Reine weiße Blumen
-Die weiße Rose singt Liebe-
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◆ 1章 前奏曲-volspiel- 26
―――翌朝・白閖邸
かちゃ……と、カトラリーの音が静かにダイニングに響く。あやねは小さく息を吐くと、そっと皿の右側に斜めに揃えてカトラリーを置いた。それを見た秋良がふと、あやねの皿を見る。彼女の目の前の皿の中の料理は、殆ど手を付けられていなかった。
「あやね、もう少し食べなさい」
そう言う秋良の声が聞こえてきたが、あやねは一度だけ何か口を開き掛けて閉じた。そして、そのまま席を立つ仕草をする。すると、秋良が少しだけ厳しめの声で、
「あやね」
と、強く名を呼んだ。瞬間、あやねの動きがぴたっと止まると、また何か言いたげに口を開きかけたが、そのまま何も言わずにすとん、と、席に座り直す。そんな彼女を見て、秋良が小さく息を吐くと、かちゃっと、カトラリーを皿の中央に揃えて置く。それから、ナプキンの内側で軽く手を拭くと、そのままじっとあやねを見た。
「まるで、心ここに非ず――だな。昨夜、八乙女君と話しただろう? 何か、気になる事でもあるのかな」
「八乙女」という言葉に、あやねがぴくっと肩を震わせた。それから、ゆっくりと秋良を見ると、すっと視線を逸らす。それから、もじ……っとテーブルの下で手を少し動かした後、ぎゅっと握り締めた。
「あの……お父様」
「うん?」
「……」
秋良が知らない筈が無い。あんな遅い時間に楽自らがあやねの部屋に来たとは考え辛かった。という事は、秋良が通したという事に、他ならないのは明白なのだ。だが、秋良はその理由を自分で言う気は無さそうだった。
あやねは、今一度秋良を見ると、ぐっと唇を噛んだ。そして――。
「……昨晩、楽さんが部屋に来られました」
「知っているよ。私が行かせたからね」
その言葉に、「ああ、やっぱり……」と思ってしまう。だが、それと同時に「どうして……」とも、思ってしまう。秋良が安易に楽を通すとは思えない。きっと、何かの意図があって通したのだ。そして、きっとそれは……。
「お父様は、今、制作中の映画『スノードロップ』をご存じですか?」
あやねのその言葉に、秋良は面白い物をみたかのように、にっこりと微笑む。グラスに注がれているミネラルウォーターを一口飲み、そして、さも当然そうに、
「ああ、知っているよ。八乙女君が主演する映画だろう?」
「……では、そのヒロイン役の方がまだお決まりでないのは……?」
あやねがそう尋ねると、秋良はくすっと笑みを浮かべ、グラスをテーブルに置いた。そして、手を組んで顎に置くと、
「そうなのかい? 私の知っているのは、もう打診中という事だけだよ。その“答え”は、あやね。お前が一番知っているんじゃないのかい?」
「……っ」
秋良のその言葉に、あやねがぎゅっとテーブルの下で握る手に力を籠めた。声が震える。秋良には全部お見通しなのだ。楽があやねの部屋に来た理由も、あやねがどう答えたのかも――。
「……無理、ですよ」
あやねの震える小さな声が、ダイニングに響いた。だが、秋良は何も言わなかった。
「……楽さんは、演技より気持ちの問題だと仰っていました。でも、私にはその“気持ち”が理解出来ません……っ。演技も出来ない、気持ちも籠められない。こんな私では、きっと皆様の足手まといになるだけで――」
出来る筈が無いのだ。演技もド素人。音楽へ対する気持ちも曖昧なまま。そんな自分が音で人を魅了できる“ましろ”役をやるなんて、無理があり過ぎる。そんな大役引き受ける、資格など――無いのだ。
と、その時だった。
「あやね」
