INNOCENT LYNC
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◆ ヴァイオレット・クイーン1
プロの殺し屋800名弱を擁する、構成員2000名以上の日本最大の殺し屋組織「日本殺し屋連盟」通称“殺連”。殺し屋の任務の管理・斡旋・その他諸々のサポート、任務で損壊した一般区域の修繕、新武器の製造・開発など、連盟の仕事内容は、多岐に渡る。
システムとしては、プロの殺し屋になる為の一定の基準があり、その基準を満たすと、ライセンスカードが発行されるという仕組みだ。
その中でも、「ORDER」と呼ばれる8人の、直属の特務部隊があり、殺し屋界の最高戦力である。殺連が選定した危険性の高い殺し屋や、殺連に仇なす者の抹殺を任務とする、殺し屋界の秩序を保つ存在であり、別名「殺連の番犬」と呼ばれている。定員数は10名だが定員に達したことは一度もなかった。
そして――。
今から4年前事件が起きる。
当時「ORDER」の1人だった女が、他の「ORDER」が別任務で不在の際に、殺連の構成員の約1000名、内プロの殺し屋400名を大量虐殺したのだ。理由は不明。これにより、殺連の戦力は半分にまで減少した。そこで、殺連の上層部はその女を「ORDER」から除名し、「特A級抹消対象」と認定。見つけ次第抹殺を命じたのだった。
INNOCENT LYNC
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暗い部屋の中、パソコンの明かりだけが灯っていた。キーボードを叩く音だけが響いている。辺りはしん……と静まり返っていて、物音ひとつしない。月明りすら届かない。静寂だけが、部屋の中を支配していた。その影を見守るように、後ろで見ている女がいた。
長い漆黒の髪に、紫蒼玉の瞳。その場に似つかわしくない、真っ白な衣。スリットの入ったロングスカートから覗ける白い足には、黒いベルトが巻かれている。微かに見える、そのベルトに常備されている、銀色のブレードナイフが異様な輝きを放っていた。
「ねえ」
ふと、女がピンク色のリップを塗った形の良い唇を動かす。
「本気なの?」
まるで、誰かに問い掛けるように、そう声を漏らした。だが、返事はない。
壁にもたれて腕を組んだまま、女は小さく息を吐く。それから、一度だけその紫蒼玉の瞳を瞬かせた後、
「……私に、止める権利はないけれど、ね」
それだけ言い残すと、そのままその部屋を出ていったのだった。
◆ ◆
―――憩来坂町・坂本商店
「伝説の殺し屋」と言われた男がいた。その男は、ありとあらゆるものを武器として扱う事ができる、最強の男だった。彼は、全ての悪党から恐れられ、全ての殺し屋の憧れだった。男の名は――坂本太郎。
しかし――ある日、彼は恋をした。とあるコンビニエンスストアで出会った運命の女性と……。そこから、彼女の「誰も殺さないで欲しい」という願いの為に、男は殺し屋を引退。結婚し、女の子にも恵まれた。
そうして、気が付けば……坂本は太っていた。
そして、今――坂本は、元々は殺し屋時代に寝床にしていた取り壊し予定の廃墟を、転職に失敗続きだった彼に、彼女――妻・葵のアドバイスによってコンビニエンスストアとして、リフォームして個人経営の「坂本商店」を営んでいる。
今では、坂本の昔の部下だった殺し屋兼エスパーの朝倉シン、そして、元マフィアの一人娘の陸少糖など、バイトも増えた。ちなみに、時給は850円である。
一応(?)、平和な世界で、愛する家族を守る為に生きる事を選んだ坂本は、幸せを知った。そんな平和路線まっしぐらの「坂本商店」に一人の女が現れた事から、事態は徐々に急変していく。
それは、バイトのシンと、ルーが、商店の前のイートインスペースで休憩をしている時だった。
「ルー! お前なあ!! 洗剤は冷蔵庫に入れんなって、あれ程――!」
「いちいち、シンは細かいネ。休憩中ぐらい、静かにして欲しいヨ!!」
「なんだとぉ――!!」
などと、日常茶飯事的に行われている会話が繰り返されていた。洗剤系を冷蔵に入れないなど、基本中の基本なのだが、ルーは中国マフィア陸家のボスの一人娘。つまりは、お嬢様である。バイトなどした事もなければ、家では料理人が食事を振舞っていたぐらいだ。基本常識が無いのはある意味仕方ないとも言える……。
シンも一応、理解はしているが、それでも、この雑さ加減はどうなのかと思ってしまう。まあ、最初の頃に比べれば、少しはマシになってきたのだが。シンが、「はぁ……」と大きな溜息を付きながら、目の前の茶をがぶ飲みしようとしたその時だった。
突然、くすくすという笑い声が後ろから聞こえてきたのだ。一瞬、シンがぎくっと顔を強張らせて慌てて振り返る。と、そこにはいつの間にか、真っ白な衣を身に纏った、長い漆黒の髪の女が立っていたのだ。
「……っ」
その女を見た瞬間、シンがごくりと息を呑んだ。
気配も何も感じなかった……っ!
