櫻姫抄乱
 ~散りゆく華の如く~

 

 四章 虚実の馨り 17

 

 

―――― 慶応元年・六月

 

もうすぐ、昼の巡察に出た隊士達が帰ってくる頃

さくらは、屯所の入り口の門の近くを竹箒きで掃いていた

ザ…ザ…と、落ちている葉を集める

その表情は、どことなく憂いを帯びていた

 

あの日の、風間の言葉が木霊する

 

『八雲 道雪の事を知りたければ、俺の元へ来い』

 

八雲 道雪

 

それは、五年前離れ離れになった父の名だ

 

ずっと、気になっていた

八雲家に連れ戻された後、父はどうなったのか

どうして、自ら手放した“八雲”の家を継いだのか―――

 

分からな事ばかりだ

 

お父様には、何か事情があった……?

 

そうなのだろうか……?

わざわざ“家”を継がなければならない事情があったというのだろうか…?

 

それを、千景は知っている……?

 

「……………」

 

さくらは、小さく息を吐いた

分からない事ばかりだ

 

私は、お父様の事を何も知らない――――

 

考えれば、自分は何も知らないのだ

“八雲”の家の事も、父の事も

 

そもそも、さくらが産まれたのは道雪が八雲の家を出た後の話

その後も、あの日まで一切の関係を断っていた筈

 

知る筈が、ない

 

それとも、密かに接触があったのだろうか?

八雲家は、道雪を見逃してはいなかった

そういう事、なのだろうか

 

「……………」

 

さくらは、また小さく息を吐いた

ギュッと、竹箒の柄の部分を握る手に力が篭る

 

お父様は―――

 

その時だった、門の方から足音が近づいてくるのが聞こえた

どうやら、巡察に出ていた隊士達が帰ってきた様だ

 

「お帰りなさい」

 

巡察から戻った十番組と三番組の隊士達に声を掛ける

隊士達は嬉しそうに、挨拶を返すと、そのまま邸の方へ歩いて行った

 

ふと、最後尾を歩いていた組長の原田が、さくらに近づいて来た

斎藤が、その後に続く様に歩いて来る

 

「お!さくら、丁度いい。お前にちょっと訊きてぇ事があるんだが」

 

改まってそう聞かれて、さくらは不思議そうに首を傾げた

 

「原田さん?……訊きたい事とは、何でしょうか?」

 

「お前、お千って女知ってるか?斎藤は、お前の知り合いだって言ってるんだが」

 

「え?あ……はい。千は知り合いですけれど…?」

 

どうして、原田からその名が出てくるのだろうか…?

 

さくらの言葉で納得したのか、原田が小さく頷く

 

「そっか。いや、さっき帰り掛けにその女に声を掛けられたんだけどよ。お前に話してぇ事があるんだと」

 

「あ………」

 

何かに気付いた様に、さくらがハッとした

もしかして、この間お願いした事かも……

 

前は、薩摩藩邸に連絡を入れれば、繋いでもらえたが…

おそらく、今は直接連絡の手段が無かったのだろう

 

浅黄色の羽織を見れば、新選組と分かる

だから、こういう手段を取ったのだ

 

どうしよう…

今、待っているのよね?

今から、直ぐに外出許可が貰えるだろうか……?

 

「あ、あの…原田さ……」

 

さくらが思い切って切り出そうとした時だった

原田が優しげに笑みを浮かべた

 

「ちょっと待っててくれ。この隊服、脱いでこねぇとな」

 

そう言って、原田がさくらの横を通り過ぎる

 

え……?

 

「え?あ、あの…?原田さん……?」

 

原田の言う意味が分からず、さくらが首を傾げると

原田はさも当然の事の様に

 

「お前を、一人で外に出す訳にゃいかねぇだろう?」

 

「で、ですが……」

 

付いて来てくれる……というのだろうか?

