スノーホワイト

 

  Chapter1 氷結の魔女4

 

 

 

―――エリオスタワー・カンファレンスルーム

 

 

 

その日の議題は今度行われる予定のルーキーズキャンプについてだった。キャンプは1週間行われ、ルーキー同士の交流を通してチームワークを学ぶことを目的とする。

13期のルーキーの他に、13期のメンターと、メンター補佐のアリス。そして、教官として、歴代トップクラスの実力を持っていた元・伝説の女性ヒーロー、リリー・マックイーンも同行する。

 

チーム編成もいつもと違って2つのグループに分かれて行動する事になる。ルーキー4人に対し、メンターがリーダーと補佐として2人付く。それ以外は基本サポートに回る。

まだ入所して少ししか経っていないルーキーには、中々厳しい訓練となるだろう。何せ、キャンプという名の、朝から晩まで特別訓練みっちりなのだから……。

 

「……はぁ」

 

思わず、議事録を付けながら溜息を零してしまう。と、そこでアリスは慌てて自身の口元を抑えた。

 

いけない。会議に集中しなければ……。

 

そう思うのに……。顔を上げると、ブラッドの後ろ姿が視界に入った。長い指が目の前のキーボードを叩いている。

 

「……」

 

アリスはぼんやりと、そんなブラッドの後ろ姿を見ていた。

脳裏に、先日のビリーとのやり取りが思い出される。ブラッドは、ビリーに見せ付ける為と、虫よけの為だと言ってアリスに口付けしてきた。

別に、ブラッドにそうされるのが嫌とか、そういうのではないが……。何故……と、思ってしまう。それに――。

 

『……誰にでもああいう事をする訳ではない』と、ブラッドは言った。アリスだからしたのだと。それはどういう意味だろうか?

そんな風に言われたら、期待――してしまう。

 

と、そこまで考えて、アリスは被りを振った。

 

期待しては駄目。きっと、あの言葉にそんな深い意味はないのよ。そうよ……期待してはいけない――。

してはいけない……そう――思うのに……。

 

そっと、自身の唇に触れる。まだ微かに残る、ブラッドの温もり。

 

「……」

 

私……本当に、あのブラッドさんにキス……された、の、よね……。

そう思っただけで、知らず顔が紅潮していく。

 

でも、あの日以降、特に何かあった訳でも、ない。むしろ、恥かしくて顔を合わせられない。仕事もあるし、ルーキーズキャンプもある。このまま――という訳にもいかないのは、解っている。けれど……。

 

「はぁ……」

 

また、溜息が零れた。と、その時だった。

 

「アリス」

 

不意に誰かに呼ばれて顔を上げると、いつの間に傍に来たのか、ブラッドが目の前に立っていた。ぎょっとしたのは、アリスだ。慌てて立ち上がると、がたんっと椅子が倒れる。

 

「……あ、す、すみません……っ」

 

慌てて椅子を元に戻すと、ブラッドが心配そうに首を傾げた後、すっと手を伸ばしてきた。その長い指がそっとアリスに額に触れる。

 

「……っ」

 

息が――止まるかと思った。かぁっと、アリスの顔がどんどん朱に染まっていく。心臓が、ブラッドに聞こえるんじゃないかというぐらい早鐘のように鳴り響き、全身に緊張が走る。

 

「あ、の……っ」

 

やっとの思いで絞り出した声は、言の葉に乗らなかった。

だが、ブラッドはそんなアリスを知って知らでか、「ふむ……」と首を傾げた後、

 

「少し熱いが、熱があるという訳ではなさそうだな。もし、具合が悪いのならば、医務室かノヴァ博士の元へ――」

 

「え……あ……、い、いえ……っ」

 

いけない……っ。心配掛けてしまっている……っ。

アリスは、慌てて笑顔を作ると、一歩下がった。

 

「あ、その……、ね、寝不足で……、少しぼうっとしてしまったみたいです。すみません、ご迷惑を――」

 

「寝不足?」

 

「は、はい……」

 

うう……顔が上げられない。早くこの場から去りたい気持ちでいっぱいだった。嘘をついている罪悪感と、ブラッドをまともに見れない恥ずかしさで、頭がどうにかなってしまいそうだ。

 

アリスは、慌ててデスクの上の資料と、端末を片付けると、

 

「すみません、お先に失礼致します……っ」

 

それだけ言うと、そのままその場を足早に去ったのだった。

 

 

