Reine weiße Blumen

  -Die weiße Rose singt Liebe-

 

 

 1章 前奏曲-volspiel- 26

 

 

 

―――翌朝・白閖邸

 

 

 

かちゃ……と、カトラリーの音が静かにダイニングに響く。あやねは小さく息を吐くと、そっと皿の右側に斜めに揃えてカトラリーを置いた。それを見た秋良がふと、あやねの皿を見る。彼女の目の前の皿の中の料理は、殆ど手を付けられていなかった。

 

「あやね、もう少し食べなさい」

 

そう言う秋良の声が聞こえてきたが、あやねは一度だけ何か口を開き掛けて閉じた。そして、そのまま席を立つ仕草をする。すると、秋良が少しだけ厳しめの声で、

 

「あやね」

 

と、強く名を呼んだ。瞬間、あやねの動きがぴたっと止まると、また何か言いたげに口を開きかけたが、そのまま何も言わずにすとん、と、席に座り直す。そんな彼女を見て、秋良が小さく息を吐くと、かちゃっと、カトラリーを皿の中央に揃えて置く。それから、ナプキンの内側で軽く手を拭くと、そのままじっとあやねを見た。

 

「まるで、心ここに非ず――だな。昨夜、八乙女君と話しただろう? 何か、気になる事でもあるのかな」

 

「八乙女」という言葉に、あやねがぴくっと肩を震わせた。それから、ゆっくりと秋良を見ると、すっと視線を逸らす。それから、もじ……っとテーブルの下で手を少し動かした後、ぎゅっと握り締めた。

 

「あの……お父様」

 

「うん?」

 

「……」

 

秋良が知らない筈が無い。あんな遅い時間に楽自らがあやねの部屋に来たとは考え辛かった。という事は、秋良が通したという事に、他ならないのは明白なのだ。だが、秋良はその理由を自分で言う気は無さそうだった。

あやねは、今一度秋良を見ると、ぐっと唇を噛んだ。そして――。

 

「……昨晩、楽さんが部屋に来られました」

 

「知っているよ。私が行かせたからね」

 

その言葉に、「ああ、やっぱり……」と思ってしまう。だが、それと同時に「どうして……」とも、思ってしまう。秋良が安易に楽を通すとは思えない。きっと、何かの意図があって通したのだ。そして、きっとそれは……。

 

「お父様は、今、制作中の映画『スノードロップ』をご存じですか?」

 

あやねのその言葉に、秋良は面白い物をみたかのように、にっこりと微笑む。グラスに注がれているミネラルウォーターを一口飲み、そして、さも当然そうに、

 

「ああ、知っているよ。八乙女君が主演する映画だろう?」

 

「……では、そのヒロイン役の方がまだお決まりでないのは……?」

 

あやねがそう尋ねると、秋良はくすっと笑みを浮かべ、グラスをテーブルに置いた。そして、手を組んで顎に置くと、

 

「そうなのかい? 私の知っているのは、もう打診中という事だけだよ。その“答え”は、あやね。お前が一番知っているんじゃないのかい?」

 

「……っ」

 

秋良のその言葉に、あやねがぎゅっとテーブルの下で握る手に力を籠めた。声が震える。秋良には全部お見通しなのだ。楽があやねの部屋に来た理由も、あやねがどう答えたのかも――。

 

「……無理、ですよ」

 

あやねの震える小さな声が、ダイニングに響いた。だが、秋良は何も言わなかった。

 

「……楽さんは、演技より気持ちの問題だと仰っていました。でも、私にはその“気持ち”が理解出来ません……っ。演技も出来ない、気持ちも籠められない。こんな私では、きっと皆様の足手まといになるだけで――」

 

出来る筈が無いのだ。演技もド素人。音楽へ対する気持ちも曖昧なまま。そんな自分が音で人を魅了できる“ましろ”役をやるなんて、無理があり過ぎる。そんな大役引き受ける、資格など――無いのだ。

と、その時だった。

 

 

 

「あやね」

 

 

 

ふいに、秋良の低い声が聞こえてきた。あやねが、はっとして顔を上げると、秋良は真っ直ぐにあやねを見ていた。その瞳は、全てを見透かすようで、あやねは言葉を失ってしまった。

