深紅の冠 ~鈺神朱冥~

 

 第2話 呪術と領域1

 

 

―――呪術高等専門学校・東京校 グラウンド

 

 

 

「あつぃ……」

 

呪術高専のグラウンドで、釘崎野薔薇は昼からぐったりしていた。白に藍色の模様の入った可愛らしい野薔薇のジャージは、昨日の夕方、超特急で買ってきた代物だ。それを着て、本日も昨日と同様、真希達の指導を受けていた。

というのも、担任の五条が昼過ぎたというのに姿を現さないからである。伏黒情報曰はく、昼から出勤しているらしいのだが……、当の本人の姿は何処にもなかった。「担任のくせに……っ! 重役出勤かよ!!」と、野薔薇は悪態付いていたが、伏黒などは慣れているのか、左程気にした様子もなく、

 

「その内、現れんだろ」

 

である。「それでいいのか!?」と、突っ込みたくて仕方がない。真希やパンダたちも、

 

「悟だからなぁ……」

 

で、片付けてしまった。どうやら、五条の遅刻(?)は、いつもの事らしい。野薔薇がタオルで汗を拭きながら、一緒に休憩している真希とパンダを見る。ちなみに、伏黒は、絶賛狗巻と模擬戦中だ。それをいい事に、野薔薇は今朝の伏黒との会話を思い出していた。そう――「凛花」という女性についての事だ。

伏黒はずっと昔からの知り合いだと言っていたが……、そこまで考えてスポーツドリンクを飲んでいる真希の方を見る。そして、にやりと笑みを浮かべて、

 

「真希さん」

 

「ん?」

 

不意に、野薔薇に呼ばれた真希が視線をこちらに向けてくる。すると、野薔薇は一瞬だけ伏黒と狗巻の方を見た後、

 

「あの、“凛花さん”って人知ってます?」

 

「んあ? 凛花?」

 

唐突に、野薔薇の口から出たその名に、真希が目を瞬かせた。すると、横のパンダが首を傾げた。

 

「うん? 野薔薇は凛花の事知ってたっけ?」

 

「え……あ、あーいや……直接は知らないんですけど……その、この間の任務の時に、来てたらしくって」

 

パンダの問いに、野薔薇が口籠る。流石に、任務内容を共有するのは、同じ高専生とはいえ、どうかと思ったからだ。だが、それで察したのか、真希とパンダが顔を見合わせる。

 

「凛花は、呪術師だよ。ただ、うちの所属じゃないけどな」

 

「え? そうなんですか?」

 

「うちの所属じゃない」という事は、「高専所属の術師」ではない。という事に、他ならない。てっきり、呪術師は皆高専所属かと思っていた野薔薇にとって、それは、少し意外な回答だった。

 

「凛花は、うちの卒業生じゃなねぇんだよな。あ、別にフリーランスって訳じゃないぞ。宮内庁のお偉いさん管轄? の術師なんだよ。そういう家の出なんだ、アイツ」

 

「へぇ……」

 

そんな術師の家系があるのか……と、思った時、野薔薇ははっとした。そして、目をきらきらとさせて、

 

「ま、まさか、お嬢様!?」

 

「なんで、野薔薇がそんな目を輝かせてるんだ?」

 

パンダが鋭く突っ込む。だが、野薔薇はそれどころではなかった。もし「凛花」がお嬢様だとしたら、伏黒は年の差以外に、身分の差も……っ!! そう考えると、もうワクワクが止まらなかった。

 

「お嬢……まぁ、お嬢様かもなぁ。一応“神妻家”って言ったら、術師の家系だけど、会社も幾つも経営してる家だしな」

 

「おお!」

 

と、野薔薇が身を乗り出した時だった。パンダが鋭く、

 

「それ言ったら、真希だって“お嬢様”だろ? だって“禪院家”は、呪術御三家の一つ――ぶほぉ!!」

 

言い終わる前に、真希の鉄拳制裁が下った。ぷしゅうう~と、真希の拳から煙が出ているが、真希は気にした様子もなく、すぱーん! と、拳を手のひらに当てる。

 