シンはエスパーだ、特に人の気配には敏感で、心の中を読むことが出来る。だが、その女からが一切読めなかったのだ。まるで、真っ白な部屋に閉じ込められているかのように、心の内が一切見えない。それはつまり――。
「シン? どうしたネ」
ルーが、動揺しているシンを見て首を傾げる。それから、その女を見て、その瞳を瞬かせた。
「オネーサン、ウチに買い物来たカ?」
そう言って、ずずっとストローで茶を飲む。すると、その女は一瞬だけ、その綺麗な紫蒼玉の瞳を瞬かせた後、にっこりと微笑んだ。そして、
「……太郎君、今いるかしら?」
「え……」
た、太郎……君!?
「……久我?」
シンとルーが、その女を商店内に案内すると、カカウンターの中にいた坂本が、箸を持ったまま動きを止めた。視線がゆっくりと女を見る。額から顎、そしてその紫蒼玉の瞳へ。まるで、遠い記憶を確かめるように。一拍遅れて、坂本の呼吸が戻る。だが、その間に店内の空気がひやりと変わったのを、シンは敏感に感じ取っていた。
わずかに口角が動いた。それは笑いとも警戒ともつかない表情だった。すると、女はにっこりと微笑んで、
「やだ、太郎君。また随分と、変わったわね。丸くて気持ちよさそう」
そう言いながら、笑っていた。それを聞いたシンが、ぎょっとして、「あの女、殺されるのでは……っ!?」と、ハラハラしていると、坂本はさほど気にした様子もなく、
「久我は、相変わらずだな」
ぽつりとそう呟いただけだった。すると、女はやはりにこっと微笑んで、スリットの入ったロングスカートの裾を手に持つと、カーテシーのようにお辞儀をした。
「お褒めに預かり、光栄です」
『褒めてない』
と、坂本が心の中で呟く。そんな2人のやり取りを見て、シンが坂本と、その女を見た。
「あの、坂本さん。お知り合いですか?」
そう尋ねると、坂本はシンと彼女を見た後、こくりと頷きながら、インスタントのカップラーメンをずずっと食べて始める。
『昔の同期、殺し屋。27歳』
「えええええ!?」
坂本の心の声を読んだシンがぎょっとする。この女が……普通じゃねえとは思ったけど、やっぱり――っ! 一般人に背後を取られるなど、元殺し屋のシンにはあり得ないことだったのだ。それに、心も一切読めない。普通じゃないとは思ったが――。
ごくりと、シンが息を呑んだ。すると、坂本の心が読めないルーには通じていないが、坂本が何かを言ったのを察したのか、シンの方を見て、
「店長、何て言ってるネ」
そう言って、ぐいっとシンの袖を引っ張った。シンは一瞬迷った。元マフィアのルー自身には言っても問題ないが、何処で誰が聞いているかもわからないのに、「殺し屋」だなんてはっきりと言っていいものか……。
「えっと、坂本さんの同期で、年齢は27歳――」
と、シンがそこまで言った時だった、突然その女が瞳を見開いた後、何処から出したのか、突然キラッと光る何かを坂本目掛けて投げたのだ。
「坂本さん……っ!?」
シンが叫ぶ。が――坂本には全て視えているのか、それを持っていた割り箸でバシッと掴むと、そのままシュンッという音と共に、その女に投げ返した。すると、女はそれを避けるでも、弾くでもなく、あっさりと、指先だけで空気を切るようにキャッチする。その所作はまるで茶道のように静かだった。かと思うと、くるっと回転させて、いつの間に出したのか、今度は3本の光るそれを坂本の両目と前頭部を狙って再び投げ付けたのだ。
すると、坂本はパパパッとやはり素手ではなく、割り箸でそれを掴んだ。
「……何をする」
「“何をする?”……レディの年齢バラしておいて、どの口がほざくのかしら」
女のその言葉に、坂本は自分が失言していた事に、はっとした。それから、カタンッと箸を置くと、ゴンッ! という音と共に、カウンターに前頭部を付けるレベルで頭を下げて、
「すまん」
あ、あ、あの坂本さんが、葵さん(坂本の奥さん)以外に謝った――っ!!!?
と、シンが衝撃を受けていると、女は小さく息を吐いて、
「とりあえず、もちもちの刑に処します」
そう言って、坂本のもちもちの頬をびよーんと伸ばし始めた。
あの坂本さんが、葵さん以外に言いなり……っ!!?
