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◆ 第2話 -人鬼- 3
小文吾は目の前に突如現れた、死んだはずの姉・沼蘭の姿をした「それ」を見て、大きく目を見開いた。
その瞳も、その顔も、仕草も、すべて……。
自分の知っている姉と同じだったのだ。
「あ、ねき……な、のか?」
小文吾が、恐る恐るそう尋ねると、目の前の沼蘭はにっこりと微笑んだ。
「は、はは……」
小文吾は、なんだか情けなくなった。
知らず、乾いた笑みが浮かぶ。
ここの沼蘭が……姉がいる筈はない。
沼蘭は確かにあの日、死んだのだから。
それでも―――。
小文吾は、自分の目の前の「彼女」が「沼蘭」でないと分かっていても、言わずにはいられなかった。
「すまねえ……姉貴。兄貴を――現八を助けるにはどうしたらいいんだ……? もう、わかんねぇよ……」
「……」
「沼蘭」は何も答えなかった。
答える代わりに、にっこりと微笑む――少し、寂しげに。
それで、気づいた。
小文吾には分かってしまった。
この「沼蘭」が「何者」なのか……。
なんだか、弱音を吐いていた自分が情けなくなる。
はぁ~~~と、がしがしと頭をかくと、小文吾はゆっくりと顔を上げた。
「ごめんな、こんな事させちまって……俺の――所為、だ、よな。でも……なんか、少し気持ちが落ち着いた。ありがとな、真夜」
小文吾がそう言うと、目の前の「沼蘭」は優しそうに微笑んだ。
**** ****
「……」
真っ暗な部屋の中。
見えるのは、月灯りのみ―――。
莉芳は、自分の腕の中で眠る真夜の髪を、愛おしそうに撫でた。
彼女にこうして触れるのは、何度目だろうか……。
いつも、その時の真夜の「意識」はなかった。
そう――彼女は何度止めても繰り返す。
誰かが、危険な時。
誰かが、助けを求めている時。
彼女の中の「異能」の力がそうさせるのか……。
一か所に、留まることをしない。
いつも自由に、その羽根で羽ばたいていこうとする。
それを、莉芳は自身の“鎖”で繋ぎ留めていた。
こうして、この手で抱き“彼女”呼び戻す。
“房中術”。
陰と陽――男と女。
それらを合わせることによって、体内の陰陽二気を調和させて体力の消耗を防ぐ術である。
そうしなければ――真夜のこの身体は朽ち果ててしまうからだ。
彼女の身体は、他のそれとは違う。
故に、魂との結びつきを強めておかねば、いつでも離散してしまうほど、脆いのだ。
だから、莉芳は真夜に「意識体」を飛ばすのを禁じた。
真夜も理解している筈だ。
それなのに―――。
無意識化でやっているのか……。
こう何度も何度も繰り返し、身体から離れてしまう。
あの時もそうだ……。
まだ、「真夜」の適合者が見つからない状態だったのにも関わらず、その身を危険にさらした。
3年前、北部の村で起きた事件―――。
公式発表では、皇族の末の皇女・斎姫が捕らわれたとあったが、事実は違った。
捕らわれたのは、斎姫の身代わりになった“まだ未完成の真夜”だった。
だが、その事実は知られてはならなかった。
故に、軍隊が用いられたが、ほぼ全滅―――。
そこで、動いたのが教会だった。
普通ならば、このような事件に教会は動かない。
しかし、捕らわれたのが“真夜”だと分かった瞬間、そういう訳にもいかなかった。
真夜の存在が表沙汰になる事は、まだ時期早々ではあったし、何よりも真夜自身が、未だ適合者の見つからない“未完成”だった為――下手をすれば「夜刀神」の器が失われてしまう危険があったからだ。
それだけは、避けねばならなかった。
そこで呼ばれたのが、四獣神家の一柱・“里見”だった。
その時の里見家の獣憑きは、莉芳。
本来であれば、里見家の犬神は女性にしか憑かない。
しかし、何故か今代は男である莉芳だった。
それは、教会にとっては「夜刀神」を復活させる為には、好都合でもあった。
何故ならば、「夜刀神」を制する事の出来る唯一の獣神家は、里見家以外では不可能だったからだ。
里見が男で、夜刀神が女ならば……。
生まれてくる子供は、二柱の力を引き継いだ稀有な子となる。
それこそ、教会の求めるものだった。
それ故に、“完成した真夜”を莉芳に預けた。
事実を隠したまま―――。