 

 

*** ***

 

 

 

 

「はぁ……」

 

廊下を歩きながら、アリスはまた溜息を零した。一体、いつまでこんな事を続けなければならないのか。このままでは仕事に支障をきたしてしまう。

いつまでも、避けている訳にはいかない。早く、頭を切り替えないと――そう思って廊下を曲がった時だった。

 

「きゃっ……」

 

「あん?」

 

誰かにぶつかった。アリスが額を押さえて顔を上げると、そこにいたのは――。

 

「……アッシュ」

 

それは、今はイーストセクターのメンターをしているアカデミー時代からの犬猿の仲の、同期のアッシュ・オルブライトだった。

 

よりにもよって、こいつだなんて……。

 

今、一番関わり合いになりたくないNo.1だった。正直、アッシュに会うと、ろくな事にならない。早々にこの場を去りたい気持ちでいっぱいだった。

そうとは知らないアッシュは、獲物を見つけたかのように、にやりと笑うと、

 

「よぉ、アリス。相変わらずしけたツラしてやがんな」

 

「……はぁ、開口一番にそれなの? もっと気の利いた言葉掛けられるように精進した方がいいわよ」

 

そう言いながら、伸びてきたアッシュの手をアリスがばしっと払う。その態度に、イラっとしたのか、アッシュが眉間に皺を寄せた。

 

「あぁん? ぶつかって来たのは、テメェだろうが」

 

「あーそうですね。すみませんでした」

 

と、アリスが棒読みで心の籠ってない謝罪をする。その態度にカチンときたのか、突然アッシュがアリスの腕を掴んで引っ張ったのだ。

 

「ちょ……、何す――きゃぁ!」

 

そのまま、壁際に叩きつけられたかと思うと、どんっ!っと、腕で行く手を遮られる。突然の事にアリスが困惑していると、アッシュはお構いなしにアリスの顎を掴むと、上を向かせた。

 

「テメェ、まだブラッドの尻追いかけてんだろ」

 

「……?」

 

突然、この男は何を言い出すのだ。そもそも、ブラッドの事は今関係ない筈である。それをわざわざ口に出す理由が解らない。

アリスは「はぁ……」と呆れにも似た溜息を零すと、ばしっ!と顎に掛けられたアッシュの手を弾いた。

 

「アッシュ、貴方にとやかく言われる筋合いはないわ。後、失礼な事言わないで。ほんっと、デリカシーゼロなんだから」

 

「あ‟ぁ?」

 

「アッシュには、関係ないって言ってるの。……とにかく、今貴方の相手をする気分じゃないのよね。だから、構わないでくれる?」

 

それだけ言うと、アリスはその場から離れようとして、アッシュの手を外そうと手を伸ばした。だが、アッシュの手に触れる前に、その腕をもう片方の手で掴まれたかと思うと、そのまま壁に押し付けられた。

アッシュによって羽交い締め状態になり、アリスが不愉快そうに眉間に皺を寄せる。

 

「なんなの?」

 

「アリス……テメェ、まだ理解してないようだな」

 

「……だから、何を」

 

「テメェが、誰のものかって――」

 

 

 

「アリス! アッシュ!!」

 

 

 

と、その時だった。たまたま通り掛かったオスカーが慌てて2人の間に割って入って来た。突然現れたオスカーにアッシュが眉を寄せる。

 

「オスカー邪魔すんじゃねぇ!」

 

そう言いうアッシュとは裏腹に、アリスは小さく息を吐くと、

 

「助かったわ、オスカー君。この馬鹿がウザ絡みしてくるから困ってたの」

 

「んだとぉ!」

 

アリスの言葉に、今にも食って掛かりそうなアッシュに、オスカーが慌てて仲裁に入る。

 

「落ち着け、アッシュ」

 

「どけ! オスカー!! この女に分からせてやんねーと、気が済まねぇ!!」

 

「分からす? さっきから何訳の分からない事を――」

 

「とぼけてんじゃねぇ、アリス! テメェがそうやって、うじうじしてんのは、どうせあのブラッドに何かされたからだろうが!!」

 

「……な……っ」

 

瞬間、かぁ……っとアリスの顔が真っ赤に染まる。が、次の瞬間、はっとして慌てて首を横に振った。それから、キッとアッシュを睨み付け、

 

「あ、あ、貴方にブラッドさんとの事とやかく言われる筋合いはないって言ってるでしょ、アッシュ……!」

 

