◆ 壱章 千の姫 5
明日菜はずっと窓から月を眺めていた
ぼんやり三日月か昇っている
「どうしよう……」
悩めども、答えは出ない
手っ取り早く、この邸から脱出出来れば一番良いのだが…
そもそも何故自分はここに居るのか
あの時、雨乞いの儀式の後、黒曜が暴れて…それから―――
記憶がはっきりしない
きっと気を失ったのだろうと予測は出来た
今までなら、大概傍に将臣が居たからさほど心配は無かった
だが、今回は違う
将臣は神泉苑には来ていない
明日菜1人だ
普通に考えれば、倒れている所を発見されて、運ばれた…?
しかし、どうしてこう運命は皮肉な方へ傾くのだろうか
天幕に何故九郎が訪れたのか
そこが全く理解出来なかった
あの場で別れたのがそんなに不自然だったのだろうか…?
もしかして、平家と疑われている…?
いや、それは飛躍し過ぎかもしれない
どちらにせよ、今の状況は明日菜に取って不利になる事はあっても、有利になる事は無い
「それにしても…寒いな」
さっきから、少し寒気がある
雨に当たり過ぎただろうか?
明日菜は両の腕を摩った
その時だった
カタン…と廊下の方から音がして侍女が姿を現した
「九郎様がいらっしゃいました」
「……分かりました」
どうやら、拒否権は無いらしい
侍女が退出すると、入れ違いに橙色の長い髪を高く結い上げた青年と黒い外套を被った法師姿の青年が1人
九郎様と…誰?
九郎は室に入ってくると、明日菜の横に座った
「具合はどうだ?」
「……え、ええ。もう大丈夫です」
動揺を悟られぬ様に、平静を装う
「そうか、それは良かった」
九郎が嬉しそうに微笑んだ
「あ、あの……!」
「ん?」
「私は何故、九郎様のお邸に……」
「あ、ああ。それは、だな」
九郎が少し赤くなって口ごもる
「?」
明日菜は意味が分からず首を傾げた
「九郎が、君を連れ込んだんですよ」
「え!?」
いきなり、法師姿の男が口を割って入った
「弁慶!!馬鹿な事を言うな!」
九郎が真っ赤になって抗議する
弁慶と呼ばれた青年は悪びれた様子も無く、にこにことしている
九郎が、こほんと咳払いをした
「天幕に行ったら明日菜が倒れていたんだ。その……衣装も雨に濡れていたし、風邪を引いてはいかんと思って…」
後半の方は、しどろもどろになっていてよく聞き取れない
「九郎は、君が具合を悪くして倒れたと思ってたんですよ。それで、この邸に運ばせたんです」
弁慶が子細を説明してくれる
「申し遅れました。僕は武蔵坊弁慶。どうぞ、弁慶とお呼び下さい」
にこっと弁慶が微笑んだ
武蔵坊弁慶って…義経の…
つまり、この食えない顔をした弁慶も源氏の者だという事だ
「良かったらお名前をお聞きしてもいいですか?」
「……明日菜です」
「明日菜さんと仰るんですか。いい名前ですね」
弁慶がにこにこと微笑みながら賞賛した
「あの…それで、弁慶様は何故ここに…?」
ここは九郎の邸だと言う
弁慶が同席する意味が分からなかった
すると、弁慶はにこっと微笑んだ
「弁慶は薬師なんだ。明日菜の具合を視て貰おうと思ってな」
薬師…
要は、医者の様なものだろう
「そうなんですか。お手間を取らせて申し訳ないんですけど、もう大丈夫ですから…」
「いえいえ。油断は大敵ですよ」
断ろうとしたら、弁慶にやんわり制された
「いえ、あの…持病の様なものですから、寝てれば治りますし…」
持病とは違うが、この場合そうでも言わないと収まりそうにならなかった
「そうなんですか?うーん、どういった持病でしょう?」
「そ、それは……」
言い出した言い訳に理由を求められ口ごもる
ど、どうしよう……
明日菜が困った様に九郎を見ると、九郎がそれに気付き
「弁慶。その辺にしておけ」
「そうですねぇ…とりあえず、熱を測って、薬湯を煎じましょう」
そう言うと、テキパキと薬湯の準備を始めた
弁慶がそっと明日菜の額に手を当てる
「うーん、少し熱がありますね」
単に、身体が高揚しているだけなので、熱じゃないと思うのだが
それにしても、寒い…
「寒気は?気持ち悪いとかありますか?」
「…気持ちは悪くないです。…少し、寒いかもしれません」