真夜は教会の思惑を知らない。
知らないまま、莉芳に仕え、慕ってくれている。
教会の思惑通りに動くのは、莉芳としては不愉快だった。
だから、最初は真夜を遠ざけようとした。
しかし、彼女に触れ、話す度に、何か違う感情が芽生え始めた。
傍に置きたい、と。
彼女の、全てを自分のものにしてしまいたいと―――。
気が付けば、彼女の……真夜の一喜一憂に目がいく様になった。
要が真夜にちょっかい掛けようものならば、まるで見せつける様に彼女の名を呼んだ。
「真夜」 と。
だめだと、教会の思惑通りに動く気などなかったのに――。
こうして身体を重ねるごとに、真夜への気持ちが強くなる。
欲しい、と。
彼女が……真夜が欲しいと。
そっと、目の前で昏々と眠る様に、その琥珀の瞳を閉じている真夜に触れる。
胸が苦しくなる。
彼女のその瞳で自分を見て欲しい。
その唇で名を読んで欲しい。
愚かな願いだと分かっている。
それでも、私は―――。
「真夜……」
『―――真夜……』
一瞬、誰かに名を呼ばれた様な気がした。
真夜が、はっと顔を上げる。
瞬間、視界に入ったのは、おびただしい程の無数の妖虫だった。
その中心で、青蘭がにやりと気持ちの悪い笑みを浮かべている。
(……っ)
思わず、真夜が口元を抑える。
その妖虫から、嫌な妖気が身体を支配する様に幾重にも伸びてきたのだ。
咄嗟に、真夜が夜刀を呼ぼうとするが……。
(だめ、身体がないと呼べない―――っ)
今の自分は単なる意識体だ。
「夜刀神」の力を呼び出すには、その力の宿る“身体”と“魂”が必要なのだ。
どちから一方でも欠ければ、呼び出すことは出来ない。
それを知って知らでか「夜刀神」を呼び出さない真夜を見て、
「ほぅ? 御愛刀の“夜刀”はその姿では呼べないようだな……? “夜刀神”の主殿」
瞬間、ぬっと青蘭の手が真夜に伸びた。
捕まえられるはずがない――真夜は意識体なのだから。
そう思ったのに―――。
刹那、ぞくりと真夜の背筋に悪寒が走った。
(やっ……!)
真夜が、青蘭の手を跳ね除けようと、手で払おうとしたが―――。
するっと、手がすり抜けた。
しかし、青蘭は違った。
掴めるはずのない、真夜の首を手で掴み上げたのだ。
(……っぁ)
ぎりっと、深く首を締めあげられる感覚が、真夜を襲う。
(どう、し、て……っ)
そのまま、壁にどんっと押し付けられて、ギリギリと首に掛けられた手に力が籠められた。
「どうした? 抵抗する力もない虫けらの分際で、何故この男を知っている? さぁ、吐け!!」
(――くる、し……っ)
真夜の視界がゆらゆらと揺れて焦点が合わなくなる。
何故、青蘭が自分に触れられるか。
それとも、思念で締め上げられている、“錯覚”なのか……。
もはや、真夜にはそれすらも判断付かなかった。
徐々に、絞められている首に力が籠る。
ぎしぎしと、軋む音が頭の中を支配していく。
その時だった。
「―――やめろぉぉ!!!」
がちゃん!!!! という、けたたましい音と共に、現八の声が地下牢に響き渡った。
今まで、何をしても声を荒げなかった現八が、叫んだのだ。
―――彼女の……真夜の為に。
その瞳が光を帯びる。
「真夜に手を出すな!!!!」
(現八さ……っ)
薄れる視界の中で、現八が自分の為に抗っている。
そんな様子が、苦しくて、辛い。
それを見た青蘭が、面白いモノでも見たかのように、突然笑い出した。
「ははははははは!! 犬飼現八!! 貴様にはこやつを助けることは出来ぬ。その鎖は、貴様程度のバケモノには切れぬ! ――そこで、この女が死ぬのを見ているがいい」
そう叫ぶと、青蘭は真夜を締め上げている手に更に力を込めた。
(―――っ、ああ……っ)
今にも、首がへし折られそうな感覚に捕らわれる。
否、感覚だけではない――これは、きっと……。
「さぁ、死ね! 死ね死ね死ね!!! 魂が死ねば、貴様の身体は朽ちる!! そうすれば、その魂に宿る“夜刀神”の力は我の物だ!!!」
―――狂っている。
そうとしか思えなかった。
もはや、青蘭は人では非ず。
その姿は、バケモノと同じ―――。
「―――やめろ! やめてくれ!! 真夜! 真夜ぁぁぁぁ!!!」
現八が……。
自分の名を呼ぶ声が……遠くに、聞こえる。
がしゃん!!!
