◆ 第1話 桜通り 5
遅くなってしまったわ……
思ったよりも時間を食ってしまった様で、さくらは急いで古典準備室に向かった
そして、ようやく準備室に着いた頃は、もう既に外は暗くなり始めていた
雲が厚くなり、夕日がちらちらとしか見えなくなっている
嫌な天気……
さくらは、窓の外の空を見上げた後、準備室の扉をノックした
「土方先生。お忙しい所すみません、八雲です」
だが、中から反応が返ってこなかった
シーンとしたまま、物音ひとつしない
「……………?」
不思議に思い、さくらは首を傾げた
いらっしゃらないのかしら?
そう思うと、少しがっかりする
折角、帰る前に会えると思ったのに まさか留守とは誰が思っただろうか
こんな事ならば、一度職員室を見てから来ればよかったとさえ思ってしまう
だが、原田は確かに古典準備室にいると言っていた
原田が嘘を付くとは思えない
そう考えると、可能性としては一時的に席を外しているのか
それとも、中で倒れているか……
「………まさか、ね」
流石の土方にそれは無いだろう
だが、土方が多忙なのは学園中の誰もが知っていた
近藤理事長は学校運営には疎く、殆どの業務を土方がこなしているという話だ
しかも、それだけじゃない
教頭の仕事と、古典教科の仕事もこなしつつ
実は、風紀委員会の顧問もしているという話だ
普通に考えて、一人でこなせる量ではない
倒れていても不思議ではない
「………………」
さくらは、少し躊躇いつつもそっと扉に手を掛けた
すると、扉はカラカラと音を立てて開いた
開いている……
ここには、土方の仕事の殆どの資料がある
それ故に、普段は土方在席中でもがっちり鍵が掛けられているというのに
何故か、今日は開いていた
土方先生、ごめんなさい
さくらは、勝手に開ける事に謝りながら、そっと扉を開けた
「失礼します。土方先生――――?」
そっと顔を覗かせると――――
雲の隙間から入る夕日の中、椅子に腰かけたまま眠る土方の姿がそこにあった
さらさらと、土方の漆黒の髪が夕日にあたり、キラキラと輝いているように見える
腕を組んだまま寝ているというのが、なんとも土方らしい
さくらは、躊躇いつつもそのまま準備室の中に足を踏み入れた
そのままそっと土方の側に近づくと、ゆっくりと覗き込む
土方は瞳を閉じたまま、静かに寝ていた
綺麗な寝顔だった
前々から、綺麗な人だとは思っていたが、
こうして近くで見ると、ずっと思っていたよりも綺麗だった
だが、瞬間的に自分の行動に気付き、慌てて視線を反らす
やだ……私……
男の人の顔をじっと見るなんて……
なんて、恥ずかしい事をしてしまったんだろうか……
自分の行動に恥ずかしくなり、さくらは誤魔化す様に辺りを見渡した
すると、机に置かれた灰皿にこんもり盛られている吸殻を見つけた
「……煙草…吸い過ぎですよ、先生」
思わず突っ込んでしまう
だが、それだけストレスも溜まるという事なのだろう
その吸殻の数は、土方の苦労のなれの果てなのかもしれない
さくらは、くすりと笑みを浮かべると、その灰皿に手を伸ばした
そして、廊下に出て少しだけ水を掛けてからゴミ箱へ捨てる
吸殻を捨てた後は、やれることがなくなってしまった
勝手に他の物は触れないし、かといってお茶を淹れても冷めてしまう
なによりも、疲れている土方は出来る限り寝かせてあげたかった
どうしよう……
土方が起きなければ、さくらの用事は受け取れそうにない
それとなく、机の上を見たがそれっぽい書類も無い
恐らく引き出しの中や、書類の下にあるのかもしれないが
流石に、それを漁るのには抵抗があった
さくらは、小さく息を吐くと、そのままストンと準備室の真ん中にあるソファーに座った
そして、じっと土方を見る
「土方先生………」
不思議な感覚だった
こうして、放課後に土方と二人きりでいる
それも、こうして土方しか使わない古典準備室で
今まで、こんな風にいた事はなかった
何故か、このまま時間が止まってしまえばいいとさえ思ってしまう
さくらは一度だけその真紅の瞳を瞬かせた後、行儀が悪いと思いつつも、そのままソファーに横になった
そして、土方と同じ様に瞳を閉じる
土方先生……まだ、起きないかしら……
そう思いつつも、ゆっくりと意識が遠くなっていくのを感じながら、静かに閉じていた瞳を瞬かせた
「……い」
誰かが呼んでいる声が聴こえる
「おい」
誰かしら……
酷く、その声が心地よい
「おい、起きろ」
ずっと聴いていたくなる様な
大好きな――――……
「起きろ!八雲!!」
「八雲」と呼ばれた瞬間、ハッと目が覚めた
慌ててガバッと起き上がる
すると、目の前にはいつの間にか土方が溜息を混じりに息を吐きながら立っていた
「ひ、土方先生……っ!!」
ぎょっとして慌ててソファーから立ち上がろうとする
が、起きたばかりだからなのか、瞬間的にぐらっと視界が揺れた
「あ……っ」
「……と」
今にも倒れそうになった瞬間、伸びてきた土方の手に支えられた
「危ねぇな」
咄嗟とはいえ、土方に抱きとめてもらう形となり、さくらが混乱した様に顔を真っ赤にさせる
そして、慌ててバッと離れると、思いっきり頭を下げた
「す…すみません!!!」
さくらのその行動に、土方が一瞬面食らった様な顔になった後、ぷっと吹き出した
