雪華の願い 挿話 
       ~百花の魁~

 

 夢の始まり 1

 

 

気が付けば、山の中

一面真っ白な雪景色だった

 

「え……?」

 

一瞬、自分の置かれている状況が理解出来ず、少女はその紅梅色の瞳を二度三度と瞬かせた

見間違いかと思い、目を擦ってみる

しかし、何度やっても目の前に広がるのは真っ白な雪・雪・雪だった

 

おかしいわ……

 

そう―――おかしかった

 

自分はつい先ほどまで桜舞い散る並木道を学校に向かって歩いていたのだ

頬を撫でるそよ風が気持ちよくて、自然と笑みが浮かんでくるような桜並木を――――

 

そうしたら、急に突風が吹いて――――鈴の音が……

 

そうだ

鈴の音が聴こえたのだ

 

そう思った瞬間、世界が暗転した

 

最後に聴こえたのは――――……

 

「……み、こ……?」

 

そう呼ばれた気がした

誰かは分からない

分からないが―――――誰かが自分の事を「みこ」と呼んだ

 

そして、遠くで鈴の音がずっと聴こえていた

 

瞬間、冷やりとした感触が手のひらに伝わって来て思わず手を引っ込める

 

「あ……」

 

そうか…雪…だもの、ね……

 

冷たい筈だ

素手で雪に触れたのだ

そう思うと、全身に寒気が走った

 

それもそうだ

完全に春仕様の制服姿なのだ

当然、雪対策のコートもマフラーも手袋も無い

薄着のまま雪の中に放り込まれたのも同然だった

 

凍える手を温める様に、両手に息を吐くとその息が白く曇った

両の手で腕を摩りながら立ち上がる

 

瞬間、ザァ…と肌に刺す様な冷たい風が襲ってきた

 

「……………っ」

 

思わず、身を縮こませる

顔に掛かった自身の長い漆黒の髪を手で避けると、空を仰いだ

 

雪が空から深々と降って来ていた

止む気配はまるでない

 

「どう、し、よう……」

 

右を見ても左を見ても、雪景色

どちらに行けばいいのか

いや、そもそもここは何処なのか……

 

完全に途方に暮れていた時だった

 

突然、背後でドサッという大きな音が聴こえて来て、少女はびくっと肩を震わせ

ドクン…ドクン…と、心臓の音が速くなる

 

恐る恐る振り返ると、木の枝に掛かっていた雪が落ちただけだった

ただそれだけの事なのに、心臓が未だにバクバクいっている

 

だが、シン…と静まり返った雪景色は、それだけで恐怖の対象にしか見えなかった

思わず、後退さった時だった

 

 

――――リン……

 

 

突然、鈴の音が聴こえたと思った瞬間――――……

 

 

グルルルルルルル

 

 

後方から、今一番聴きたくない様な鳴き声が聴こえてきた

“それら”を見た瞬間、少女の紅梅色の瞳が大きく見開かれた

 

「あ……」

 

ザク……

 

グルルルルルル

  グルルルルルルル……

 

そこには、狼の様な姿をした“化け物”がいたのだ

一匹だけではない

二匹、三匹と後ろからどんどん現れてくる

 

「……………っ」

 

明らかに自分に狙いを定めている様なギラギラした目がこちらを見ていた

 

逃げなくては―――――……

 

本能的にそう思うが、恐怖のあまり身体が動かない

ガタガタと震え、手も足もいう事を聞かない

 

その時だった「ガウゥ!!」という鳴き声と共に“化け物“が少女に襲い掛かって来た

 

「きゃあ!!」

 

来る―――――!!

そう思った瞬間、避け様と身体を無理に動かしたせいか足が縺れる

そのまま、ドサッと雪の中に身体ごと倒れ込んだ

 

ひんやりとした感触が全身に伝わって来るが、今はそれよりも恐怖の方が勝っていた

 

 

グルルルルルルル……

 

 

一歩 また一歩と “化け物”が近づいてくる

 

「あ…あ………」

 

ガタガタと全身が震える

言葉を発する事もままならない

 

誰か………

 

 誰か………っ

 

泣きたくなるのを必死に堪えて、少女は心の中でそう叫んだ

 

グルルルルルル……

 

今後こそ、“化け物”が少女に狙いを定めて足をガリガリとしはじめた
全員で襲ってくる気なのだ

 

ああ―――――

 

今度こそ駄目だ

そう思い、ぎゅっと瞼を閉じた時だった

 

 

 

 

 

 

      “―――――桃樺!!!!!”

