Reine weiße Blumen

  -Die weiße Rose singt Liebe-

 

 

 1章 前奏曲-volspiel- 24

 

 

「は……?」

 

楽は己の耳を疑った。

今、秋良は何と言っただろうか……?

 

『八乙女君が、あやねを口説き落とせたらね』

 

俺が、あやねを……口説き……。

 

「――えっ!?」

 

まさかの言葉に、思わず楽が かぁっと顔を真っ赤にしたのは当然で――。

それを見た、監督が「おや」と声を洩らし、秋良がくつくつと笑っていた。

 

「や……あの……えっと……」

 

楽が顔を真っ赤にして、しどろもどろになっていると、秋良がにっこりと微笑み、

 

「おや、八乙女君は私の娘では不満だったかな?」

 

「あ、いや……そういう意味ではなくて――」

 

耳まで赤くした楽が、思わず口元を押さえて押し黙ってしまう。

 

ちょっと待ってくれ。

何がどうなって、こんな事になってるんだ……っ。

 

あやねの事は、好きだし、惚れてる。

この手に抱き締めて、自分のものに出来たらどんなにいいか――。

 

でも、まさかその父親である秋良から「口説き落とせ」などと言われるとは、誰が想像出来ただろうか。

それはつまり、一番難関の父親からの許可サイン!!

 

…………

………………

いやいや、話が上手すぎる!

 

普通に考えて、あり得ない。

しかも秋良は、最初あやねが楽と関わる事を、禁止していた筈だ。

 

それなのに、いきなりこんな上手い展開――ある筈が……。

 

と、楽があれこれ考えていると、秋良は面白いものを見ているかの様に笑いながら、

 

「八乙女君、難しく考える必要はないよ。君があやねを愛しているなら、口説いても構わないと言っているんだ。逆に愛していないなら、無理する必要はない。断ってくれて構わないよ。他の条件を提示しよう」

 

「俺、は――」

 

これを言っていいのか、分からない。

この場には、監督もいる。

 

それに、あやねの父である秋良に、楽自身の気持ちを打ち明けるべきかも迷う。

でも――。

 

ぐっと、楽が膝の上の拳を握り締める。

そして、まっすぐに秋良の方を見て、

 

「確かに、白閖さんの仰る通り、俺は――あやねさんが好きです。正直、惚れてますし、愛しているかと問われれば、愛して……います。あやねさんの事が大事だし、大切にしたいと思ってます。だから、その……」

 

「……いいよ。続けて」

 

一旦、言葉を切ったが、秋良にそう促されて、楽はごくりと息を呑んだ。

 

これを言えば、もしかしたらスポンサーの件も白紙になるかもしれない。

それでも――これだけは、伝えなければいけない気がした。

 

楽は、真っ直ぐに秋良を見据えると、

 

「こういうのは、違うと思うんです……っ。俺は、あやねさんの気持ちを尊重したい。彼女に無理強いはしたくないんです。だから、彼女の気持ちを無視して、一方的に“口説く”とかは――俺には、出来ません。これが――俺の正直な気持ちです」

 

楽の言葉をそこまで聞いて、秋良がふっと微かに笑った。

それから、両肘をテーブルの上に立て、両手を口元で組むと、にっこりと微笑んだ。

 

「八乙女君。やはり君は面白いね。それに、とても真面目で誠実だ。そういう君になら、私はあやねを任せてもいいとさえ思ってるんだよ?」

 

「え……」

 

「芸能人は華やかで煌びやかな世界にいるせいか、傲慢で身勝手な人間が多い。だから最初、君を知らない時は、あやねに接触を禁じた。だが、君や君のメンバーはそうではなかった。特に八乙女君、君は傲慢で身勝手な人種とは真反対の位置にいる。正直で真摯な所は、君の美徳だ。私はとても良いと思うよ」

 

まさか、そんな風に手放しで褒められるとは思わず、何だか恥ずかしくなってしまう。

 

「あ、ありがとう、ござい、ます……」

 

楽が何とかそう答えると、秋良が嬉しそうに笑った。

 

「そうやって、素直に礼を言える所もいいね。実の所、少し君を試させて貰ったんだ。あやねに本当に相応しいかどうか――」

 

そう言って秋良が笑うが、その瞳は笑っていなかった。

思わず、楽が息を呑む。

 

「先程の条件――もし、君が断っていなかったら、私は君にはあやねは任せられないと判断しただろうね。だが、君は私の期待以上の答えで応えてくれた。私は嬉しいよ、君の様な青年に出会えて――。しかし、君を試す様な事をしたのは事実だ、謝罪しよう。すまなかったね」

