紅夜煉抄 ~碧心珠誠~

 

◆ 犬飼現八夢 「金木犀と琥珀の色」

 

 

今でも夢に見る亜麻色の髪に金色の様な琥珀の瞳――――

そして、彼女がその声で俺の名を呼ぶ

 

 

『――――現八さん』

 

 

ああ、沼蘭

どうして・・・・・・

 

俺は、お前が生きてさえいてくれればそれでよかったのに

それなのに、どうして――――

 

 

「――――さん」

 

 

どうして、お前は・・・・・・

 

 

「――――現八さん」

 

 

不意に、誰かの声が聞こえた気がした

まるで、悪い夢から覚める様な――――不思議な感覚

 

この、声、は・・・・・・

 

「現八さん」

 

そうだ、俺の事をこうやって呼ぶのは沼蘭と――――

 

「・・・・・・・・・・・・っ」

 

瞬間的に目が覚める

そして、自分に伸びてきたであろう手をぐいっと引っ張った

 

「きゃっ・・・・・・」

 

突然の事に、声の主が強張るのが分かった

だが、現八は構う事無くそのままその声の主を抱き寄せた

 

自分の事を「現八さん」と呼ぶのは、古那屋の女将である小文吾の母の小夜子と、死んでしまった沼蘭以外では、彼女・・一人――――・・・・・・

 

ゆっくりと瞳を開けると、彼女の金にも似た琥珀の瞳と目が合った

 

「真夜・・・・・・」

 

彼女の名を呼ぶ

そのままそっと、彼女の頬に触れる

 

「やっと――――お前に、触れられる」

 

そう言って、彼女に触れている手をそっとそのままなぞる様に唇の方へとずらしていく

ぴくんっと彼女の――――真夜の肩が微かに揺れた

 

「あ、あの・・・・・・」

 

その顔もどんどん赤くなり、熱を帯びてくる

 

ああ・・・・・・

彼女だ・・・・・・

 

あの時、あの地下牢で俺に触れてくれた温もりだ

鬼として笙月院の地下に捕まっていた時、彼女だけが俺の元に来てくれた

 

彼女だけが――――真夜だけは その身を危険にさらしてまで俺を助けようとしてくれた

いや、彼女だけじゃない

世話になっている親父殿や義弟の小文吾や、それに

 

「真夜、今、お前に触れてもいいか?」

 

不意にそう問われ、真夜がその大きな琥珀の瞳を瞬かせたまま「え?」と返すが、同意を待たずのそのまま現八がぐいっと真夜の頭にその手を伸ばすと、そのまま彼女の柔らかい唇に自身のそれを重ねてきた

 

「・・・・・・っ」

 

突然の口付けに真夜が、驚いたのは言うまでもなく

 

「あ、あの・・・・・・待っ・・・・・・ンンっ」

 

「待てない」

 

「待って」という言葉は、あっという間に現八のそれに呑み込まれた

 

「・・・・・・ぁ・・・、ん、げ、んぱ、ちさ・・・・・・っ」

 

真夜が何かを口にしようとするたびに、その口付けがどんどん深くなっていく

 

「真夜―――――」

 

甘く名を呼ばれ、真夜がぴくんっと肩を震わせた

 

「ん・・・・・・ぁ、待っ・・・・・」

 

「待たないと言っただろう? ・・・・・・お前をもっと感じたい」

 

そう言うと、今度はそのままぐいっと真夜の腰を抱き寄せると、彼女の首筋にその唇を寄せた

 

「あっ・・・・・・」

 

そのまま彼女の着物の襟元をたどる様に現八の唇が動く

 

「お前のここは、甘いな・・・・・・」

 

「な、何仰って――――」

 

現八のその言葉に、真夜がかぁっと顔をますます赤らめた

 

駄目・・・・・・

このままじゃ・・・・・・っ

 

真夜がそう思った時だった

 

「真夜――――? 現八まだ起きてねえのか―――――って」

 

突然、現八の義弟の犬田小文吾が部屋の障子戸を問答無用ですぱーんと開けた瞬間――――

 

「「「・・・・・・・・・・・・」」」

 

三人が一斉に固まった

 

最初に覚醒したのは真夜だった

 

「あ、あの、これは違っ――――」

 

「違う」と言い終わる前に、すっと障子戸が閉められる

 

「ま、待って! 小文吾さん、これはそういうのではなくて―――――!!」

 

「真夜、邪魔者はいなくなった。 続きを――――」

 

そう言って、すっと現八が真夜の腰に回していた手を更に抱き寄せてきた

 

「え・・・・・・!? いや、そうじゃないでしょう!? ちょっ、や・・・・・・ンン、現八さ――――」

 

「って、兄貴いいいいいい!! 朝っぱらから盛ってんじゃねええええええ!!!!」

 

 

 

すぱ―――――ん!!!!