「パンダ。私とあの家はカンケ―ねぇんだよ」

 

見慣れてきたのか、野薔薇がその光景を見て苦笑いを浮かべる。と、そこでふとある事に気付いた。

 

「御三家?」

 

「ん? あー野薔薇は知らねぇのか。御三家ってのは、呪術全盛の平安時代から続く、呪術師界の名門とか言われてる家系だよ。ま、中身はクソだがな」

 

「そうそう。真希んとこの禪院家と、なーんか色々怪しい事してる加茂家。後、五条家だなー」

 

と、復活したパンダが指を折りながらそう言う。瞬間、ぎろっと真希がパンダを睨んだ。パンダがびくっとして「睨むなよ~」と言い放つ。野薔薇は初めて聞く話に、「へぇ~」と耳を傾けていたが、途中で「ん?」とある事に気付いた。

 

「五条家?」

 

「ん? ああ、悟ん所の家だよ。ちなみに、今の当主が悟」

 

「えー!? あの五条先生が、“当主”!!?」

 

野薔薇の反応に、真希とパンダが笑う。

 

「あの悟が、当主してんだぜ? 世も末だろ」

 

「でも、悟あれでワンマンだからなぁ~。実力は折り紙付きだし、上層部も頭が上がらないって話だ。ま、性格はアレだがな」

 

そう言って、パンダがけたけたと笑う。

 

「しかも、びっくり! その“凛花”は悟の“婚約者”だったりするんだなぁ~これが」

 

「え?」

 

パンダの言葉に、野薔薇がぴたっとその動きを止める。今、パンダは何と言っただろうか。「婚約者」――そう言わなかっただろうか? 瞬間、今朝の伏黒の台詞を思い出す。

 

『俺は……、俺じゃ、駄目なんだよ……。あの人には、昔から五条先生が……』

 

あれは、そういう事か!!

今更ながらに、伏黒の言葉に納得する。恐らく伏黒は五条と凛花の2人が「婚約関係」にある事を知っているのだ。だから、あの台詞だったのだろう。

 

「あ、あ~~~そういう……」

 

思わず、野薔薇が頭を抱える。

駄目じゃん! 伏黒!! いくら何でも「婚約者」を奪還するのは、難しいって!!

と、心の中で叫ぶ。だが、そこでふとある事に気付く。

 

「あの、ちなみに、五条先生とその“凛花さん”の実際の関係って……」

 

「んあ? あーまぁ、昔から親しそうだったって聞いてるな。でも、一時期は凛花が拒絶してたらしいぜ。今は、結局やっぱ元鞘になったかって感じだけどな」

 

「というか、あの2人はどう見ても、デキてんだろ。ラブラブじゃね?」

 

そう言いながら、パンダがうふふっとにやにやしながら言う。真希とパンダの言葉に、野薔薇がごくりと息を呑んだ。

 

「それってつまり、ガチの……」

 

「恋人ってやつ? その内、結婚すんじゃね? もう、秒読みだろ」

 

パンダが何故か「きゃー」と嬉しそうに にや付く。その言葉を聞いた瞬間、野薔薇が頭を抱える。伏黒には、「応援する」とは言ったものの……。

 

「終わった……、伏黒ばかじゃねーの。相手考えろよ……」

 

「恵?」

 

不意に出てきた伏黒の名前に、真希とパンダが首を傾げた。が、次の瞬間パンダはピーンと来たのか……「ははーん」と、手を顎に当てて、にやりと笑った。

 

「分かったぞー。さては、恵は凛花の事好きなんだろ」

 

「まじか」

 

パンダの言葉に、真希が驚いたようにその瞳を瞬かせる。すると、野薔薇が「はぁ~~~~」と、盛大な溜息を付いた。

 

「何となく、伏黒の言動から、“凛花さん”は、五条先生とはそういう関係なのかなっとは思ってましたけど、結婚秒読み……とか、聞いてねえええ!!!!」

 

うが―! と、野薔薇が吠えた。すると、真希が首を傾げながら、

 

「つか、恵と凛花って、いつからの知り合いだっけ?」

 

