桜散る頃-紅櫻花-

 

 月の宴 1

 

 

 

「宴?」

 

紗羅は佳葉の入れてくれたお茶を飲みながらきょとんとしていた

今日のお茶は白鶏冠だと言っていた

口当たりがよくすっきりしたお茶だ

さわやかで甘い若木の香りが部屋中に漂う

 

佳葉は「はい」と言いながらにっこりと笑った

 

「何でも、明後日、宮殿の方で行われるらしいですよ」

 

「そうなの」

 

最近では足も良くなり、寝台から出て窓辺や庭で過ごす事が多くなった紗羅は、書を読みならが佳葉の話を聞いていた

気持ちの良い風が紗羅の頬を撫でる

 

紗羅はふと考え

 

「趙雲様も行かれるの?」

 

と訊ねた

佳葉は当然という感じで

 

「はい、勿論ですよ」

 

と答えた そして

 

「で、紗羅様」

 

佳葉がにっこりと笑い、手を上げると後からぞろぞろと侍女達がやってきた

手には色とりどりの反物を持っている

緋に蒼、白に碧色、黒地に金糸の刺繍が入ったものまで

 

「…………?」

 

紗羅は大きく首を傾げて

 

「紗羅様。どれが宜しいですか?」

 

佳葉がにっこり笑いながら言う

 

「え…と、これは……?」

 

ますます持って意味が分からない

 

「紗羅様のお衣装を仕立てるのですわ」

 

はりきった声で佳葉は答えた

やる気満々だ

 

「衣装って……」

 

「宴に着ていくそのお衣装ですわ」

 

「宴?でも、私は――――」

 

「勿論、紗羅様も出席なさるのですよ?趙雲様も出席なさりますし、ご一緒に行かれるのですよ」

 

「え!?」

 

そんなの初耳だ

紗羅は驚愕の声を上げた

自分は単に、療養させてもらっている身で…そんな国で開かれる宴なんて出席するのは恐れ多いと思った

 

でも、佳葉はにこにこしながら

 

「足も治ってきましたし、毎日書を読むだけというのもつまらないでしょう?気晴らしになりますわよ」

 

「で、でも――――」

 

気晴らしで気軽に宴になど出席して良いものか…

 

「これは、劉備様からの申し出ですよ。行きますわよね?」

 

佳葉がずいっと迫ってくる

 

「………あの…」

 

「行きますわよね?」

 

「………その…」

 

「行きますわよね!」

 

「………はい…」

 

負けた…

佳葉の迫力に負けたのもあるが、劉備様直々の申し出なら断れない

紗羅は諦めた様に返事をした

 

「さぁ~そうと決まれば!」

 

佳葉がいそいそと反物を並べだす

 

「この色も良いですね~でも、こちらの色も良いですわ。あ!やっぱりこちらの色が一番良いかしら」

 

「佳葉様、こちらもお勧めですよ」

 

「あら、良い色じゃない」

 

「佳葉様、こちらも…」

 

次々と出てくる

侍女や佳葉たちは楽しそうに反物の色を選んでいた

その姿が可笑しくて紗羅はくすっと笑った

 

「何だか、楽しそう」

 

「あら、楽しいですわよ?趙雲様のお衣装を仕立てるのも楽しいですけど、やっぱり色は落ち着きのある物に限られますし(仕事に支障が出るほど派手なものは着せられませんから)その点、紗羅様は女性ですから、選り取り見取りで選ぶのが楽しいのですわ」

 

佳葉が嬉しそうににっこり笑う

 

「紗羅様。このお屋敷はずっと趙雲様だけでしたから、紗羅様がいらっしゃって華やかになって皆、嬉しいですよ」

 

そう言われてしまうと照れてしまう

紗羅は少し頬を赤らめ返事の代わりににっこりと微笑んだ

 

「紗羅様はどれが良いですか?」

 

「私? 私は……」

 

思えば魏に居た頃は、あの男の好みか、蒼系や紫系が多かったし

他の色なんて着る機会など無く ただ、女官が準備してきた衣装を着る毎日…

自らで選ぶ事など一度として無かった

 

並べられた反物を見渡す

白地に桃の刺繍の入った反物に、碧色の反物 緋色に蒼色 どれも美しかった

 

悩む……

思わず目移りしてしまう

でも、不思議と楽しかった

 

「これ…とか」

 

「これですか?」

 

佳葉が紗羅が指差した反物を取って見せる

 

碧地に白と深い緑の刺繍が鮮やかに映えた反物だった

 

「良い色ですわね」

 

佳葉がほぅ…とため息を漏らす

 

「その布地でしたら、こちらも宜しいですわよ。薄碧の透明な布地ですし刺繍も美しいですし、打掛に宜しいかと。後…」

 

と言いながら、蒼地に薄白の刺繍の入った布地を取り出し

 

「帯はこれにしましょう」

 

佳葉はにっこり笑い、布地を合わせていく

 