 

秋良が頭を下げる。

ぎょっとしたのは、楽の方だった。

 

自分よりも、ずっと格上の存在だと思っていた秋良が頭を下げてきたのだ。

楽は慌てて立ち上がると――、

 

「あ、頭を上げて下さい……っ。そ、それに、俺は貴方が思うほど出来た人間では――」

 

楽がそう口にするが、秋良はくすっと笑って、

 

「謙遜する必要はない。私は自分の目で見たものしか信じない質でね。私が出会ってきた人物の中で、“この者にならあやねを任せてもいい”とさえ思えた者は2人・・しかいなかったんだ。君はその内の1人だよ」

 

「え……」

 

秋良からの意外な言葉に、楽がその灰青の瞳を見開く。

秋良は、今確かに“2人”と言った。

それは、もう1人――彼女に相応しいと思った人物が、過去にいたという事だ。

 

誰、だ……?

 

楽が、少し困惑した様な表情を見せる。

それを見た監督が楽を見た後、思わず秋良を見た。

 

「白閖氏。差し障りなければ、もう1人がどなたかお伺いしても?」

 

監督なりに気を利かせたのだろう。

恐らく、楽からは聞けないだろうから――。

 

すると、秋良は少しだけ昔を懐かしむ様な素振りを見せて、

 

 

 

「――桜 春樹」

 

 

 

「え……っ!?」

 

まさかの名前に、監督と楽が思わず驚きの声を上げる。

 

それはそうだろう。

桜春樹と言えば、あの“ゼロ”の作曲家として名を馳せた人物だ。

そんな人物が、あやねと関りがあったなどと、誰が想像付くだろうか。

 

「……白閖氏は、桜氏と交流が……?」

 

監督が息を呑むのが、楽にも伝わってきた。

すると、秋良は何でもない事の様に、

 

「ああ、彼のゼロ探しを支援していたのは私だよ。最初に支援の話をした時、彼が言ったんだ。“支援だけ無償で受ける訳にはいかない――”とね。だから、私は彼に提案したんだ。あやねと――今は亡き妻に彼が日本にいる間は、彼のピアノを聞かせてやって欲しいと。あやねも彼にはとても懐いていたしね」

 

「……」

 

「……だが、今彼は何処にいるのだろうね。連絡が途絶えて数年か……。無事だといいが」

 

桜春樹が、ある日を境目に行方が分からなくなってしまったのは業界では有名な話だった。

もしや、秋良なら知っているのでは――?

と、一瞬監督は思ったが、秋良の台詞から察するに、彼自身も知らない様だった。

 

「その、探さないのですか?」

 

監督が思わずそう尋ねると、秋良は苦笑いを浮かべて、

 

探せない・・・・んだよ。あやねの事を思うと、探す事が出来ないんだ。彼の最後の言葉は、それ位 あやねにとっては辛い言葉だったからね。あの状態・・・・から、折角立ち直りつつあるのに、またあの子が前の様になってしまったら――そう思うと、探せないんだ。情けない話だけどね」

 

「……」

 

それ以上聞くことは、流石の監督も出来なかった。

 

まさかの、あやねと桜春樹の関係に、楽は言葉を失っていた。

だが、これ以上は楽でも聞くことは出来なかった。

 

だが、一つ分かったのは――。

 

あやねが、「音楽」に対して、反応する時のあの態度。

あれは、おそらくその桜春樹と何か関係があるのだと……。

 

「だから、八乙女君には感謝しているんだ。君に逢っていなかったらきっと、あの子は今でもあのまま・・・・だっただろうからね」

 

「え……」

 

そこで、突然出てきた自分の名に、楽がその瞳を瞬かせた。

すると、秋良がにっこりと微笑みながら、

 

「君に逢ってから、あやねは変わったよ。少なくとも、いい方向に変化している――と、私は思っている。八乙女君、君のおかげだ。ありがとう」

 

「……っ」

 

自分があやねにいい影響を与えてていた。

その事実に、知らず楽の顔が赤くなっていく。

 

それを隠す様に、楽は慌てて頭を下げると、

 

「あ、その……恐縮です」

 

そう返すのが、精一杯だった。

すると、秋良がくつくつと笑いながら、

 

「監督、彼は本当に良い逸材ですね。映画が楽しみだ」

 

秋良の言葉に、監督が深く頷く。

 

