黒き礎 白の姫神子

 

 序章 炎の都落ち

 

 

 

寿永二年(1183)・7月――――

 

 

 

ゴォォォォォォ・・・・・・

 

燃え盛る炎の京の都を眺める様に、1人の青年が高台に立っていた

 

赤い陣羽織に紺糸威の鎧

陣羽織の裾には蝶の紋

青年の髪が風に煽られ、揺れた

 

「・・・・・・・・・・・」

 

青年は、何かを思う様に、食い入る様に、燃え盛る京の都の炎を見ていた

 

京の都の一角――――

鴨川東岸の五条大路から七条大路一帯が、赤々と燃えていた

 

夜の、暗闇の中、そこだけ赤くぽっかりと光っていた

 

空の星を飲み込むかのようなその赤い炎は、高々と燃え盛り、六波羅の辺り一体を炎に包んでいた

 

時折、青年の顔が炎に煽られ赤く揺れた

伸びた髪が揺れ、火の粉が舞う

 

「将臣」

 

不意に呼ばれ、青年は振り返った

 

「・・・・・・・・・・・」

 

声のした方に目をやると、1人の少女が立っていた

長い、漆黒の髪が風に吹かれ揺れる

 

羽織った着物が、ぱたぱたと吹かれた

赤い着物が暗闇にひっそりと佇む

 

「明日菜か……」

 

明日菜と呼ばれた少女はふと、憂いを帯びた表情を見せ、将臣の傍に歩いてきた

将臣の隣に立ち 境界を見る

 

明日菜の翡翠の瞳が、赤い炎の色に変わっていた

 

「・・・・・・・・・・・」

 

息を吐き、見つめる先には、燃え盛る六波羅があった

 

つい、今し方まで自分達が居た

住んでいた所だ

 

そう、彼等は都の六波羅と呼ばれる屋敷に住んでいた

自ら炎を放ち、こうして落ち下ってきたのだ

 

「寂しい・・・・・?」

 

不意に、明日菜が将臣に話しかけた

 

「ん・・・」

 

将臣は、一度声を漏らし

だが、次の瞬間、少し寂しそうに笑った

 

「いや、一門が居るからな。変わらないさ」

 

「そう・・・・・・」

 

 

『平家』

 

 

人は彼等をそう呼んだ

 

都に名を馳せた、平家一門は、昔、『源氏』と戦った

世に言う”平治の乱”である

 

元は先に起きた保元の乱が原因の発端となる

 

平安時代末期の保元元年に地位をめぐる確執から後白河天皇と兄の崇徳上皇が対立し、双方の武力衝突に至った政変である

結果、後白河天皇は地位を守ったものの、源平の間にしこりを残す戦いとなった

平家一門には、数々の恩賞を与えたにも関わらず、源氏方にはろくな恩賞を与えなかったのである

これにより、源氏の棟梁・源義朝には強い不満が残る

 

この時、既に新たな戦乱の芽が生まれていたのだ

 

天皇家、摂関家、源平の一族を二分して戦われた保元の乱において、暗躍した1人の僧がいた

剃髪して信西と名乗ってい藤原道憲で、鳥羽上皇に仕えて頭角を現し、後白河天皇の即位に尽力した人物である

 

天皇方の勝利に終わった乱の後、信西が直ぐに手を付けたのが、国政改革だった

側近として、次々に制度改革を行った信西は、天皇政権の安定に貢献したとして、自身と血縁関係にある平家一門を重用する

 

平清盛が播磨守に任じられた事を始めに、一族も官位を受けて所領を増やしたのに対し、保元の乱の夜襲(勝敗はこの夜襲で付いた)を提案し、本来なら軍功第一の筈の源義明は左馬頭の官位を得ただけで、所領は増えなかったのだ

優遇と所か、明らかなえこひいきだった

 

こうした武門の対立が芽吹いていくなか、後白河天皇は譲位し、我が子二条天皇を据え、自分は後白河上皇として院政を敷く

 