だが、原田は巡察から帰ったばかりで疲れている筈だ

手を煩わせる訳にはいかない

 

「あ、あの、原田さん。お疲れでしょう?私なら大丈夫ですから―――」

 

そこまで言い掛けたが、それ以上言う前に、原田に止められた

ぽんと、頭に手を置かれる

 

「なーに、変な気ぃ使ってんだ。この程度で疲れる程、軟な鍛え方してねぇよ。お前は、気にしねぇで頷いとけばいいんだ」

 

「……………」

 

そう返されると思わなかったのか

さくらは、驚いた様にその真紅の瞳を瞬きさせた

 

原田の優しさが、胸に染み渡る

 

それから、少しだけ困った様に目を泳がせた後、小さく「……はい」と答えた

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

さくらは、原田に連れられて市中の茶店にやってきた

どうやら、そこで千姫が待っているらしい

 

辺りを見回すと、店の外に置いてある緋毛氈を敷いた縁台に座り、道行く人を眺めながら待っている千姫が居た

 

さくらの視線に気付き、千姫が手を振ってくる

そして、立ち上がるとぱたぱたとさくらの元へやって来た

 

「さくらちゃん!」

 

そんな千姫を見て、さくらがにこりと微笑む

 

「千、ごめんなさい。待たせてしまったかしら?」

 

そう問うと、千姫は何でもない事の様に小さく首を振り

 

「ううん。ぜんぜん大丈夫!さっき、隊士さん方に偶然会ってね。貴女の事、聞かせてもらったの。どうしているか、気になったから」

 

「そう……」

 

一瞬、その言葉に違和感を覚えたが、直ぐに千姫の意図する事を理解し小さく頷く

どうやら、気を使わせてしまったらしい

 

原田は、前にさくらが千姫に頼み事をした事など知らない

 

その報告の為に、さくらを呼び出したのだとしても、今は傍に原田が居るから、あえてその事には触れない様にしてくれているのだ

別に千姫には、他の者には内容を伝えていない事など教えていない

だが、彼女はそれを汲み取り、内緒にしてくれているのだ

 

ちらりと彼女を見ると、千姫はにこっと微笑んだ

 

何だか、申し訳ない気持ちと、感謝の気持ちが入り混じった様な不思議な気持ちになる

 

「ねぇ、さくらちゃん。よかったら、あそこの茶店でお話しない?あそこのお店のお団子、凄く美味しいの」

 

「あ…でも……」

 

千姫の申し出は、凄くありがたい

その方が、二人で話せる

 

だが、だからと言って原田を追い返す訳にもいかない

どうしようか、考えあぐねながら原田の表情を窺う

 

すると、原田は何かを察した様に、軽く片手を上げ

 

「折角だから、二人で話して来たらどうだ?女同士、積もる話もあるだろう。俺は、離れた所にでも居るから、終わったら呼んでくれ」

 

さくらは少しほっとしつつも、原田に向かって感謝の礼を取った

 

「ありがとうございます。それでは、お言葉に甘えまして……」

 

「さ、行きましょ!」

 

千姫が、ぐいっとさくらの腕を取る

そのまま、さくらは千姫と茶店に向かった

 

 

 

 

 

 

 

 

 

千姫はさくらを隣に座らせると

 

「さくらちゃん、食べて食べて。ここのお団子、凄く美味しいんだから!」

 

と、いつの間に注文していたのか、二人の間にある盆をさくらの方に押しやった

 

さくらは、一瞬戸惑った様な表情を見せるが、千姫の明るい口調につられる様に、団子をひと串手に取り、口に運んでみる

香ばしく焼いた団子に甘辛い砂糖醤油の葛餡が絡んで

 

「本当…。美味しいわ」

 

さくらが思わず声を上げると

 

「でしょ!良かった」

 

千姫が嬉しそうに手を合わせて微笑んだ

 

それから、少し離れた店の柱にもたれて油断なく周囲に目を配っている原田を見やって言った

 

「……さくらちゃん、最近はどう?何か変化はあった?男所帯だし、大変でしょ」

 

「え?」

 

変化……?