顔を真っ赤にして明らかに動揺しているアリスに、アッシュは「ふんっ」と鼻を鳴らすと、

 

「……やっぱり、何かされたんじゃねぇか。言え! ブラッドの野郎、テメェに何しやがった!?」

 

「……な、ん……っ」

 

アッシュのその言葉に、アリスがますます顔を赤らめる。そんなアリスの様子に、オスカーが首を傾げる。

 

「アリス?」

 

だが、アリスはそれ所では無かった。ビリーの前でされたあの時の事を思い出して、頭がパニックになる。

 

「あ……」

 

「あ?」

 

 

 

 

「貴方に、言う訳ないでしょ――!!!」

 

 

 

 

そう叫ぶや否や、アリスが思いっきりアッシュの脛を蹴り飛ばした。

 

「いってぇ!!」

 

思わず、アッシュが痛みで脛を押さえて飛び上がる。と、アリスはくるっと踵を返すと、そのまま脱兎の如く、その場から逃げるように駆け出したのだった。

 

「あ、あ、あのアマぁ……っ!」

 

わなわなとアッシュが怒りに震えていると、後ろにいたオスカーがぷっと吹き出した。

 

「笑ってんじゃねえ!!」

 

「いや、すまん。アリスも大胆な事するんだなあと思ってな」

 

「はぁ!?」

 

アッシュが思わず素っ頓狂な声を上げる。それでも、沸き上がる怒りを抑えきれないのか、ぷるぷると拳を震わせながら、

 

「こうなったら、ブラッドの野郎を問い詰めて――」

 

「止めておけ」

 

「あぁん?」

 

「お前ではブラッドさまには勝てない。それに、ブラッドさまはお忙しいのだ。お手を煩わせるな」

 

一瞬、オスカーのその言葉に、アッシュがその瞳を瞬かせるが、直ぐに「は……っ」と喉の奥で笑うと、

 

「……勘違いすんじゃねぇよ」

 

「アッシュ?」

 

「そもそも、ブラッドには一度言ってやらねぇと気が済まねぇんだよ。後から出てきたくせに、勝手に人のものに手出しやがって……っ」

 

アッシュの言葉を聞いて、オスカーがその目を見開く。それから、小さく溜息を零した。

 

「その台詞、アリスの前で言うなよ?」

 

「あ?」

 

「いや、自覚がないのならどうしようもないが……」

 

そこまで言って、オスカーは言葉を濁すと、溜息を零す。それから、アッシュの肩にぽんっと手を置くと、何か言いたそうに少し逡巡した後、そのまま何も言わずに去っていったのだった。

 

 

 

 

*** ***

 

 

 

 

―――グリーンイーストヴィレッジ・カフェ

 

 

 

カフェに入ると、ブラッドは店内を見回した。店内は、緑の多く飾られた、落ち着いた雰囲気の店だった。と、ブラッドが視線を向けると、奥の4人席に座っていた先客が軽く手を上げる。ブラッドはそちらに向かうと、向かい側の空いている席へと腰を下ろした。

 

「よく来たなーブラッド。まぁ、先に何か注文するといい」

 

そう言って、先客のジェイがメニューを渡してくる。今日は、時間が少し空いたのでランチを一緒にどうだと、ジェイに誘われて来たのだが……。ふと、店内を見渡すと、ちらちらと、こちらを見る視線を感じた。

 

スーパーヒーローと謳われるジェイと一緒なのだ。見られるのも仕方ないと思った。だが、ジェイは気にした様子もなく、目の前に運ばれて来たサブマリンサンドイッチをご満悦で食べている。

 

「ブラッドは人気者だなあ。皆、見ているぞ。ファンが多いと大変だな」

 

と言いながら、はっはっはと笑っていた。が、ブラッドは、見ている市民の殆どがジェイを見ていると思ったのは言うまでもなく。だが、突っ込むほどでもないので、小さく息を吐いて、店員を呼んで注文をする。

 

「それで、ジェイ。何か話があるのではないのか?」

 

そもそも、ランチだけでグリーンイーストに呼ばれたのだ。何かあると思うのが、普通だろう。ブラッドがそう思っていると、ジェイはふむ……っと少し考えた後、

 

「まぁ、話は皆が揃ってからにしよう」

 

そう言って、グラスに入っていたミネラルウォーターをひと飲みする。ジェイのその言葉に、ブラッドが訝しげに眉を寄せたその時だった。

 

