Reine weiße Blumen

  -Die weiße Rose singt Liebe-

 

 

 1章 前奏曲-volspiel- 10

 

 

 

「監督……」

 

弾きたい。

 

「俺、今、めちゃくちゃピアノが弾きたいです……」

 

無理なのは、分かっている。

ここは、楽の部屋でもなければ、練習場でもない。

 

ここは白閖邸。

 

それでも。

今の、この“気持ち”を音にしなければ。

 

 

きっと、後悔する。

 

 

「このピアノみたいに、うまくは弾けないけれど……それでも、弾きたい――」

 

弾きたいんだ。

ピアノを。

 

たとえそれが、志月の音にまだ近づけなかったとしても。

それでも、今、この瞬間のこの気持ちを“音”にしたい。

 

「あの……!」

 

楽は無理を承知で、後ろに控えていたハウス・スチュワードの穂波に声を掛けた。

 

「すみません、ピアノを――ピアノを貸していただけませんか?」

 

「八乙女くん!?」

 

驚いたのは、他ならぬ監督だった。

秋良に連れて来られて、あんなに畏縮していた様子だったのに。

 

今の楽は違った。

“TRIGGER”の“八乙女楽”ではなく、

“役者”としての“八乙女楽”――いや、“久我志月”の顔をしていた。

 

思わず、監督も立ち上がり穂波に頭を下げた。

 

「お願いします。ピアノを――彼に弾かせてやってください」

 

「監督……」

 

楽が驚いたようにその大きな灰青の瞳を見開いた。

 

来客として来ている2人に頭を下げられて、流石の穂波が困った様に視線を入口に送る。

思わず、そちらを見ると、いつの間にか秋良がいた。

 

秋良はにっこり微笑むと、

 

「穂波、第二室の方に案内してやって」

 

それだけ言うと、また部屋を出ていった。

 

第二室……?

 

楽が首を傾げると、穂波がすっと手を差し出し、

 

「では、第二室へご案内いたしますので、こちらへどうぞ」

 

そう言って、歩き始めた。

監督と顔を見合わせた楽は、慌てて穂波の後を追った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

   ****    ****

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「あやね」

 

不意に名を呼ばれ、あやねがその手を止めた。

 

「……お父様」

 

そこには秋良が立っていた。

 

あやねがピアノの長椅子から立ち上がろうとした瞬間、秋良に手で制された。

 

「……?」

 

一瞬、何故。

という、疑問が浮かぶ。

 

が、秋良は静かに部屋に入ってくると、部屋の壁にあるスイッチを押した。

瞬間。

 

『こちらでございます』

 

穂波の声が聞こえてきた。

 

え? な、に……?

 

突然、聞こえてきた穂波の声に続く様に、青年の声が聞こえてきた。

 

『ありがとうございます』

 

「――っ」

 

その声を聴いた瞬間、あやねが息を呑んだ。

この、声……。

 

それは、あやねが今一番聞きたかった声だった。

思わず、秋良を見る。

 

すると、秋良はしーと悪戯っ子の様に人差し指を口に当てて、

 

「八乙女楽君、彼は面白い青年だね」

 

「……っ」

 

やはり、声の主は楽だったのだ。

でも、どうして……。

 

秋良は“TRIGGER”との接触を禁じていた筈だ。

特に、楽には逢う事すら許されてない。

 

なのに、なぜ……?

 

秋良の考えが、あやねには全く読めなかった。

 

その時だった。

 

ゆっくりとしたピアノの音が聞こえ始めた。

 

この曲……。

 

それは、数日前にあやねが秋良に頼まれて弾いた曲。

リストの「愛の夢」 第3番 変イ長調 S.54だった。

 

思わず、秋良を見る。

すると、秋良はにっこりと微笑み、音のする方を指さした。

 

まだ粗削りだか、どこか心惹かれる音。

でも、1音1音に感情が籠っている。

 

「こ、れ……」

 

まさか、楽が弾いているというのだろうか?

秋良を見ると、秋良は少し満足げに、

 

「うん、先程・・よりはいい音をだしているね」

 

先程・・……?