 

一瞬、沖田の事と風間の事が頭を過ぎったが、振り払う様に小さくかぶりを振った

それから、それを誤魔化す様に にこっと微笑み

 

「……何も、無いわよ?男所帯なのは――私、一人ではないし、千鶴も居るから。それに、皆さん良くして頂いてるもの」

 

さくらのその言葉に、千姫が小さく溜息を付いた

 

「もー相変わらずね、さくらちゃんは。まぁ、そういう所が貴女のいい所なんだけど―――」

 

そこまで言い掛けて、千姫がにやりと笑った

 

「でも、誤魔化されないわよー!白状しちゃいなさい!ずばり、何かあったでしょ」

 

「え……っ」

 

一瞬、心を読まれたのかとどきっとする

 

さくらは、何とか誤魔化す様に、作り笑いを浮かべて

 

「ど、どうして?別に何も―――」

 

「じゃぁ、聞くけど。これどうしたの?これ」

 

そう言って、千姫がちょんちょんと菫色の髪結いを引っ張った

 

「あ……」

 

言われてハッとする

そういえば、以前会った時はまだ赤い結い紐だった

 

目敏いわ……

 

「今までは、ずっと風間に貰ったとかいう赤いのだったよね?突然変えたのは、どんな心境の変化なのかなー?」

 

千姫が、何だか顔を緩ませながら聞いてくる

 

「え…えっと……それは………」

 

これを入手した経緯が経緯な為、何だか気恥ずかしい

気のせいか、頬が熱を帯びている気がする

 

すると、そんなさくらを見た千姫は瞳を輝かせて

 

「分かった!さては、土方さんに貰ったんでしょう!」

 

「え……っ!?」

 

いきなり核心を付かれ、さくらが驚いた様な声を上げる

かぁ…っと、頬が熱くなるのが分かった

 

「え…っ、なっ…、ど、どどどどうして……っ!?」

 

どうしてそこで土方の名が出てくるのか

少なくとも、千姫の前で土方の名など出した事は無いし、二人で居るのを見られた訳でもない

なのに、何故、狙った様に言い当てられてしまうのか

 

すると、千姫はにこっと笑いながら

 

「だって、以前、気になる人の話した時“巡察には出てこない”って言ってたじゃない?と言う事は、幹部のそれも上の人って事だよね。 組長よりも上となると、局長か副長か、参謀辺り? で、雰囲気的に局長さんと参謀さんは無いかなー? と思ったら、副長の土方さんしか居ないじゃない」

 

「……………」

 

す、鋭い……

 

さくらが真っ赤になって俯いていると、千姫は嬉しそうに

 

「で?土方さんに貰ったの?」

 

答えるのも恥ずかしくて、さくらは小さくこくりと頷いた

すると、千姫は自分の事の様に歓喜の声を上げて

 

「良かったじゃない!その色、さくらちゃんに良く似合ってるし。うん!流石、土方さんね!さくらちゃんの事よく分かってるみたいで、嬉しい」

 

「ど、どうして千が喜ぶの…?」

 

千姫の勢いに押されつつも、何とかそう問いかける

すると、千姫は当然という感じに

 

「だって、親友の好きな人が、その子の事分かってあげてる上に、贈り物までしたんだよ? 一歩前進じゃない!嬉しいに決まってるでしょ! それが、さくらちゃんなら尚更だよ!」

 

え……?

 

今、千姫は何と言っただろうか……?

親友の“好きな人”……?

 

「……………」

 

ええええ………っ!?

 

好き!?

誰が誰を!?

“私”が“土方さん”を……!?