「ええ、彼にしかこの“久我志月”役は出来ないと思っています」

 

「そうですね。では、後は“ましろ”役を決めて頂かないといけませんね」

 

秋良から、“ましろ”役に付いて話が出た所で、監督はチャンスとばかりに話を切り出した。

 

「その“ましろ”役に付いても、白閖氏にお話がありまして――」

 

 

 

 

 

 

 

 

   ****    ****

 

 

 

 

 

 

 

 

―――白閖邸・邸内

 

 

な、何でこんな事に……っ。

 

楽は穂波に続くように、邸内の廊下を歩いていた。

 

事は、数分前に遡る。

あの時、監督が“ましろ”役をあやねに頼みたいのだと秋良に話した。

すると、秋良は笑いながらあっさり了承したのだ。

ただし、あやねの意思を尊重して、あやねの了承を得られたら――という話になった。

そこまではいい。

むしろ、こちらにとっては予定通りともいえる。

 

だが、問題はこの後だった。

 

秋良は、ここにきて例の条件を変えてきたのだ。

楽が、あやねを「口説き落とせたら」という条件を、「説得出来たら」に。

 

まぁ、元からあやねの説得は楽がする予定だったので、それはいいのだが――。

それが、まさかの今からという話になった。

 

こんな遅い時間に、娘の部屋に男を案内させるなんて……。

罠か!? 俺は、また試されているのか!!?

 

としか、取れない。

 

そうこうしている内に、気が付けばあやねの部屋の前まで案内されてしまった。

穂波が一礼するとそのまま下がっていく。

 

1人になってしまった楽は、部屋の前で立ち往生していた。

 

この扉の向こうに、あやねがいる――。

そう思っただけで、全身が緊張してくる。

 

ごくりと息を呑むと、楽はゆっくりと目の前の扉をノックした。

すると、数分もしない内に中から「はい」という声が聞こえてきた。

 

あやねだ。

 

「……っ」

 

久しぶりに聞くあやねの声に、楽が一瞬言葉を失う。

何と声を掛けるべきか迷っていると、反応の無いこちらを不思議に思ったのか、不意に扉が開いてあやねが出てきた。

 

「……あの、何か――え……?」

 

瞬間、出てきたあやねと目が合う。

あやねは、楽を見るなり珍しく驚いたような顔をして、その深海色の瞳を瞬かせた。

 

「が、楽……さ、ん……?」

 

その声には、戸惑いすら感じられた。

それはそうだろう。

 

ここは、学院でも外でもない。

白閖の屋敷の中なのだ。

 

まさか、そんな場所で楽に逢うなどとは、あやねも夢にも思っていなかっただろう。

楽も楽で、何と言っていいのか分からず、「あー、その、だな……」と口籠もってしまう。

 

「……」

 

「……」

 

思わず、2人して黙りこくってしまった時だった。

ふと、あやねの姿が視界に入った瞬間、楽が顔を真っ赤にして慌てて後ろを向いた。

 

「わ、悪い……っ。見るつもりは――っ」

 

「え?」

 

一瞬、何のことを言われてるのかと、あやねが首を傾げる。

が……、自分の恰好を見た瞬間、顔を真っ赤にさせた。

 

「す、すみません……っ」

 

そのまま、慌てて扉を閉める。

 

や、やばい……っ。

心臓の音が止まらない。

 

いつも、しっかり着ている彼女とは裏腹に、今日のあやねは薄着だったのだ。

細い肩紐で吊るし、肩が露出する形状の袖なしのワンピースを着ていた。

肩や腕も出ていて、その白い四肢が目に焼き付いて離れない。

 

お、落ち着け、俺!

 

どきどきと、早鐘の様に鳴り響く心臓の音に、なんとかそう言い聞かせる。

そして、どのくらい時間が経っただろうか。

 

そっと再び扉が開くと、あやねが顔を出してきて、

 

「あの、楽さん? 用があって来られたのですよね? ……どうぞ、中へ」

 

そう言って、部屋の中に促してきた。

楽が一瞬、「え!?」と思うが、意を決して彼女の部屋の中に入った。

 

部屋の中は、他の部屋と同様とても洗礼されていた。

品の良い調度品に、沢山の本が並んでいる。

奥の方を見ると、天蓋のベッドに、大きなグランドピアノもあった。

 

「すみません、先程は お見苦しい姿を……」

 

肩からショールを羽織ったあやねが、少し頬を赤くしてそう謝罪してくる。

楽は、慌てて手を振ると、

 