「あーなんか、昔からってアイツは言ってました」

 

野薔薇の答えに、真希が「昔?」と首を捻る。すると、パンダが、「ん~」と少し考えるそぶりを見せた後、

 

「確か、正道の話だと、凛花が高等部とかいうのに上がった時に、悟が紹介したらしいぞ?」

 

「……何年前だよ」

 

「ざっと計算して8年前ぐらいじゃね?」

 

「……8年前って、私らまだ小学生の低学年ですけど……」

 

パンダと真希の会話に、すかさず野薔薇が突っ込んだ。話を整理すると、伏黒は8年前の8歳の時に、凛花と初めて会っていて、その時既に凛花は16歳。その時点で、もう凛花と五条は交流があった。という事だ。というか、高校生のお姉さんに憧れる小学生! 分りやす過ぎんぞ! 伏黒!! と、野薔薇が心の中で突っ込んだのは言うまでもない。

 

「それにしても、恵がな~。そうかそうか、楽しくなってきたなぁ~」

 

と、パンダがにやにやしていた時だった。

 

「……何が楽しくなってきたんですか?」

 

「こんぶ?」

 

不意に、後ろから模擬戦を終えた伏黒と狗巻が現れた。すると、パンダはにやりと笑いながら、がしぃ!! と、伏黒の肩に腕を回した。

 

「な、何ですか? パンダ先輩。暑いんですが……」

 

伏黒が怪訝そうに顔を顰めるが、パンダはにやにやしたまま、

 

「や~恵。頑張れよ~~!」

 

そう言って、ぐっと親指を立てる。意味の分からない伏黒は、首を傾げながら「はぁ……」と答えたのだった。

 

 

 

 

 

 

   ****    ****

 

 

 

 

 

 

―――一方、その頃。

―――呪術高等専門学校・東京校 地下

 

 

 

「暇……」

 

虎杖は1人、高専の地下にある「とある部屋」の中にいた。殺風景なその部屋の中に、窓はなく、観葉植物の一つすらない。あるのは、ベッドとソファと――大きなテレビだけだった。ちなみに、ブルーレイレコーダーもある。

冗談抜きで、「何の部屋だ?」と思いたくなる程、何もなかった。

 

昨日、目覚めてからこの部屋で待機するように、五条に言い渡されて、早1日経とうとしている。と言っても、時計らしきものはないので、体感的な時間だが……。一応、食べる物はあったので、それで腹を満たす。

そして、五条はというと……。

 

『僕は、今から凛花ちゃんにちょ~~と、おしおきしてくるから!』

 

とか言って、虎杖をここに放置していって、何処かへ行ってしまった。後で来るとは言っていたが、今だ戻ってくる気配はない。

 

「まぁ、ベッドあるし。ゆっくり眠れたから、体力は回復したけどさ~。五条先生まだかなぁ……」

 

そうぼやきながら、テレビのリモコンをピッと点けるが――何も映らない。電源は入っているが、どうやらアンテナが繋がっていないらしい。これでは、テレビがあっても、何も観られないのだ。正直、寝るのも飽きた。冗談抜きでやる事がない。

 

ぐっと拳を握る。

 

「俺は……早く、強くなりてぇのに……」

 

あの少年院でも、宿儺と対峙した時も、結局何も出来なかった。だから、早く戦えるようになりたい。強く――強くなりたいと思った。誰にも負けないような、「最強」を冠する五条のようになりたいと――。

 

思ったの、だが……。肝心の五条が来ない。

 

「……まさか、俺、忘れられてる?」

 

いや、まさかーと思いつつ、しかし、相手はあの五条だ。万が一にも……。と、そこまで考えて、虎杖は首を振った。

 

「だ、大丈夫、だ、よな……、五条先生だし!」

 

と、ぐっと握っていた拳に力を籠めて、そう叫んだ時だった。

 

「僕がなんだって?」

 

突然、後ろから五条の声が聞こえてきて、虎杖は慌てて振り返った。

 

「五条先生!! ……と、伏黒の彼女さん?」

 