 

あやねが、首を傾げる。

“先程”とは何の事だろうか。

 

そう思いつつ、その音に耳を傾ける。

 

不思議だった。

技術も、音もまだまだ未完成なのに。

何故か、心惹かれる音。

 

あ……。

 

そういえば、この感覚には覚えがあった。

 

あの時の、学院で聞いた音。

あの音だった。

 

誰が弾いているのか、確かめられずにはいられなかった音――。

 

そして、そこのいたのは。

 

ホワイト・スモークの髪に灰青の瞳をしたあの人。

何度も何度も、助けてくれた――。

 

楽、さん……

 

「……」

 

そっと、目の前のピアノの鍵盤に触れる。

 

“リストの「愛の夢-3つのノクターン」 S.541 R.211”

 

この曲は、もともとはソプラノのための独唱歌曲として書かれた作品だったが、リスト39歳の1850年にピアノ独奏曲として作曲し、同年「愛の夢-3つのノクターン」として発表した曲だった。

中でも、第3番 変イ長調「おお、愛しうる限り愛せ」はリストの作品の中でも最もポピュラーな小品の一つだ。

一般的に、リストの「愛の夢」と言われたら、この第3番を指すことが多い。

 

美しいメロディ。

それでいて、透き通るような音。

 

知らず、あやねはそっとピアノを楽の音に合わせる様に奏で始めた。

奏でずにはいられなかった。

 

ゆっくり、ゆっくりと奏でていく。

 

2台のピアノの音が部屋中に響き渡る。

秋良が一瞬、驚いたようにその瞳を見開いたが、次の瞬間満足げに笑みを浮かべたのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

   ****    ****

 

 

 

 

 

 

 

 

一方、そのころ 第二室。

 

そこにはピアノを奏でる楽――いや、志月がいた。

感情を乗せ、心を響かせるような音。

 

さきほど、弾いたのとは比べ物にならないぐらい音が変わっているのが、自分でも分かる。

 

さっきの音が耳の中に残っていて消えない。

そして、その音が自分を変えていくのが分かる。

 

ああ……

ピアノを奏でる・・・という事は、こういうことだったのか。

と、思い知らされる。

 

今なら、志月が“ましろ”の音に惹かれた気持ちがわかる気がした。

 

きっと、今の楽と同じ。

惹かれずにはいられなかった音。

それが、“ましろ”という少女の“音”なのだ。

 

そして、楽にとっての“ましろ”は――。

 

キャラメルブロンドの髪がなびき、

深海色の瞳がこちらを見て笑う。

 

 

 

 

――あやね……。

 

 

 

 

1音1音、彼女を想う気持ちが“音”に変わっていく。

音に心が籠っていく。

 

「八乙女くん……」

 

楽のどんどん変化していく音に、監督が息を呑んだ。

それと同時に確信する。

 

やはり、“久我志月”は彼にしか出来ない――と。

そして“ましろ”は……。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

      ◆      ◆

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

―――翌日・白閖邸

 

 

「――え?」

 

朝食の時間、秋良が言った。

 

「外出禁止を解くと言ったのだよ、あやね」

 

それはつまり。

 

「……外に、出ても宜しいのですか?」

 

思わずそう口にすると、秋良は面白そうに、

 

「あやねは、外に出たかった用でもあったのかい?」

 

そう面白半分に尋ねてくると、あやねが、さっと顔を赤くさせた。

 

「あ、いえ、その……それは……」

 

と、珍しく口籠るものだから、秋良がくつくつと笑い出した。

 

「お、お父様っ!!」

 

急に笑い出した秋良に、あやねがむっとする。

すると、秋良は「ごめんごめん」と言いつつ、忠告する様に、

 

「言っておくが、解除したのはあくまでも“外出禁止”だけからね? “TRIGGER”関係者との接触は解除してないからな」

 

秋良のその言葉に、あやねが「え……」と声を洩らす。

その声音が明らかに落胆した様に聞こえて、秋良はまたくつくつと笑い出した。

 