「もしかしたら、軽い風邪かもしれませんね」
弁慶が少し考え、薬湯を煎じるとスッと渡された
杯の中には、濃い緑色の液体が入っていた
「…これ、飲むんですか?」
ちょっと、遠慮したい
「はい、解熱剤も入ってます。薬だと思って我慢して下さい」
「……………」
ごくっと息を飲む
観念…するしかないのか…
明日菜は恐る恐るその薬湯を口に運んだ
一口ごくんと飲む
「う……苦い…」
嫌な苦さが喉に纏わり付く
「妙薬は口に苦しですよ」
にこにこと笑いながら弁慶はそう言い切った
ちらっと、九郎を見る
九郎も苦そうな顔をしていた
飲んだ事あるんだ…
何だか少し、親近感が沸く
仕方ない…
明日菜は一気にその薬湯を飲み干した
「……はっ」
思わず口から息が零れる
「はい、良く飲みました」
弁慶はにこにこと笑いながら空いた杯を受け取った
「よく飲めたな…俺もあれは嫌いだ」
九郎が、苦虫を潰した様な顔をしてそうぼやいた
「九郎も明日菜さんの様に素直だといいんですけどねぇ~」
「弁慶!」
九郎が勘弁して欲しいという感じに弁慶を睨んだ
「そんな顔しても全然怖くありません」
弁慶がさらっとかわす
その様子がおかしくて、明日菜はぷっと吹き出してしまった
突然、くすくすと笑い出す明日菜に九郎がキョトンとする
「仲良いんですね。お2人供」
その言葉に九郎が優しく微笑んだ
「まぁ、こいつとは長い付き合いだからな」
「僕は、九郎の世話ばかりでうんざりしてるんですけどねぇ」
「悪かったな」
「ふふ」
その様子がおかしくて明日菜はまた笑ってしまった
「とりあえず、今日はもう休め」
「あ……」
そう言い残すと、九郎が室を出て行った
「それじゃ、明日菜さん。お休みなさい」
弁慶も九郎に続いて室を後にした
「……言い損ねてしまった…」
帰りたいと言う気だったのだが、なんだか言う機会を逃してしまっ
どうしよう?
ここまでしてもらって黙って出て行くのも、不敬に感じた
「明日は、絶対言わなくっちゃ…」
そう思って、横になる
将臣、心配してるだろうな……
罪悪感が湧いてくるが、この場合どうしようもなかった
こういう時、携帯などあると便利だが
生憎、この世界には無い
帰ったら、将臣に謝ろう…
そう思って、明日菜は目を閉じた
ゆっくりゆくりと眠気が襲ってくる
そのまま、明日菜は眠りの淵に落ちて行った
◆ ◆
チチチチチ
鳥のさえずりが聞こえる
明日菜はゆっくりと目を覚ました
キィ…と格子を開けている侍女の姿が目に入る
格子の間から朝日が洩れていた
朝か……
明日菜はゆっくりと上体を起した
昨日よりか幾分身体が軽い気がした
「あ、申し訳ありません。起してしまいましたでしょうか?」
侍女が申し訳無さそうに、謝罪の言葉を述べた
明日菜は、首を横に振り
「平気です。気にしないで下さい」
「朝餉はどうなさいますか?」
お腹は…少しだけ空いているだろうか
「あ、じゃぁ、少しだけお願いします」
「かしこまりました」
そう言うと、侍女は一礼して室を後にした
1人部屋に残されて、明日菜はボーと外を眺めた
何となくだが、少し庭を見てみようという気になった
起き上がり、着物を肩に掛けると、その足で庭先に下りて見た
庭には綺麗な桜が咲いていた
そっと、その桜の木に触れてみる
「大きい……」
「その桜は、この邸を賜った時に頂いたものだ」
不意に声が聞こえた
振り返ると、九郎が廊下に立っていた
「九郎様」
「お早う。具合はどうだ?」
「はい、大分良いみたいです」
「そうか。しかし、そんな所にいてはぶり返してしまうぞ?」
春とはいえ、まだ風は冷たい
確かに、ちょっと肌寒かった
「そう、ですね」
明日菜が戻ろうとした時だった
不意に、足元にある何かに躓いた
「きゃっ……!」
ぐらっと視界が揺れる
「危ない!」
倒れる!と思ったが、予想していた衝撃は来なかった
恐る恐る目を開ける
「大丈夫か?」
九郎の声が近くで聞こえる
ハッとして顔を上げると、直ぐ傍に九郎の顔があった
気が付けば、九郎の腕の中にいた
どうやら、抱きとめられたらしい
え? ええ??