すると、秋良は小さく息を吐き、ナプキンでそっと口元を拭くと、ハウス・スチュワードの穂波を呼んだ。穂波が頭を垂れて、秋良の斜め後ろにやってくると、秋良は何かを穂波に言った。その言葉を聞いた穂波が小さく一礼して、下がっていく。

 

「……?」

 

あやねが不思議に思っていると、秋良はにっこりと微笑んで、

 

「あやね、今日は私と一緒に外出しようか」

 

と、言い出したのだった。

 

 

 

 

 

   ****    ****

 

 

 

 

 

―――某TV局・控室

 

 

 

「はぁ~~~~」

 

どよ~~んとした空気が、控室の中の一部に漂っていた。楽だ。楽が椅子に座ったまま、片手に台本を持って、項垂れている。それを見ていた龍之介と天が、訝しげに首を傾げた。

 

「が、楽、どうしたのかな? 今日は一段と落ち込んでるっぽいけど――」

 

という龍之介に、天がさもどうでも良さそうにボトルの水を飲みながら、

 

「さぁ? どうせ、また白閖さん絡みでしょ。楽って分かりやすいよね」

 

そう言いながら、今日歌う曲の最終チェックを始める。そんな天に龍之介がおろおろして、楽と天を見る。

 

「ええ!? 今から生の歌番組だよ?! 楽、大丈夫かなぁ~」

 

「……カメラの前でも腑抜けてたら、“TRIGGER”のリーダー辞めてもらおうかな」

 

と、天がとんでもない事を言い出したものだから、龍之介が慌てて「ええ!?」と声を上げると、楽に駆け寄った。

 

「楽! 楽ってば!! 天が怒ってるよ!!?」

 

そう訴えるが、楽はというと何故か超絶落ち込み中のままだった。その時だった、楽屋の扉をノックする音が聞こえたかと思うと、マネージャーの姉鷺が入って来た。

 

「アンタ達、もう少ししたら、スタジオの方にスタンバイ――ってやだ! ちょっと、楽!! アンタ、なんでまだ着替えてないよの!?」

 

そうなのだ。楽はまだ衣装にすら着替えていなかった。髪などはスタイリストによって既にセットされていたが、服が私服のままだ。姉鷺がそれを見て慌てたのは当然で――。カツカツと、ヒールを鳴らしながら駆け寄ると、ばっと楽の持っていた台本を奪った。瞬間、はっと楽が覚醒したかのように、顔を上げる。

 

「……姉鷺、返せ」

 

低い声が楽屋に響き、周りのスタッフがびくっと身体を縮こませる。が、姉鷺には通用しないのか、まるで慣れた様に、

 

「そんな凄んでもダメ! アタシには通用しないんだから!! というか、今日は映画の撮影ないでしょう? 頭切り替えなさい!! あやねちゃんに振られたぐらいで落ち込んでんじゃないわよ!」

 

ズバズバ言ってくる姉鷺に、楽がぐさっとダメージを受ける。だが、それ以上に反応したのは、龍之介と天だった。

 

「ええ!? 楽、あやねちゃんに振られたの!!?」

 

「へぇ……白閖さんに振られたんだ?」

 

という、2人からの攻撃に楽が更にダメージを受けるが、ぷるぷると身体を震わせながら、

 

「ち、ちげーよ! 振られた訳じゃねぇ!! 姉鷺! 変な誤解を招くように言い方するな!!」

 

そう言い返すが、姉鷺はけろっとして、

 

「何よ、事実じゃない。“ましろ”役、オファーしたけど、断られたんでしょう?」

 

「べ、別にまだ、断られた訳じゃ――」

 

そこまで言い掛けて、楽が言い淀む。実際の所、はっきりとは言われなかったが、断られたに近かった。あやねは、困惑していたし、「自分には無理」だと言っていた。でも――“ましろ”役は、やはりあやね以外考えられなかった。

 

「……あやねの気持ちも分からなくはねーよ。俺だっていきなり何も知らない状態で、やれって言われたら、怯むと――思う。でも……っ、“ましろ”はあやね以外考えられねぇんだよ。俺だけじゃない、監督も同じ考えなんだ。それに、早くなんとかしねぇと――」