 

「ま、待って……っ、待って、千!そ、その…好きって……わ、私は、別に……っ! そ、そんな……っ。だ、大体、何を根拠に…っ!」

 

混乱する頭で、何とかその言葉を絞り出す

 

顔が熱い

頬が火照る

心臓が、聞こえるんじゃないかという位、大きな音で鳴っている

 

そんな様子のさくらを見て、千姫が一瞬きょとんとするが、次の瞬間吹き出した

 

「やだ、さくらちゃん。その態度じゃ、肯定してる様なものだってば!顔真っ赤だよ?よっぽど、好きなんだねぇ~」

 

益々、顔が熱くなる

 

「だ、だから、好きとか…そんなんじゃ……っ!」

 

「じゃぁ、嫌いなの?」

 

「ええ……っ!?」

 

いきなり、質問を真逆に切り替えられて、一瞬混乱する

が、直ぐに否定する様に頭を横に振った

 

「じゃぁ、やっぱり好きなんだ?」

 

「………っ。せ、千…その言い方は卑怯かと…」

 

顔が熱い

きっと、今までにない位顔が赤いに違いない

 

さくらが、顔を真っ赤にして俯いていると、千姫がくすくすと笑い出した

 

「ごめん、ごめん。今のは、ちょっと卑怯だったね。で?実際の所はどうなの?いいなぁ~位には思ってるんでしょ?」

 

「え……っ。そ、それは………」

 

さくらが、火照る頬を両の手で押さえながら、瞳を泳がせた

それから、一度だけ千姫に視線を向けた後、そのまま下に動かし

 

「好き…とか、そんな大それた事は……。 ただ、少しでもお役に立てれば…と。 無理…ばかりする人だから…負担を減す事は出来なくても、少しでも軽くできれば…って。ただ、あの人の為に何かをしたい―――。 それだけ…なの……」

 

ただ、あの人の―――土方さんの役に立ちたい

強くあるのは、“それ”だけ

 

「……利用されちゃってもいいって事?」

 

千姫の問いに、さくらは少しだけ寂しげに笑った

 

「してくれたらいいけど――、きっとあの人はしてくれない。優しい人だから……」

 

それが、酷く哀しい

さくらの言葉に、千姫が少しだけ思案する

 

「……じゃぁ、質問かえるね。土方さんが居た時とか、その仕草とか目で追っちゃうって事はない? 後は…そうね、傍に居たいとか、触れて欲しいとか。 そうそう、その髪結い貰った時どうだった? 嬉しくなかった?」

 

「それは……」

 

これを頂いた時―――

心に温かいものと、嬉しさが込み上げてきた

 

「……凄く、嬉しかったと、思う…」

 

だって、これは土方さんの瞳の色だから―――

 

「なら、目で追っちゃうとかは? 後、傍に居たいとか、触れて欲しいとか」

 

「……目で追う…というよりも、また無理をされてないかとか…気になる事はある、かな。 傍には――その、居させて下さったら嬉しいけど…。 ただ、居てもいいって言って下さったから―――、“居場所”になって下さるって…。 触れるとかは…その…」

 

「ちょ―――っと、待って!!」

 

いきなり、千姫が制止を掛けた

 

「千……?」

 

「今、何て言ったの!?」

 

不意に、がしっと肩を掴まれた

と、同時にゆさゆさと揺さぶられる

 

「“傍に居てもいい“!?” 居場所になってやる“!? 何それ!? 私、聞いてないんだけど―――っ!!?」

 

「あ、あの……っ、千。お、落ち着いて……っ」

 

「これが、落ち着いていられますか―――!!」

 

 

 

……数分後

 

何とか、千姫からの揺さぶり攻撃?から解放され、さくらがほっと胸を撫で下ろす

千姫は、ぐいっと湯呑の茶を飲み干すと、だんっと縁台に置いた

そして、好奇心いっぱいのきらきらした目でさくらを見て

 

「さぁ、準備万端よ!観念して吐いちゃいなさい!!」

 

「え、えっと……」

 

良く考えたら、千姫にはさくら自身が新選組に世話になる経緯を話していない事を思い出す

千姫には、昔から比較的なんでも話してはいたが……

前に会った時は、この事はまだ話せる心理状況ではなかったし、切り出す勇気も無かった

 

今なら……普通に話せるだろうか………

 

「その……千には、私が新選組にご厄介になる経緯を話していなかったと思うけれど…。私 ね、言われちゃったの。“要らない”って…」

 