と、まさかの状態にシンとルーが唖然としていると、満足したのか、くるっと女がシン達の方を見た。それからにっこりと微笑んで、
「2人は、初めましてかしら? 私は久我莉紅。JCC時代からの太郎君の同期で、殺連でも――」
「久我」
と、何か言い掛けた女――莉紅を坂本が止めた。その一言で理解したのか、莉紅は一度だけ坂本の方を見た後、小さく肩を竦めた。
「まだ言ってないの? ふうん。まあ、いいけれど」
莉紅はそれだけ言うと、割り箸でカップラーメンの続きを食べようとした坂本を見て、
「あ、その割り箸は捨てた方がいいわよ。致死量塗っておいたから、さっきのアレ」
「!?」
莉紅のその台詞を聞いた瞬間、坂本がぽいっと思いっきり割り箸をゴミ箱に捨てた。シンが恐る恐るそのゴミ箱を覗くと、その割り箸の当たっている周辺のゴミが紫に変色していた。それを見たルーが、
「おおー、真紫ネ」
「あ、あの、これ……致死量って何を……?」
シンが冷や汗を掻きながら莉紅の方を見ると、莉紅はけろっとしたまま一言。
「モウドクフキヤガエルの皮膚から生成したもの」
「それ、世界最強の猛毒じゃないですかあ!!!」
モウドクフキヤガエル。それは、世界最強の猛毒を持つと言われる、コロンビアに生息する蛙である。皮膚に存在する毒は非常に強力で、青酸カリの2000倍の毒性を持つと言われている。
だが、莉紅は平然としたまま、
「動けるなら、太郎君でも対処出来ると思って……軽い挨拶よ?」
「どこが軽いんですかあ!!!」
シンが突っ込んだのは、言うまでもない。だが、坂本はいつもの事だったのか、さほど気にした様子もなく、新しい割り箸で、ずずっと麺を啜っている。
「太郎君とは……5年ぶりかしら。確かそれぐらいよね? 引退したの」
そう言いながら、カウンターに寄り掛かって、シンとルーを見た。
「で? 貴方達は? 太郎君の傍にいるんだもの。普通じゃないのは気配で分かってるわ」
そう、莉紅に言われてシンとルーが顔を見合わす。名乗っていいのか迷っているのだ。
「店長ォ~」
思わず、ルーが坂本に助けを求めるように見たが、坂本はカップラーメンに夢中だった。すると、莉紅はくすくすと笑いながら、
「ごめんなさい、実は知っているの」
「え?」
「貴方が、殺連の元殺し屋のエスパーの朝倉シン君。そして、貴女が中国マフィアの陸家のご令嬢の少糖ちゃん、でしょう?」
「!?」
あからさまに、シンとルーが警戒したような顔になる。が、莉紅は着にした様子もなく、くすっと笑みを浮かべたまま、
「別に、最初から知ってて来たから――ねえ、太郎君に“良い事”教えてあげようかと思って」
『良い事?』
莉紅のその言葉に、坂本の手が、湯呑みの縁で止まる。視線だけがじわりと莉紅を捕らえ、一拍置いて――ぞくっと背筋に悪寒が走った。彼女がこう言う時は、大概「悪い事」である。昔から……。そして、まるで悪魔のような笑みを浮かべる莉紅を見て、シンとルーも「絶対悪い事だ!」と思った。
「近い内に正式に決まると思うけれど――」
「もう少ししたら、太郎君に懸賞金掛かるから」
「――10億ほど」
「は?」
シンが、莉紅の言葉に、その目を見開く。すると、莉紅はにっこり微笑んで、
「先日、ある人が殺連のデータベースにアクセスしてね、太郎君に懸賞金掛けるように申請したのよ」
「はあ!? いや、待っ……」
「だから、近い内に正式に決まると思うの」
「いや、あの……」
話が飛躍し過ぎて付いて行けない。懸賞金? 坂本さんに? 何で!!? と、シンが思ったのは言うまでもなく――。頭が現実を拒否する。だが、莉紅も坂本も平然としたまま、じっと真っ直ぐにお互いを見ていた。
「……何故、お前が知っている」
坂本の1トーン低くなったその問いに、莉紅はやはり笑ったまま、
「それは、秘密」
そう言って、その唇のしっという風に人差指を当てた。昔からそうだ、彼女は秘密主義で、基本こういう事は、一切話してくれない。
すると、ふと、何かに気付いたかのように、「ああ……」と莉紅が声を漏らした。
「私じゃないからね? 懸賞金掛けたの。そんな勿体ない事に10億も使わないわ。懸賞金掛けるぐらいなら、自分で殺るから――」
笑顔でとんでもない事をぶちまけていく。すると、莉紅がカウンターから離れて、ドアの方に歩いて行った。
「じゃあ、縁があったらまた会いましょ」
それだけ言って、そのまま商店から出て行こうとしたその時だった。不意に、坂本が立ち上がって、
「……南雲とは」
坂本のその言葉に、ぴくっと莉紅の肩が一瞬揺れた。が、何事もなかったかのように振り返ると、
「与市君? 逢ってないわよ。私が抜けてからだから――4年ぐらい?」
「抜けた?」
莉紅のその言葉に、一瞬違和感を覚えたのか、坂本の中の何かが引っかかった。眉が自然と寄り、視線が一段と鋭くなる。すると、莉紅は何でもない事のように、
「そう、“抜けた”の。私今、殺連からは“特A級抹消対象”になってるから――与市君に逢ったら殺されちゃうわ」
まるで、世間話のようにそう言う莉紅に、坂本が益々眉を寄せた。シンとルーは意味が分かってないのか、首を傾げている。
「お前、何をした」
「……知らないの? 4年前の事件。あれ、私だから――」
それだけ告げると、莉紅は手をひらひら振り、商店を後にしたのだった。
2025.08.24