 

楽がそう言って俯いた。楽のその言葉に、姉鷺が小さく息を吐く。

 

「スポンサーの件は、どうなったの? あやねちゃんのお父様と話したんでしょう?」

 

姉鷺がそう尋ねると、楽は小さく息を吐いて、

 

「……一応、白閖さんには昨日、監督と一緒に話して、OKは貰ったけど――条件付きなんだ」

 

「条件?」

 

楽の言葉に、天が首を傾げる。すると、楽が「はぁ……」と溜息を漏らし、

 

「その条件ってのが――」

 

と、楽は昨夜話した内容を一部始終話した。白閖財閥がスポンサーになる条件。それは――。

 

「い、一週間以内に“ましろ”役を決める!?」

 

「しかも、その“ましろ”役に白閖さんを説得出来たら……?」

 

楽の言葉に、龍之介と天が声を上げた。すると、楽が「ああ……」と小さく頷く。それで納得がいった。姉鷺の「あやねに振られた」はつまり、昨日は「説得出来なかった」のだろう、と。だから、楽が落ち込んでいたのだ。

 

「……別に、白閖さんは“ましろ”はあやねじゃなくてもいいとは言ってはいたけど――」

 

「楽は、白閖さんしかないと思ってるんだ?」

 

天のその言葉に、楽が頷く。ここまで来て、妥協はしたくない。というのが本音だった。それに、もう本当の“ましろ”を見つけてしまったのだ。今更、あやね以外の“ましろ”など、考えられなかった。

すると、姉鷺が「うーん」と、難しい顔をした。

 

「そうなると、少し困ったわね~」

 

「困る?」

 

姉鷺の言葉に、3人が首を傾げる。だが、姉鷺が「あ!」と、声を上げて、ぱん!と手を叩いた。

 

「この話は後! 今は生番組よ! ほら、楽も準備して!!」

 

「え? お、おい!」

 

気になるところで話を切られて、楽が思わず声を上げるが、もう時間が迫っていた。

 

「アンタ達は“TRIGGER”なのよ! 早く、アイドルの顔になりなさい! 後できちんと、教えてあげるから、今は、今の仕事に集中して!!」

 

「わ、分かってるよ」

 

姉鷺の最もな意見に、楽はこれ以上追及できなかったのだった。

 

 

 

 

   ****    ****

 

 

 

 

 

「2カメ、スタンバイ!!」

 

「CM開けます!! 3・2・1!」

 

そこは、騒然としていた。あやねは、何故自分はこんな所にいるのだろうかと思いながら、後ろの方でその様子を見ていた。目の前では、スタジオ内で生放送の収録が行われている。沢山のスタッフの人たちや、カメラマン、スタイリスト、そして――アイドル達がそこにはいた。

 

生放送という事もあり、皆少し緊張の面持ちをしている。あやねは、そんな彼らを見学していた。朝、秋良が「一緒に出掛けようか」と言って、連れてこられたのが、このスタジオだったのだ。ちなみに、秋良は挨拶に行ってくると言って今、席を外している。あやね1人、ぽつんっと残されて、なんだか、少し居辛い。

しかも、あやねの知らない世界過ぎて、何が何やらさっぱりだ。何人ものアイドルが行き来しているが、誰も知らないし、記憶にすら残っていない。なので、いきなりこんな所に連れてこられた意味が、正直あやねには分からなかった。

 

なんでも、今日は24時間生放送の超有名なチャリティー番組らしい。アイドルや、お笑い芸人など、多種多様な人が出演しているという。司会は今有名な“Re:vale”という、2人組のアイドルらしい。しかし、あやねはそういう世界に疎い所為か、見てもよく分からなかった。一応、白閖もスポンサーをしていて、出資しているらしく、それで秋良は挨拶に行っているのだ。

なのはいいのだが……。

 

お父様は、どうして私をここに連れて来たのかしら……。

 

それが、何度考えても謎だった。と、その時だった。入口の方がざわりと騒めいたかと思うと――。

 

「“TRIGGER”さん、入ります!」

 