瞬間、千姫の表情がだんだん険しくなる

 

「……まさか、それ言ったの…」

 

さくらは、苦笑いを浮かべながら

 

「……うん、千景。直接言われてしまったの。“お前なんかもう要らない。用なしだ”―――って」

 

「な、何それ―――!!あいつ、最悪……っ!!」

 

千姫が、自分の事の様に怒りだした

 

「前から、根性曲がってるとは思ってたけど…! 性根も腐ったやつね! 今まで、散々さくらちゃんの事、“自分の所有物です“みたいに好き勝手扱ってたくせに…! 言うに事欠いてそれ!? 男として、最低だわ…っ!!」

 

「……ありがとう、千」

 

こんな自分の為に、怒ってくれる

それがひどく嬉しく感じた

 

「何言ってるのよ、さくらちゃん!!怒っていいんだよ!?ふざけるな―!って、怒鳴っていいんだよ!?その権利が、さくらちゃんにはあるんだから!!」

 

そんな千姫の言葉に、さくらは少しだけ愁いだ様に微笑んだ

 

「……私は…怒る…べきだったのかな……」

 

何故だろう…不思議と怒りは込み上げてこなかった

 

心の中に湧き上がったのは、哀しみと絶望

そして―――虚無感

 

「“ああ、ついに言われてしまった―――”って…それしか思い浮かばなかったの……」

 

他の誰に言われても

風間にだけは言われたくなかった言葉―――

 

「でもね、今なら少しだけ分かる気がするの…。私にも非があったんだって」

 

あの時は、哀しくて辛くて分からなかったが

今なら、分かる

 

「その少し前から…かしら。私、新選組にご厄介になってたの。 足を怪我してしまって…治るまで居させて下さったの。 ……きっと、それが千景の不興を買ってしまったのだと思う。 ううん、多分それだけじゃない。 もっと前から―――」

 

一年位前

新選組と――土方と出逢ってから、重ならない歯車の様に少しずつずれ始めた

風間と自分の心

 

もしかしたら、風間は変わっていなかったのかもしれない

変わったとすれば―――それは、きっと私

 

風間しか居なかったさくらの心の中に、新たに生まれたもう一つの存在

真っ暗な闇の中、白く咲き誇る桜の樹の下で出逢った存在―――“土方歳三“

 

あの人と出逢って、すべての世界が一変した

 

無色だった世界が、鮮やかな“色”を付けた

そして、その中心にあるのは―――美しい“菫色”

 

小さな籠の中の鳥だったさくらを、柵を開け籠の外へ導いてくれた人

 

そんなさくらの“変化”に風間は“気付いた”

そして、きっとそれは風間にとって許し難い事だった

 

気が付けば、心はすれ違い 言葉もなく あったのは“不要”の二文字

 

そう―――あれは、“必然”だった

 

「“仕方のない事”だったのよ……」

 

「さくらちゃん……」

 

千姫が、哀しげにさくらを見る

さくらは、少しだけ微笑み

 

「正直な話ね…。 言われた直後はかなり堪えたと思うの。 部屋に閉じ籠って、睡眠や食事も全て放棄して、このまま私なんて壊れてしまえばいいって思っていたわ。 新選組の皆さんや千鶴にもいっぱい迷惑掛けたと思うの。 でも―――不思議ね…涙は出なかったの」

 

泣けなかった

あんなに哀しかったのに、涙は出なかった

 

「それでね、千景に要らないと言われたから薩摩藩邸には戻れない。 でも、新選組には私の居場所は無かったから…いつまでも、ご厄介になっている訳にはいかないし、出て行こうと思ったの」

 

新選組には、千鶴とは違い、さくらが居る“理由”が無かった

だから、ここには居場所がない

そう思った

 

「でも…正直、何処に行けばいいのか分からなかったわ…。 風間の家にも八雲の家にも戻れない。 かといって、江戸で暮らしていた家は、もう無い。 行く宛てなんて無かったわ。 私の居場所なんて、もう何処にも無い――そう思ったの」

