◆ 壱章 守護者 11
意識が遠く、沈んでいく――。遠い、とおい、記憶……。
赤い葉が舞う中、貴方と出逢った。
“紅”
私が付けた、貴方の名前。貴方は、いつもすまなさそうにしていたけれど、それでも私は、貴方を助けた事を後悔した事は、一度もない。でも、貴方は……。
すまなかった――と。
どうして、謝るのですか?
どうして、泣いているのですか?
貴方は――私と出逢ったことを“後悔”しているのですか……?
どうか、貴方が幸せでありますように。
どうか――
生きて。
ざああああああああ。
視界が赤く染まっていく。真っ赤な真っ赤な、「緋色」に染まる。
「……」
誰かの声が聞こえてくる。
「……沙綾」
大切な、大切なあの子の声が……。
「沙綾、起きたの?」
「……」
ゆっくりと菖蒲色の瞳を開けると、視界に自分と同じ顔の少女の姿があった。身体を起こそうとするが、ずきりと軋む様な痛みが走る。まるで、何かに酷く打ち付けた様な、鈍い痛み。
「……っ」
それでも、無理矢理に身体を起こそうとすると、そっと自分と同じ顔の少女が手を差し伸べてくれた。
「無理しないで? まだ慣れていないのだから――」
慣れる……? 何に?
彼女の、言う意味が理解出来ず、困惑した様に首を傾げた。すると、少女がくすっと笑みを零す。
「ねえ、沙綾。昨夜言った事覚えてるかしら?」
昨夜? 彼女はいったい何の話をしているのだろうか……。それにここは何処なの……?
見覚えのない部屋。見覚えのない調度品。そして、名前も解らない自分そっくりの「彼女」。頭が、混乱する。
と、その時だった。
「勿論、覚えているわ。沙耶」
口が――勝手にそう言っていた。私の口から、私の声で、私の知らない言葉を述べていた。違う。私ではない。これは、この身体の持ち主が話しているのだ。
でも、何故だろう。――この身体に違和感を覚えないのは……。まるで、最初から自分の身体の様な――そんな風に錯覚してしまう。
すると、目の前の少女が「よかった」と言って、一度 部屋の外に出てしまった。残されたのは、自分一人だけだった。思わず両の手を見る。その手には、微かに何か“力”の様な物がこびりついていた。
「……?」
思わず、首を傾げてしまう。それに――、何だろうか、何ともいえないこの“不快感”は。まるで、“いけない事”をした後の様な、罪悪感。そして、後悔。でも、これは仕方がない事なのだと、言い聞かせる自分の心が、身体の中で鬩ぎ合っている。
一体、何に対しての罪悪感で、後悔なのか。どうして、それが“仕方のない事”なのか……。
もう一度、自身の両の手を見た。瞬間――。
「……っ」
その手が真っ赤に染まっていた。赤い赤い“罪”の証に――。
「……ぁ……」
そうだ。私は、あれを先程まで……。
そう思った瞬間、知らず身体が震えた。また、まただ。と、自分が不甲斐ないばかりに、また―――。
「沙綾?」
名前を呼ばれて、慌ててはっとして顔を上げる。すると、先程の少女が不思議そうにこちらを見ていた。
「あ……さ、や……」
自分とそっくりのその少女は、こちらの様子を見て、やはり心配そうに、眉を下げた。
「やっぱり、今日はやめておいた方が……」
「……大丈夫。約束……でしょう?」
何を……? と、思うのに、口がやはり勝手に動く。すると、その少女はにこっと嬉しそうに微笑み、
「分かったわ。それなら――ねぇ、入って?」
そう言って、部屋の外に声を掛ける。すると、少しもしない内に御簾の向こうから美しい一人の青年が入って来た。長い銀の髪に、全てを見通す様な金の瞳の青年は、少女の隣に座ると、こちらを見た。その青年を見た瞬間、自分の瞳が大きく見開くのが分かった。
だが、目の前の少女は気付いた様子もなく、
「こうして会うのは初めて、よね? 改めて紹介するわ。彼は――」
―――幻灯火様……っ
「―――沙綾?」
はっと、瞬間的に意識が覚醒する。
「あ……」
気が付くと、沙綾は祐一の腕の中にいた。思わず、自分を抱きとめてくれている祐一を見てしまう。
今、のは……。
