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◆ 第1話 -信乃と荘介- 6
詠が……聞こえる。
透き通るような、綺麗な綺麗な詠声が―――。
雪の中、その詠声だけが……響いていた。
「……綺麗な、詠だ……」
ぽつりと、赤銅色の髪の男は呟いた。
もう意識も薄れて、このまま目を閉じれば楽になれるのではないかと。
そんな気も起きてくる。
そんな中、雪が降る中で聞こえてくる詠声だけが、辛うじて男を現実に引き止めていた。
『生きたいか……?』
声が……聞こえる。
誰かもわからない綺麗な声が。
「それは……もち、ろん……死にたく、ない、よ……」
男は朧気な意識の中そう答えた。
『何故、生きたいと願う……?』
何故かって?
そんなの……。
男は手のひらの中の、紅い髪止めを握り締めた。
「妹が……妹が、いるんだ……。子供の頃に……別れたきり、だ、けど……」
自分は誰と会話しているのか。
それでも、男はぼんやりとする頭で答えた。
「たった一人の妹……」
そう、たった一人の小さな妹。
“絶対に、迎えに行く”―――。
あんなに誓ったのに……。
その約束を、未だ自分は果たしていない。
だから……。
ゆっくりとその瞳を閉じる。
意識が遠のいていく。
――生きて、傍にいてやりたい……。
そのまま、男の意識は途絶えた。
◆ ◆
「例の二人がこちらに向かっている様だ」
薄暗い部屋の中。
円卓を囲む様に、フードを被った者達が座っていた。
その内の一人がそう呟く。
すると、向かい側に座っていた者が、
「尾崎がまた勝手に動いたらしいが?」
怪訝そうにそう尋ねてくる。
すると、隣の者が、
「一度目はとっとと追い払われたと聞いたがのう?」
「あの五弧をか? それは面白い」
くっと、その者が喉の奥で笑った。
すると、反対側の者が、小さく息を吐き、
「逆に“里見”は相変わらず、沈黙を保ったまま……」
「フン、生意気な若造よ」
「だが、“夜刀神”が動いたとも聞くが……?」
その言葉に、中央の者が小さく息を吐いた。
「それすら、真偽は定かではない……。“夜刀神”こそ得体の知れない女よ。一度は滅んだ身でありながら、現世に舞い戻ってこようとはな……」
「だが“夜刀神”こそ我らの“悲願”を達成するには不可欠。“あの女”に見つかる前にあの力を我らの物にしなければ……」
その言葉に、皆が納得する様に頷く。
「しかし、“村雨”も行方知れず……」
「“あの女”も杳として行方知れず……」
「他に手段がなかったとはいえ、全ての手掛かりが大塚の村で焼き尽くされた……」
―――あの生き残り以外は……。
がたん……。
不意に影が掛かり、莉芳は何かに気付いたかの様に「ああ……」と声を洩らした。
「……爺どもが動き出したようだな」
そう言って、ぱたんと持っていた本を閉じる。
「……狐共も煩い。要もまた余計な事を」
お陰で、真夜までもが行くと言い出してしまった。
全ては、要の所為と言っても過言ではない。
しかも、何を好き好んで女子供の相手をしているのか……理解に苦しむ。
ふと、その時 脳裏にあの時の真夜の姿が思い出された。
「――ああ、いや……もう、5年も経つのか……」
少年が自分の為ではなく、泣いている血の繋がらない妹の為に生きる事を選んだように。
彼女もまた―――。
◆ ◆
「そういえば、信乃も荘介も帝都に行くのは初めてかしら?」
汽車を待つ駅の構内で、真夜がそう尋ねてくる。
真夜のその言葉に、二人が頷いた。
「おう! つーか、久々に森の外に出た!!」
そう言う信乃は何だか嬉しそうだ。
理由はどうであれ、隔離された空間から解放されるのは嬉しいらしい。
その様子がおかしくて、真夜がくすりと笑った。
「二人共、迷わない様にね」
くすくす笑いながらそう言う真夜に、荘介が苦笑いを浮かべて、
「だ、そうですよ? 信乃。汽車に乗るからってはしゃがないで下さいね」
荘介がそう促すと、信乃がむぅーと頬を膨らませ、
「荘介もだろ!!」
「俺は……汽車に乗るだけではしゃぐほど、子供ではありませんので」
と、しれっと返してきたものだから、信乃が言い返せずにうう~~~と口籠る。
その様子に真夜がくすくすと笑っていた。
