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◆ 序ノ章 “審神者” 4
「……黙ってて悪かった。俺は人じゃない、刀――付喪神なんだ。銘は国永、号は鶴丸。皇室の御物扱いされてる鶴丸国永――それが俺の本当の名だ」
「……」
りんさんが……人、じゃ、ない……?
彼は今、何と言ったか……
“鶴丸国永”そう言わなかっただろうか
鶴丸国永と言えば、平安期の刀工・三条宗近の弟子である五条国永の手によって作られた太刀だ
それは、五条国永の作で最も優美と称えられる名刀であり、数多の有名武将が欲した刀――
安達奏盛・北条貞時・織田信長・仙台藩伊達家
上げたらきりがない
最終的には、伊達家より明治天皇に献上され御物となっている名刀だ
それが……りん、さん……?
沙紀は信じられないものを見る様な面持ちで青年――鶴丸国永を見た
それを見た鶴丸が、少し寂しそうにその金の瞳を細める
「やっぱり、気持ち……悪い、よな……。人じゃない俺が、きみの傍にいたなんて――」
鶴丸の寂しそうなその言葉に、沙紀ははっとした
自分は今どんな顔をしていた?
彼を傷つけてしまった――
「……あ……」
それが決め手だったのか――
鶴丸は苦笑いを浮かべると、「じゃあ……」と言い残して沙紀の目の前から去って行こうとした
違う
そうじゃない
そんな事など思っていない……っ
その想いが、沙紀の身体を動かした
「いや……っ、嫌ですっ! 行かないで……っ、りんさん!!!」
沙紀の今にも泣きそうな叫び声に、鶴丸が思わずその動きを止めた
その瞬間、沙紀は駆け出した
そして、そのまま鶴丸の背にしがみ付く
「りんさんは、りんさんです! りんさんが、鶴丸国永だったとしても、人じゃなかったとしても関係ありません! 私が寂しい時、辛い時、いつも傍にいて助けて下さったのは貴方様です! だから、私――っ」
そう、関係ない
彼が人でなかろうと、たとえ刀の付喪神だったとしても
彼は彼だ
沙紀をずっと見守ってくれていた人だ
辛い時も寂しい時も、ずっといつも傍にいてくれた大切な人――
「りんさん……」
沙紀は泣きそうになりながら、鶴丸の背中に顔を埋めた
「……いか、ないで……」
嗚咽を洩らしながら、吐き捨てる様に呟かれたその言葉に、鶴丸は天を仰いだ
「でも、俺は人じゃないんだぞ……? 今まで、きみを騙していたんだ」
ずっと、初めて出逢ったあの時からずっと――
“刀”として連れられてきた俺をきみは……
「いてやればいいじゃないか」
その時だった
二人のやり取りをずっと見ていた山姥切国広が、そう呟いた
「国広……?」
「そいつは、あんたが何者でもいいって言ってるんだ。だったら、あんたはそれに応えてやればいい」
「……簡単に言うなぁ……」
ははっと、鶴丸は苦笑いを浮かべた
それから、自分にしがみ付いている沙紀を見る
その小さな肩は震えていた
泣いている
ずっとずっと、大事にしてきた彼女が泣いている
思わずその肩を抱き寄せ、その腕に閉じ込めてしまいたくなる
だが――
ぎゅっと、鶴丸は拳を握りしめた
「……ごめんな、沙紀……」
それだけ言うと、鶴丸はすっと沙紀を押し退けた
そして、そのまま踵を返して立ち去っていったのだ
「――りんさん!!」
沙紀が必死に追いかけ様とするが、その手は……彼には届かなかった――
廊下で泣き崩れる沙紀に、山姥切国広は困った様に溜息を付いた
たった今顕現したばかりの自分には、分からなかった
二人の間に今まで何があったのか、どれだけの時間を育んでいたのか
だが、分かっている事はある
自分の今の主とも呼べる彼女が泣いている
それが、酷く苦しく感じた
これはなんだ……?
彼女の心の悲しみがまるで自分にまで伝わって来ている様だ
「主さま……」
こんのすけが、沙紀を慰める様に彼女にすり寄った
「哀しまないで下さい……」
「こんのすけ……」
沙紀が堪らず、こんのすけを抱きしめる
そして、そのまま嗚咽を洩らした
山姥切国広は、ただそれを見ているだけしか出来なかった――
◆ ◆
沙紀を――傷つけた
その想いが、鶴丸の心を支配していた
本当なら、その肩を抱き寄せてやりたかった
涙を拭ってやりたかった
でも、俺は人じゃない
刀……なんだ……
沙紀には、きっともっと大事な奴が現れるだろう
人間の、刀では無い男が
見守るつもりだった
沙紀が幸せになってくれれば、その相手が誰であろうと構わなかった
沙紀さえ幸せならばそれで良かった
俺はただ、遠くから見守り続けるだけのつもりだった
だから、この五年間彼女の傍を離れた
でも……
沙紀が“審神者”に選ばれると聞いて、いてもたってもいられなくなった
そんな危ない事させたくなかった
沙紀には人として幸せを掴んで欲しかった
なのに――
「おや? そこにいるのは鶴丸君じゃないか」
その時だった
今、一番聞きたくない声が聞こえてきた
振り返ると、そこにはスーツ姿の男――小野瀬が手をひらひらさせながら立っていた
「小野瀬――」
鶴丸が怪訝そうにそう言うと、小野瀬は飄々とした顔で
「護衛対象ほったらかして、今まで何処に行ってたのかな?」
にまにまと笑いながら肩にぽんっと乗せられた手が妙に不快に感じ、鶴丸はその手を弾いた
「……関係ないだろ」
そう吐き捨てると、そのまますたすたと歩き出した
すると小野瀬は、「へぇ~」と声を洩らし
「そういえば、“神凪”殿のお屋敷に刺客が入ったらしいね?」
「……」
「いや、もう“審神者”殿と呼ぶべきかな? 無事、山姥切国広も顕現出来たようだし、やはり彼女ほど“審神者”に向いている人材はいないよ」
うんうんと頷く小野瀬に、鶴丸は嫌な予感を感じた
まさか……
そう思った瞬間、鶴丸は小野瀬の襟首を掴んでいた
「おい! なんでお前がそれを知っている!! まさか……っ」
そこから先の言葉を言う前に、小野瀬がにやりと笑みを浮かべた
こいつ……っ!!