「このお衣装ですと…櫛や簪は琥珀に翡翠、蒼玉に翠玉・藍玉…月長石もよろしいですわね。あ!小さく紅玉があってもよろしいですわね」

 

「佳葉様。結い紐はやはりこれかと…」

 

「そうね、この色が一番紗羅様の漆黒の髪を引き立てるわね」

 

次々と決まっていった

 

「そうだわ!」

 

佳葉が何かを思いついた様にぽんと手を鳴らす

 

「どうせだから、何着かお衣装を作ってしまいましょう!!」

 

「それはよろしいですわ!」

 

侍女も嬉しそうに声を上げる

 

「えぇ!?本気なの!?」

 

流石にそれには紗羅も驚き声を上げた

佳葉は「はい!」とやる気満々だ

 

「緋地に桃の打掛、黒に金糸の刺繍のものには薄白の打掛がよろしいかしら。白地に桜の刺繍のものには薄桃の同じ刺繍の入った打掛がよろしいですわね」

 

一体、何着作る気なのか…

 

「そうなると…桃や白、白銀の結い紐も要りますわよ。佳葉様」

 

「そうね!簪は紅玉や瑠璃や黒曜のも作りましょう!!」

 

きゃぁきゃぁと佳葉と侍女達が話している

紗羅は少し困り顔でそれを見ていた

 

お金…相当掛かるんじゃないのだろうか…

それに、着る機会だって…

色々心配事が増えていく

 

そんな心配を他所に、佳葉たちは楽しそうだった

あれはとか、これはなどと言いながら次々と決めていく

 

「ねぇ…佳葉…大丈夫なの…?その趙雲様とか…」

 

お困りになるんじゃぁ…

 

「大丈夫ですよ」

 

佳葉がにっこり笑う

 

「趙雲様がこの反物用意なさったんですよ?好きなようにして良いと伺っておりますから」

 

「え?趙雲様が?」

 

「はい。趙雲様もきっと紗羅様の艶姿 楽しみにしてますよ」

 

「艶姿って…」

 

顔が赤くなる

佳葉はにっこりと笑い

 

「折角の反物ですし、余らせても勿体無いですから、普段着も作りましょうね?この屋敷にある物は少ないですし…急いで作らせた物ばかりですから」

 

いそいそと次の衣装の組み合わせを考えていく

紗羅はその姿が可笑しくてくすくすと笑い出した

 

「紗羅様は美しいから何を着せても絵になりそうで…選び甲斐がありますわ」

 

侍女の1人がほぅ…と呟いた

佳葉ががしっとその侍女の手を掴む

 

「そうよね!分かるわ!その気持ち!!」

 

力説しならが佳葉はうんうんと頷いた

 

「まさしく、侍女冥利に尽きますわ」

 

他の侍女も揃って口を開いた

 

「皆!どんどん決めてくわよ!」

 

「はい!」

 

佳葉も侍女達も楽しそうだ

紗羅は嬉しくなって微笑んだ

 

こんなに思ってくれるのが嬉しいと思える日が来るとは夢にも思わなかった

あのまま魏に居たならばそんな感情など持ち合わせなかっただろう

 

佳葉が言葉を漏らす

 

「紗羅様はそうやって笑った顔が一番良いですわ。趙雲様といい、紗羅様と良い、私は良い主に仕えられて幸せです」

 

「佳葉………有難う」

 

心からそう思えた――――

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

   ****    ****

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「趙雲様。有難う御座いました」

 

夜、趙雲が訊ねて来て、開口一言目に紗羅はそう言った

趙雲は最初何の事か分からず首を傾げた

 

紗羅はくすりと笑い

 

「今日の反物ですわ」

 

「ああ!」

 

趙雲も何の事か分かり、ぽんと手を叩く

 

「気に入る物はありましたか?」

 

「はい」

 

紗羅はにっこり笑いながらそう答えた

 

「そうですか。良かった…私はあの手の事には疎いのでどういった物が良いのか分からず、出向いてきた問屋から色々買ってしまいました」

 

趙雲が照れながら言う

 

「趙雲様が選んで下さったのですよね?嬉しいです」

 

「いえ……」

 

少し頬を赤らめながら趙雲は答えた

沢山の反物も嬉しかったが、趙雲が選んでくれた事実 それが何よりも嬉しかった

 

「簪や櫛も国一の職人に頼んでありますから、きっと美しい物が出来ますよ」

 

趙雲が照れた様に早口で言う

紗羅はにっこり笑い「楽しみです」と答えた

 

 

 

「宴は何の宴なのですか?」

 

劉備の性格からして遊びで毎晩の様に宴を開くとは思えなかった

そうなると、何か目的のある宴なのだろう

 

「それは……」

 

そこまで言いかけて趙雲が口を噤む

 

「?」

 

紗羅は首を傾げた

 

聞いてはいけない事だったのだろうか?