「でも、意外と気楽かもしれないわよ? だって誰も信乃達の事は何も知らないのですもの。やっぱり、村ではその……窮屈な思いしてきたのでしょう?」
真夜が少し言い辛そうにそう言うと、信乃は何でもない事の様に にかっと笑い、
「人と話さなきゃいい話だから、平気だったって!」
と言い放つが……。
それが、真夜には強気で言っているようにしか思えなかった。
その時だった。
周りの人が、ひそひそとこちらを見て話しているのが目に留まった。
「……」
帝都とは違い、教会の人間への偏見は、やはり外へ行くほど酷くなっていっている様だった。
同じ、“人”なのに、どうして人間はそうやって差別するのか……。
それは、なんと哀しい事だろう。
真夜が小さく息を吐くと、それに気付いた荘介が苦笑いを浮かべて、
「真夜、気にしないで下さい。いつもの事です」
「でも……」
それでも納得いかない真夜が、抗議しようとした瞬間、しっと荘介が人差し指を立てた。
「真夜」
嗜めるようにそう言われると、もう何も言えなくなってしまう。
だが、荘介の気持ちもわかる。
ここで、あの人達に抗議すれば「やっぱり教会の人間は……」と言われるのだ。
結局は、悪循環なのである。
だからと言って、黙って罵りを受けるのを耐えるというのも、なんだか納得いかなかった。
だが、ここでは真夜は“部外者”だ。
これ以上、口は出せない。
「信乃、俺達 教会の人間は一部の人には嫌われている様ですので……危険を感じたら、直ぐ立ち去る事。いいですね?」
荘介の言葉に信乃がうんざりした様にうな垂れながら、
「荘介。それ、何度も聞いたから」
そう返すが、荘介は小さく息を吐き、
「信乃が何度言っても忘れるからでしょう!?」
と、窘められた。
その言葉に、信乃が「うっ……」と口籠もる。
事実なだけに、反論できない。
その時、信乃のポケットがごそごそと動いた。
「信乃……? そのポケットの中 なんです?」
怪訝そうに荘介がそう尋ねると、信乃は何でもない事の様に「ああ、コレ?」と言って何やら小瓶の様なものを出してきた。
そこに入っていたのは……。
「そ、それは……」
いつぞやの、黒まりもだった。
しかし、信乃はけろっとしたまま、
「途中で窓から捨ててやろうかと思って! もう二度と付いて来れねー様な所にな!」
……余程、嫌いだったらしい……コレ。
「え? こっちですか?」
汽車に乗り、二等車両に乗るのかと思いきや……。
真夜が案内した先は一等車両の方だった。
確かに、帝都までは長いし、信乃の事を考えるとその方が助かる。
だが、なんだか気おくれしてしまう。
しかし、真夜は慣れた様に一等車両の方に歩いて行くと、
「こっちよ、信乃、荘介」
そう言って、そのまま目的の車室まで歩く。
荘介と違い、信乃は嬉しそうに真夜に付いて行っていた。
その時、だった。
ふと、何かに気付いた様に真夜が「あら?」と声を洩らした。
「信乃? そういえば、村雨はどうしたの? 随分と大人しいみたいだけれど……」
真夜の何気ないその言葉に、一瞬 荘介が「え……」と声を上げた。
だが、信乃は気付いていないのか……平然としたまま、
「おう! ヤツなら中。外に出すとギャーギャーうるせーからな、面倒だし」
そういって、手の甲を真夜に見せた。
そこには“村雨”の紋様が描かれていた。
「……」
一瞬、真夜の表情が変わる。
が、それは一瞬で直ぐに、にっこりと微笑むと「そう、ならよかった」と答えた。
それから、何事も無かったかのように車室の扉を開ける。
「ここよ」
その瞬間――突然、ビュオ……! と冷気が中から吹いて来た。
はっとして、荘介が車室の奥を見ると、一人の赤銅色の髪の青年が本を読んでいる。
すると真夜は何も無かったかのように、
「失礼致します。目的地まで相席よろしいかしら?」
丁寧にそう尋ねると、青年は特に嫌がる素振りも見せる事無く、
「ああ、構わないよ」
そういって、微笑んだ。
すると、真夜は後ろの信乃と荘介を手招いて、
「信乃、荘介。どうぞ、中へ入って」
思わず、信乃と荘介が顔を見合わせるが、ここで立っていても仕方ないので車室の中に入って行く。
「では、お邪魔します。信乃は窓際へどうぞ」
「んー」
「帝都に着くのは夕方だから、眠っていて構わないわよ」