ふいに、秋良の低い声が聞こえてきた。あやねが、はっとして顔を上げると、秋良は真っ直ぐにあやねを見ていた。その瞳は、全てを見透かすようで、あやねは言葉を失ってしまった。
すると、秋良は小さく息を吐き、ナプキンでそっと口元を拭くと、ハウス・スチュワードの穂波を呼んだ。穂波が頭を垂れて、秋良の斜め後ろにやってくると、秋良は何かを穂波に言った。その言葉を聞いた穂波が小さく一礼して、下がっていく。
「……?」
あやねが不思議に思っていると、秋良はにっこりと微笑んで、
「あやね、今日は私と一緒に外出しようか」
と、言い出したのだった。
**** ****
―――某TV局・控室
「はぁ~~~~」
どよ~~んとした空気が、控室の中の一部に漂っていた。楽だ。楽が椅子に座ったまま、片手に台本を持って、項垂れている。それを見ていた龍之介と天が、訝しげに首を傾げた。
「が、楽、どうしたのかな? 今日は一段と落ち込んでるっぽいけど――」
という龍之介に、天がさもどうでも良さそうにボトルの水を飲みながら、
「さぁ? どうせ、また白閖さん絡みでしょ。楽って分かりやすいよね」
そう言いながら、今日歌う曲の最終チェックを始める。そんな天に龍之介がおろおろして、楽と天を見る。
「ええ!? 今から生の歌番組だよ?! 楽、大丈夫かなぁ~」
「……カメラの前でも腑抜けてたら、“TRIGGER”のリーダー辞めてもらおうかな」
と、天がとんでもない事を言い出したものだから、龍之介が慌てて「ええ!?」と声を上げると、楽に駆け寄った。
「楽! 楽ってば!! 天が怒ってるよ!!?」
そう訴えるが、楽はというと何故か超絶落ち込み中のままだった。その時だった、楽屋の扉をノックする音が聞こえたかと思うと、マネージャーの姉鷺が入って来た。
「アンタ達、もう少ししたら、スタジオの方にスタンバイ――ってやだ! ちょっと、楽!! アンタ、なんでまだ着替えてないよの!?」
そうなのだ。楽はまだ衣装にすら着替えていなかった。髪などはスタイリストによって既にセットされていたが、服が私服のままだ。姉鷺がそれを見て慌てたのは当然で――。カツカツと、ヒールを鳴らしながら駆け寄ると、ばっと楽の持っていた台本を奪った。瞬間、はっと楽が覚醒したかのように、顔を上げる。
「……姉鷺、返せ」
低い声が楽屋に響き、周りのスタッフがびくっと身体を縮こませる。が、姉鷺には通用しないのか、まるで慣れた様に、
「そんな凄んでもダメ! アタシには通用しないんだから!! というか、今日は映画の撮影ないでしょう? 頭切り替えなさい!! あやねちゃんに振られたぐらいで落ち込んでんじゃないわよ!」
ズバズバ言ってくる姉鷺に、楽がぐさっとダメージを受ける。だが、それ以上に反応したのは、龍之介と天だった。
「ええ!? 楽、あやねちゃんに振られたの!!?」
「へぇ……白閖さんに振られたんだ?」
という、2人からの攻撃に楽が更にダメージを受けるが、ぷるぷると身体を震わせながら、
「ち、ちげーよ! 振られた訳じゃねぇ!! 姉鷺! 変な誤解を招くように言い方するな!!」
そう言い返すが、姉鷺はけろっとして、
「何よ、事実じゃない。“ましろ”役、オファーしたけど、断られたんでしょう?」
「べ、別にまだ、断られた訳じゃ――」
そこまで言い掛けて、楽が言い淀む。実際の所、はっきりとは言われなかったが、断られたに近かった。あやねは、困惑していたし、「自分には無理」だと言っていた。でも――“ましろ”役は、やはりあやね以外考えられなかった。
「……あやねの気持ちも分からなくはねーよ。俺だっていきなり何も知らない状態で、やれって言われたら、怯むと――思う。でも……っ、“ましろ”はあやね以外考えられねぇんだよ。俺だけじゃない、監督も同じ考えなんだ。それに、早くなんとかしねぇと――」