所が、これが仇となるのだった

 

信西の改革により体制は整ったとはいえ、決して政治は安定を見ていない時期だった

 

そこで、再び、政権内に上皇派と天皇派は作られてしまったのだった

 

源義明は、実力者の信西に近づこうとするが、平清盛と組んでいる信西はこれを拒否

結果、義明を追い詰めていく事となる

 

源氏と平氏

 

両家の対立のきっかけは、源氏が中心となって戦った保元の乱の論功行賞で平氏が優遇された事

更に、一族への罰にしても、源氏に対しては苛烈なまでに厳しかった事

こうした源氏の不満に藤原信頼の権勢欲が相乗したのである

 

そして、平治元年12月4日

平清盛が一族を率いて熊野参詣に出かける

この留守を狙い、源義明が、保元の乱で生き残った一族を率いて挙兵したのだ

 

院の御所を襲い、後白河上皇と二条天皇を大内裏へ移したうえ、事態を察して逃げた信西を奈良で発見し、殺害

その首を、京へと持ち帰り、三条大路を引き回した挙句、獄門にする事で積年の恨みを晴らした

 

勿論、信頼と結託して起こした反乱行為だったのだから、義明が都を制圧すると直ぐ、信頼は自ら大将軍の位に就く

そして、義明を播磨守、従四位下に任じた

 

ともかく、これで義明は武門の棟梁の地位に就いた事となる

 

平清盛がこの知らせを受けたのは翌日だった

都を制圧している源氏に対し、上皇と天皇の救出を最優先と考えた清盛は、恭順の態度を示しながらも内部工作を行う

天皇を女装させて六波羅の清盛の屋敷へ脱出させたのである

更に、上皇の仁和寺への逃走に成功

 

こうなると、院や帝を押さえた平氏が官軍である

 

源氏追討の宣下のもと、平家一門が主の居なくなった大内裏へ押し寄せる事となった

 

味方の裏切りなどもあり、反乱に失敗した源義明は敗走の道に近江路を選んだ

しかし、追っ手は何処にいるか分からない

途中、落武者狩に現れた延暦寺の僧兵によって、叔父が討たれ、次男・朝長が重症を負う

それでも僅か八騎となりながら、東を目指した

 

この一行の中に居た、三男・頼朝はまだ13歳

初陣に敗れた上、疲労困憊

途中、逸れてしまう事となる

 

義明一行は、なおも家来達を追っ手に討たれたりしながら、縁故を頼り逃走する

その途中、義明は命を落とす事となる

これもまた、都の敗戦同様、味方の裏切りによってだった

 

僅か、1ヶ月で平治の乱は完全終結する

義明を家長とする嫡流は衰退の坂を転げ落ちるのだった

 

生き残ったのは、途中逸れた頼朝(だが、捕らえられ、伊豆へと流される)

そして、義明の妾の常盤御前の3人の子である

その1人、牛若丸が後の源義経である

 

とにもかくにも、平治の乱で源平の棟梁争いは一応決着を見た

中央政権に残った源氏は、義明を裏切った源頼政のみとなり、武門の棟梁となって政権を担うという源氏一族の夢は、この時点で一旦終える事となる

 

以降、訪れるのは平氏の天下であった

 

 

 

平治の乱で、父・義明が破れ、無残な死を遂げた後、命拾いした源頼朝は、伊豆に流罪となり20年もの歳月を過ごしていた

 

治承4年、都では安徳帝が即位し、以仁王が平家討伐の令旨を発した年の8月

とうとう頼朝は挙兵

 

8月15日――――

頼朝は集まった武士たちに山木兼陵と、その後見人・提信遠襲撃を命じる

平氏に対する公然たる反乱行為であった

 

そして、勝利と敗戦を繰り返しながら、のちに鎌倉に入り、関東を平定する

 

 

平氏討伐に多大な功績を上げたのが木曽義仲である

 

寿永2年4月――――

巻き返しを狙う平氏は、西国から集めた50万の大軍で北陸路を攻めた

 