思わぬ体勢に思わず顔が赤面する
「全く、明日菜は危なっかしいな」
「あ、あの……っ!も、もう大丈夫ですから……っ!」
明日菜が慌てて九郎の腕から逃れようと身体を捩った
それに気付いた九郎がハッとし、慌てて手を離す
「あ…っ、す、すまない!」
九郎がパッと赤くなり、慌てて口を手で覆った
「い、いえ…」
明日菜もなんだか恥ずかしくなり俯いてしまう
「……………」
「……………」
沈黙が余計に恥かしい
「「あ、あの…っ!」」
「「!?」」
声が重なった
明日菜は少し戸惑いながら
「あ、く、九郎様からどうそ」
「あ…いや、明日菜から…」
「……………」
「……………」
お互い、また沈黙になってしまう
何でこうなるの……
明日菜は恥かしさの余り、俯いてしまった
九郎もなんだか顔が赤い
そうだ、今、言わないと……
そう思って、顔を上げる
「あの、そろそろ帰り―――」
「あー! 九郎さんが本当に女の子連れ込んでるー!!」
「ちょっ…!先輩!!邪魔しちゃ悪いですよ!」
「!?」
突然聞こえて来た声に、思わず明日菜は声を詰らせた
声のした方を見ると一斤染の着物に陣羽織を着た紫苑色の長い髪の少女が居た
その後ろの新緑色の髪の眼鏡を掛けた青年も居る
「望美!譲!」
九郎が慌てた様に声を荒げた
望美と呼ばれた紫苑色の髪の少女は「うふふー」とニマニマ笑いながら九郎に近づいてきた
「弁慶さんから、九郎さんが女の子連れ込んだって聞いて、早速見に来たら、本当に居るんだもん。びっくりしちゃった」
「連れ込……っ!?」
九郎が、真っ赤になりながら口をパクパクさせる
明日菜は意味が分からず、キョトンと目を瞬きさせた
望美と目が合う
望美はにっこり笑い
「こんにちは」
「こ、こんにちは……」
望美が嬉しそうに微笑んだ
「もう、九郎さんも隅に置けないな~こんな綺麗な子掴まえるなんて」
にやにやと望美が笑った
「の、望美!」
九郎が真っ赤になりながら抗議する
「もー、先輩!九郎さんをからかい過ぎですよ!」
譲と呼ばれた青年が望美を窘める様に、注意する
「ええーだって、こんな機会じゃないとからかえないじゃない」
望美がむーと譲を睨んだ
「お前な……っ」
九郎が抗議すると、望美はふふふと笑い
「それで、何処で見つけて来たんですか?こんな綺麗な子」
「あのなぁ…」
「あ、自己紹介がまだでしたよね。私は春日望美。んで、こっちが譲くん」
「有川譲です」
「ご丁寧に、どうも」
ぺこりと明日菜が頭を下げる
「名前聞いてもいいですか?」
「久世 明日菜です」
「へー明日菜さんって言うんですか!」
望美が嬉しそうに微笑んだ
「それで、九郎さんとは何処で出会ったんですか?」
「え……?」
「望美!」
九郎が、慌てて間に入った
「明日菜に失礼だろうが!」
「ええ-いいじゃないですか、馴れ初め聞いたって」
「な、馴れ初めとか言うな……!」
え、えーと……
いまいち事態が飲み込めず、明日菜は目を瞬きさせた
その時だった
「もう、望美。それぐらいにしてあげて」
凛とした声が聞こえて来た
声のした方を見ると、紺桔梗の着物を纏った褐色の髪の少女が居た
「………っ!」
ドクンと…心臓が跳ねた
いや、違う
私じゃない
これは”黒曜”だ
胸の内の黒曜が高揚している
「……はっ……!」
いきなり、顕現しようとする黒曜の力を明日菜は必死で抑えようとした
ぎゅうと締め付けられる様な感覚―――
「あ…ああっ……っ!!」
溢れ出す
制御―――出来ない!
出てくる―――!
ぶわっと何かが身体から這い上がってくる
「な、何だ!?」
「え?なになに?怨霊!?」
異変に気付いた九郎が思わず、はいている太刀に手を掛けた
望美もすぐさま剣に手を掛けた
――――………っ!!
駄目!
駄目よ!抑えて!
黒曜!!!
シャン
パ――――ン
空間が割れた
瞬時に、力が収束されていく
「はぁ…はぁ…はぁ……」
収まっ…た……?
どうやら、何とか事態は収まったらしい
だが、急な力の暴走は明日菜の身体に多大な負荷を掛けた
薄っすら手に黒い紋様が浮かび上がっていた
サッと思わず着物で隠す
が―――
ぐらっと視界が揺れた
「明日菜!?」
遠くで九郎の声が聞こえる
でも、どうして急に……
一瞬、廊下の端に居る褐色の髪の少女が視界に入る
あの子……まさか…
そのまま、明日菜の意識は途絶えた
続
将臣夢なのに…!!
全然、出てこない将臣くん(-_-;)
い、今は九郎さんのターンなんですよ!きっと!
それで、黒曜が暴走した理由は・・・?
どうやら、彼女が関係しているらしいです
2010/05/16