そこには、何か袋を持った五条と、その後ろに凛花がいた。凛花は、殺風景なこの部屋を見ながら、小さく息を吐いた。

 

「悟さん、そろそろこの部屋改装しませんか? 流石に、何も無さすぎます」

 

そう言いながら、虎杖を見るとにっこりと微笑んだ。その笑顔に、一瞬虎杖がどきっとする。すると、五条がさっと虎杖の視線の先に入って来ると、

 

「悠仁、お待たせ! はい、これお土産ね」

 

そう言って、何故か大量のブルーレイディスクを渡してきた。虎杖が、意味が分からず首を傾げる。

 

「ああ、紹介するよ悠仁。彼女は神妻凛花。“僕の”お嫁さんです!!」

 

「へ?」

 

今、五条は何と言ったか……「お嫁さん」? と、言わなかっただろうか。しかも、「僕の」を強調して。

 

…………

………………

……………………

 

 

 

「ええええええええええええ!!!!?」

 

 

 

部屋の中に、虎杖の声が木霊した。

 

「悠仁、驚きすぎ」

 

くつくつと笑う五条とは裏腹に、虎杖は仰天していた。

 

「ご、ごご、五条先生……っ! 結婚してたん!?」

 

「んー? それはぁ~」

 

と、そこまで五条が言い掛けた時だった。ごすっ! と景気の良い音と共に、凛花の肘が五条の脇腹にヒットする。

 

「悟さん……いい加減な、嘘。教えないでください」

 

「え~でも、もうすぐ僕達、結婚するんだからいいじゃん」

 

その言葉に、凛花がかぁっと、顔を真っ赤に染める。

 

「わ、私はまだ了承は――っ」

 

そこまで言い掛けた時だった。不意に伸びてきた、五条の手が凛花の腰を掻き抱くと、そのままぐいっと抱き寄せ、その頭に口付けしてきたのだ。

 

「したも同然でしょ。今更照れない照れない」

 

「していませんし、照れていません……っ」

 

と、何やら目の前で始まったいちゃいちゃ行為に、虎杖がぽかん……としていると、五条がそちらを見た。そして、まるでけん制するように。

 

「そういう事だから。悠仁は間違っても凛花ちゃん、好きになっちゃ駄目だよ? 誰かさんみたいに」

 

「……っす」

 

その「誰かさん」が誰なのか分からないが、とりあえず、頷く。すると、五条は思い出したように、

 

「ああ、それと、凛花ちゃんは“僕の”だから。間違っても、“恵の彼女”じゃないし、それも禁止ね」

 

「っす!」

 

にっこりと言われたが、笑顔が無駄に怖い。虎杖は即返事をすると、きりっとその言葉を言わないように、口にチャックをする。

まだそこ拘ってたのか……と、虎杖と凛花が思ったのは言うまでもない。

 

「さて、話もまとまった所で、悠仁。ゆっくり休めた?」

 

「あ~休めたけど、暇してて……」

 

と、正直に暇だったことを明かすと、五条がくつくつと笑いながら、

 

「正直で宜しい。ま、今からは暇じゃなくなるから安心して」

 

そう言いながら、「お土産」と言って持ってきた、ブルーレイディスクを何故か物色しだす。

 

「今から悠仁は“特訓”に付き合ってもらうから」

 

「特訓!?」

 

五条から出たその言葉に、虎杖の目がきらきらとしたものへと変わる。それを見た、凛花は、「ごめんね、虎杖君」と心の中で合掌した。

 

「どんな!? どんな特訓すんの!!? 先生が教えてくれんの!?」

 

わくわくが、止まらないと言わんばかりに、虎杖が身を乗り出す。すると五条が得意げに、

 

「悠仁には、かなりしんどいのやってもらうよ~はい、凛花ちゃんこれも持って」

 

「ど……どんな?!」

 

虎杖がごくりと息を呑む先で、五条が持ってきたブルーレイディスクを何十枚と取り出しては、凛花に渡していく。そして――。

 

「――その特訓、とはずばり!」

 

「ずばり……?」

 

 

 

「映画鑑賞!!」

 

 

 

「……へ?」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

2025.10.12