これに対して、越後燧城を前線にした義仲陣営は、日影川と日野川の合流する地点の水をせき止め人口湖を作る

おかげで平氏軍は中々進軍出来なかった

 

所が、燧城内に居た平泉寺の長史斎明が、平氏方の優勢を恐れて内通

人口湖に突破口を作る方法を記した密書を矢に付けて放ってしまう

これによって人口湖は水を落とされ、平氏軍の進軍によって木曽軍は加賀の三条野に後退したのだった

 

先頭で戦った、今城寺太郎光平は、平氏方の斎藤別当実盛との一騎打ちで首を切られ、討ち死にを遂げてしまう

木曽軍は更に、後退を続け、今度は加賀の篠原に陣を構える事となる

 

こうして、越後・加賀での合戦で悉く木曽軍の敗北となってしまうのである

 

だが、そんな木曽軍に大逆転の転機が訪れる

俗に言われる倶利伽羅峠の合戦である

 

越中の呉羽山に陣を構えた平氏軍は、般若野における木曽軍との戦いで、死傷者や逃亡者2000名を出し、残る3000騎が加賀に逃げ戻った

これが躓きの始まりだった

 

平氏は、ここで軍を二手に分け、主力は礪波山の倶利伽羅峠に陣取る

 

所が、これは義仲による巧妙な誘導作戦だった

少数の自軍が敵を破るには、大軍を平野部に出さず、山中で釘付けにするしかない

そう考えた義仲は、倶利伽羅峠に敵を引き込み、味方を何手かに分けて四方から包囲網を張り、樋口兼光を敵の背後に廻り込ませたのである

 

そして、夜になるのをじっと待ち、平氏軍が寝静まった頃木曽軍は大きな音を立てたり、声を上げながら平氏本陣に攻撃を決行

四方からの突然の喚声に慌てた平氏は、加賀に退却しようとするが、その道は樋口兼光が押さえていて動けない

唯一、喚声の聞こえない道へ逃げようとするが、その道の先に待ち受けていたのは切り立った崖の倶利伽羅峠だった

 

狂乱の最中、しかも真っ暗闇の中とくれば、木曽軍が手を下すまでもなく、平氏方人馬は、次々と谷底に消えて行ったのである

 

この勝利によって、義仲は平氏の圧力から解放される

そして、京に向けて進軍を開始するのだった

 

全てはこの戦いが敗因となった

 

木曽義仲軍の前に敗れ敗戦を続けた、平氏はついに京を捨てて西海に逃げ延びる決意をする

 

 

 

寿永2年7月25日――――

 

六波羅殿・池殿・小松殿を始めとした一門の住み慣れた屋敷全てに火を放つ

ここに、平家一門の栄華は終わったのだ

 

西へ落ち延びる際、安徳天皇と三種の神器を持ち出した

後白河法皇も連れ出そうとするが、直前で逃げられてしまった

 

これによって、官軍の大義名分を失った事になる

 

もう、平家には安徳天皇と三種の神器しか切り札が残されていなかったのだ

 

 

 

 

 

 

 

「・・・・・・・・・・」

 

将臣は今から約3年前この世界に飛ばされてきた

元居た時代から時空を越え気が付けば、この世界の福原に飛ばされていたのだ

丁度、その頃、平家一門が福原に都を遷都した頃で、偶然にも出会った清盛に死んだ息子に似ているからと保護された

その清盛も、もう居ない

いや、正確には将臣が出会った頃の清盛はもう居ないのだ

 

あの頃の、清盛は大きく、偉大だった

将臣の事を本当の息子の様に接してくれた

 

死んだ原因は病だった

あの清盛ですら、源氏を追いやった清盛ですら病には勝てなかった

 

今居る、”清盛”は生前の清盛ではない

将臣に優しく接してくれた清盛はもう居ないのだ――――

 

今居る、清盛は三種の神器の1つの八尺瓊の勾玉とある物を使って蘇った”怨霊”だ

平家は、死した者を”怨霊”として蘇らせている

 

それは喜ばしい事なのか

 

蘇った清盛は将臣の事を死んだ息子が蘇ったのだと思い、”重盛”と呼ぶ

清盛の嫡子・平家の棟梁 平重盛と――――

 

自分が、平重盛?