 

 

 

と、軽快な音と共に、小文吾の鉄拳制裁が下ったのは言うまでも無かった

 

 

 

 

 

 

 

 

   ****    ****

 

 

 

 

 

 

「まったく、自分ちだからって自由過ぎんだろ!」

 

と、ぷりぷりと怒りながら小文吾がおひつの飯を混ぜていた

 

「な~小文吾、朝飯まだ?」

 

「信乃! 小文吾さんに失礼ですよ。 ちゃんと行儀よくしていてください」

 

と、先日から関わる事になった欠食児童こと外見年齢十ニ歳の犬塚信乃を、その保護者の犬(?)こと犬川荘介が窘めていた

 

「んだよ~、真夜も現八起こしに行ったまま帰ってこねえし・・・・・・」

 

と、信乃が真夜が居ない事に、ぶつくさ文句を言っている

 

おひつの中の飯を茶碗によそいながら

 

まさか、兄貴・・・・・・あのまま真夜に手だしてないよな・・・・・・?

そんな事になったら・・・・・・

 

小文吾の後ろで飯を訴えている信乃が何をしでかすか――――

考えただけで、恐ろしい!!

 

下手したら、この家の食材全部食い尽くされる!!

 

そんな小文吾の心配を余所に、信乃は真夜が居ない事に落ち着かないのか

そわそわとしていたが、限界が来たのかばっと立ち上がると

 

「遅すぎる!! 俺、ちょっと真夜迎えに行ってく――――「わ―――――信乃、待て待て待てえええええ!!!!」

 

と、今にでも部屋を飛び出しそうな信乃を小文吾が必死で止めに入った

 

まずい!!

まずすぎる!!!

 

万が一にも、自主規制ピ――――な状態だったら・・・・・・っ

俺が信乃に、られる!!!!

 

そんな小文吾の心を知ってか知らでか、信乃が食って掛かる様に

 

「な、何なんだよ、いきなり――――」

 

こうなったら仕方ない・・・・・・っ!

全ては兄貴の名誉の為だ・・・・・・っ!!

 

そうして、小文吾が断腸の思いで生贄に差し出したのは――――

 

艶々と、輝く超高級黒毛和牛のタンのとろろ丼

そして、同じく超高級黒毛和牛のネギ塩牛タンにサーロインステーキ

 

「おお~~~~!」

 

ころっと、信乃の意識が黒毛和牛に向けられる

 

「食っていいのか? いいんだよな!? いっただきまーす!」

 

と、真夜の事などすっかり忘れたかのように黒毛和牛尽くしにご満悦の信乃

とは、裏腹に「家計が・・・・・・」と、うなだれている小文吾

 

「あの、小文吾さん、大丈夫・・・・・・ですか?」

 

と、心配そうに荘介が気づかってくれるのが身に染みる

 

「あ、ああ、へーきへーき。 ・・・・・・後で、全部兄貴に請求すっから」

 

と、後半ぼそっと何かどす黒い事を言っていたが・・・・・・

聞かなかったことにした方が良さそうだと、荘介は悟った

 

その時だった

居間に続く廊下の方から、現八が真夜を連れだって現れた

 

「なんだ、朝から豪勢だな・・・・・・」

 

そう言って、現八がいつもの場所に座る

 

「・・・・・・誰のせいだと思ってんだよ、兄貴」

 

と、茶碗によそった飯を現八に渡しながら、小文吾が詰め寄った

そして、信乃に聞こえないようにひそひそ声で

 

「(真夜には、あの後 手だしてないだろうな?)」

 

小文吾の問いに、一瞬現八がそのあおみがかった瞳を一度だけ瞬かせた後

 

「(何故、お前がそこを気にするんだ?)」

 

「(いいから! 俺は兄貴を信じてるからな!! ・・・・・・出してないよな?)」

 

「・・・・・・さぁ? どうだろうな」

 

ふっと、現八が微かに笑いながら汁物を口元に運ぶ

 

「(兄貴いいいいいい!!!!)」

 

その時だった

 

「真夜? なんか、あった?」

 

突然、信乃が真夜にそう尋ねたので、小文吾がぶはっと呑みかけていた茶を吐いた

 

「うわっ、きたねっ。 ・・・・・・なにやってんだよ、小文吾~」

 

信乃が嫌そうな顔をして言うが・・・・・・

小文吾からしてみれば、「お前のせいだろうが!!!」だった

 

すると、真夜が慌てて間に入る様に

 

「ど、どうかしたの? 信乃。 何かおかしい所でもあったかしら?」

 

半分、苦笑いしつつ真夜が信乃にそう尋ねると、信乃は「う~ん」と少し考え

 

「なんか・・・・・・」

 

「なんか・・・・・・?」

 

「うん、なんか、こう~なんていうか・・・・・・。 ほら、真夜っていつもはもっとこうちゃんと服装整えてたり、髪も整えてたりするじゃん? 今、乱れてねえ?」

 

 

す・・・・・・

 

 するどい!!!!