 

それでも、これ以上新選組には居られないと思った

これ以上甘えるのは、筋違いだと思った

 

「元々、居場所なんて無いのにね。……千景の傍があまりにも心地よかったから…勘違いしていたのね…私」

 

鬼と人の混血で

鬼でもあり人でもあると同時に、鬼ではなく人ではなかった

 

どちらにも属せない、浮いた存在

 

「きっと、私が“原初の鬼”では無かったら、風間家は見向きもしなかった。 それは、他の家も一緒。 “原初の鬼”では無い私には、何の価値も無いのよ」

 

人にも疎まれ、鬼も疎まれる 消えていく存在

すると、不意に千姫がぎゅっとさくらの手を握ってきた

 

「私は、さくらちゃんが“原初の鬼”だから付き合ってるんじゃないよ! さくらちゃんがさくらちゃんだから、一緒に居るの!!」

 

怒った様にそう言う千姫を見て、さくらはくすっと笑った

 

「分かっているわ。 ありがとう、千。 そう言って、もらえて嬉しい」

 

そう言って微笑み掛けると、千姫は少し照れた様に笑みを浮かべた

 

「話、戻すわね。 それで、夜こっそり出て行こうしたのだけれど…土方さんに見つかってしまったの。 そして、止められてしまったわ。 ……あの人は優しい人だから、きっと夜中に女が一人で出歩くなんて危険だって思って止めてくれたのだと思う」

 

あの日は、雨が降っていた

 

「でも……正直、あの人にだけは会いたくなかったわ。 土方さんの顔を見たら、声を聞いたら決心が揺らいでしまう―――そう、感じていたから」

 

そしたら、きっと甘えてしまう

そんな自分が許せなかった

 

「だから、振り向かずにお願いしたの。 “見逃して下さい”って。 そして、逃げようとしたのだけれど…案の定、捕まってしまって………………」

 

急に、そこでさくらの言葉が途切れた

千姫が不思議に思って、さくらを覗き込む

 

「……さくらちゃん?凄く顔赤いよ?」

 

「えっ!? あ、えっと…その………」

 

さくらが、しどろもどろになりながら、視線を泳がせる

その顔は、先程と同じぐらい赤かった

 

「う、後ろから……」

 

「後ろから?」

 

「だ、抱きしめられて………」

 

「え?」

 

「……………」

 

「えええ!? ええええええええええ!!!?」

 

千姫が歓喜の声を上げる

さくらは恥ずかしさのあまり、顔を手で覆った

 

ああ…言ってしまった………

 

今思えば、どうしてあの時は平気だったのだろうか

いや、平気は語弊があるかもしれない

きっと、それ所ではなかったのだ

 

ううう……思いだしただけで、恥ずかしい………

 

今でも鮮明に残る、土方の腕の感触

背中の温もり

耳に響く声

 

「それで?そ れで!?」

 

千姫が嬉々として、身を乗り出す

 

さくらは、火照る頬を押さえたまま

 

「い…居場所がないからって言ったら…“俺がお前の居場所になってやる”って……」

 

「…………っ!」

 

「そ、それで、“だから、ここに居ろ”って……じ、自分に甘えろって…言って…下さって………」

 

「ちょっとぉぉぉぉぉぉぉ!! それ、本当!?何 よ、もう! しっかり、捕まえる所捕まえてるじゃない!! やだ、心配して損しちゃった!」

 

千姫が嬉しそうに、ばしばしとさくらの肩を叩いた

 

「え?えっと…捕まえ……???」

 

さくらが困惑していると、千姫は満面の笑みで

 

「それって所謂、“俺の傍に居ろ” “俺だけに甘えろ” って事でしょ―――っ!! しかも、居場所になるって…! あーなんか、土方さん見直したかもー! やっぱり、男はここぞと言う時に、ばしっと言ってくれる人よねー」

 

「え? ええ…?」

 

俺だけにって……

 

