スノーホワイト
◆ Chapter1 氷結の魔女3
―――エリオスタワー内・談話室
あの日から数日後。
アリスが書類を持って談話室を通り掛かった時だった。
「アレアレ~? そこにいるのって、アリスパイセンじゃない?」
「え?」
不意に名前を呼ばれ振り返ると、ジェイがメンターをしている、イースト・セクターのルーキーであり情報屋の、ビリー・ワイズがいた。基本、「ヒーロー」が兼業してはいけないというルールはない。ビリーの情報屋もそうだが、フェイスもそうだ。まぁ、フェイスの場合は趣味なのか本職なのかは不明だが、クラブで「DJ」をしている。
ちなみに、ビリーはニュー・ミリオン屈指の情報屋であり、彼の情報は信用度が高い。……その分、支払い報酬も法外だが……。
ビリーはにやにやしながら、アリスに近寄って来ると、ニッと笑った。
何だか、嫌な予感がしてアリスは一歩、後退る。すると、ビリーはチッチッチと舌を鳴らして、
「実はさー俺っち、アリスパイセンに色々聞きたい事があるんだよねぇ~」
「き、聞きたい事、って……?」
アリスが恐る恐るそう尋ねると、ビリーは人差指を振りながら、
「ノンノン! そんなに難しい事じゃないヨ。ただ、ちょ~っと、前々から多方面からよく同じ質問ばっかされて、ボクちんちょっと、疲れちゃってるんだよネ」
「え? 同じ質問……?」
ビリーが何を言っているのか、理解出来ずアリスが首を傾げる。すると、ビリーはふふんっと機嫌良さそうに鼻息を鳴らして、
「じゃぁ、ボクちん聞いちゃうネ! ずばり!! アリスパイセンと、ブラッドパイセンって、どういう関係なの?」
「……え?」
唐突に謎の質問を聞かれて、アリスがそのライトグリーンの瞳を瞬かせる。ただブラッドの関係と言われても、13期生のメンター統括と、メンター補佐という立場だと思うが……。それは周知の事実ではないだろうか?
何故そんな事を聞くのか、はっきり言って謎である。
アリスが首を傾げていると、ビリーが「ノンノン」っと、首を振った。
「オイラが聞きたいのは、そういう関係じゃないヨ! もっと深い関係の話」
「ふ、深い関係……?」
ビリーの言う意味が解らない。アリスがますます首を傾げると、ビリーはじれったそうに、
「じゃあ、単刀直入に聞いちゃうネ。ブラッドパイセンとはどこまで進んでるの? 付き合ってるんでショ」
「つ、付き……っ!!?」
その言葉を聞いた瞬間、アリスがかぁっと顔を真っ赤にさせた。動揺の余り、ばさばさっと、持っていた書類が手の中から落ちる。それを見たビリーが、
「アレアレ~大丈夫? アリスパイセン。手伝おっか?」
「え……ぁ……う、ううん。大丈――」
震える手で、慌てて落ちた書類を拾おうと手を伸ばした時だった。不意に、目の前に影が落ちたかと思うと、誰かの手が伸びてきた。一瞬、「え?」と思ってアリスが顔を上げると――そこには、いつの間に来たのかブラッドがいた。
「ブ、ブラッドさ……っ」
まさかのブラッドの登場に、バクバクとアリスの心臓が破裂しそうなほど震えた。知らず、顔が真っ赤に染まり、ブラッドを直視出来ない。
そんなアリスに気付いていないのか、ブラッドは落ちた書類を拾いながら、
「どうした、アリス。お前がこんなに注意力散漫なのも珍しい―――ビリー?」
ふと、ブラッドがビリーの存在に気付き、少しだけ首を傾げる。だが、当のビリーはというと、目をきらきらさせて、
「あのブラッドパイセンが、他人が落とした書類を拾うなんて……っ! これは、大スクープの匂い!!」
「……?」
ブラッドは、意味が解らないという風に、顔を訝しげに顰めた。しかし、アリスはそれ所ではなかった。先程のビリーの言葉が脳裏を過ぎる。
『ブラッドパイセンとはどこまで進んでるの? 付き合ってるんでショ』
まさか、あのセリフを聞かれたりしていないだろうか? そう考えただけで、この場から逃げ出したいほどだ。だが、ビリーがそんなアリスの思いなど、露とも知らないという風に、「フンフン」と、アリスとブラッドをまじまじと見て、
「丁度いいや~もう、ブラッドパイセンにも聞いちゃおう!」
「え!?」
ビリーの言葉に反応したのは、ブラッドではなくアリスだった。まさか、先程の件をブラッドの直接聞くというのだろうか!? そんなの……っ、耐えられる筈がないっ!!