そう言う、スタッフの声が聞こえたかと思うと、きりっとした衣装に包まれた楽・天・龍之介の3人がスタジオ内に入って来た。

 

「あ……」

 

楽だ。そう思うと、どきん……と、あやねの胸が鳴った気がした。3人は、スタッフに「宜しくお願いします」と挨拶しながら、スタンバイ場所へと歩いて行く。勿論、後ろの方にいるあやねには気付いていない。もしかして、彼らもここで歌うのだろうか……? そんな感じた事のない「期待」が胸を過る。すると、ふと天と目があった気がした。天は、あやねを見ると、にっこりと微笑んで、そのまま、スタジオの方へ入っていった。

 

『“TRIGGER”の3人が来てくれたよ~~~~!!』

 

そう司会の“Re:vale”の1人が紹介すると、会場内が一気に黄色い声で包まれた。その凄い歓声に、思わず驚いてしまう。人気があるという話は聞いてはいたが、学院内で聞く黄色い声とは桁違いなレベルだった。

 

「凄い……」

 

あの歓声の中で、堂々と立っている3人はとても、かっこよく見えた。きっと、あやねなら委縮してしまうだろう。ピアノのコンクールなどとは、全然違う世界だった。圧倒的なオーラというか、存在感というか、住む世界が全然違うのだと思い知らされる。

 

これを見せて、秋良はあやねに何を伝えたかったのだろうか……。そう、思っていた時だった。

 

『今日は特別な演出あるんだよね?』

 

『はい、今日は――』

 

遠くで“Re:vale”と“TRIGGER”の声が聞こえていたその瞬間だった。視界の端を、黒い影が横切る。ばっとあやねが顔を上げると――。

 

「ねえ、君。新人?」

 

「え……?」

 

突然、見知らぬアイドルに話しかけられて、あやねが大きくその瞳を見開いた。それは、初めて見る顔だった。2人組の男性アイドルグループなのだろうか、似たような衣装を着た2人が、あやねを囲むように立っていたのだ。あやねは反射的に後退った。けれど、背中にすぐ、壁の冷たさが触れる。

 

「あ、あの……」

 

あやねが、困惑したように声を発した時だった。その男性アイドルは にやっと笑みを浮かべ、

 

「かっわいい~~声も、めっちゃよくね?」

 

「キミさ、俺等と仲良くしてたらきっと名前売れるよ!!」

 

そう言って、あやねの手を取ると、ぐいっと引っ張った。

 

「……っ、離し――」

 

手を振り解こうと、あやねが力を籠めた瞬間だった。その男性アイドルのもう1人が、あやねの手を取ったのだ。そして、そのままぐいっと引き寄せられて、身体を引っ張られる。

 

「ねぇ、時間あるなら、俺等の楽屋に来ない?」

 

「え……」

 

「そうそう、楽しい事色々教えてやるしさ――」

 

そう言ったかと思うと、そのままぐいっと腰に手を回される。あやねが、慌てて助けを求めようと周りを見るが、スタッフも、共演者も、誰も動かない。まるで、ここだけが別世界のように――。気付いているのに、きっとこの男性アイドルの所為で手が出せないのだ。

 

「や、止めてくださ――」

 

誰、か……っ。

 

腕を引かれた手が痛い。逃げたい。でも――。

一瞬、脳裏に楽の顔が浮かぶ。でも、ここで楽に助けを求める訳にはいかない。楽は今、生番組中だ。そんな中であやねが騒動を起こす訳にはいかなかった。

 

けれど……。

 

このまま連れていかれてはいけない、と、何かが警報を鳴らす。だが、逃れようにも身体が上手く動かない。“怖い”という思いがどんどん身体を支配していく。

 

「ほら、行こう?」

 

「ゃ……っ」

 

ずるずると、強く引っ張られる。抵抗しようにも、びくともしない。怖い。助けて……っ。誰か……っ。

 

周りの音が遠のいていく。照明の熱だけが近い。喉が焼ける。

その時――。

 

 

『では、歌ってもらいましょう! “TRIGGER”で、曲は――』

 

 

「……っ」

 

 

 

  楽さん――っ!!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

2025.10.30