 

 

 

 

 

 

「え………?」

 

誰かに名を呼ばれた気がした

瞬間――――――

 

 

 

 

「避けろ!!!」

 

 

 

 

 

今度こそ本当に誰かの声が聴こえてきた

そう思った瞬間、ヒュン…!と小石が飛んできた

それを見た少女――――桃樺は慌てて身を低くした

 

小石は桃樺の上を越えるとそのまま、“化け物”の方めがけて飛んで行った

 

あんな、小石で何を――――――

 

そう思った時だった

 

 

ドサドサドサ!!!!

 

 

 

 

“化け物”の上に突然雪の山が落ちてきたのだ

 

「ギャウ!!」

 

突然の出来事に対応出来なかったのか

“化け物”が雪で身動き取れなくて、暴れ出す

 

「あ………」

 

そうか

あの小石で、上の木の枝の雪を落としたのね―――――……

 

そんな事、恐怖しか無かった桃樺には思いつきもしなかった

その時だった、不意にぐいっと腕を掴まれた

 

はっとして振り返ると、漆黒の髪の少し桃樺よりも年上の青年がそこには立っていた

 

「立てるか?」

 

「え……?」

 

一瞬、言われている意味が分からず、桃樺が首を傾げる

桃樺の反応に、青年は急かす様にくいっと顎をしゃくって

 

「ここを直ぐに離れないと、あいつらが直に這い出てくる」

 

言われて、はっと雪の埋もれている筈の“化け物”達の方を見た

もがく足が徐々に露わになって来ている

 

確かに、彼の言う通り時間の問題だった

 

慌てて立とうと桃樺が足に力を入れるが―――――……

 

「…………っ」

 

ズキン…と右の足首に痛みが走った

恐らく先程転んだ時に捻ったのだ

 

桃樺は青年に知られまいと気付かぬ振りをして立ち上がろうとした

だが、上手く立つ事が出来ずよろめいてしまう

 

「危ない!」

 

今にも倒れそうになった瞬間、青年の大きな腕に抱え込まれた

 

「あ………」

 

「一体何をして――――足を怪我しているのか?」

 

青年が桃樺の異変に気づき、小さく溜息を付いた

 

ああ…呆れられてしまったわ……

桃樺が小さくうな垂れた時だった

 

「仕方ないな」

 

青年がそう言った瞬間―――――

 

「え……っ!?」

 

突然、身体が宙に浮いたかと思うと、青年が桃樺を横抱きに抱き上げていたのだ

慌てたのは桃樺だ

 

「あ、ああ、あの……っ」

 

顔を真っ赤にさせ、口をぱくぱくさせる

しかし、青年はしれっとしたまま平然と桃樺を抱いたまま

 

「ここに居ては、奴らを足止めした意味がないからな」

 

「で、ですが……っ」

 

男の人に抱かれた事など無く、桃樺は顔を真っ赤にさせて俯いた

青年は、桃樺の言葉など無視する様にスタスタと歩き始めた

 

恥ずかしさで顔が上げられない

結局、桃樺はされるがままにその青年に身体を預けるしかなかったのだった

 

 

 

 

 

 

 

 

 

****   *****

 

 

 

 

 

 

 

 

 

山を下りて麓の村に辿り着くと、ようやく青年の腕から解放された

トンッっと茶屋の縁側に座らされほっと一息つく

 

青年は、小さく息を吐きながら辺りを見渡していた

 

「…………何処に行ったんだ、あいつらは」

 

などと言いながら、しゃがみ込むと桃樺の足に手を伸ばした

ぎょっとしたのは、桃樺だ

 

それもその筈である

見知らぬ男性に突然足を触られそうになったのだ

慌てて右足を引っ込めようとした瞬間、ずきり…と足首が痛んだ

 

「……………っ」

 

激しい激痛が走り、よろめきそうになる

だが、そこはなんとか耐える

これ以上この人に迷惑を掛ける訳にはいかなかった

 

ずきずきと痛む足首を青年はぐっと強く掴んだ

 