しかし、ブラッドは意味が解らないという風に、やはり顔を顰め、
「何の話だ?」
「フッフッフ~この『HELIOS』、ううん、ニュー・ミリオンの人なら皆気になってる事だヨ。俺っち自身も気になって夜も眠れな~い。だから、ブラッドパイセンに、教えてもらいたいんだ」
そう言って、すちゃっとビリーのハニー(スマホ)を取り出す。
「ずばり! ブラッドパイセンって、アリスパイセンと何処までいってるの?」
「……」
それを聞いた瞬間、ブラッドの表情が俄かに険しくなる。その後ろで、アリスが今までにない位顔を真っ赤にさせていた。
「ビ、ビリー君。その話はお願いだから、もう止め――」
アリスがそこまで言いかけた時だった。「はぁ……」とブラッドの盛大な溜息が聞こえた。アリスの落とした書類を全部拾い上げると、アリスには渡さず、自分で持ったまま、
「……下らんな。そんな話をする暇があるなら、トレーニングのひとつでもしたらどうだ」
それだけ言うと、ぐいっとアリスの肩を抱き寄せ、その場を去ろうとした。アリスが、真っ赤な顔で困ったかのように、ブラッドとビリーを見る。
すると、ビリーはにやりと笑って、
「あっれ~ブラッドパイセン。都合悪くなったら敵前逃亡しちゃうタイプだったんダ」
「……なに?」
ぴくりと、ブラッドが反応する。いつものブラッドなら無視するであろうことなのに、何故か今日のブラッドは、ビリーに対して、高圧的に反応した。そんなブラッドに、ビリーがにやにやして、
「ブラッドパイセン。今世間で騒がれてる噂って、知ってる? オイラの所にもその事実確認して欲しいって依頼が殺到してて困ってるだよネ。営業妨害もいいところだよ」
「……」
「気にならない? 皆、何の噂してるか。気になるよネ! ずばり、皆が言ってるのは、アリスパイセンとブラッドパイセンの関係についてだヨ。でも、どんだけ探っても何も出てこないんだよね。ああ、守秘義務があるから、誰から依頼されてるとかは言えないけど――」
そう言って、ビリーがハニーをささっと動かす。
「オイラが、知りたいことは、ふたつだけ。ブラッドパイセンとアリスパイセンは付き合っているのか否か。そして付き合っているならどこまでの関係なのか。だけだよ」
「……」
「んんーオイラの予想としては、ブラッドパイセンが、アリスパイセン大事にしてるのは分かるよ? 後、アリスパイセンの反応見る限り、ブラッドパイセンに好意持ってるって事も――」
ビリーのその言葉にぎょっとしたのはアリスだ。今までにない位顔を真っ赤に染め上げ、
「ちょ、ちょっと、ビリー君……っ!!」
そう、抗議の声を上げた時だった。アリスの頭上から「はぁ~~~~」と、重い溜息が聞こえてきた。
あ……。
ブラッドのそれに、アリスがびくりと反応する。もしかしたら、呆れられたかもしれない。ううん、嫌われたかも……。そう思うと、今にも泣きたくなった。
「あ、あの……ブラッドさん……、わ、私は、その……」
何を言ったらいいのか分からない。アリスが落ち込んだ様に、そのライトグリーンの瞳を伏せた時だった。不意に、ブラッドの手が伸びてきたかと思うと、そのまま上を向かされた。
一瞬「え……?」と、思うが、ブラッドのルビーの瞳と目が合い、知らず顔が紅潮していくのが分かった。
「あ、の……」
アリスは何か言わなければと思うのに、何も言葉が出てこない。するとブラッドは、ふっと笑って、そのままアリスの肩を抱いていた手を彼女の腰に回して抱き寄せた。そして――そのまま自身の唇を、アリスの唇に重ねたのだ。
え……。
驚いたのはアリスだ。まさかのブラッドからの口付けに頭が真っ白になる。しかも、それは一度では終わらなかった。度も、角度を変えながら、ブラッドはアリスの唇を貪る様に口付けてきたのだ。
「……ぁ……、ブ、ブラッド、さ……っ」
堪らず、アリスがブラッドの制服を掴むと、それに気分を良くしたのか、ブラッドからの口付けが更に深くなった。
「アリス、口を開けるんだ」
「……え……?」
ブラッドの言う意味が分からず、アリスが少しだけ唇を開いた時だった。その隙をついて、ブラッドの舌が滑り込んできたのだ。
