![]()
◆ 第1話 -信乃と荘介- 8
ぴちゃ――――ん……。
真っ暗な闇の中に、音が響く。
血の滴り落ちる音が―――。
両の手を鎖で繋がれ、傷を確認する事すら叶わない。
ただ、拷問の様な傷だけが日に日に増えていくだけ――。
ちゃり……。
微かに動く指先を動かすと、地下に鎖の音が響いた。
この状態になって、どのくらいの日が経ったのか……。
朧気な記憶を頼りたくとも、思い出そうという気になれない。
喉がカラカラになろうとも、潤う事はなく。
腹が空こうとも、腹が満たされることもない。
思い出すのは―――。
柔らかな栗毛色の長い髪に、美しい金にも似た琥珀の瞳。
“彼女”が振り返って自分の名を呼ぶ。
ああ……どうすれば、お前にまた会えるんだろうな……。
何度、死のうとしても“この身体”は“死なない”。
“死んではくれない―――”。
ただ、お前に会いたかっただけなのに。
その唇で名を呼んでほしかっただけなのに―――。
どうして、お前は……。
逝ってしまったんだ―――沼蘭……。
◆ ◆
―――帝都・新市街 蒸気機関車・新市街駅前
「ここが帝都ですか……」
「うへぇ~、すっごい人ゴミ」
汽車から降りて、真夜の案内でなんとか駅構内から外に出る。
が……。
駅構内もすごかったが、外に出ても見えるのは人人人の波。
今まで住んでいた村とは違う人ごみに、ジェネレーションギャップを受ける信乃と荘介に、真夜がくすくすと笑みを浮かべる。
「じゃぁ、ちょっと連絡してくるわね」
「え……?」
信乃が突っ込む前に、真夜は片手をひらひらと振って、どこかで行ってしまった。
「え、え―――?」
まさか、この状態で放置される羽目になるとは思わず、信乃が絶句する。
荘介も「う~ん」、と、難しそうに顔を顰め、
「とりあえず、信乃はこっちへ。こんなところで迷子になったら大変ですから」
そう言って、信乃をさりげなく、人ごみの少ない方へ引っ張っていく。
「……なんだよここ。歩いても歩いても人ゴミばっか……」
その時だった。
「犬塚信乃、犬川荘介だな」
「!」
はっとして声のした方を見ると、見るからに教会関係者風の男達が、二人を取り囲むかのように立っていた。
「……」
どう見ても、真夜が呼んだわけでも無さそうな男達は、まるで信乃達を吟味するように上から下まで見た後、
「教会本部の命により、君達二人を迎えに来た」
ぴくっとその言葉に、信乃と荘介が反応する。
確かに、彼らは「二人」と言った。
「三人」ではなく……。
「外に車を用意させてある。長老たちも、首を長くしてお待ちだ」
その言葉に、荘介が警戒を示すように、
「申し訳ありませんが、荷物もありますし……先に、宿に寄らせてもらえませんか?」
そう言って、ちらりと真夜が消えたほうを見る。
まだ、真夜の戻ってくる気配はない。
すると、教会側はそれに気づいていないのか……、
「その必要はない。こちらで、用意済みだ」
そう言って一歩前に出てくる。
「―――それにしても」
その内の一人が信乃を見て、ぽつりと呟いた。
「……本当にこんな子供で間違いないのか? 噂は本当だったという事か……。“時を止めたまま成長しない子供”というのは――いや、しかし……本当に、小さい」
瞬間、ぴくくっと信乃の眉間に皺が寄る。
何度も何度も、「本当に」 「本当に」を連呼した挙句、「小さい」ときた。
それは、まさしく信乃への「禁句」だった。
今にもぶち切れそうな信乃を見て、荘介が「はぁ……」とため息を洩らす。
「テ……メェ……っ!!!」
その信乃が、ついに切れた――と、思った時だった。
「―――犬塚信乃」
不意に、辺りの空気が一変する。
その“声”に、信乃が大きくその瞳を見開いた。
「思ったより遅かったな、待ちかねたぞ」
そして、ゆっくりと声のした方を見る。
そこにいたのは―――。
白い教会服に身を包んだ、金髪の美しい青年と――そして、その隣に真夜が立っていた。
ざわついたのは、教会員だった。
「里見様……!? 夜刀神様まで……!!?」
「何故、こちらに……っ!?」
教会員が信じられないものを見る様に、里見と呼ばれた人物を見た。
だが、里見と呼ばれた青年は気にした様子もなく、そのまま、
「この二人を迎えに来ただけだ。大塚村の生き残りの者なら、私の仕事だろう」
「いや、しかし長老が……」
「後見人として、私が面倒を見る」
そう言って、真夜の方を見た。
真夜はこくりと頷くと、信乃と荘介ものへやってきて、
「行きましょう」
そう言って手を差し出す。
「里見……? それに夜刀神って……」
荘介が、そう呟いた時だった。
「莉芳」
信乃がそう言葉を発した。
「……信乃? 彼を知ってるんですか?」
荘介には記憶にない名前だった。
だが、信乃には違ったらしく……。
「里見莉芳だよ。四獣神家のひとつの」
「四獣神家……」
それは、先日の狐面達を思い出させた。
それに―――。
まるで、真夜が里見莉芳を呼んできた様だった。
真夜と何か関係が……?
そう思って、真夜の方を見るが、真夜はにっこりと微笑むだけだった。
そして、
「行きましょう、莉芳が待っているわ」
そう言って、信乃と荘介の手を引いた。
戸惑ったのは、信乃だ。
「ちょっ……真夜!? なんで、真夜が莉芳と――」
信乃がそう言うと、真夜は「え?」と不思議そうな顔をして、
「どうしてって……莉芳は、私の―――」
「夜刀神様!! 困ります!!」
真夜が何かを言おうとした時だった。
いきなり、教会員が声を張り上げると、真夜にその手を伸ばそうとした。
瞬間―――。
―――ばしっ!!
