◆ 第壱幕 雨の音5
――――これは“夢”だと気づいたのは、いつの頃だったか・・・・・・
いつもこの“夢”出てくる紫紺の瞳をした青年
彼は手にいつも不気味な面を持っていた
だめだ、と
あれを付けては駄目だと、何かが警告してくる
でも、彼は――――・・・・・・
だめえええええええ!!!!
そう叫ぶのに
どんなに叫んでも“彼”には届かない――――
走って行って、その手を押さえたいのに
それもままならない
足がまるで、茨に絡まったかのように上手く動かない
必死で手を伸ばすも 届かない
どうして
どうして“彼”が・・・・・・
“彼”が“死ななくてはいけないの”―――――っ!!!!
菫色の瞳から涙が零れ落ちた
いやだ・・・・・・
“彼”が死ぬなんて、いやだ
「い、や・・・・・・」
―――――いやあああああああああ!!!!!
はっと、美月が目を覚ました
思わずがばっと起き上がり辺りを見渡す
何度見ても見慣れない調度品
電気も無い
高灯台に灯った微かな火が、ゆらゆらと揺れている
「あ・・・・・・」
それで思い出した
ここは、“私のいた世界ではない”という事を
「・・・・・・・・・・・・」
どうして――――私はまだここにいるんだろうか・・・・・・
やるせなくて、逃げる様にこの土御門の屋敷から逃げ出したのに
気付けば、連れ戻されていた
名前も、元の世界の場所も分からず
ただただ、流されるままに結局この屋敷に戻って来た
美月はそっと、胸元に仕舞っていたあの香り袋を取り出した
その香りが、どこか優しく心を落ち着かせてくれた
「・・・薫衣草の香り・・・・・・」
初めて聞く名前なのに、何故かこの香りを知っている気がした
だが、それが何なのか思い出せない――――・・・・・・
ふと、衣桁にかけてある、薄衣が目に入った
あの日――――“彼”が美月に掛けてくれたものだ
「・・・・・・・・・・・・」
美月は、立ち上がるとそっとその薄衣に触れた
やっぱり・・・・・・
その薄衣からは、この香り袋と同じ薫衣草の香りがした
でも、どうして・・・・・・?
これを美月に渡した友雅は珍しい香りだと言っていた
それを、衣に焚いている彼は――――
これは、偶然なのだろうか?
それとも、この香り袋と彼は関係あるのだろうか・・・・・・?
「・・・どこに、いるのかな・・・・・・」
知らず、ぽつりとそう呟いていた
その時だった
り――――――ん・・・・・・
何処からともなく、鈴の音が聞こえてきた
「え・・・・・・?」
美月が辺りを見回す
「・・・・・・・・・・・・」
気の、せ、い・・・・・・?
でも、今確かに鈴の音が聞こえた気が――――
そう思った時だった
すると、また
り―――――ん・・・・・・
今度ははっきりと聞こえた
ま、さか――――・・・・・・
美月は、衣桁にかけてある薄衣を取ると、慌てて部屋の外に出た
廊下に出て辺りを見渡す
しかし――――・・・・・・
誰も、いな、い・・・・・・?
やっぱり気のせいだった?
そんな不安が募ってくる
でも――――・・・・・・
知らず、美月は駆けだしていた
あの鈴の音が聞こえる時
いつも“彼”の存在が近くにあった
という事は、今もこの近くに―――――・・・・・・
そう思って、屋敷の門に向かって駆けだす
その時だった
「馨殿?」
不意に、聞き覚えのある声が聞こえてきた
はっとして、降りかえるとあの藤姫とあかねに仕えているという、武士団の源頼久という人がこちらに向かって来ていた
駄目・・・・・・
今、彼に捕まったらきっと連れ戻される・・・・・・っ
そう思った瞬間、美月は頼久を無視して門に向かって駆けだした
「――――馨殿!! 衛兵! 馨殿をお止めするんだ!!!」
言われた門番が「え?」という様な顔をする
刹那、突然 ばんっ!!! という音と共に突風が吹いた
まるで、美月を助けるかのようにその風で門が開く
「――――っ」
美月はその瞬間を見逃さなかった
「――――ごめんなさいっ」
頼久に向かってそう叫ぶと、美月はそのまま風の吹き荒れる門の外へと飛び出した
「馨殿ぉ!!!」
遠くで、頼久の声が聞こえた気がした
でも、迷っている暇はなかった
今、この瞬間を逃せばきっともう、出られない・・・・・・っ
そう思ったら、身体が勝手に動いた
“彼”に逢えるかもしれない――――
そんな想いが美月の身体を動かした
瞬間――――目の前がふわりと揺れた
その先にいたのは――――
「あ・・・・・・」
そこには、紫紺の瞳の青年が立っていた
じっと美月を見つめ、そっとその手を差し出した
まるで、一緒に行こう とでもいう風に
「――――いけません、馨殿!!!」
頼久の声が遠くに聞こえる
一度だけ、振り返ると――――頼久がそれ以上進めないのか・・・・・・
こちらに向かって手を伸ばしていた
「・・・・・・頼久様・・・。 あかね様と、藤姫様に“申し訳ございません”と、お伝えください」
それだけ言うと、美月はそっと目の前の青年の手を取った
「・・・・・・行きましょう」
美月が彼にそう言うと、彼は微かに笑って小さく頷いた
瞬間、ごおっ! っと、突風が吹き荒れた
「・・・・・・っ、行ってはなりません! 馨殿!!」
頼久が決死の想いで美月の方に手を伸ばす
しかし、その手は無情にも空を切った
そこには、美月もあの青年も誰もいなかったのだ
「馨殿・・・・・・っ」
――――お護り出来なかったっ!!
