黒き礎 白の姫神子

 

 壱章 千の姫 2

 

 

3年半前・12月―――――

 

「はぁ…はぁ…はぁ……」

 

明日菜は息を切らせながら、走っていた

無我夢中だった

 

着ていた制服は乱れ、至る所に切り傷が見える

足はもう棒の様に重く、それを何とか動かしている といった状態だった

頭の中はぐちゃぐちゃで、最早何が起こっているのかすら理解出来ない

 

「はぁ……っ…はぁ……はぁ…」

 

結んでいた髪は解け、もう、めちゃくちゃだった

額から汗が流れ落ちる

 

誰か……

 

助けを求め様にも、誰も見向きもしない

皆、係わり合いにならぬ様によ、目を逸らす

 

もう―――― 一体、何が起こったのか……

 

つい、さっきまで友達と一緒に学校から帰っていたのに

 

気が付けば、自分1人 ここに放り出されていた

この場所は、明日菜の知っている場所とはかけ離れていた

 

映画のセットの様な、知らない街並み

着物を身に纏い行き交う人々

そして、自分を異質な者と捕らえる様な不審がる視線

 

「なん、なの……ここ」

 

最初は自分の目を疑った

夢でも見ているんじゃないかと思った

 

でも、違った

 

感じる痛みも、この苦しさも全て本物だった

 

ただ、もう、自分の置かれている状況が理解出来ない――――

 

「やだ……夢、だよ…ね?」

 

何度もそう自分に言い聞かせた

でも、返って来た言葉は違った

 

「ここは、京だよ」

 

1人の子供が教えてくれた

その子に、詳しく聞こうとしたが、慌てて出てきた、母親に連れられて何処かへ行ってしまった

他の人に聞きたくとも、皆、目すら合わせてくれない

 

京?京って何?

 

京都―――と、言ってしまうには、あまりにも自分が知っている現実とかけ離れていた

 

そんな時、柄の悪い男達に話しかけられた

一瞬、安堵するが、直ぐに、マズイ事に気が付いた

明日菜は思わず、逃げ様とした

 

が、捕まり腕を捕まれた

そのまま、裏路地へ連れ込ませそうにる

男達の手がブレザーに伸びた

明日菜は、必死の思いで抵抗し、自分を抑えている、男の手に齧り付いた

男の手が一瞬、緩んだ隙を狙ってその場から逃げ出した

 

逃げて逃げて逃げた

それでも、男達は追い掛けてきた

逃げても、逃げても、追いかけてくる

 

もう、息も絶え絶えで、走るのも限界だった

でも、止まるわけにはいかなかった

 

後ろを見ると、怒った形相の男達が何かを叫びながら追い掛けてくる

 

このままでは、いつか追いつかれるのは必至だった

それでも、明日菜は走った

だが、最早限界に近かった

走る速度は、どんどん弱まり、直ぐそこまで男達の手が伸びてきていた

 

捕まる……っ!

 

そう思った時だった

 

「こっちだ!」

 

不意に、誰かに手を引っ張られた

そのまま、ぐいっと引かれ、その人の背に庇われ

それは1人の青年だった

年の頃から言って、明日菜と同年代ぐらいだろうか

 

誰……?

 

そう思ったが、次の瞬間明日菜はハッとした

明日菜を追い掛けていた1人の男が、その青年に向かって殴りかかってきた

 

「危な……っ!」

 

明日菜が叫ぼうとした瞬間、青年の拳が思いっきり、男の顔にめり込んだ

すぐさま、仲間の男達が青年に襲い掛かろうとするが、青年の横から出てきた、もう1人の銀髪の青年に斬られた

 

手を掠ったらしく、男が大げさに、叫び声を上げた

 

え?何、あれ……か、たな……?

 

今の日本、刀を所持している人なんていない

銃刀法違反で捕まる筈だ

だが、銀髪の青年は、平然と刀を帯刀していた

 

男が、斬られた手を押さえながら後退る

銀髪の青年は、刀に付いた血を払うと、スッと前に歩み出た

 

「おい、知盛。手加減してやれよ」

 

明日菜を庇う様に立っていた、青年が銀髪の青年に言い聞かすように言う

知盛と呼ばれた青年は、面倒くさそうに息を吐き

 

「ふん。その様なもの必要ないと思うがな……」

 

そう言って知盛は、刀を構えた

 

「どうする? 警吏につき出してもいいが……ここで斬り伏せられるか……」

 

その様子を見た男達は、慌てて立ち上がり、一目散に逃げて行った

 

「ったく、お前のは脅しなんだか、本気なんだか分からねぇな」

 

青年がやれやれという感じに頭を掻いた

知盛は、「ふん」と鼻を鳴らし、刀を納めた

 

「……………」

 