そんな疑問すら浮かんでくる

 

「私も聞いたときはびっくりしました。貴女もきっと驚かれるでしょう」

 

「?」

 

ますますもって良く分からない

そんな紗羅とは裏腹に趙雲はにっこり笑い

 

「秘密です」

 

と言って口の前に指を立てた

 

「趙雲様?」

 

「行ってからのお楽しみですよ」

 

「?」

 

紗羅は意味が分からず、大きく首を傾げた

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

   ****    ****

 

 

 

 

 

 

 

 

 

————宴、当日

 

「まぁ…紗羅様…お美しいですわ…」

 

佳葉がほぅ…とため息を漏らす

 

碧色に白と深緑の刺繍の衣装、薄碧色の透明な打掛

お揃いの蒼色に薄白の刺繍の帯と結い紐

髪は結い上げられ、長い漆黒の髪が横から垂らされていた

頭には結い紐の他に琥珀や翡翠・藍玉などの付いた金の簪が飾られ、紗羅の美しい髪を一層引き立てていた

形の良い唇には紅が塗られ、顔にはうっすらと化粧が施されていた

紗羅の形の整った顔をその化粧が一層引き立たせている

歩くとシャラン…と簪が鳴った

 

「変じゃない?」

 

紗羅が心配そうに訊ねる

佳葉は力いっぱいぶんぶんと首を横に振った

 

「もう、完っ璧ですわ!きっと趙雲様もこれなら満足して下さいますわよ」

 

「そう…かな…」

 

趙雲に会う事を考えると、少し頬が熱くなった

その時、とんとんと扉を叩く音が聞こえた

 

「きっと、趙雲様ですわよ」

 

佳葉が耳打ちしてくる

 

ドキン…と鼓動が跳ねた

 

趙雲様……

 

「紗羅殿?支度は整いましたか?」

 

扉の向こうから趙雲の声が聞こえてくる

 

紗羅は息を飲み「……はい」と答えた

 

その返事を聞いてか、きぃ…と扉が開き、趙雲が部屋の中に入ってくる

 

蒼をベースに金糸の龍の刺繍の入った衣を纏い趙雲は入ってきた

横から流れる衣は薄蒼の透明な衣装で、挿し色に碧が使われている

 

「趙雲様……」

 

笑みを作り、シャラン…と音を立てながら紗羅は趙雲に1歩近づいた

心臓の音が聞こえるんじゃないかというぐらい響く

 

趙雲のかっこ良さに紗羅はほぅ…とため息を漏らした

 

当の趙雲は目を見開いたまま言葉を失っていた

完全に紗羅に見惚れていた

 

佳葉が「趙雲様。趙雲様」と肘打ちをしている

その瞬間、趙雲ははっと我に返り

 

「あ…その…紗羅殿……」

 

言葉が繋がらない

 

「はい…」

 

紗羅が微笑み返事をする

趙雲は頬を赤らめ少し俯き、「その……」と言葉を捜した

 

ごほんっと佳葉がわざとらしく咳払いする

趙雲は改まって上を向き

 

「…た……大変、お似合いです……」

 

と、それだけで精一杯の様だ

 

佳葉が目で「もっと褒めるべきです」と訴えている

が、趙雲は「無理だ」と首を横に振った

「美しいとか綺麗ですとか言えないんですか!?」

「あれが精一杯だ!」

などと、目での攻防が繰り広げられていた

 

紗羅はくすりと笑い

 

「有難う御座います」

 

と答えた

趙雲はほっとし

 

「あの…では、行きましょうか…」

 

ギクシャクとしながら趙雲はすっと手を差し出した

 

「はい」

 

紗羅が趙雲の掌に手を添える

 

そして、そのまま馬車まで歩いていった

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「じゃぁ、後は頼む佳葉」

 

「畏まりました」

 

佳葉が一礼する

2人を乗せた馬車はガラガラと音を立てながら宮殿へと向かって行った

 

残された佳葉、他侍女や家人達ははぁ…と ため息をもらし

 

「まったく、うちの趙雲様は…」

 

と口々に言った

 

「でも、紗羅様は本当に美しいですわね」

 

「そう思うわよね?」

 

「はい。もう絶対に!」

 

「趙雲様ったらもっとお声を掛けられたらよろしかったのに…」

 

「あれが精一杯なんだそうよ」

 

佳葉が呆れ声で言う

 

「うちの趙雲様は照れ屋だから、まぁ…及第点って所ね」

 

「でも、本当に似合いの2人ですわ」

 

「それは、私も思う!」

 

「ですわよね~?このまま紗羅様ずっといらっしゃったら宜しいのに…」

 

「いっその事、趙雲様の奥様になられれば宜しいのよ!」

 

「賛成です!!」

 

 

まさか、家人達の間でこんな会話がなされているとも知らず、趙雲と紗羅は宮殿に向かったのであった

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

今回は衣装の仕立てがメインです

うちの趙雲はヘタレですから、言えないんだな~(-_-;)

 

2008/06/08