と、音がしたかと思うと、いつの間に現れたのか……。
真夜と教会員の間に、黒髪の美しい青年が立っていた。
むっとしたのは、教会員だ。
「な、なんだ、お前はっ!!」
今にも食って掛かろうとするその教会員を、黒髪の青年はその美しい菫色の瞳で一瞥すると、
「真夜には汚い手で、触らないでいただきたい」
「なっ……!!?」
教会員が顔を真っ赤にして、怒りの形相に変わっていった。
「あっちゃ~~~、それいっちゃマズいだろ……」
と、信乃がぽつりとぼやく。
すると、教会員はわなわなと震えあがり、
「貴様……っ、私を愚弄するか!!?」
あわや乱闘になる―――。
そう誰しもが思った時だった。
不意に、真夜が「夜刀」と声を発した。
そして、信乃達に向ける表情とは、全く違う――冷淡な表情に変わる。
その金にも似た琥珀の瞳が、教会員を見た瞬間、気のせいか……彼女の瞳が一瞬、緋色に変わった気がした。
「真夜……?」
荘介がそれに気付く。
だが、真夜は気にした様子はなく、元の表情に変わると、にっこりと微笑んだ。
すると、ふいっと夜刀と呼ばれた美しい青年が、真夜の肩を抱き寄せ、
「参りましょう、真夜。お二方もどうぞこちらへ―――」
そういって、教会員を無視して信乃と荘介を促した。
何とも言えない、不気味な感覚だが……何故か、本能的に「この男に逆らってはいけない」と感じたのか、信乃がこくこくと頷き、真夜達の後に続く。
荘介も何とも言えない顔で、その後に続いた。
莉芳の前にやってくると、何故か「遅い」と一括される。
理不尽だと思ったのは言うまでもない。
**** ****
―――帝都・旧市街 古城宿 見浪館前
「ハ?」
車に乗せられて、着いたのは“古城宿 見浪館”という宿屋だった。
説明によると、帝都は大きく分けて三区域に分かれているという。
ひとつが、皇族や旧家が居を構える古城区。
ひとつが、近代的な街並みを誇る新市街。
そして――下町の風景を色濃く残旧市街。
その内、ここは旧市街になるという。
宿に着くなり、ぽいっと信乃と荘介が車から降ろされた。
そして一言、
「聞こえなかったのか? 私は忙しい。話は明日だ、私が来るまでこの旧市街を出るな。いいな?」
「……」
え、え~~~と……。
信乃と荘介が、反応に困っていると、ふと莉芳が「ああ……」と、何かを思い出したかのように、
「お前たちの幼馴染は、心配しなくていい。明日、会わせる――ではな」
それだけ言い残すと、車が動き出そうとする。
と、その時、突然莉芳の隣に座っていた真夜が車の扉を開けた。
ぎょっとしたのは運転手だ。
慌てて急ブレーキをかける。
「真夜様!!?」
運転手がそう言うが、真夜は気にした様子もなく、ひらりと車から降りると、
「ごめんなさい、運転手さん」
そう言って、両の手を合わせた。
「真夜?」
莉芳が、訝しげに真夜を見る。
すると、真夜は莉芳にお願いするかのように、
「私も、今夜はここに泊まっては駄目かしら? せっかく、信乃達と会えたのだもの、もっと色々お話したいわ。……駄目? 莉芳」
そう言って、手を合わせておねだりしてみる。
「……真夜、お前は私の―――」
そこまで何か言い掛けた時だった。
真夜は莉芳が言い終わる前に、
「ありがとう、莉芳。愛しているわ」
そう言ってにっこりと微笑んで、莉芳の頬にキスをする。
「あああああああああ―――――――――!!!!!」
瞬間、叫んだのは他ならぬ信乃だった。
逆に、莉芳は平然としているし、真夜も信乃の反応にきょとんとしている。
「信乃?」
真夜が不思議そうに首を傾げる。
だが、信乃はそれどころではなかった。
信乃にとって「憧れのお姉さん的存在」な真夜が、あろうことか、里見莉芳に……。
“莉芳に……”
「俺だっ、て……」
ぷるぷると、信乃が震えながら、
「俺だって、真夜に“ほっぺにちゅー”してもらった事ないのにぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃ!!!!!」
そう叫びながら、その場から逃げる様に走り出した。
「信乃!!?」
荘介と真夜の声が重なる。
真夜は、すぐさま持っていた荷物を荘介に預けると、
「私が行くわ、荘介はここで待っていて?」
そう言って、走り去っていった信乃を追い駆けていった。
二人がいなくなり、車両の中の莉芳と二人にされる。
「え、ええっと……」
荘介が困ったように、苦笑いを浮かべる。
すると莉芳は呆れた様に、溜息を洩らし、
「ガキだな……」
そう言って、車の窓を閉めかけて、ふと思い出したように、
「荘介」
いきなり名を呼ばれ、荘介が慌てて「あ、はい」と返事をする。
すると、莉芳は荘介の方一度だけ見ると、
「あれには、かすり傷一つ付けるなよ」
それだけ言い残すと、そのまま車は走り去ってしまった。
ぽつーんと、一人取り残された荘介は、うーんと少し考え、
「あれとは……真夜の、事ですよね……多分」
信乃のことだから、大丈夫だとは思うが……。
まぁ、ここで考えても仕方にと判断したのか、そのまま「すみませーん」と言いながら宿屋に入っていったのだった。
新:2025.05.18
旧:2020.09.12