どくどくと、酷く心臓が脈打っている。緊張のあまり、掴んでくれている祐一の手を握ってしまう。すると、優しく祐一が握り返してくれた。
「……また、具合が悪いのか?」
そう、問いかける声音は、酷く優しくて……。ふと、顔を上げると、向こうから駆け寄って来ていた拓磨もいて、思わず、泣きたい気持ちになった。
「あの……、私はどのくらい……」
意識を飛ばしていたのかと、問おうとしたが、祐一が不思議そうに首を傾げた。
「……? 一瞬、よろけた様だが?」
「え……」
一瞬? あれが……? 酷く長い「夢」を見ていた気分なのに、一瞬……だ、なんて……。
沙綾は、信じられないものを見ている様な、気分だった。と、その時だった。突然、目の前の拓磨から、どすっ! と景気の良い音と共に、脳天に手刀が落とされた。
「……あの、鬼崎さん。痛いのですけれど……」
沙綾が、少し不服そうにそう声を上げると、拓磨は半分呆れたかのように溜息を付く。
「お前な、ちゃんと食ってんのか? それとも、寝不足か?」
「……」
それは……ちょっと酷いのではないだろうか。と、内心思ってしまうが、正直なところ、反論出来る余地が無いので、反論出来なかった。だから、沙綾は少し俯いて、
「すみません……ご迷惑を……」
そう謝罪の言葉を述べると、拓磨は少し驚いた様に、その瞳を見開いた後、ふいっとそっぽを向いて元居た方へと歩いて行ってしまった。そんな拓磨の背中を見て、沙綾が落ち込んでいると、祐一がぽんっと頭を撫でてくれる。
「……? 狐邑さ、ん……?」
沙綾が、不思議そうに顔を上げると、祐一はふっと笑みを浮かべ、
「……気にするな。拓磨はお前を心配しただけだ」
「あ……」
そういえば、意識が飛ばされる前、拓磨がこちらに名を呼びながら駆けよって来ていた事を思い出す。
また……心配、掛けてしまったんだわ……。
そう思うと、何だか申し訳ない気持ちになった。拓磨にも祐一にも心配を掛けてしまったという事実が、沙綾の中で少しずつ大きくなっていった。
「あの……、鬼崎さん、狐邑さん、その……申し訳――」
「“申し訳ございません”。は、聞かないからな」
「え?」
謝罪をしようと思ったのに、する前に拓磨によってばっさり斬られてしまった。言い掛けた言葉が宙に浮いてしまい、どうしていいのか分からなくなる。すると、祐一がくすっと笑みを浮かべながら、
「……沙綾。そういう時は、“ありがとう”でいいと思うぞ」
「え、あ……」
そう、いう、ものなのだろうか……?
沙綾は少し考えると、自分の足でしっかりと立つと、拓磨と祐一の二人に向かってすっと頭を下げた。
「あの……上手くは言えませんが、色々とご迷惑お掛けして、申し訳御座いません。それから――心配して下さって、ありがとうございます」
沙綾のその言葉に、祐一がふっと笑う。拓磨はというと、持ってきた紙袋から何かを取り出そうとしていたが、呆気に取られたかのように、ぽかんとした後、少し顔を赤らめて「おう……」とだけ答えた。そんな二人の温かさに、沙綾もほっとした様に笑う。
と、その時だった。
「何やってんだ? お前ら」
と、屋上へ続く扉が開いたかと思うと、麺の入ったパンを3つ抱えて、パックジュースを銜えた、真弘が現れた。
「あ、えっと……鴉取、さん……?」
「おう! 鴉取真弘先輩様だ!!」
背は小さいのに、声は人一倍大きかった。そんな真弘に、思わず沙綾が笑ってしまう。だが、真弘は気付いていないのか、「メシだメシー!」と言って、屋上の貯水槽の上に飛び上がると、そこで麺の入ったパンを頬張り始めた。
すると、それがいつもの定位置なのか、拓磨はフェンスに寄り掛かって、祐一は貯水槽の影に座ると、持ってきたお昼ご飯を食べ始める。沙綾は少し考えた後、影になっている貯水槽の所に行った。
「その、狐邑さん。お隣大丈夫でしょうか?」
一応、断りを入れてから、ハンカチを敷くとその上に座った。それから、美鶴が持たせてくれたランチトートから弁当を取り出す。すると中から可愛らしい弁当の包みと一緒に、おしぼりケースが出てきた。