楽がそう言って俯いた。楽のその言葉に、姉鷺が小さく息を吐く。
「スポンサーの件は、どうなったの? あやねちゃんのお父様と話したんでしょう?」
姉鷺がそう尋ねると、楽は小さく息を吐いて、
「……一応、白閖さんには昨日、監督と一緒に話して、OKは貰ったけど――条件付きなんだ」
「条件?」
楽の言葉に、天が首を傾げる。すると、楽が「はぁ……」と溜息を漏らし、
「その条件ってのが――」
と、楽は昨夜話した内容を一部始終話した。白閖財閥がスポンサーになる条件。それは――。
「い、一週間以内に“ましろ”役を決める!?」
「しかも、その“ましろ”役に白閖さんを説得出来たら……?」
楽の言葉に、龍之介と天が声を上げた。すると、楽が「ああ……」と小さく頷く。それで納得がいった。姉鷺の「あやねに振られた」はつまり、昨日は「説得出来なかった」のだろう、と。だから、楽が落ち込んでいたのだ。
「……別に、白閖さんは“ましろ”はあやねじゃなくてもいいとは言ってはいたけど――」
「楽は、白閖さんしかないと思ってるんだ?」
天のその言葉に、楽が頷く。ここまで来て、妥協はしたくない。というのが本音だった。それに、もう本当の“ましろ”を見つけてしまったのだ。今更、あやね以外の“ましろ”など、考えられなかった。
すると、姉鷺が「うーん」と、難しい顔をした。
「そうなると、少し困ったわね~」
「困る?」
姉鷺の言葉に、3人が首を傾げる。だが、姉鷺が「あ!」と、声を上げて、ぱん!と手を叩いた。
「この話は後! 今は生番組よ! ほら、楽も準備して!!」
「え? お、おい!」
気になるところで話を切られて、楽が思わず声を上げるが、もう時間が迫っていた。
「アンタ達は“TRIGGER”なのよ! 早く、アイドルの顔になりなさい! 後できちんと、教えてあげるから、今は、今の仕事に集中して!!」
「わ、分かってるよ」
姉鷺の最もな意見に、楽はこれ以上追及できなかったのだった。
**** ****
「2カメ、スタンバイ!!」
「CM開けます!! 3・2・1!」
そこは、騒然としていた。あやねは、何故自分はこんな所にいるのだろうかと思いながら、後ろの方でその様子を見ていた。目の前では、スタジオ内で生放送の収録が行われている。沢山のスタッフの人たちや、カメラマン、スタイリスト、そして――アイドル達がそこにはいた。
生放送という事もあり、皆少し緊張の面持ちをしている。あやねは、そんな彼らを見学していた。朝、秋良が「一緒に出掛けようか」と言って、連れてこられたのが、このスタジオだったのだ。ちなみに、秋良は挨拶に行ってくると言って今、席を外している。あやね1人、ぽつんっと残されて、なんだか、少し居辛い。
しかも、あやねの知らない世界過ぎて、何が何やらさっぱりだ。何人ものアイドルが行き来しているが、誰も知らないし、記憶にすら残っていない。なので、いきなりこんな所に連れてこられた意味が、正直あやねには分からなかった。
なんでも、今日は24時間生放送の超有名なチャリティー番組らしい。アイドルや、お笑い芸人など、多種多様な人が出演しているという。司会は今有名な“Re:vale”という、2人組のアイドルらしい。しかし、あやねはそういう世界に疎い所為か、見てもよく分からなかった。一応、白閖もスポンサーをしていて、出資しているらしく、それで秋良は挨拶に行っているのだ。
なのはいいのだが……。
お父様は、どうして私をここに連れて来たのかしら……。
それが、何度考えても謎だった。と、その時だった。入口の方がざわりと騒めいたかと思うと――。
「“TRIGGER”さん、入ります!」