思わず殴りたくなる衝動を必死に抑える
鶴丸はどんっと小野瀬を突き飛ばすと、そのまま背を向けた
鶴丸の反応は小野瀬には予想済みだったのか、何事も無かったかの様にネクタイを直すと
「ま、鶴丸君は今まで通り僕の様な要人の護衛をしておけば、その内もしかしたら“審神者”にも会えるかもしれないよ?」
その言葉に、鶴丸が小野瀬を睨んだ
「あいつは、“審神者”にはならせない……っ! 次、もし沙紀に何かしたら、お前の身がどうなるか覚悟しておくんだな」
それだけ吐き捨てると、鶴丸はそのまま去って行った
その様子を小野瀬はその口元に微かに笑みを浮かべながら「子供だなぁ……」と呟くのだった
◆ ◆
「すみません……山姥切さん……、恥ずかしい姿を見せてしまって――」
赤く目を腫らした沙紀が、申し訳なさそうに山姥切国広に謝罪する
「あ、いや……俺は別に……」
謝られてもどう対応していいのか分からなくて、山姥切国広は困った様に視線を泳がせた
見ると、不思議な部屋だった
とても、空気が澄んでいて、人が住んでいる部屋には見えない
まるで、“神”の住まう部屋だ
「と、とりあえず、その……これで目を押さえておくと良い」
今にもまた泣き出しそうな沙紀に、先程 巫女が持って来てくれた桶から水を含んだ手巾を渡す
沙紀はそれを素直に受け取ると「ありがとうございます」と答えた
だが、その躑躅色の瞳にはまた涙がじわりと浮かんできていた
「私……りんさんに嫌われてしまったのでしょうか……」
そう言って、また沙紀がぼろぼろと涙を流し始めた
これには、山姥切国広も困った
人間の、しかも女が泣いているのをどう対応していいのか分からないのだ
きっと、鶴丸ならもっと上手く立ちまわるのだろうが……
生憎と顕現したばかりの山姥切国広には、その対応の仕方が分からなかった
すると、こんのすけが沙紀の傍にやって来て
「主さま、泣かないで下さい。きっと鶴丸どのも、主さまを嫌ったりなどされていませんよ」
「でも……」
こんのすけの言葉に、沙紀の頬に涙が伝う
「りんさんは……行って、しまった……」
行かないで欲しいと言ったのに
傍にいて欲しかったのに
彼は、行ってしまった
自分の傍にはいてくれなかった
「私は……りんさんが何者でも構わなかったのに……っ」
彼が人であっても刀であっても、そんな事どうでもよかった
ただ、彼さえいてくれればそれで良かったのに……
ぼろぼろと涙を流す沙紀に、こんのすけは困り果てて、山姥切国広に助けを求める様に見た
「山姥切どのも、主さまに何か言って下さい」
いきなり話を振られ、山姥切国広が「俺が?」と声を洩らす
それから、泣いている沙紀を見て
「あ……その、だな」
どうしていいのか分からないのか
山姥切国広は困った様に視線を泳がせた後、ふと沙紀の頭に手を乗せてきた
そして、ぽんぽんと優しく撫でる
驚いたのは沙紀だ
きょとんとその大きな躑躅色の瞳を瞬かせる
「もう、泣きやめ。お前が泣くとそいつが……困ってる」
「え……? あ……」
言われてそちらを見ると、こんのすけが「主さま……」と悲しそうにこちらを見ていた
「こんのすけ……」
沙紀はそっと手を伸ばすと、そのままこんのすけをぎゅっと抱きしめた
「ごめんね……」
そう言って、こんのすけの頭を撫でる
それから、山姥切国広の方を見て
「山姥切さんも……慰めて下さってありがとうございます」
沙紀がそう言って、笑顔を作る
それを見た瞬間、山姥切国広が微かに息をのんだ
初めて見る、彼女の笑顔だった
なんだ……?
不思議と、何故か心が嬉しいと囁く
そう思うと、彼女を見ていられなくなって山姥切国広はさっと視線を反らした
「いや、あんたに泣かれると……その、俺もどうしていいか分からなくて困る……から、な」
そう言った、山姥切国広の耳は微かに赤かった
ああああ…鶴 去っちゃった…
旧:2015.07.01
新:2024.06.30