いきなり笑われたさくらは、一体何故笑われたのか分からず首を傾げる
「あ、あの……?」
困惑した様な声を上げるさくらに、土方がくっくっくと笑いながら軽く手を上げた
「いや、悪い。お前の反応がおかしくてついな」
「反応……」
と言われても、いまいちピンとこない
が、次の瞬間自分のおかれている立場に気付き、慌てて口を開いた
「あ、あの、先生……勝手に準備室に入ってしまって、すみません……っ」
そう言って、再び頭を下げる
どうしよう……
きっと、怒られるわ……っ
準備室に勝手に入った生徒の噂は聞いた事がある
勿論、土方の怒りの制裁を食らったとのもっぱら噂だ
きっと、自分も今から痛いお仕置きを受けるのだ
そう思って、さくらはぎゅっと目を瞑った
びくびくとするさくらを見て、土方がふっと微かに笑った
そして、ぽんっと何か書類の様なものをさくらの頭の上に置く
「ほら、お前の目的はこれだろう?」
「え……?」
いきなり頭に置かれた紙に驚き、さくらが顔を上げる
それを受け取ると、それはさくらが取りに来た“欠席申請書”の書類だった
「あ………」
それには、しっかりと教頭の承認印が押されていた
「まぁ、準備室に勝手に入ったのは怒るべき所だがな」
「は、はい……」
土方の言葉に、さくらがびくりと肩を震わす
その様子が、まな板の上で公開処刑を待つ兎の様に見え、土方がまた微かに笑みを浮かべた
「だが、今回は俺が鍵を掛けてなかったのにも責はあるからな、怒ったりしねぇよ」
「え……!?」
まさかの、土方の言葉にさくらが驚いて顔を上げた
今まで、そんな生徒一人もいなかった
むしろ、お咎めなしの方が怖い
「で、ですが、先生……っ、わ、私……っ」
なんだか、すっきりしない
「あ?」
「私………」
どうすべきか……
言ってしまおうか……
「私……っ、先生の寝顔をじっくり拝見してしまいました……っ!!」
さくらの決死の告白に、土方が思わず面食らった様にその菫色の瞳を瞬かせた
だが、そうとも知らないさくらはぎゅっと目を瞑ったまま
「で、ですから……っ!私、お咎め受けなければいけないのです……っ」
ぎゅうっと、スカートを握り締めたまま、さくらはじっとその処罰を待った
土方は、小さく息を吐いた後
「ったく……しかたねぇな。だったら―――……」
「あの…先生……?」
「なんだ」
「これが、罰…なのでしょうか……?」
さくらの言葉に、土方「ああ、不満か?」と机に向かったまま答えた
その言葉に、さくらが小さくかぶりを振る
ぱちん と、準備室内に音が響く
「ですが…その………」
また、ぱちんと音がした
想像していた罰とは、それは程遠いものだった
何故か、さくらは今度ある宿泊合宿の案内のしおりを作成する為に、ぱちんぱちんとホッチキスで留めていた
「それも、重要な罰だからな。丹精込めて作れよ」
そう言いながら、土方は机に向かったまま仕事をしている
いいのだろうか……
と、思ってしまう
仮にもここは古典準備室
そこで、さくらはしおりを作成しているのだ
さくら的には、土方と同じ場所にいられて嬉しいのだが……
ちらりと、土方を見る
土方は、振り向く事なく仕事をしていた
普段、基本的にはこの準備室に生徒を長居させることは無い
それは、重要書類がある事も関係あるが、一番は仕事の邪魔になるからだ
なのに、さくらは今1時間以上軽くここにいる
ここに居る事で、土方の仕事の邪魔にならないかと不安になる
これでは、罰というよりもむしろ―――……
そう思いながら、ぱちんっとホッチキスを留めた時だった
不意に、ピカッと空が光ったかと思うと、フッと準備室の電気が切れた
「……………っ」
びくりっと、さくらが身体を震わす
え……!?
「なんだ?停電か?」
土方が平静なままで、そう呟いて席を立った
「あ、あの……っ、土方せんせ………」
「八雲、ここにいろ。俺はブレーカーを見てくる」
そう言って、土方がガラガラと扉を開けて出て行ってしまう
ええ……!?
突然暗くなった部屋で一人取り残され、さくらの中で一気に恐怖が押し寄せてくる
「い、いや……っせんせい……っ!」
さくらがそう叫ぶも、もう出て行ってしまった土方には聴こえない
さくらは、慌てて土方を追おうと準備室を出ようとしたが、廊下に出た瞬間その足が止まった
準備室だけではない、廊下も他の教室も、それどころか学校全体真っ暗だった
「……………っ」
さくらは、扉にすがり付いたままへなへなとへたりこんだ
怖い……
真っ暗な校内に一人取り残された気分になる
「や……せいせい……」
どんどん、恐怖が心の中を支配していく
その時だった
ピカッと外が光ったと思うと
ガラガガラガシャーン
「きゃあああああ!!!」
何処かで雷が落ちた
瞬間、さくらの身体がガタガタと震えだす
怖い……
こわい………っ
「せ、んせい………」
一人はいや……
ひとり、は………
誰もいない―――
暗闇の中に、ひとり―――――……
「いや……い、や………」
手が、身体が震える
全てが闇に飲まれるように—————……
「いや………いやああああああ!!!」
そのまま、さくらは意識を手放した――――……
やっと、まともに土方先生と絡みましたが…
雷の鳴る、停電した校内に一人放置するとか…
土方先生酷いなww
だが、そうそう甘くはならせないぜwww
2013/05/27