INNOCENT LYNC

    -イノセント・リンク-

 

◆ ヴァイオレット・クイーン4

 

 

 

「ねえ、莉紅。莉紅はどうして僕と付き合ってくれたの?」

 

唐突にそう聞かれ、莉紅はその紫蒼玉の瞳を瞬かせた。すると、目の前の南雲は黒曜石のような瞳で、こちらをじっと見ていた。その目に映るのは“期待”。それがどんな意味を持ち、どんな答えを待ち望んでいるのか――何となく、察した莉紅は、小さく息を吐くと、

 

「……嫌なら別れる? 私はどちらでも構わないけれど。基本、去る者は追わない主義だから」

 

と、返す。すると、その“答え”が不満だったのか、南雲が「ええー!!?」と声を上げた。その余りの声量に、思わず耳を塞ぎたくなる。そして、何故かショックを受けたような顔をした南雲が、慌てて駆け寄ってきた。

 

「莉紅、酷くない?! 追い掛けてよ!!」

 

思わず「何故?」と口から出そうになるのを、堪える。それから、小さく息を吐いて、莉紅は半分呆れたような顔をして南雲を見た。

 

「与市君が言い出したのでしょう? それでどうするの、別れる?」

 

 

「別れないよ!!! 絶対の絶対、別れてあげないから!! 莉紅が、地の果てまで逃げても追い掛けるからね!!」

 

 

と、大声で叫ばれた。すると、通りすがりの学生達がこちら見て、何やらざわざわしている。……恥ずかし過ぎる。しかし、南雲の主張は終わらなかった。

 

「莉紅がいるとこには、僕は絶対付いて行くから! 死ぬまで逃がしてあげないよ! ううん、死んでも逃がしてあげない……っ!!」

 

「……怖い事言わないでよ……」

 

何を言っているのだ、この男は。莉紅が半ば呆れたように溜息を漏らすと、目の前にある彼の顔をぐいっと手で押した。

 

「近すぎ。……分かったから、離れて――」

 

そう言い掛けた時だった。突然後ろから笑い声が聞こえてきた。ふと、そちらを見ると、碧色の髪の女と、白い髪の男が歩いて来ていた。同期の赤尾リオンと、坂本太郎だ。リオンは、莉紅の置かれている状況を見ると、にやにやと笑いながら、

 

「愛されてんなー莉紅。いいじゃん、死の淵まで南雲に付き合ってやれよ。な、坂本もそう思うだろ?」

 

そう言ってけらけらと笑いながら、後ろを歩いている白髪の男――坂本に声を掛けている。坂本はというと、莉紅と、彼女に迫っている南雲を見て、溜息だけ零していた。そんな坂本を見て、またリオンが笑い出す。

 

リオンと、坂本と、南雲――そして莉紅は、良い意味でも、悪い意味でも、いつも一緒だった。4人の間には、いつも良い噂も悪い噂も付きまとっていた。でも、それでも莉紅にはよかった。殺伐としたこの世界で、彼らだけは信じられた。信じようと思えた。だから変わらないと思った。あの日――リオンがいなくなるまでは。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……」

 

ゆっくりと、蒼紫玉の瞳を開ける。見覚えのある天井が広がっていた。莉紅のいつも使っている部屋だ。ゆっくりとソファから身体を起こすと、莉紅は頭を抑えた。

懐かしい夢だった。JCC時代の、まだ、リオンや南雲、坂本と一緒にいた時の記憶だ。まさか、今更こんな夢を見るなんて……。ふと、先日南雲に逢った時の事を思い出す。彼に抱き締められて、キスされた。

 

「……」

 

そっと、南雲と触れた唇に触れる。今だ残る南雲の唇の感触。4年ぶりのそれは、昔と何も変わっていなかった。JCC時代から変わらない、南雲のキスの癖。少しだけ唇をずらしてキスをしてくる。

 

「……意外と、覚えているものね……」

 

ぽつりとそう呟いた時だった。

 

「何を覚えてるって?」

 

ふと、背後から男の声が響いた。ゆっくりと振り返ると、両手にマグカップを持った銀髪の男がそこには立っていた。

 

「……別にいいでしょう」

 

莉紅は、ふいっと視線を逸らすと、微かに火照る頬に気付かないふりをする。すると、男はくすっと笑って、すっと莉紅の前にコーヒーの入ったマグカップを差し出してきた。

 

「いる? 君の為に淹れたんだけど」

 

「……ありがとう」

 

そう言って、莉紅が男からマグカップを受け取ると、その柄を見てぴたっと、動きを止めた。そこには可愛いうさちゃんマークが描かれていた。

 

「あの、このマグカップ……」

 

「ん? ああ、それ? 可愛いだろう。莉紅にそっくりだと思って買っちゃったんだよね」

 

「はぁ……」

 

莉紅は、さもどうでも良さそうに、返事をすると、そのままコーヒーに口付けた。ほんのり甘い、それでいて独特の苦みもあるコーヒーだった。普段ブラックを飲む莉紅には、少し甘すぎるのだが、折角淹れてくれたので、飲む事にする。