「ぁ……っ、ふ、ぁ……ん……っ、ぁ、んん……っ」
ぬるり……っ、と口腔内を舐め上げられ、ぞわりと肌が粟立った。だがブラッドはそんな事も気にせずに、更に深く舌を差し入れてくる。そして、そのまま舌を絡め取られ、強く吸われた。
ちゅく……っと濡れた音が耳を打ち、それがまたアリスの羞恥を煽っていく。思わずぎゅっと目を瞑ると、それに気付いたブラッドがくすりと笑った気配がした。
「アリス、目を開けておけ」
「……?」
ブラッドの手が、優しくアリスのキャラメルブロンドの髪を撫ぜる。促される様に目を開けると、そこにはルビーの瞳があった。すると……そのルビーの瞳の奥に情欲の色を見つけてしまい、思わず胸がどきりと高鳴った。
「あ……」
知らず声が漏れる。しかしその瞬間だった。突然後頭部を押さえられ、ぐっと引き寄せられたかと思うとそのまま唇を奪われたのだ。今度は先程とは違い、軽く触れるような口付けではなく、舌を絡め取られ貪り尽くされる様な激しいものだった。
ブラッドの舌が、歯列をなぞり口腔内を蹂躙する様に動くと、それだけで頭がくらくらしていく。腰に回されていた手で、ぐっと強く引き寄せられる。そしてそのまま口内を貪られ続けていると、次第に身体から力が抜けていくのが分かった。
気が付けばブラッドの右手はアリスの後頭部を押さえたまま、左手は腰へと回されている。その腕でしっかりと腰を抱かれ、更に密着度が増した気がした。
ちゅく……っという濡れた音が、やけに大きく響く気がする。
「……っぁ……は、ぁ……んん……っ」
ブラッドの舌が、アリスの舌に絡みつき、吸い上げられる。そしてそのまま上顎や歯列をなぞられるとぞくりとしたものが背中を這い上がってきた。思わずぎゅっと目を瞑ると、それを咎める様にブラッドの手が耳に触れてくるではないか。
その途端、ぴくんと身体が震える。それに気をよくしたのかブラッドは更に深く口付けてきた。
ちゅく……っと濡れた音が耳に届く度に羞恥心でどうにかなりそうだった。だが、それ以上に頭がぼうっとして何も考えられなくなる。
「ん……ふ、ぁ……」
「アリス……」
ブラッドの熱を帯びた声音に、思わずどきりと胸が高鳴った。そのまま更に深く口付けられる。
そして、どれ程そうしていただろう。不意に唇が離されたかと思うと、今度は首筋に口付けられた。
「……ぁ」
その感触に小さく声を上げると、ブラッドがくすりと笑みを零したのが分かった。そのまま首筋を強く吸われると、ぞくりとしたものが背筋を這い上がる。それが快感だと気付く前に、また強く吸い上げられた。
気付けば、そこにはブラッドに付けられた所有印の様な赤い痕がくっきりと残っているではないか。
すると、ブラッドは顔を上げてビリーの方を見た。アリスを抱きしめた手はそのままで、口を開く。
「これで、満足か? ビリー」
目の前で、アリスと、あのブラッドの濃厚なキスシーンを見せられて、ビリーは一瞬ぽかーんとしていたが、次の瞬間、にやりと笑って。
「HAHAHA~!! 予想以上の答え貰えて、俺っち大満足! ブラッドパイセンが、どれだけアリスパイセン好きなのかよく分かったヨ! つまり2人は恋人なんだねぇ~それも、相当深い仲♪」
「……あんまり風評するなよ」
「Gotcha! じゃ、俺っちは行くね~! 情報提供Thank you very much!!」
そう言うと、ビリーは満足そうに談話室を去っていった。残されたアリスはというと……余りの展開について行けず、しかもブラッドからの激しい口付けで足に力が入らなかった。
「ブ、ブラッドさん……どう、して……」
ブラッドの事は好きだ。でも、アリスとブラッドは恋人同士という訳ではない。なのに――。そう思っていると、ふと、ブラッドがアリスの美しいキャラメルブロンドの髪を撫でた。
「虫よけだと思え。それよりも、立てるか?」
「……っ、た、立てま――」
そこまで言いかけたが、ぐらりとアリスがバランスを崩しブラッドにもたれ掛かってしまう。足に力が入らないのだ。
「す、すみませ……」
申し訳なくて、謝罪の言葉を述べると、ブラッドはふっと微かに笑みを浮かべると、そのままアリスを横に抱き上げた。ぎょっとしたのはアリスだ。だが、ブラッドは気にする様子もなく、そのまま歩き出したのだった。