「あ、いたいたー」

 

「お~い、来たぞ~。何だよ、ここだとビールないんじゃねぇの?」

 

と、入り口の方からディノとキースが現れた。

 

「ディノ、キース?」

 

まさかの2人の登場にブラッドが驚いていると、ディノとキースは、さも当然のようにブラッド達のいるテーブルに座った。

すると、ジェイは嬉しそうに にこにこと笑いながら、満足そうに、

 

「いやあ、こうお前達が揃うと圧巻だなぁ~うんうん」

 

そう言うが、ブラッドは少し戸惑ったようにジェイを見た。

 

「ジェイ? これは一体――」

 

「俺が呼んだんだ。まあ、たまにはメンティーと一緒に食事をしたいと思ってな」

 

ジェイはそう言うが、この3人を集めて話す事というのは、何か重要な事なのだろうか? と、勘繰ってしまいたくなる。だが、ジェイはさほど気にした様子もなく、ディノとキースにメニューを渡しながら、

 

「ほら、お前達も好きなものを頼め。今日は俺の奢りだぞ~」

 

何故か嬉しそうだ。メニューを渡されたディノとキースは、それを見ながら、

 

「ブラッドは何を頼んだんだ? お、ピザがある! 俺はピザかなー。キースは何にする?」

 

「んぁ? あ~そうだなぁ……オレは飲めればなんでも――」

 

「貴様、まさかとは思うが、昼間から制服を着ているのに飲む気じゃないだろうな」

 

と、ブラッドに一括されて、キースが慌てて首を振りながら、

 

「の、飲まねーよ。……まだ」

 

「まだ?」

 

「あ、あー。オレは、これにするわ~」

 

と、ささっと適当に決めると、店員を呼んで注文した。そんな3人の様子に、ジェイは微笑ましそうに笑いながら、

 

「やっぱり、お前らは仲が良いな~うんうん、いい事だ」

 

そう言って、にこにこしている。そんなジェイに気が抜けそうになるが、ブラッドはコーヒーを飲みながら、ジェイを見た。

 

「それで、俺達を揃えて何の話だろうか、ジェイ」

 

そう本題を切り出すと、ジェイは少し言い辛そうに、視線を泳がせた。

 

「う、うむ……それなんだがな。その、俺が言うのもどうかと思ったんだが……」

 

そこまで言って、ジェイは言い淀んだ。それからブラッドの方をじっと見てくる。すると、他の2人もブラッドの方を見た。

その視線があまりにも、不自然でブラッドが首を傾げる。すると、ディノが「あーあの件か……」とぼやいた。キースもキースで「あの件な~」と言う。

 

「あの件?」

 

意味が分からないのはブラッドだ。「あの件」とはどの件の事だろうか。そう思っていると、ジェイがうんうんと頷きながら、

 

「そうだ、あの件だ。その件についてブラッドの話を聞きたくてな」

 

そう言ってくるが――ブラッドには何の話か全く分からず、そのルビーの瞳を一度だけ瞬かせた後、

 

「あの件とは、何の話だ」

 

そう尋ねた。すると、ジェイが少し言い辛そうに、

 

「その、なんだ。……さ、最近、アリスとはどうなんだ?」

 

「アリス?」

 

唐突に出たアリスの名に、ブラッドが訝しげに眉を寄せる。何故ここでアリスの名が出てくるのか……理解不能だった。

そういえば、今日のアリスは少し様子がおかしかった。いや、今日だけではない、ここ最近のアリスは、ブラッドを避けてるようにも思えた。

思い当たる事といえば――。

 

「……」

 

一瞬、ブラッドが考え込む。するとそれを見たジェイがぐいっと身を乗り出してきた。

 

「やっぱり、何かあったのか?!」

 

と、余りにも必死な様子に、ブラッドが一瞬たじろいだ。すると、ディノとキースまでもが、身を乗り出してきて、

 

「俺も気になってたんだよなー。最近のアリスの様子」

 

「お~なんか、変だよな?」

 

何故か3人に詰め寄られて、ブラッドが困惑気味に身体を引いた。

それは何となくブラッドも気付いていた。ここ最近のアリスは、心なしかぼんやりとしているというか、ブラッドに対してよそよそしい。

原因は恐らく、あの時の……。

 

脳裏に、ビリーの前でのやり取りが思い出される。

 

もしや、アリスはあの時の事を気にして……?

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

2025.03.02