「あー、いや……俺こそ、その……急に悪い」

 

そう歯切れが悪そうに答えた。

すると、あやねがそっとこちらを見て、

 

「あの、それで本日はどうかなさったのですか?」

 

「あ、ああ。実は今日、監督と……あー今撮影してる映画の監督な。その監督と一緒にあやねの親父さんに会いに来たんだ」

 

楽のその言葉に、あやねが少し驚いた様にその深海色の瞳を瞬かせた。

 

「お父様に、ですか?」

 

当然の反応と言えば、当然だった。

実際、今まであの映画に白閖財閥は関わっていなかったし、今回のスポンサーの件は、まだあやねの知らない話だ。

 

楽は、“高嶺家”の事など、今日の話を掻い摘んで説明をした。

流石に、“桜春樹”の話は出来なかったが――。

 

あやねは、ただ静かにその話を聞いていた。

一通り話を聞いた後、あやねは少し考え込み、

 

「その……、高嶺様は――もしや、高嶺陽子様でしょうか?」

 

「ん? あー確か、そんな名前だったと思うが」

 

楽のその言葉を聞いた瞬間、あやねが何か考え込んでしまった。

その表情は暗く、何か思いつめたような顔をしていた。

 

「あやね?」

 

楽が不思議に思い、そっとあやねの頬に触れた。

瞬間、ぴくんっと彼女の肩が震えた。

 

「どうかしたのか?」

 

優しくそう尋ねると、あやねがゆっくりとした動作でこちらを見た。

その瞳は、微かに揺れていた。

 

さらりと、彼女のキャラメルブロンドの髪が手に掛かる。

 

「あ、その……」

 

何か言い辛そうに、あやねが口籠もった。

それから、少し視線を俯かせ、

 

「その、考え過ぎかもしれませんが……。高嶺様が急に楽さんにご迷惑を掛ける様になってしまったのは、もしかしたら私の所為かもしれなくて……」

 

「あやねの?」

 

「はい……。もしそうだとしたら、楽さんに申し訳なく――」

 

あやねには何か心当たりがあるのか、酷く落ち込んでいる様だった。

 

そんなあやねを見ていると、心が痛んだ。

彼女の――あやねの心を少しでも軽くしてやりたいと、そう思った。

 

「あやね――」

 

楽はそっと名を呼ぶと、彼女をその腕で抱き寄せた。

そして、そのまま瞼に口付けを落とす。

 

「……っ。が、楽さ……」

 

突然の楽からの口付けに、あやねがその身体を強張らせるのが分かった。

だが、楽はそのままそっと彼女の柔らかいキャラメルブロンドの髪に触れると、優しく撫でた。

 

「大丈夫だ。あやねの所為とかじゃねぇから」

 

「で、ですが……」

 

「もしそうだとしても、俺はお前から離れる気はねぇよ」

 

そう言って、強く抱き締める。

楽の腕から伝わる熱が、知らずあやねの心を安心させてくれた。

 

「……楽さん、私」

 

「ん?」

 

おずおずと、あやねの手が楽の背中に回される。

 

「その……」

 

その手に、力が籠もった。

それから、遠慮がちにあやねが楽に身体を預けると、

 

「わ、私は……貴方様のお傍にいても、いいのです、か……?」

 

もしかしたら、今以上に迷惑を掛ける事になるかもしれない。

もしかしたら、もっと辛い目に合うかもしれない。

 

けれど――。

 

知らず、その瞳に涙が浮かんでくる。

すると、楽がふっと微かにその顔に笑みを浮かべると、そっとあやねの涙を指で拭った。

 

「馬鹿、当たり前だろ? 俺はあやねの事が大事だし、大切にしたいと思ってる。お前から離れたいって言っても、離してやる気は更々ねえから――だから、そんな事言うなよ」

 

「……っ。楽さ……ん。ありがとう、ございま……す」

 

あやねのその言葉に、楽が優し気に微笑む。

それから、彼女の髪をその手でゆっくりと撫でると、そのまま彼女の顎に手を掛けてそっと上を向かせた。

 

「……ぁ……」

 

すると、恥ずかしそうに頬を染めたあやねが、少し不安そうにその深海色の瞳を揺らす。

 

「あやね――」

 

楽はくすりと微笑むと、愛しい彼女の名を呼んだ。

そして、そのまま彼女に口付けを落としたのだった――。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

さて、久しぶりに夢主きたww

が、書きたかったシーンは文字数の関係で入らず笑

 

2024.01.16