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―――アリスの部屋
何故か、自室に運ばれた。といっても、アリスはメンディーを受け持っていない為1人部屋なので、サウス・ルームに運ばれるよりかはマシなのだが……。
そのまま、そっとソファに降ろされる。
「あ、ありがとう、ございます……」
なんとかお礼を言うが、未だ顔の火照りが収まらない。いや、顔だけではない、全身から火が出るんじゃないかと思うくらい熱い。
ブラッドはというと、いつもと変わらない様子でアリスの隣に座ったかと思うと、そのままじっとアリスを見つめてくるではないか。そのルビーの瞳が、やけに熱っぽい気がして……思わず視線を逸らす。するとブラッドが口を開いた。
「アリス」
「は、はい……」
「……誰にでもああいう事をする訳ではないからな」
そう言われ、驚いたように思わずブラッドを見た。だが、ブラッドは相変わらずじっとアリスを見返してくる。「それは、どういう意味ですか?」そう問いたいのに、言葉が出ない。するとブラッドは突然アリスの唇に指で触れたかと思うと、そのまま唇をなぞってきた。
「……っ」
その感触にぞくりとしたものを感じ、思わず口を噤んでしまう。それを了承と捉えたのか、ブラッドがそっと唇を重ねてきた。最初は触れるだけの口付けだったが、徐々に深いものに変わっていく。何度も角度を変えながら口付けられ、舌を絡め取られていく内に頭がぼんやりとしてきた。
どう、し、て――?
そう思うのに、言葉を発する事すら出来ない。ブラッドの熱い舌が、口腔内に入ってくる。
「……んっ……ぁ、は……っ」
そのまま歯列をなぞられ上顎を舐められると、ぞくりとした快感が背中を這い上がった。思わず身を捩ると、それに気付いたのかブラッドの手が腰に回され強く引き寄せられる。そして更に口付けが深くなった時だった。
不意に、ブラッドのスマホが鳴った。着信名を見ると、サウスのもう1人のメンターで、かつアリスの同期のオスカーだった。
ブラッドは、すっとアリスから離れると、
「どうした、オスカー」
そのまま電話に出て、何か話し込み始めた。だが、アリスは、それ所ではなかった。未だどきどきが収まらない。ブラッドは「虫よけ」だと言った。ブラッドへ対しての「虫よけ」だとしたら、恋人のフリをする――という事だろうか?
なんだか、それは哀しい気がした。
でも、ブラッドさんのお役に立てるのなら――それでも……。
そう思おうとした時だった。ブラッドが電話を終えて戻って来た。
「アリス、済まない。少し問題が起きたようだ。行かねばならない」
「あ……」
オスカーからの呼び出しという事は、サウスのルーキー関連かもしれない。少し、寂しい気もするが、ブラッドは忙しい人だ。ここで我儘を言う訳にはいかない。
アリスは、精一杯作り笑いをすると、
「はい、分かりました。オスカーさんの所へ行ってあげてください。私も立てるようになったら、職務に戻りますので――」
と、そこまで言いかけた時だった。不意にブラッドがアリスのキャラメルブロンドの髪を撫でたかと思うと、そのままそっと額に口付けてきたのだ。そして、ぐい……っとアリスの身体を引き寄せたかと思うと、そのままぎゅっと抱きしめてきた。
突然の事に、思わずアリスが固まってしまう。するとブラッドが耳元で低く囁くように、
「先程も言ったが。お前だからしたんだ」
「……え?」
と、思った瞬間、唇を塞がれた。先程のような激しいものではなく、優しく触れるだけの口付けだったが、それでもアリスを動揺させるには十分だった。
ブラッドは、そっと唇を離すとそのまま立ち上がり、一度だけアリスの頭を撫でて部屋を出て行ってしまった。部屋に残されたアリスは1人、未だに心臓の音がうるさいくらいに高鳴っているのが止められなかった。顔もまだ熱いままだ。
どうして……ブラッドさん……。
そう心の中で呟くが答えてくれる人は誰もおらず、ただ、自分の鼓動だけがやけに煩く鳴り響いていたのだった――。
続
2025.01.15