一瞬、これはどうすれば? と、沙綾が首を傾げる。すると、祐一がそれで手を拭けばいいと教えてくれた。沙綾は「ありがとうございます」と礼を言ってから、おしぼりケースの中のおしぼりで手を拭く。そして、弁当の包みを開け、蓋も開けると、とても美味しそうな料理がぎゅっと詰まった弁当が姿を現した。
「言蔵さん……本当に、料理お上手なんですね」
思わず、そう沙綾が呟いた時だった。
「ほぉ、これが美鶴の弁当かー」
「お、このエビフライもーらい」
「俺は、このポテトサラダを頂こう」
と、何故かばらばらにいた筈の3人が集合して、真弘と祐一が弁当の中身をかすめ取っていった。沙綾はというと、その余りにも素早い行動に、唖然としてしまった。
「え、えっと……?」
いまいち、状況が読み込めないのか……沙綾が戸惑っていると、拓磨がぽつりと、
「昼は弱肉強食だ。自分のメシは自分で守れ」
と、訳の分からない事を言っていた。
とりあえず、沙綾は残っている弁当を食べる事にした。そっと箸でひじきの煮物を取ると、そのまま口に運ぶ。瞬間、口の中にしっかり味の染みたひじきと大豆・野菜が広がっていく。香りも香ばしく、とても良い香りがした。
「……っ。凄く美味しいです」
思わずそう声を洩らすと、何故か真弘が当然の様に、
「そりゃぁ、美鶴の料理だからな!」
と、さも自分の手柄の様に言う。そんな真弘に、拓磨が「何で、先輩が偉そうなんっスか」と、茶々を入れたのは言うまでもない。すると、祐一が隣りで金色の何かに包まれた米を食べながら、
「……真弘が偉そうなのはいつもの事だ」
と、答えた。すると、真弘が「なんだと、ゆういちぃ!!」と吠えたのは当然で、そんなやり取りを見て、以前の鍋の事を思い出し、沙綾は笑ってしまった。
ふと、拓磨が魚の形をした和菓子を食べながら、何か雑誌を見ているのが目に入った。よくよく見ると、それしか食べていない。
「……鬼崎さん? その……お昼ご飯は食べられないのですか?」
思わずそう聞いてしまうが、拓磨は「あ?」と声を洩らすと、
「今食ってるだろ?」
そう言って、また袋の中かがその和菓子を取り出し、口に運ぶ。どう見ても菓子なのに、拓磨はそれを昼だという。正直、何だかとても、食べ辛い。
「あの、鬼崎さん。言蔵さんがお作りになった物ですが、何か食べられますか?」
と、思わず自分の弁当を差し出してしまう。すると、それを見た拓磨が一瞬驚いたかのように、目を見開いた後、ぷはっと笑い出した。
「いいよ、お前はちゃんと食え。先輩たちにおかず取られてるだろうが」
「で、ですが……」
ここまで出した手前、何か取ってくれないと、引っ込みにくい。すると、それに気付いたのか、拓磨が「仕方ねえな」とぼやいて、ひょいっと野菜の肉詰めを取った。
「これ貰うぞ? ああ、代わりにこれやるよ」
そう言いながら、何故か拓磨が持っていた紙袋を渡されてしまった。「え」と沙綾がその菖蒲色の瞳を瞬かせる。それは拓磨が先程から食べていた、和菓子の入った袋だった。
「あ、あの……っ。これは鬼崎さんのお昼――なん、ですよね? 流石にこれを頂く訳には――」
「いいよ、最後の一個だし。それに、お前“たい焼き”食った事ねーだろ」
「たい、や、き……?」
初めて聞く単語に、思わず沙綾が首を傾げてしまう。すると、拓磨がとても自慢気にたい焼きについて力説し始めた。
「たい焼きはいいぞ。この小さな体に餡がぎっしり詰まった、画期的な食い物だからな。最近はカスタードとかキャラメルとかチョコとかもあるか、あれは邪道だな。たい焼きつったら、こし餡一択だろ!」
「は、はぁ……」
いまいち、拓磨が何を言っているのかさっぱり解らない。そんな沙綾に、拓磨がたい焼きをぐいぐい勧めてくる。
「いいから食ってみろって」
「……わ、分かりました」
沙綾は箸を置くと、そっと袋の中から“たい焼き”という物を取り出してみた。魚の形をした可愛らしいフォルムの和菓子が姿を現す。
これは……何処から食べればいいのかしら……。
そんな風に思いつつ、尻尾の先を手でちぎって口に運ぶ。瞬間、口の中に餡の甘みが広がるのと同時に、包んである柔らかな皮の旨味が合わさる。