明日菜は、事態の意味が理解出来なかった

でも、とりあえず助かったのだと思うと、力が抜けその場にへなへなと座り込んでしまった

 

「おい、平気か?」

 

明日菜を庇ってくれた青年が明日菜を覗き込む様に顔を傾げた

 

「え……?あ……」

 

お礼を言わないといけないと思うも、上手く言葉にならない

明日菜が少し困った様に、ぎゅっと制服の袖を掴んだ

 

「まぁ、無事ならいいさ」

 

青年は立ち上がり、ぽんぽんと明日菜の頭を叩いた

 

「ん?お前………」

 

ふと、青年が何かに気付いた様に、顔を顰めた

 

あ………

 

多分、制服だ

直感的に、明日菜は思った

どうやら、ここの人にはこの格好は異質に写っているらしい

どこを見ても、制服を着ている人は居なかった

 

明日菜は、また避けられる…と思い、俯きギュッとスカートを握り締めた

だが、青年は特に気にした様子もなく

 

「ほら、立てよ。家に送ってってやる」

 

そう言って、明日菜に手を貸してくれた

明日菜は少し遠慮しなかがらも、その手を取って立ち上がった

でも―――――

 

家……

 

ここのは自分の家はないんじゃないかと…そんな気がした

 

「どうした?」

 

青年が不思議そうに、明日菜を覗き込む

明日菜は、どう答えて良いのか分からず、視線を泳がせた

 

「あ、その……多分、家…ないから……」

 

そう答えるのが、やっとだった

優しかった、母も父も多分居ない――――

 

そう答えると、青年は少し考え

 

「もしかして、お前、こっちに来たばっかりか?」

 

「………え?」

 

今、何て………

 

バッと明日菜は顔を上げた

青年は、知盛と少し話すと、明日菜に向き直り

 

「俺は、有川将臣。お前は?」

 

「え、あ……久世…明日菜」

 

「明日菜か、よし。俺らの所に来いよ」

 

「え…でも……」

 

「平気、だって、1人増え様が2人増え様が対して変わらねぇって。清盛はそんな事気にしねぇよ」

 

「きよ…もり?」

 

「俺が世話になってる人だよ」

 

その後、将臣もつい最近、この世界に現代から来たのだと知った

それが、平家との、将臣との出会いだった―――――

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

                        ◆          ◆

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

明日菜は将臣の後を歩いていた

 

「ねぇ…将臣」

 

「ん?」

 

「……………」

 

これを言うのは躊躇われた

でも………

 

「信用、していいのかな?」

 

「………」

 

将臣は答えなかった

 

明日菜達は今、京に来ている

後白河院に会うために

今、京は源氏の下にあり、平家の人間である明日菜達にとっては敵地も同然だった

 

それでも来なければならなかった

 

後白河院は安徳帝の祖父にあたり、平家とは血縁関係があった

だが、現在は源氏側に組していると言っても過言ではない

 

そんな院に頼みごとをしてはたして聞き入れてもらえるのか………

 

「だから、いいんだろ」

 

将臣は少しおどけた様に首を傾げた

 

「その法皇が仲介に入れば、不可能も可能になるかもしれねぇ。やらない後悔よりも、やった後悔の方が良いってもんだ」

 

そう言って、前を見据えた

 

「俺は、少しでも可能性があるならそれに掛ける。一門が助かる為ならなんだってしてやるさ」

 

「――――うん。そう、だね」

 

明日菜もぎゅっと唇をかみ締めそう呟いた

 

一門は、家無しだった私達を受け入れてくれた

このまま、もし私達が知っている未来に繋がるなら………滅ぶ

それだけは、させてはいけない

一門を守る為には形振り構ってはいられないんだ―――――

 

明日菜は、ぐっと顔を上げ

 

「行こう、将臣」

 

そして、2人は後白河院が滞在しているという法住寺へ向かった

 

 

 

 

 

 

 

 

 

****   ****

 

 

 

 

 

 

 

 

 

―――――法住寺

 

庭先に待たされ、明日菜は少しそわそわしていた

なんだか、場所が場所なだけに落ち着かない

 

「お前は、熊か」

 

座っていた、将臣が少し呆れた様にそうぼやいた

 

「……女の子に、熊って…どうなのそれ」

 

明日菜が不満だ!と言わんばかりに、顔を顰めそう言い返した

 

「まぁ、落ち着けって」

 

座れという感じに、隣をぽんぽんと叩かれる

明日菜は少し、むっとしたが大人しく横に座った

 

「将臣は落ち着いてるね」

 

「そりゃぁな、今更慌てたってしょうがねぇだろ」

 

「そうなんだけど………」

 