そう言いながら、真夜が車室の扉を閉める。
それを見た赤銅色の髪の青年は「ふーん」と声を洩らし、
「三人とも教会の人間か? 姉弟?」
青年のその言葉に、一瞬 真夜がその琥珀の瞳を瞬かせる。
が、特に気にした様子もなくそのまま、席に着いた。
見かねた荘介が苦笑いを浮かべた様に、
「はぁ……まぁ、……その様なものです」
「……教会のヤツにしては、随分といい身分だな。ここは一等車両だ。それともいつもそうなのか?」
青年にしては何気ない一言だったのかもしれない。
だが、真夜にはそれが不愉快だったのか、不機嫌そうに青年を見ると、にっこりと微笑み、
「あら、いけませんか? それとも、この車両は教会の関係者は乗ってはいけない……と?」
顔は笑っているが、声が笑っていない。
真夜のその言葉に、青年が「あ、いや……」と言葉を濁した。
すると、見かねた荘介が、
「俺一人ならともかく、今回は連れが二人もいますし……帝都までは長旅ですしね」
とフォローする。
その言葉に、真夜が更に不機嫌そうに美しい顔を顰めた。
「……荘介、別に言い訳なんてしなくていいのよ。喧嘩を吹っかけてきたのは来たのはあちらの方ですもの」
そう言って、青年を睨みつける。
流石の青年も真夜に睨まれて、苦笑いを浮かべていた。
どうにもこうにも、馬が合わないのか……。
真夜は青年を睨んだ後、ふいっとそっぽを向いた。
青年はやはり、苦笑いを浮かべて、
「いや、そういうつもりで言った訳じゃなかったんだが……」
と、しどろもどろになりながらそう言う。
が、真夜の機嫌は直らず……そっぽを向いたまま、
「雪も人を選ぶべきだわ……」
そう吐き捨てた。
荘介には、真夜のそれが何を意味するのか分からず、首を傾げながら、
「真夜? 一体何の話を……」
と、その時だった。
「荘介」
不意に、窓の外を見ていた信乃が声を掛けてきた。
「……? どうかしましたか?」
「外、雨スゴイ」
言われて窓の外を見る。
いつの間に降り始めたのか、まるで嵐の様な横殴りの雨が降っていた。
「ホントだ……いつの間に」
「車掌がさっき、嵐が近づいてると教えてくれたよ。このまま帝都まで走ってくれればいいけどね……」
「嵐、ですか……」
「さっきまで、晴れてたの……は、くしゅん!」
そう言い掛けた瞬間、信乃が大きなくしゃみをした。
「信乃?」
慌てて真夜が立ち上がる。
「大丈夫? 雨のせいかしら……」
そう言って、真夜がショールを脱ごうとするが――それを見た荘介が、慌てて手で制した。
「真夜、俺が……」
「でも……」
「真夜までも、体調を崩してしまいますよ? 真夜は着ててください」
そう言って、荘介は自分の上着を躊躇いもなく脱ぐと、信乃に掛けた。
「少し、待っててください。今、ラウンジに行って温かい飲み物を貰ってきます」
それだけ言うと、そのまま車室を後にしていく。
その様子を見ていた青年は「へぇ……」と声を洩らし、
「随分と過保護な兄さんだな。……それとも、キミがそうさせるのかな?」
その時だった。
「……きの」
「え……?」
「――雪の匂いがする」
「……っ」
がたんっと、青年が動揺を隠せなかったのか狼狽する。
「な、にを……」
すると、それを確定付ける様に真夜までもが、
「そうね、懐かしいわ……」
と答えた。
なっ……!!!
驚いたのは青年だ。
この子供といい、少女といい……。
突然、一体何を―――!!!
すると、真夜がくすっと笑みを浮かべ、
「この雨も案外、雪になるかもしれないわね……」
「……なっ……!?」
真夜の言葉に、青年がぎくりと顔を強張らせる。
だが、それに同調する様に、信乃までもが、
「いいな、真夏の雪」
嬉しそうにそう言った。
「そ……そんなハズないだろう? 今はそんな季節じゃないし……っ」
青年が何かを弁明する様にそう言うが、信乃は窓の外を眺めながら、
「まぁ、な。でも、見てみたいよな……真夏に降る雪。なぁ?」
そう言って、青年を見た。
その瞬間――それは起きた。
「あ……信乃、ほら見て」
真夜に言われて、信乃が窓の外を見る。
そこには―――。
キラキラと雪の結晶が空から降っていた。
「ラッキー!」
窓の外で降る真夏の雪に、信乃が嬉しそうに声を上げる。
な……っ。
この子供……っ!!!
