも、黒は好きよ。 リボンもお揃いにして、安物はイヤ」

 

「靴も黒、ヒールは7センチ。 それ以上でも以下でも駄目よ」

 

「お茶は、ローズヒップとレモングラスをブレンド。 スコーンにサワークリームをたっぷりね」

 

「生ハムも食べたいわ。 お茶のお代りはアールグレイがいいわね」

 

次から次へと来る“注文”に狐たちが、あわあわしながら行ったり来たりする

その様子を、苦い顔で見ていた金髪の綺麗な顔をした男がぽつりと呟いた

 

「……………キミ」

 

不意に声を掛けられ、むすっとしかめっ面で次々と注文を出していた浜路がギロリとその男を見る

だが、男は気にした様子もなくにっこりと微笑んで

 

「ホンットーに可愛げないね」

 

男のその言葉に、浜路が呆れた様に

 

「人を拉致した挙句、こんなトコに閉じ込めておいて、どの面下げて言ってんの? このキツネ男!!」

 

「あの二人をここに招待する為には、キミが必要だったんだ」

 

その“あの二人”が誰をさしているのか……

そんな事、一目瞭然だった

 

そんな事の為に、拉致監禁されているのかと思うと、腹立だしくさえ思う

 

「それにしても、大塚村の生き残りの娘は噂じゃあ 物凄く美人って聞いたけど…噂はアテにならないね」

 

そう言って、嫌味のつもりか

男がくすっと笑いながらそう言うが

浜路は至極当然の様に

 

「あら、それは本当よ」

 

そう言って、ティーカップの紅茶に口付ける

 

「だって、それ信乃兄さま事だもの。 ……本当にお人形みたいで、私なんて足元にも及ばないくらい…綺麗だったわ」

 

今でも思い出せる

誰もが振り向かずにはいられないくらい

凄く、綺麗だった

 

「お人形みたいな、お兄さま…?」

 

「15になるまで、女のコの恰好させて育てると丈夫な子に育つって言う慣習があったのよ」

 

信乃が産まれるまで何度も流産していたという母

やっと男の子に恵まれたけれど、信乃は身体が弱かった

そこで、「男のコは女のコの恰好、女のコは男のコの名を付け、服を着させて育てると丈夫に育つという

両親は、頑なにそれを信じて守りきった

 

「ふーん……あ、調べてみたらキミは養子だったね。 羨ましいかい? 愛されて育ったその“彼”が」

 

にやりと男が口元に笑みを浮かべてそう言う

が―――……

浜路はふっと微かに勝ち誇った様に笑みを浮かべ

 

「いいえ?」

 

コイツ……

 

「だって私、小さなころから信乃と壮介達に大事にされて…貴方みたいなキツネ男とは無縁でしたもの」

 

―――― すっごく、気に入らないわ!!!(地獄へ堕ちろ!!!)

 

そう言って、これでもかという位にっこりと微笑んだ

一瞬、男が虚をつかれた様に唖然とする

が……直ぐに平然に戻り

 

「ふーん……あ、お茶のお代りする? ケーキは?」

 

「……? いただくわ」

 

何なのこの男

と、浜路が思ったのは言うまでもない

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

          ◆             ◆

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

信乃と壮介が、真夜と一緒に発ってから数刻

三人のいなくなった教会は、酷く静かに思えた

つい、昨日までは浜路が居て、信乃や壮介もいて賑やかだったのだのだが

 

そんな穏やかな日々はもう、戻ってこないかもしれない

そんな気さえ思えた

 

「大丈夫でしょうか、三人で行かせて」

 

先生の問いに、蜑崎神父は「さてな……」と言いながら、浜路特製の紅茶を飲んでいた

 

「教会には“里見”もおる。縁ある者と思えば、何か手を打つであろう」

 

「里見様ですか……」

 

確かに、真夜を遣わした時点で“里見家”が動いているのは間違いなかった

“尾崎家”に続き“里見家”

どちらも、四獣神家であり、特に“里見”は獣神家のなかでも“特別”だった

 

「里見…莉芳……」

 

真夜がここに来るという事は、莉芳が許可した事を置いて他ならない

つまり、莉芳もこの事を承知しているということになる

しかし……

 

「この5年間、ただの一度も音沙汰なかったですし…覚えているかも怪しいですよ?」

 

先生がそう問うが、蜑崎神父は表情一つ変えずに

 

「覚えておるよ」

 

と答えた

 

「やつは、覚えておる。 あの時、あの場所で、里見は信乃を見た。 自分と同様に“妖”を身の内に飼う事を信乃は自ら“選んだ”。 ……里見は選べなかったが、信乃は自ら進んでそれを選んだ。 里見が心底蔑んでいた。 “ただ生きたい”が為に―――」

 

そう“ただ生きたい”そう願っただけだった

家族も友も喪って

それでもなお“生きたい”と

 

 

復讐の為でもなく、若くして死んでゆく悔しさ故でもなく

 

 

 

『お願い!! ひとりにしないでえ!!』

 

 

 大事な大事な妹が泣いている……

 

 

               どうしたらいい……?

 

 

 

真夜も喪った

   もう、彼女に残されたのは自分達だけ――――……

 

 

 

 

               “では……、選べ―――――……”

 

 

 

  それが――――

 

 

          全ての始まり――――・・・・・・

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

さてさて、次回より電車の旅ですねw

車窓より? お送りしまーす(笑)

 

ところで、現八を早よ早よ(*’Д’*)ノシ

 

2017/04/05