「まぁ“偶然”は仕方ないと思うけどね」

 

それだけ、言って席を立つ。

 

「あ……お、お父様っ!」

 

今にも部屋を出そうな秋良を見て、慌ててあやねが立ち上がる。

 

「あの……、ありがとうございます」

 

そう言って、丁寧に頭を下げた。

すると、不意に秋良の手が伸びてきてあやねの頭を撫でた。

 

「うん……、頑張りなさい」

 

「……っ、はい」

 

あやねはそう答えるのだけで、精一杯だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

   ****    ****

 

 

 

 

 

 

 

あやねを残し、部屋を出た秋良の後を穂波が続く。

 

「旦那様、宜しいのですか?」

 

穂波からの突然に問いに秋良が「ん?」と答える。

分かっているのに明らかに、すっとぼけている時の顔だ。

 

「ですから、ご自身で禁止された八乙女様との接触を許可されるなど――」

 

すると、秋良はしれっとした顔で、

 

「“許可”はしてないなあ……私は“偶然”は仕方ないとしか言ってないよ?」

 

秋良のその言葉に、穂波が「はぁ……」と、溜息を洩らした。

それでは、許可したも同然ではないか。

 

そう突っ込みたいのに、秋良のその笑顔が突っ込ませてくれない。

 

2度目の溜息を洩らした後、穂波はやれやれと言う風に、

 

「相変わらず、あやねお嬢様には“甘い”ですね」

 

穂波のその言葉に、秋良は声を上げて笑い出した。

 

「ん? それは勿論、可愛い愛娘だからね」

 

それだけ言い残すと、そのまま階段を降りて行ったのだった。

 

 

 

 

 

 

 

   ****    ****

 

 

 

 

 

 

 

―――聖マリアナ音楽学院・第一音楽練習室

 

 

朝早くから、その部屋にはピアノの音が鳴り響いていた。

その音に惹かれて、はたまた中で引いている人物に惹かれてか、ドアの前には人だかりが出来ていた。

 

久しぶりに登校したので、練習室を使おうとあやねが管理人に尋ねると、第一音楽練習室は当面使用できないと言われた。

何故かと問うと、どうやら、例の映画の撮影で使うらしく、今も人だかりで凄い事になっているらしい。

 

使うなら、少し離れた別ルートからいける第五音楽練習室の方がいいと勧められた。

 

「映画……?」

 

そういえば、あの時あやねを迎えに来た運転手が映画の撮影がどうとか言っていて、中庭は通れないとかなんとか言っていたのを思い出す。

 

誰が出演するとか何も聞いてはないが……。

人だかりができるほどという事は、よっぽど人気のある俳優なのだろう。

 

そんな風に思いつつ、あまりそう言う事に詳しくないので、特に管理人に「誰か」とは問わなかった。

 

大回りすれば第一音楽練習室の前を通らずに第五音楽練習室にいける。

が、かなり回り道になる。

 

あやねは少し考えた後、

 

「大丈夫……よね」

 

そう思い、通常のルートで行くことにした。

 

角を曲がり練習室に向かう。

すると、予想以上に第一音楽練習室の前には人だかりが出来ていた。

 

女生徒が目立つと言えば目立つが、中には、男子生徒や講師までいた。

 

「……?」

 

そんなに有名な人なのだろうか。

 

という、素朴な疑問が浮かぶが、それはすぐに打ち消された。

 

「え……」

 

この、音……。

 

中から聞こえてくるピアノの音。

それは、あやねの知っている音だった。

 

まさか……。

 

聞き間違えるはずがない。

昨夜聞いた音と同じ。

 

「あ、あの、すみません。通していただけませんか?」

 

そう言って、なんとか人垣から第一音楽練習室の前までくる。

そして、小窓から見える演奏者を見た。

 

「……っ」

 

あ……。

 

間違いなかった。

そこにいたのは、ピアノを奏でる八乙女楽だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

まだまだ続く・・・・・・クラッシクの話www

いや、映画の話なのにな~~笑

 

新:2024.01.21

旧:2020.10.31