「美味しい、です、ね……」
思わずそう零すと、拓磨は「だろ?」と、得意気に頷いた。その様子が、きらきらした少年の様で、沙綾は思わず笑ってしまった。すると、そのやり取りを見ていた祐一が、すっと何故か持っている金色の何かに包まれた米を一つ差し出してきた。
「俺のもやろう。これはいなり寿司だ」
「いなり、寿司……?」
「そうだ。袋状に開いた油揚げを甘く煮付けた物に、具材を煮込んで混ぜた寿司飯を詰めたものだ。食べて見るといい」
「あ、は、はい……」
拓磨のたい焼きを一口食べた手前、こちらも食べない訳にはいかなかった。弁当の蓋の上にいなり寿司を置くと、箸で切って口に運ぶ。
「……っ、美味しい……」
それは、油揚げの甘さと、寿司飯の酸味が程よく合わさっていて、とても美味しかった。
その時だった。
「なんだ、なんだぁ~こいつの餌付けか?!」
と、貯水槽の上でパンを貪っていた真弘がひょっこり降りてくる。そして、沙綾の前に広げられた、たい焼きといなり寿司を見て悟ったのか、「ちっ、しゃーねえなぁ。俺のもやるよ。ん」と、何故か食べかけのパンを差し出された。
「あ、いえ、その大丈夫ですので――」
と、沙綾が断ろうとしたが、真弘が「あーん?」と顔を顰める。
「俺様の焼きそばパンが食えねぇってのか? 拓磨と祐一のは食ったのに!?」
と、痛い所を突かれた。それでも……。
「あ、その……もう、お腹が一杯ですので……」
嘘は言っていない。あれもこれも勧められたので、正直もう限界に近かったのだ。それに、食べ掛けはちょっと、ご遠慮願いたい。すると、不服そうだが納得したのか、真弘が「仕方ねぇなぁ」と、ぱくっと差し出していた焼きそばパンとやらを食べた。
「焼きそばパンの美味さが体感出来ねぇとは、沙綾。お前、絶対損してるぜ!」
「美味しさ……ですか?」
そう返すと、真弘はふふんっと自信満々に、
「おうよ! この焼きそばとパンの絶妙なコラボレーション!! 思いついたやつは最高だぜ!!」
真弘がそう言うと、何だかとても美味しそうな品に思えてくるから不思議である。と、そこへ拓磨と祐一の鋭い突っ込みが入った。
「炭水化物 in 炭水化物っスけどね」
「……俺は、嫌だ。遠慮しておこう」
そう言う二人に、真弘が「んだとぉ―――!!?」と叫んでいたのは言うまでもない。沙綾は、小さく息を吐くと、天を仰いだ。空は澄んでいて、綺麗な秋晴れだった。視界に入る周りの赤い葉がとても美しく――。
―――どくんっ。
「……っ」
また先程と同じ様に、視界に入った赤い景色が揺れた様に見えた。ぐにゃりと歪み、赤から見た事の無い色へと変わる。
「……は……っ」
心臓が何かに鷲掴みされた様な――そんな感覚を覚える。その時だった。突然、辺り一帯がびきびきびき……っ、と何かに覆われたかのように、固まったのだ。そう――まるで、硝子のドームの様なものに閉じ込められたかのような感覚。赤かった世界が黒く――夜の世界へと変わっていく。
な、にが……。
起きているのか。沙綾には解らなかった。周りを見るが、拓磨も祐一も真弘も誰もいない。その夜の庭園にいるのは、沙綾一人だけだった。
「……」
混乱……していたのかもしれない。でも、それは間違いなく、沙綾だけを狙っている様だった。何故、と思うが、理由が見つからない。
庭園の中で白い大きな花が咲いている。その花から特有の香りが漂っていた。すると、屋上の筈なのに、出現した青々と茂る庭園の中から、こつ……こつ……と、小さな足音が聞こえた。沙綾がはっとしてそちらを見ると――。
そこには、十歳ぐらいだろうか。蒼い瞳に金の髪の、赤いリボンを付けた、幼い少女が立っていた。だが、その表情は年齢に似つかわしくないほど、大人びていた。
「……どなた、です、か?」
沙綾が息を吞み、そう尋ねると、少女は一度だけその蒼い瞳を瞬かせた後、小さな声で尋ねて来た。
「お前は“シビル”か? それとも――」
「――“ヘクセ”か?」 ―――と
続
単なる、好物の説明会だw
前:無し
※改:2024.09.05