 

 

小文吾がそう思ったのは、言うまでもなく――――

流石の真夜も、ぎくりと顔を強張らせた

 

だが、それはほんの一瞬で直ぐにいつもの笑顔に変わる

 

「現八さんが、寝相が酷くて・・・・・・起こすのに、手間取ってしまったの」

 

「寝相・・・・・・?」

 

「そう、寝相・・よ」

 

言い切った!!!!

 

と、小文吾がハラハラしながら聞いていると、黙っていればいいものを現八が

 

「・・・・・・まぁ、真夜がいつも起こしてくれたら、俺も嬉しいんだがな」

 

と、さらっと言いながら小魚を箸で取る

それに反発したのは、真夜でもなく、小文吾でもなく――――信乃だった

 

「何言ってんだ、それぐらい一人で起きろよなー。 子供じゃねえんだから」

 

「いつも俺が起こしている信乃は――――」

 

「俺、子供だもーん」

 

いつも子供扱いすると怒るくせに、こういう時だけ、子供ぶるのは卑怯では?

と、思うも 誰も口にしなかった

否、出来なかった

 

話題・・・・・・話題を変えねえと!!

 

小文吾がそう思って、あれこれ頭を悩ませている時だった

ふと、信乃が真夜のある個所に気付いた

 

「真夜? なんか、首のここの辺り赤くなって――――」

 

「え!?」

 

言われてばっと慌てて真夜が首元を手で押さえる

思い当たるのはひとつしかない

 

今朝の現八の行動を思い出す

まさかあの時に・・・・・・?

 

思わず、真夜が現八を見る

すると、現八はふっと笑うと

 

「ああ、信乃。 それはキスマー「わ―――――!!!! キス!! そう、昼はキスなんてどうだ!?」

 

「ん? お、おお・・・・・・」

 

小文吾が割って入れた言葉に、信乃が「キスか~~」とうっとりしている

どうやら、あの痕については言い逃れ出来たようである

 

「(あ~に~きいいいいいい!!!)」

 

小文吾が般若の如く現八に威嚇する

その様子がおかしくて、現八は笑ってしまうのだった

 

 

 

 

 

 

 

 

 

   ****    ****

 

 

 

 

 

 

 

借りている部屋に戻って姿見を見ると、確かにくっきりと首に赤い印が出来ていた

 

「もう・・・・・・どうしてこんな目立つところに・・・・・・」

 

かといって、今から四獣神家に首が隠れる洋服を取ってくる時間もない

夜刀に頼むべきかと考えている時だった

 

「真夜、いるか?」

 

不意に、廊下の方から現八がやってきた

 

「あ、現八さ――――・・・・・・」

 

「現八さん」と呼ばれる前に、不意に伸びてきた手が後ろから真夜を抱きすくめた

 

「・・・・・・っ、あ、の・・・っ」

 

突然の抱擁に、真夜がぴくんっと身体を強張らせた

だが、現八ぎゅっと真夜を抱きしめたまま静かにその肩に顔を埋めてきた

 

「・・・・・・なにか、あったのですか?」

 

「いや・・・・・・」

 

そう言うが、とても何でもない様には見えなかった

まるで、何かを確かめるかのように現八の抱きしめる力が強くなる

 

「・・・・・・真夜」

 

「はい・・・・・・?」

 

「お前は――――・・・・・・」

 

脳裏に浮かぶのは、二度と動かなくなった婚約者の亡骸

その瞳を開ける事も、声を聞く事も叶わなかった

 

そんな彼女と同じ瞳を持つ真夜

だからだろうか

余計に不安になる

 

彼女もいつか、自分を置いて逝ってしまうのでは――――と

 

もし、真夜まで居なくなったら・・・・・・

俺は正気をこれ以上保つことができるのか・・・・・・?

 

今でも、気が狂いそうなのに

それでも、生き永らえる己の身体を憎み

苦しみの中に身投げした沼蘭が頭から離れない――――

 

「真夜・・・・・・お前は、死なないよな?」

 

「え・・・・・・?」

 

そこまで言って、ふっと現八が笑う

 

「いや、俺が死なせない。 だから、お前は死なない――――そうだよな」

 

「・・・・・・・・・・・・」

 

それは――――・・・・・・

 

その現八からの問いに真夜ははっきりと「はい」とは応えられなかった

ただ一つ言える事は――――・・・・・・

 

そっと、現八の方を見る

そしてその頬に手を添えて

 

「私、そんなにやわではありませんので」

 

そう言って笑った

 

庭先から金木犀の香りがさらさらと風に乗って部屋に入ってくる

それは、沼蘭が好きだった花だった

 

でも、今は――――・・・・・・

 

「真夜――――」

 

現八が真夜を愛おしそうに見つめると、そっと彼女の手に自身の手を重ねた

そして

 

「・・・・・・ありがとう」

 

と言ったのだった

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

今回書いている「本編」よりも少し未来系の話です

現八が笙月院から、出た後の頃ですな~~~

 

2023.02.12