それでも、やっぱり緊張しているのか、落ち着かない

後白河院に会った事がない訳じゃない

平家が京に居た頃、何度か対面している

それでも、やはり人間には苦手な部類があるもので………

 

「だって……法皇様、苦手なんだもの」

 

どうも、あの何を考えてるのか読めない雰囲気が好きになれなかった

先の先を見たような、あの感覚がどうにも苦手だった

 

その時だった

 

「お待たせ致しました」

 

1人の僧侶が現れ、深々と頭を下げた

 

「院がお会いになるそうです」

 

そう言って、僧侶はスッと手を伸ばし

 

「こちらへ」

 

将臣と明日菜は顔を見合わせると、お互いに頷いた

そして、その僧侶の後へ続いた

 

 

 

 

 

 

 

 

後白河院は蓮華王院本堂に居た

蓮華王院本堂は所謂、今で言う三十三間堂で千体の千手観音立像が各10段5列に並ぶ

後白河院はその中で本尊の千手観音の前に座っていた

 

「久しいのう。将臣に明日菜」

 

後白河院はゆっくりと振り向き、そう言った

 

「ああ」

 

「お久しぶりです。法皇様」

 

将臣は短調に、明日菜は恭しく頭を下げた

将臣は物動じない様子で、後白河院を見据え

 

「今日は、あんたに頼みがあって来た」

 

「ほぅ?」

 

後白河院が顎をさすりながら、何かを読み取る様な目で将臣を見た

 

「頼み…とは、何かのう」

 

「……………」

 

将臣は、一呼吸置き、そして真っ直ぐ前を見据え

 

「源氏との和議を取り成してもらいたい」

 

後白河院は少し驚いた様な表情を浮かべるが、予測していたともいう感じに、笑みを浮かべた

 

「ほほ、源氏との和議を…とな?また酔狂な事を」

 

「酔狂でも何でもねぇよ」

 

「ほぅ……?つまりは、源氏と戦う気はない、と?」

 

「ああ。政権にも興味ねぇ。何処かで静かに暮らせればそれで満足だ」

 

「…………」

 

後白河院は何かを思う様に、目を細めた

持っていた笏を口に近づける

 

そして徐に、外を見た

 

「今、京では雨が降らなくての……」

 

一瞬、何の話だろうと、将臣が怪訝そうに眉を寄せる

後白河院はスッと立ち上がり、戸まで歩くと、空を眺めた

 

「近々、雨乞いの儀式をしようと思っておるのだ」

 

「……そんなもんしたって雨は降らねぇよ」

 

雨乞いの儀式は平家が京に居る頃から何度も行われていた一種の年中行事の様なものだった

白拍子と呼ばれる、男装をした舞手が舞いを奉納する

 

雨が降るかなど、舞や祈った所で降るもんじゃない

現代から来た将臣にはそれが分かっていた

 

だが、後白河院はふっと笑みを作り

 

「いつだったか……雨が降った時があった」

 

そんなの偶然だと 将臣は思った

 

「そう――――あの時の舞手は…明日菜そなただったのぅ」

 

ピクッと明日菜の肩が震えた

 

「……………」

 

明日菜は何も答えなかった

 

「あの時の、舞は見事じゃった」

 

その時の舞を思い出しているのだろうか、後白河院は頷きながら、笑みを浮かべた

後白河院は、スッと笏で明日菜を指し

 

「此度も見事、雨を降らせて見せよ。さすれば源氏との和議、取り成してしんぜよう」

 

「――――なっ」

 

将臣が、驚愕の余り声を発した

立ち上がって、後白河院に襲い掛かりそうになる自分をぐっと堪える

 

「以前は出来て、此度は出来ぬ――――という事はあるまい?」

 

「……………」

 

明日菜は、ぎゅっと唇を噛み締め、スカートを握る手に力を込めた

 

「――――あの時、雨が降ったのは――――っ!」

 

将臣が言い募ろうとした時、明日菜が閉ざしていた口を開いた

 

「――――雨が、降ったら、和議を取り成して下さるんですね?」

 

「明日菜!」

 

将臣が明日菜を止めようと、口を挟んだ

 

「バカ野郎!そんな事したらお前が―――っ!!」

 

「いいの」

 

「いい訳あるか!」

 

明日菜は、スゥッと息を吐き、ゆっくりと後白河院を見据え

 

「法皇様の願い通り、雨を降らせてしんぜましょう」

 

そう言って、恭しく頭を下げた

 

「その代わり、雨を降らせた折は、必ずお約束をお守り下さりますようお願い申し上げます」

 

「よかろう」

 

後白河院は満足そうに笑みを浮かべるのだった

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

あれ・・・九郎さんまで出なかったです(-_-;)

あら、残念

 

とりあえず、こっちは雨乞いの儀式があるらしいですよ?

 

2010/01/11