そんな莉紅の心情を知って知らでか、男はにこにこと微笑んだまま、莉紅の隣に何故か座った。だが、突っ込む気も失せて、莉紅はそのままそれに関しては何も言わなかった。と、その時だった。不意に男が莉紅の長い漆黒の髪に触れてきたのだ。

 

「……何?」

 

莉紅が、怪訝そうに眉を寄せながらそう尋ねると、男はくすっと笑いながら、そっとその髪に唇を落とす。そして――。

 

「別に? ねえ、莉紅――浮気した?」

 

「……っ、げほ、げほ……っ」

 

男の変な問いに、莉紅が咽た。すると、それを見た男は莉紅の背を摩りながら、

 

「大丈夫? というか、何かな? その反応」

 

そう言って、男がにっこりと微笑む。顔は笑顔だが――彼の蒼い瞳は笑っていない。莉紅は「けほ……」と、咳き込みながら、口元を持っていたハンカチで拭いた。

 

「……変な事聞かないでくれる?」

 

「変じゃないよ。だって、なんか俺以外の男がこの髪に触った気配がするし」

 

「……」

 

瞬間、脳裏に南雲に触れられた時の記憶が蘇る。髪に触れ、頭を押さえつけられて、キスをした。彼の手はとても温かくて心地よかった。ずっと、触れていて欲しいと――思ってしまった。

 

「……変な根拠で、訳の分からない事聞いてこないで」

 

莉紅が呆れにも似た溜息を零す。すると、男はするっと莉紅の髪にその指を絡めると、そのままゆっくりと梳いた。そして、彼女を後ろからぎゅっと抱き締め、その髪に顔を埋める。

 

「変な事じゃないよ。だって、莉紅は俺のだから――」

 

「……」

 

男の言葉に、莉紅は何も答えなかった。答える代わりに、コーヒーをもうひと口飲むと、また、溜息を零したのだった。

 

 

 

 

 

  •      ◆

 

 

 

 

 

―――憩来坂町・坂本商店

 

 

 

「ちょっとシン! 何するネ!!」

 

「ルー! お前なあ!! これは、ここじゃねぇって、何度言えば――っ!!」

 

と、今日も坂本商店内は賑やかだった。ルーが置いたサンドイッチが常温の所に置かれていて、シンがそれを注意している。という、いつもの風景である。店長の坂本はというと、呑気にカウンターの奥でカップラーメンの新作を食べていた。

 

の、片隅で……。

 

「ねぇ、莉紅~この後、時間あるならデートしようよ」

 

「……」

 

「莉紅は、何処に行きたい? 僕はね~」

 

「……」

 

「莉紅~? 聞いてる?」

 

「……(怒)」

 

はぁ……と、莉紅が後ろから抱きついたまましつこく話しかけてくる南雲に、今にも切れそうになっていた。だが、当の南雲は気にした様子もなく、「ねーねー」と、莉紅の首に顔を埋めながら、ぴったりとくっついたまま、話し掛けてくる。

そんな2人を見て、言い争っていたルーとシンがひそひその話しながら、

 

「あの2人、ずっとくっついてるネ」

 

「くっついてるっつーか、くっつかれてるつーか……。坂本さん、あの2人ってどういう関係なんっすか?」

 

シンが、カップラーメンを頬張る坂本に話を振ると、坂本は、ふと顔を上げて、じっと莉紅と、莉紅に抱きついている南雲の方を見た。そして、

 

『恋人』

 

「へぇ~。“恋人”なんで……恋人ぉ!!!?

 

『だった』

 

「どっちですかぁ!」

 

シンが突っ込んだのは、言うまでもない。するとルーが、きょとんとして、

 

「オネーサンと、あの男が恋人って事は、2人はケッコンするのカ?」

 

「……なんで、恋人=結婚なんだよ」

 

シンが思わずこちらにも突っ込むと、突然にゅっと南雲が2人間に入ってきた。そして、満面の笑みで、

 

「そうそう! 僕と莉紅は結婚するんだよ~」

 

「ちょ……っ、何 勝手なことを――っ」

 

流石の莉紅もそれは、許容出来なかったのか、即否定の言葉を口にしたが……。南雲はやはり気にした様子もなく、「え~」と言いながら、ぐいっと莉紅の腰を掻き抱いた。

 

「こんなにらぶらぶなのに?」

 

「……もう、帰ります」

 

話に付いていけないと、莉紅がUターンしようとした時だった。ふと、ぼろぼろになっている店の壁が視界に入った。恐らく連日続く賞金稼ぎの襲撃でこうなってしまったのだろう。なんだか、少し罪悪感を覚えてしまう。

坂本はもう殺し屋を引退して、こうして自分の幸せを生きているのいうのに……。こうなってしまったのは、あの人を止められなかった自分にも責任はある気がして、莉紅は何だかいたたまれなくなった。