そう言う、スタッフの声が聞こえたかと思うと、きりっとした衣装に包まれた楽・天・龍之介の3人がスタジオ内に入って来た。
「あ……」
楽だ。そう思うと、どきん……と、あやねの胸が鳴った気がした。3人は、スタッフに「宜しくお願いします」と挨拶しながら、スタンバイ場所へと歩いて行く。勿論、後ろの方にいるあやねには気付いていない。もしかして、彼らもここで歌うのだろうか……? そんな感じた事のない「期待」が胸を過る。すると、ふと天と目があった気がした。天は、あやねを見ると、にっこりと微笑んで、そのまま、スタジオの方へ入っていった。
『“TRIGGER”の3人が来てくれたよ~~~~!!』
そう司会の“Re:vale”の1人が紹介すると、会場内が一気に黄色い声で包まれた。その凄い歓声に、思わず驚いてしまう。人気があるという話は聞いてはいたが、学院内で聞く黄色い声とは桁違いなレベルだった。
「凄い……」
あの歓声の中で、堂々と立っている3人はとても、かっこよく見えた。きっと、あやねなら委縮してしまうだろう。ピアノのコンクールなどとは、全然違う世界だった。圧倒的なオーラというか、存在感というか、住む世界が全然違うのだと思い知らされる。
これを見せて、秋良はあやねに何を伝えたかったのだろうか……。そう、思っていた時だった。
『今日は特別な演出あるんだよね?』
『はい、今日は――』
遠くで“Re:vale”と“TRIGGER”の声が聞こえていたその瞬間だった。視界の端を、黒い影が横切る。ばっとあやねが顔を上げると――。
「ねえ、君。新人?」
「え……?」
突然、見知らぬアイドルに話しかけられて、あやねが大きくその瞳を見開いた。それは、初めて見る顔だった。2人組の男性アイドルグループなのだろうか、似たような衣装を着た2人が、あやねを囲むように立っていたのだ。あやねは反射的に後退った。けれど、背中にすぐ、壁の冷たさが触れる。
「あ、あの……」
あやねが、困惑したように声を発した時だった。その男性アイドルは にやっと笑みを浮かべ、
「かっわいい~~声も、めっちゃよくね?」
「キミさ、俺等と仲良くしてたらきっと名前売れるよ!!」
そう言って、あやねの手を取ると、ぐいっと引っ張った。
「……っ、離し――」
手を振り解こうと、あやねが力を籠めた瞬間だった。その男性アイドルのもう1人が、あやねの手を取ったのだ。そして、そのままぐいっと引き寄せられて、身体を引っ張られる。
「ねぇ、時間あるなら、俺等の楽屋に来ない?」
「え……」
「そうそう、楽しい事色々教えてやるしさ――」
そう言ったかと思うと、そのままぐいっと腰に手を回される。あやねが、慌てて助けを求めようと周りを見るが、スタッフも、共演者も、誰も動かない。まるで、ここだけが別世界のように――。気付いているのに、きっとこの男性アイドルの所為で手が出せないのだ。
「や、止めてくださ――」
誰、か……っ。
腕を引かれた手が痛い。逃げたい。でも――。
一瞬、脳裏に楽の顔が浮かぶ。でも、ここで楽に助けを求める訳にはいかない。楽は今、生番組中だ。そんな中であやねが騒動を起こす訳にはいかなかった。
けれど……。
このまま連れていかれてはいけない、と、何かが警報を鳴らす。だが、逃れようにも身体が上手く動かない。“怖い”という思いがどんどん身体を支配していく。
「ほら、行こう?」
「ゃ……っ」
ずるずると、強く引っ張られる。抵抗しようにも、びくともしない。怖い。助けて……っ。誰か……っ。
周りの音が遠のいていく。照明の熱だけが近い。喉が焼ける。
その時――。
『では、歌ってもらいましょう! “TRIGGER”で、曲は――』
「……っ」
楽さん――っ!!
続
2025.10.30