「せ、千?そ、そこまでは言われていないのだけれど…。 その…“ここ”って言うのは、土方さんの傍じゃなくて、“新選組”って意味だと思うし…」

 

「そうかなぁ? 私には、そう思えないけどなぁ~? 直接的には言ってないとしても、節々にそういう意味を感じるわね!」

 

と、きっぱりはっきり断言した

 

「土方さんって、京じゃ鬼副長とか言われて怖れられてるけど、花街じゃ人気あるのよねーあの外見だし? でも、全然なびかないんだって。 ま、そこがいいって言うのが大概の意見なんだけどね。 ちなみに、原田さんも人気よ(この二人が特に人気なの)。 だから、掴めないなーって思ってたんだけど…、なんか話聞いてたら、どっかの馬鹿と違っていい人みたいだし、押さえる所押さえてしっかりしてるし、男前だし、かっこいいし、そういう人ならさくらちゃんあげてもいいかな!」

 

「え……?あ、あの…あげるって……」

 

「だから、土方さんならさくらちゃんの相手に相応しいって言ってるの!」

 

「あ、相手って……」

 

かぁっとさくらが、頬を赤く染めて口籠る

 

「せ、千? 誤解のない様に言っておくけれど…土方さんは別に私の事など何とも………」

 

思っていない と言おうとして、千姫に制止された

千姫は、伸ばした手から人差し指を出して左右に振った

 

「甘いな~さくらちゃんは。 そこまで言ってくれる人が、何とも思ってない訳ないじゃない!」

 

「そう…なの………?」

 

「うん。 間違いないって! 少なくとも悪い印象は持ってない筈よ。 それ所か、結構好感度高いと思うんだけどなー」

 

「そう…かしら……」

 

「うんうん! 感想は?」

 

「え? 感想……?」

 

土方さんが、少なからず私に悪い心象は持っていないという事……?

 

「………う、嬉しい、かな…?」

 

さくらのその答えに満足したのか、千姫が良い子良い子する様に、さくらの頭を撫でた

 

「よしよし、偉い偉い。良くできました」

 

嬉しい…のは、嬉しいのだが……

その反面……

 

「でも…何だか、申し訳ない気持ちも…。 その、色々と心配掛けてしまったり、気遣わせてしまったりしているから……」

 

本当なら、さくらが土方を気遣うべきなのに、逆に土方に気遣わせてしまっている

これでは、本末転倒だ

 

だが、千姫は何でもない事の様に、手を振って

 

「何言ってるのよ! 少しぐらい、気遣わせたって、男はそれが嬉しいんだから! ちょっとぐらい心配掛けたって問題なし! むしろ、心配させてあげなさいよ。逆に、何の心配も手間も掛からない女ってどうかと思うよ? それこそ、不安だわ」

 

少しぐらい手間が掛かった方がいい……?

手間が掛からない方が、楽な様な気もするのだが…

 

「……そんなものなの?」

 

「そんなものです」

 

そうなのね……知らなかったわ……

まさに、目から鱗とは言ったものだ

 

「あーでも、安心したー!」

 

千姫が、「んー」と背伸びしながら言う

 

「安心?」

 

「うん。さくらちゃんが、ちゃんと恋してくれて!」

 

「え……?」

 

こい………

鯉……?

恋……?

 

 

 

    ”恋”

 

 

 

 

「え……」

 

……………

…………………

………………………

 

 

     「ええ………っ!?」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ぜ……全然、話が進まなかった……( ;・∀・)

あっれー?

ここは、左之随想ネタ…と見せかけて、例の頼んだ件の報告回だったんですけどー

欠片も掠らなかったゾ!

 

それ所か……もう、これ恋バナ???

というか、千姫への報告回になってるwww

いやいや、ちょっと自覚させるきっかけにしようかなぁーと、思っただけなんだけどな!

しかも、続きます……

 

あ~女の子トークは花があっていいねぇ~

むさ苦しいのとは、大違いだわ(笑)

 

2011/05/04