ぎりっと、頼久が拳を握りしめた
彼女と一緒にいた青年
あれは、誰だ・・・・・・?
見るからに美しい面持ちの青年で、どうみても貴族のようだった
だが、頼久の知る貴族の中に彼の様な目立つものはいなかった
では、何者だ・・・・・・?
と、その時だった
「こんな時分に何事ですか? 頼久」
はっと振り替えると、侍女を連れた藤姫がこちらへ歩いてきていた
ざっと、慌てて頼久や他の者が膝をつき頭を下げる
「・・・・・・・・・・っ、申し訳ございませんっ」
頼久は、今の出来事を言うか言うまいか迷っていた
しかし、嘘の下手な自分が誤魔化してもきっと藤姫には見抜かれる――――
黙ったままの頼久に、藤姫が一瞥をしただけですべて悟ったかのように
「馨殿に、なにかあったのですね?」
「そ、れは・・・・・・」
どう説明したらいいのか
あまりにも不可解過ぎて、どう釈明すべきか迷った
だが、それも全て藤姫にはお見通しなのか・・・・・・
小さく息を吐くと
「明朝、八葉と神子様に集まる様に伝えてください」
「――――はっ」
それだけ告げると、藤姫が踵をかえす
ふと、一瞬その足を止めて、頼久を見ると
「頼久、あまりご自分を責めない事です。 それは貴方の悪い癖ですよ」
それだけ言うと、そのまま部屋の方へと戻って行った
本当ならば、護衛として付いていかなくてはならないのに、頼久の身体は動かなかった
否、動けなかった
◆ ◆
ぴちゃ――――ん
水の滴る音が響く
「ん・・・・・・」
美月がゆっくりと目を覚ますと、いつの間に来たのか
そこは、荒れた寺の様な場所だった
「ここは・・・・・・」
確かにあの時、土御門の門の外で彼の手を取った
だが、どうやってここに来たのか記憶がはっきりしない
辺りを見渡しても、彼の姿はなかった
ふと、自分に掛けられているあの薄衣に手が当たった
「あ・・・・・・」
よかった・・・・・・
もし、これを失えば彼とのつながりが無くなってしまう様な――――
そんな気がしたからだ
でも・・・・・・
「どこに、行ったのかしら・・・・・・」
確かに、彼の手に触れた感触は今でも残っている
それなのに、彼の温もりを感じられないでいた
「名前・・・・・・聞きたい、な」
自分の名前すら思い出せなくて名乗れないのに、彼の名前が知りたいなどとおこがましいだろうか
それでも、知りたかった
ずっと、ずっと昔から――――聞きたかった
『貴方様の名前はなんというのですか?』 と
そこまで考えてふとある事に気付いた
「ずっと・・・・・・?」
そう、何故自分は今「ずっと」と思ったのか
自分の名前も、住んでいた場所も何もかも思い出せないのに
彼の事だけは、夢でだけの接点だったが覚えていた
「私の、なま、え、は――――」
その時だった
ふわっと、あの薫衣草の香りがした
はっとして起き上がると、美月はその古寺の戸を開けた
瞬間――――
「あ・・・・・・」
そこには、彼がいた
月明かりに照らされる中、優雅に美しい舞を舞っていた
「・・・綺麗・・・・・・」
思わず、そう声を洩らしてしまう程、青年の舞は美しかった
目を奪われる
彼から目を離すことが出来なくなる――――
それほど、彼の舞は美しく
言葉では言い表せないほど綺麗だった
彼の周りの空間だけがまるで別世界の様な
そんな雰囲気を纏っていた
ふと、青年がこちらを見た
「・・・・・・・・・・・・っ」
美月の心臓が跳ねたのが自分でもわかった
あ・・・・・・
青年が舞扇をたたむと、そっと美月に近づいていきた
じっと、美月を見つめるように見るその神秘的な紫紺の瞳から目が離せない
「あ、の・・・・・・」
美月が勇気を出して言葉を発しようとした時、ふぃに青年がすっと美月の方に手を伸ばしてきた
え・・・・・・?