あの保元・平治の乱で若き武将として父清盛を助けて相次いで戦功を上げ、父の立身とともに累進し、最終的には左近衛大将、正二位内大臣にまで出世した平重盛?

小松内府殿と呼ばれた?

 

お笑い種だ

 

自分はそんな器じゃない

 

それはよく分かっている

分かっている だが――――

 

”重盛”の名がこの先役立つなら、俺は迷わず使う――――

 

将臣は燃え盛る、京の都をみながらギュッと拳を握り締めた

 

自分を助けてくれた平家一門のこれから辿る道は分かっている

俺の知っている通りなら、平家は滅ぶ

 

それだけは、絶対回避しなければならない

 

その為なら、怨霊を使う事も厭わない

そう思っていた だが――――

 

「・・・・・・・・・っ」

 

隣に居た、明日菜が胸の辺りを押さえて、小さく悲鳴を上げた

苦しそうに、肩を揺さぶる

 

「苦しいか?」

 

将臣にそう問われて、明日菜は油汗を流しながらにこっと微笑んだ

 

「大丈夫。黒曜が少し揺れているだけ」

 

「そうか」

 

明日菜は、微笑みながらそっと将臣の手に触れた

 

薄っすらと、明日菜の首元に黒い紋様が浮かび上がる

その紋様が首から顔に掛けて、這い上がって来る様に、伸びた

 

気付くと、手にも同じ紋様が現れていた

それを見た、将臣がぎゅっと明日菜の手を握り返す

 

「悪ぃ」

 

小さく、将臣が謝った

明日菜が、苦しそうに顔を歪ませながらくすっと笑い

 

「どうして将臣が謝るの?」

 

「それは………」

 

そこまで言いかけて、将臣は言い淀んだ

 

そして、もう一度、力強くぎゅっと手を握り返す

 

「必ず、助けてやるから」

 

「・・・・・・・・・・うん」

 

小さく、明日菜が頷いた

 

「黒曜の願いも叶えてあげたいし・・・・・・」

 

そっと、明日菜が胸の辺りを押さえた

落ち着いたのか、身体から溢れそうだった感情が収まる

 

「ま、平家もお前も助けるし、黒曜も助ける」

 

「だろ?」という感じに、将臣が笑った

明日菜は一瞬、目を見開き、そしてこくんと頷いた

 

 

そして、もう一度、燃える都に目をやった

 

この光景を忘れない

しっかりと、目に焼き付ける

 

もう二度と、こんな事が起きない様に

もう二度と、皆が苦しまなくてもいい様に

 

燃え盛る炎が将臣の顔を赤く照らした

明日菜も目をやり、燃え盛る都を見つめた

 

「私も、頑張るから・・・・だから———・・・」

 

一緒に帰ろうね・・・・

 

返事の代わりに、将臣が手を握り返してきた

 

 

 

 

 

 

 

「還内府殿、千姫様」

 

不意に後ろから呼ばれ、将臣と明日菜が振り返った

1人の兵が膝を付き、頭を垂れていた

 

「そろそろお時間です」

 

「ああ、分かった」

 

将臣がそう返す

兵は一礼し、「では」と言い残すと、去って行った

 

将臣は、兵の去っていった方をじっと見つめ、そしてもう一度燃える都を見た

将臣の表情が、将臣から還内府の表情に変わる

 

「行くか」

 

「………そうだね」

 

短くそう答えると、明日菜は目を細めた

 

影が、長く伸びていた――――

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

これより、平氏と源氏の政権争いが再び始まろうとしていた――――

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『黒き礎 白の姫神子』スタートです

こっちは、がっつり将臣と絡みますので!!

 

 

2009/07/24