「痛……っ」

 

ずきんっと激痛が走り、思わず桃樺は顔を顰めた

その反応で分かったのか、青年は「ああ……」と、小さく声を上げた後

 

「これは酷く捻ってる様だな……」

 

そう言って、ふむ…と考え出した

 

「………………」

 

桃樺にはどうしても気になる事が一つあった

普通ならあり得ない“それ”は、明らかに異質だった

 

「あの……」

 

たまらず青年に尋ねようと声を掛けた時だった

 

「あ―――――高杉!! こんな所にいた!!」

 

突然、村の奥から青年と同じぐらいの年の青年たちが二人歩いて来た

 

「久坂、桂」

 

高杉と呼ばれた青年は、二人を認識するとそう声を掛けて「丁度いい所に」と言った

 

「高杉!! お前、一体どこまで行ってたんだよ!!」

 

久坂と呼ばれた青年が怒りながらそう言うと、高杉と呼ばれた青年はしれっとして「山」と答えた

その言葉に、久坂が更に怒りをあらわにする

 

「山って、お前なぁ!! って…誰? この子」

 

怒鳴りかけていた久坂は、桃樺を認識するとその目を瞬きさせながら高杉に尋ねた

すると、高杉はやはりしれっとしたまま

 

「山で怨霊に襲われていたんだ。 足を捻ってる」

 

おん…りょ、う……?

 

聞いた事のない言葉に桃樺は首を傾げた

 

“おんりょう“とは、何の事だろうか…?

あの“化け物”の事を指しているのだろうか……

 

そう考えあぐねている時だった

それまで話を聞いていただけの桂と呼ばれた青年が「はぁー」と大きな溜息を付いた

 

「高杉、久坂、怪我した女性を放っておいて言い争いですか? 感心しませんね」

 

そう言って、桂と呼ばれた青年がすっと桃樺の前にしゃがみ込む

 

「お嬢さん、足は大丈夫ですか? 拝見しても?」

 

「え……あ、はい」

 

そう丁寧に尋ねられると断る訳にもいかず、桃樺はこくりと頷いた

すっと、桂が桃樺の右足首に触れる

 

「……………っ」

 

ぴりっと足首に痛みが走った

 

「ああ…これはまた随分と酷く捻りましたね…痛かったでしょう? ここまで下りてくるのは大変ではありませんでしたか?」

 

「え、あ、その……」

 

思わず、高杉という青年の方を見る

それはあの青年に抱きかかえられていたので何ともなかったのだが…

流石にそれを自分の口から言うのは憚れた

 

すると、高杉という青年は「ふむ」と小さく頷くと

 

「じゃぁ、後は任せたからな」

 

「お、おい、高杉!?」

 

久坂が止めるのも聞かずに、高杉という青年はスタスタと何処かへ歩いて行ってしまった

 

「ったく、あいつは!!」

 

相変わらずという風に、久坂が怒り

それを桂が笑っていた

どうやら、それがいつもの風景らしい

 

桃樺は、去って行く高杉の背中をずっと見つめていた

 

高杉さん…っていうのね……

 

何だか、不思議と気になる青年だった

ずっと、そうやって高杉の背を見ていたからだろうか、桂がくすりと笑って

 

「…高杉が気になりますか? お嬢さん」

 

「え…!?」

 

突然投げかけられた言葉に、桃樺が かぁ…っ と頬を赤く染める

 

そして、慌てた様に首を左右に振りながら

 

「あ、いえ、あの、その……ど、どうして目隠ししたままのなかと……っ!」

 

苦し紛れの言い訳だった

いや、これも気になっていた事のひとつだが…

 

そうなのだ

あの高杉という青年、ずっと白い手巾で目隠ししたままだったのだ

 

それで察してくれたのか

桂は「ああ…」と、小さく返事をすると

 

「…人の気配を探る鍛錬だそうですよ」

 

そう言って、くすりと笑って見せた

 

「た、鍛錬……? ですか」

 

何の為に? とか

どうして? とか

色々気になったが、それ以上聞いたら逆に突っ込まれそうで、桃樺はそのまま苦笑いを浮かべるしかなかった

 

すると、それを察してか察してないのか久坂が

 

「いっつもだよな、あいつ。 あれで本当に鍛錬になってるんだか…」

 