大きな音と共に、錠に繋がれたまま現八が叫ぶ。
「教えてやろうか? 犬飼現八。この女はな……」
(―――っ、駄目……。言わないで……っ)
その時だった。
わお―――――――ん。
遠くで、何かの遠吠えが聴こえた気がした。
刹那、それは起きた
「―――な、に!?」
真夜と青蘭の間に突如、白い大きな犬がぬっと現れたのだ。
驚いたのは、青蘭だけではなかった。
現八も初めて目にした“それ”に、大きくその碧みがかった瞳を見開く。
なんだ、あれは……!?
そんな現八とは裏腹に、その犬はまるで真夜を護るかの様に、青蘭を巨大な牙で威嚇してきた。
今にも、食い千切らんばかりの勢いのその犬の牙に、慌てて青蘭が真夜から手を離す。
ぐらり……と、真夜が意識を失ったかの様に、その場に倒れそうになった瞬間――。
何処からともなく現れた手が、真夜の身体を支えた。
「……っ」
それは、男の現八から見ても、大変見目麗しい黒衣の青年だった。
青年は、意識の無い真夜をそっと抱きあげると。
「笙月院・僧侶 青蘭。――此度の件、我々は見逃すことは出来ません。上に報告致します。今のうちに、身の振り方を考えておくがいい」
それだけ言うと、すっとその大きな白い犬と共に姿を消したのだった。
ぎりっと、青蘭が奥歯を噛みしめる。
「ちぃ! 里見の獣憑きと、器がないと何もできない夜刀神風情が……馬鹿にしおって!!」
がんっ!! と、大きな音を立てて壁を殴った。
そして、ぎろっと現八を見ると、
「ふん! どうやら、貴様は助けては貰えないようだなぁ……? 犬飼現八よ。精々最後の余生を噛みしめているといい」
それだけ言い残すと、胸糞悪そうに青蘭が地下牢から去って行く。
残された現八は、小さく息を吐くと 真夜の消えた方を見た。
「真夜……」
お前は、一体……。
◆ ◆
―――教会本部・祈りの神殿前
「そうか……、やはり、まだ真夜の力は安定しておらぬようだな。」
1人の、教会の枢機卿が難しそうに顔を顰めた
その言葉に、黒衣の見目麗しい青年――夜刀が小さく、頭を下げる。
「この度の、真夜に関しまして、わたくしめの監督不行き届きでした。申し訳ございません」
そう言って夜刀は膝を折り、頭を垂れた。
すると、目の前の枢機卿はすっと手を上げ、
「いや、そなたのせいではない。頭を上げよ」
そう言って、夜刀に頭を上げる様に促した。
「ありがとうございます」
夜刀が、ゆっくりと頭を上げる
「笙月院の青蘭か……、まさかここにきて、その名を耳にするとはな。……最近は少し騒々しいとは思っていたが」
「“雷鬼”の気配を感じました」
「ほぅ?」
「おそらくは、北部戦線の折に―――」
「ふむ……、詳しい話は中でしよう。ところで、真夜は此方にはきておらぬのか?」
そわそわと、枢機卿がまるで孫娘を探すかの如く辺りを見回す。
夜刀は、少しだけ小さく息を吐くと、
「真夜は、里見様の元へ―――」
「ああ、莉芳の所に帰ってしまったのか……。久しぶりに、ゆっくり話したかったのだがな」
「申し訳ございません。今、真夜は話を出来る状態では……」
「それぐらい、分かっておる。ただ、少しでも会いに来て欲しいという爺の戯言だと思ってくれてもよかろう」
などと、茶目っ気たっぷりで言って見せるが、夜刀は無表情のままだった。
一体、誰に似たのやら……。
などと、思ってしまう。
「勿論、そなたは話に付き合ってくれるのだろう? 夜刀」
「はっ、仰せのままに。サムエル・J・フェネガン枢機卿様」
新:2025.05.18
旧:2021.11.12