その時だった。
がたんっと、車室の扉が突然乱暴に開いた。
何かと思い、そちらを見ると、片手にウイスキーのボトルを持ち、足元もおぼつかない男が立っていたのだ。
「んあ? なんだぁ……席なら空いてるじゃねーか……ひっく」
そう言って、よろよろよとよろめきながら車室に入って来た。
「おお、綺麗なねーちゃんもいるじゃねぇか……ひっく。あの車掌、大嘘コキやがって……ホラ、クソガキ! そこ、どきな!!」
「……」
「ったくよぉ……客を座らせねーって、どういう了見だってーの! なぁ?」
そう言って、ぐいっとウイスキーを瓶から煽る。
すると、見かねた青年が小さく息を吐き、
「――いや? 車掌の言い分は合っているよ。ここは一等客車で君の席は無い。ましてや一般人の立ち入りも禁じられている筈だが?」
その言葉が、男の癇に障ったのか、
「……んだとぉ!? 何をエラソーに!! テメーみたいなのがいるから―――ごあっ!!」
ドゴオ!!!
瞬間、信乃の足蹴りが男の腹にヒットした。
そして、追い打ちを掛ける様に、
「これでも、食らえ!!!」
「何しやがる、クソガキがぁ―――ぐあ!!!」
男の顔面に、信乃が思いっきり投げた黒まりもが激突する。
そこへ丁度戻ってきたであろう荘介が、持っていたお湯を黒まりもにかけたものだから――男を押し潰さんがごとく、黒まりもが巨大化したのだ。
「んぎゃあああああああああ!!!!!」
男の悲鳴が聴こえるが、荘介も真夜も信乃も気にした様子もなく、車室の扉を閉める。
が……、ぎゅうううううと、締め切らなかった扉の隙間から黒まりもの赤い目玉が ぎょろりと見えていた。
「ハイ、そこでじっとしてて下さい」
「グッジョブ!」
荘介の言葉に、信乃がぐっと親指を立てる。
だが、平常心でいられなかったのが約一名……。
「ええ”……目玉……!!????」
赤銅色の髪の青年は、目の前にある赤い目玉に顔を引き攣らせていた。
「信乃……あちら様はお友達?」
真夜は冷静なのか、平然としたまま目の前の目玉を見てそう言う。
「友達じゃねぇ!!!」
信乃がそう言い返すが、荘介がにっこりと笑いながら、
「意外な所で、役に立ちましたね」
と、答えたのだった。
そして、持ってきた飲み物を、何事も無かったかの様に差し出して、
「信乃、真夜、ミルクティーでよかったですか?」
「おう!」
「ありがとう」
そう言って、荘介が淹れてくれたミルクティーを受け取る。
その時、
「あ……」
気が付くと、いつの間にか雪が雨に戻っていた。
「ああ…雪が雨に戻りましたね。真夏に雪なんて珍しい物が見れました」
そう荘介が言う。
そんな真夜達とは裏腹に……、
「め…目玉……。 目玉が…っ、目玉が……っ 目玉ぁ~~~~~~!!!!」
と、青年が発狂していたのは、言うまでもない。
◆ ◆
ザーと外は雨が降っていた
「……路、……浜路」
“……むつき……”
今はもう、捨てた筈の……名前。
昔の事など憶えていない。
なのに……。
“……むつき、いつかきっと―――”
どうでもいい。
でも、酷く……。
「浜路ってば!!」
「……」
「次は君の番だよ? 天狐が早くババを手放したくてウズウズしてる」
顔を上げると、要がトランプを持ったままそう急かしてきた。
イライラする……。
「浜路? はまじ――!」
「き……」
「気安く何度も名前を呼ばないでちょうだい!!!」
ドガシャ―――――ン!
叫ぶや否や、浜路のなげたスタンドが要の頭にクリティカルヒットする。
その頭からは、どくどくと血が流れ出ていた。
「いやあ……それは、失敬……」
要が、それでも笑いながらそう返すものだから、周りの五弧がその惨状に、あわあわとしていた。
が、相手が浜路なだけに言い返せない。
だが、浜路はまた雨の降る外を見ていた。
何故だろう……久々に思い出した。
―――このイライラ感。
“むつき”
この男は、誰かを思い出させる。
捨てた名で何度も名前を呼ばれるのは、心底腹が立つ。
なのに。
“むつき”
なの、に……。
「――大丈夫だよ」
不意に、要の声が聞こえた気がして、浜路が「え……?」と声を洩らした。
要は投げられたスタンドがぶつかった所を冷やしながら、にっこりと笑い、
「なんだよ、聞いてなかったの? ひどいなぁ。折角教えてあげたのにさ」
「……?」
「あの二人なら、君を迎えに帝都に向かってるってよ。気の毒に……教会に目を付けられたら最後、帰り道は無いのにね」
信乃、荘介。
「……そう」
でも、信乃なら、きっとこう言う。
「なら……」
「―――三人で前に進めばいいことだわ」
それは……、
神の啓示―――。
新:2025.05.18
旧:2017.05.16