などと言いながら、むぅっと頬を膨らませた

 

人の気配が読める様になれば、効果はあるかもしれないが…

別に意味で危険なので、余りおすすめは出来ない気がした

 

が、桃樺がそれを出逢って間もない人に口出す訳にもいかず

結局そのまま押し黙ってしまった

 

すると、久坂が場を和ませようと桃樺の前に来るとにっこりと微笑んだ

 

「私は久坂と言うんだ。 君の名前聞いてもいいかな?」

 

「え……?」

 

一瞬、問われる意味が分からず、桃樺がその大きな紅梅色の瞳を瞬かせる

 

すると、久坂は桂の方を指さし

 

「こっちは、桂。 で、さっきのぶっきらぼうなのが高杉って言うんだ。 君の名前は?」

 

「え…あ……葛錐、桃樺……です」

 

桃樺がそう答えると、久坂は嬉しそうに微笑みながら

 

「へぇ~桃樺ちゃんか! いい名前だね」

 

そう言って高杉の去った方を見た

そして、にまにま笑みを浮かべながら

 

「高杉の奴、馬鹿だなぁ……」

 

と呟いていたが、それが何を意味するのか桃樺には分からなかった

 

「所で葛錐君、君の家は何処かな…? 良ければ送っていくが……」

 

ふと、桂がそう提案してきた

だが、桃樺はそれに答える事が出来なかった

 

「……………」

 

何故なら、きっとここ家は無い

自分がいた場所とは全然違う場所なのは明らかだった

 

季節も違うなんて……

日本…なの、よ、ね……?

 

そう思い、辺りを見渡す

見慣れない建物

ずっと昔の――――そう、テレビや映画で見る様な昔の時代風の木造の建物ばかり

いや、それだけじゃない

道行く人も、目の前にいる彼らもそうだ

彼等の着ている服装は、着物…の類になるのではないだろうか……?

とても、自分が着ている服とは似ても似つかないものだった

 

何故、自分がここにいるのか

そもそも、ここは何処なのか……

 

それすらも、今の桃樺には分からなかった

 

黙りこくってしまった桃樺に、桂と久坂が顔を見合わせる

 

「……とりあえず、足の手当てもしないといけないしな…、松陰先生の所にでも連れて行こう」

 

「松陰…せんせ、い……?」

 

桃樺がそう反応を返すと、桂がにこっと微笑んだ

 

「ああ、私が師事している松下村塾の先生なんだ。 と言っても、私は塾生ではないけどね。 医学にも精通しているし、足の手当ても出来る。 それに君の問いにも答えてくれると思うよ?」

 

松下村塾…?

 

「え………」

 

その言葉に、桃樺はその紅梅色の瞳を大きく見開いた

その名前には聞き覚えがあった

 

松下村塾といえば、幕末後期に長州の萩で開かれていた村塾だ

尊王攘夷を掲げて京都で活動した者や、明治維新で新政府に関わる人間を多く輩出している有名な塾である

 

それが今存在している…?

 

いや、桃樺の時代にも松下村塾としてではないが、跡地はある

確か、山口県の萩市の松陰神社の境内に修復された当時の建物がある筈だ

 

彼らはその事を指しているのだろうか…?

 

でも……

今、“松陰先生”と……

 

まさか、“松陰先生”とは吉田松陰…?の事…だろうか

では、ここは江戸後期…動乱の幕末時代―――――?

 

そこまで考えて、桃樺はかぶりを振った

 

まさか、そんな筈

映画や小説などではよくあるが、昔の時代に飛ばされるとか…現実的にあり得な

 

そうよ…ある筈――――な、い

 

「………………」

 

ますます、黙りこくってしまった桃樺に桂も久坂も困り果ててしまった時だった

 

「おや、桂君どうしたんだい?」

 

不意に優しげな男の声が頭上から降って来た

 

「あ、松陰先生」

 

桂の声に、桃樺がはっとして顔を上げる

そこに丸眼鏡に優しげな面影をした男の人がにっこりと微笑んで立っていたのだった

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 続

 

 

本来、一番最初に来るであろう話です

実は、高杉とは最初に出逢っていましたww

という、話

 

でも目隠しってお前www

 

しかも、続くらしいよー

 

2015/05/01