 

「ねえ、太郎君。店の修繕はしないの?」

 

そう尋ねると、坂本にしては珍しく苦い表情を浮かべていた。でも、カップラーメンを食べる手は止めない。

 

「大幅修繕は、したい……」

 

ぽつりと、坂本がそう呟く。すると、シンが「はぁ~~~」と大きな溜息を付いた。

 

「けど、今、金ないっすもんね。ま、でも……」

 

ふふふっと、ぴら~んとシンがある「チラシ」を取り出す。そして、坂本と目を合わせてにやりと笑った。

 

「明日のこの大会で優勝したら、万事解決っすね!」

 

「明日?」

 

良く分からないが、2人は燃えていた。どうやら、明日何かあるらしい。と、その時だった。突然商店の自動ドアが開いたかと思うと――。

 

 

「ヨォ! 邪魔するぜ!!」

 

 

そう言って、威勢よく誰かが商店に入って来る。皆がそちらを見ると、そこにはツンツン頭に、肩に黄色い鳥を乗せた青年が立っていた。

 

「あ、いらっしゃ……」

 

シンがそう言い掛けた時だった。

 

「ここが、坂本商店だな! 俺の名は眞霜平助だ! 坂本太郎ってのはどいつだ!!?」

 

「!」

 

新手の殺し屋――っ!

シンが、はっとして思わず身構える。が……。その眞霜平助と名乗った青年は、びしぃ!! と、カップラーメンを食べる坂本に、手配書を見せつけ、

 

「大人しく差し出せば、お前は見逃してやるぜ! おデブちゃん!!」

 

「……」

 

それ、太郎君なんだけれど……。

 

と、莉紅以外のメンツも思ったのは当然で……。だが、坂本は平然としたまま、

 

「俺はただのバイト……。坂本太郎なんて知らない」

 

言いきった……っ!!!

 

思わず、シンが心の中で突っ込む。すると、青年こと、平助が「え……」と、目を点にして、固まった。ちなみに、隣りの鳥も……。

 

「あれ……っ!? ここ、坂本商店だろ!!?」

 

「ピッ!!」

 

平助と、肩の鳥がそう突っ込む。すると、坂本はやはり平然としたまま、

 

「いっぱいある。その店」

 

「いっぱい!!!?」

 

がーんとショックを受けた、平助が頭を抱えてしゃがみ込む。そんな平助を見ていた、莉紅とシンが呆れたような顔をしたのは当然で……。ちなみに、南雲は後ろで大笑いしていた。

 

間抜けというか、なんというか……。目の前に坂本ターゲットがいるのに、気付かないとは……。それに……。ちらりと、シンが平助を見る。平助は頭をわしゃわしゃしながら、半泣きで、

 

「いっぱいあんのかよぉおおおお!!!」

 

と叫びながら、心の中で。

坂本いなくて悲しい→寿司が食えない←坂本商店はいっぱいある。の図式が頭の中をぐるぐるしていた。それを読んでしまって、シンがあんぐり口を開けて、そのくそどうでもいい読む価値のない思考に呆れていた。

 

「いや、でもよ……っ! さっき道端のおばちゃんに聞いたら、坂本太郎はここにいるって……っ!!」

 

「しつけーなテメー。第一、“坂本太郎”なんて名前、全国に2億人ぐらいいるだろーが」

 

「に、2億人も!!?」

 

シンがガン飛ばすと、平助はがーんとショックを受けたように、衝撃を受けた後、今度こそぷるぷると震えて泣き出した。

 

「そんな人数、捜しきれね~~よ! 電車賃、いくらかかるんだよ。今日の朝飯代だってね~のにっ!!」

 

「ピィ~~」

 

「なぁ、ピー助。俺ら……これから、どうしたらいい?」

 

「ピィ~」

 

と、何だか良くわからないが、鳥と会話していた。瞬間――。

 

 

ぐうううう~~~~。

 

 

と、平助の腹の音が盛大になった。そして、何かを懇願するかのように、シンとルー達の方をじっ……と、見ている。

 

「……」

 

その目が盛大に訴えていた。「腹減った」と。それを見た莉紅は、ちらっと坂本の方を見た。流石に、あの目で訴えられたら可哀想な気分になってきた。

 

「あの……何か、余り物でもあげたらどうかしら……」

 

そして――。

 

 

 

 

 

「お前ら、ほんとうにありがとなー!!! 肉まん貰えて幸せだなぁ。ピー助!!」

 

「ピッ」

 

袋一杯のもちもちの肉まんを満面の笑みで持つと、食べながら平助は去って行ったのだった。何というか……馬鹿正直というか、ああいう人が「殺し屋」をやっている事自体が、意外で仕方がない。

 

「バカな殺し屋もいるもんですね……」

 

『あーゆーのは、意外と生き残る。おぼえとけ』

 

シンと坂本がそんな会話をしている後ろで、莉紅は溜息を付き、南雲は相変わらず笑い転げていたのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

2025.10.14