最初その意図が分からず、美月が首を傾げる
一瞬、少し躊躇ったが・・・・・・もしかしたら彼に近づけるかもしれない――――
そんな想いが美月を動かした
そっと、青年の手に自身の手を乗せる
瞬間、ふわっと身体が浮いたような感覚に捕らわれた
「あ・・・・・・」
気が付けば、青年の腕の中にいた
「・・・・・・・・・・・・っ」
余りにも突然の展開に、美月がかぁっと頬を赤く染める
だが、不思議と嫌な気持ちにはならなかった
「名を――――」
ふいに、青年が美月をその紫紺の瞳で見つめながら口を開いた
「え・・・・・・?」
「そなたの、名は・・・・・・」
「あ・・・・・・」
名前を聞かれているのだという事に、数分を要した
そして、自分ですら思い出せない名前を必死に探した
「・・・・・・私の、名前・・・・・・・・・」
私の、なまえ は――――・・・・・・
「・・・・・・美月・・・。 蓮上美月、です」
あれだけ思いだせなかった自分の名前が、まるで封印の鍵を開けられたかのようにすんなりと出てきた
そうだわ・・・・・・
私は蓮上家の跡取りとして――――あの日も舞のお稽古に・・・・・・
お稽古に行って、それから・・・・・・
脳裏に今までどんなに頑張ても思い出せなかった過去が徐々に浮かんでくる
爆発が合って、それで死んだものだと思っていたら・・・・・・
――――この世界にいた
ざあああああ と、風が吹いた
美月の美しい漆黒の髪が揺れる
そっと、青年の手が美月の髪を撫でた
そして微かに笑みを浮かべ
「美月・・・・・・やっと――――」
その時だった
突然、周りの空気が一変した
「え・・・・・・?!」
まるで、淀んだ空気の中にいる様な
気持ちが押しつぶされそうな感覚に捕らわれる
はっとして彼を見ると、彼は自身の左頬を押さえてよろめいていた
「あ、あの・・・・・・大丈――――「くるな・・・・・・っ!!!」
駆け寄ろうとした美月の足が思わず止まる
「く・・・・・・っ、あ、ああ・・・・・・っ」
青年が苦しそうに左頬を押さえながらうごめいた
見ると、青年の手の隙間から赤い紋様の様なものが見えた
な、に・・・・・・?
それが美月には何なのかは、わからなかった
分からなかったけれど―――――
「――――や、やめてええええ!!!」
そう叫ぶと同時に、青年にしがみ付いた
「・・・・・・っ、だめ、だ・・・、離れ―――――」
青年が苦しそうにそう言う
でも、放っておくなど美月に出来る筈がなかった
「お願い! 彼を苦しめないで・・・・・・っ!!」
誰に言う訳でもない
それでも、美月は叫んだ
瞬間――――
すうぅっと、青年の左頬の紋様が消えていった
「・・・・・・っあ」
がくっと、青年が力なくその場に崩れ落ちる
「あ・・・・・・っ!」
美月が慌てて青年を支えようとしたが、支えきれずにそのまま倒れそうになる
が、寸前の所で青年がその手で木を掴んで踏ん張った
何とか倒れずに済んだものの、少し気を許すとそのまま倒れそうだった
「香り、が―――――」
「え・・・・・・」
香り・・・・・・?
言われて、胸元に仕舞っていた香り袋を思い出す
「あの、これ・・・・・・ですか?」
そう言って、おずおずとその香り袋を青年に見せた
瞬間、青年の紫紺の瞳が大きく見開かれる
「ああ、やはりそなたが・・・私の――――・・・・・・」
そこまで言いかけて、青年がそのまま意識を手放したのだった
続
さてさて、そろそろサクサク行きますよ~笑
2023.02.12