華ノ嘔戀 外界ノ章
       ~紅姫竜胆編~

 

◆ 燭台切光忠 「嫉情」

 (「華ノ嘔戀 外界ノ章 深紅譚」より)

 

 

きっかけは些細な事だった。その日は、珍しく審神者が買い出しに出ていた。別段、仕事の方も片付いていたし、やる事も無かったので、問題ないと思った。皆、本丸の刀剣男士達は忙しそうだったし、一人で来るつもりだった。の、だが……。

 

「もし何かあったらどうするつもりなんだい?」

 

そう言って、何故か燭台切光忠が付いてきた。燭台切だって、夕餉の準備で忙しい筈なのに、どうして付いてくるのか……。そう思ったのだが、もっと別の心配をするべきだったと、今更の様に後悔している。

 

「あ、ありがとうございました」

 

その何処かの審神者は微かに頬を染めて、燭台切にお礼を言っていた。燭台切はと言うと、いつものにこやかな笑顔で、何でもない事の様に、

 

「気にしなくていいよ。怪我はしてない?」

 

燭台切のその言葉に、その何処かの審神者は はにかむ様に微笑むと「はい……」嬉しそうに答えた。それから、少し迷っているのか、手を動かしながら、

 

「あの……良かったら、お礼をさせて頂きたいのですが――」

 

そう言って、ちらりと上目使いで燭台切を見つめていた。その眼差しは、最早恋する乙女だった。

正直、めちゃくちゃ出にくい。こっちとしては、さっさと買い出しを済ませて帰りたいのだが、あの中に割って入るのかと思うと、気が滅入りそうだった。だが、あのままという訳にもいかない。何故ならば、買い出しの財布は燭台切が持っているのだから。

それにしても――。

 

ちょっと、光忠さん? いくら美人が相手だからって、でれでれし過ぎじゃないだろうか。さっさと、はっきりと断ればいいのに、断り辛いのか笑顔で対応している。

などと、考えていると少しいらっとした。が、別に燭台切と特別な仲という訳でもない。いくら彼の審神者とはいえ、口出す権利など無いのだ。

 

「……」

 

少し考えたが、やはりこのままだと時間の無駄だと判断したのか、審神者は半分面倒くさいと思いつつ、何処かの審神者と話す燭台切に声を掛けた。

 

「光忠。財布貸して」

 

突然現れた審神者に、何処かの審神者が驚いたのか、「きゃっ」と声を上げて、何故か燭台切にしがみ付いた。燭台切も避ければいいものを、しっかりと支えている。

 

「あ、主!? いつからそこに――」

 

半分、慌てた様子の燭台切に、審神者は呆れつつも、さもどうでも良さそうに、手を差し出して。

 

「財布」

 

とだけ言った。すると、燭台切が慌てた様子で、

 

「あ、僕も行くよ」

 

というが、しっかり支えている何処かの審神者は燭台切から離れそうになかった。そんな様子見て、審神者は小さく息を吐くと、

 

「いいから、その方を送ってあげて。残りの買い出しは一人で構わないし」

 

それだけ言うと、審神者はさっと燭台切から財布を奪うと、さっさと二人に背を向けて歩き出した。後ろの方で燭台切が「主!!」と叫んでいるが、無視した。

その後、その二人がどうしたかは知らない。

 

本丸に帰ると、出迎えてくれた鶴丸が「光忠はどうしたんだ?」と聞いてきたが、審神者は興味無さげに、

 

「さぁ、美人のお姉さんと逢引じゃないの」

 

とだけ、答えてそのまま本丸の中に入っていったのだった。

 

 

 

 

 

   ****    ****

 

 

 

 

 

 

その日の夜。何故か日本号や次郎太刀が酒宴を開いていた。いつもの事とはいえ、こうも毎度毎度では本丸の酒は直ぐに尽きてしまう。そんな事を思ったが、審神者も何故か今日は飲みたい気分だったので、突っ込むことはしなかった。

 

基本、酒は好きだ。酔うという事を知らない審神者としては、日本号から言えわせれば「ザル」というものらしい。だが、今日は様子が違った。何故か、頭がぼぅっとして熱い。視界も朧気だし、意識がはっきりとしない。

 

「あら、主? 酔ってるの? 珍しいじゃない」

 

次郎太刀が、審神者の額に手を当ててそう呟いた。

 

「酔う? 私が?」

 

あり得ない。今まで一度もそんな経験した事ないのに……。そう思っていると、空いた空瓶を見て次郎太刀が「あ~」とぼやいた。

 

「ペースが早いとは思ったけど、これアタシ達の倍は飲んでるじゃない」

 

そう言って、次郎太刀が空瓶を並べる。確かに、彼らの飲んだ量の倍は審神者が飲んだ空瓶があった。でも、だからってこの程度で……。

 

「酔ってないらら……」

 

と、審神者は言うが、最早呂律が回っていなかった。それなのに、更に酒を煽る審神者を見て、次郎太刀と日本号が顔を見合わせる。

 

「主、もうやめときなって! やけ酒はよくないよ」

 

と、次郎太刀が珍しく止めに入ったが、審神者は酒瓶を抱えたまま離そうとしなかった。

 

「やら」

 

そう言って、更に酒を煽った。流石にいつもと違う様子に、これは何かあったな。っと、二振が気付いたのは言うまでもなかった。が、こういう時に聞く術を持たない二振としてはどうしていいのか分からなかった。そうこうしている内に、審神者がどんどん酒瓶を空けていっていた。

と、その時だった。本丸の入り口の方から燭台切が帰ってきたのか、声が聞こえてきた。瞬間、審神者がぴくんっと肩を震わせた。そして、何だかどんどん不機嫌な顔になっていく。

 

「光忠? こんな時間までどうしたんだ?」

 

通りかかった鶴丸がそう声を掛けているのが、廊下の方から聞こえてきた。すると、燭台切が少し言い辛そうに、

 

「あ~うん。ちょっと人を送っててね」

 

「人? お前、そもそも主と出掛けたんじゃなかったのか?」

 

「そうなんだけど……」

 

と、何やら二振が話しているのが聞こえてきて、審神者の機嫌が益々悪くなっていった。日本号と次郎太刀がはらはらしていると、突然審神者が立ち上がって、おぼつかない足取りで、廊下の方へ歩いて行った。

 

「ちょっ、主!!」

次郎太刀達が慌てて追いかける。すると、審神者は燭台切と鶴丸が話している間に、ずかずかと入ると、びしっと燭台切を指さし、

 

「みつらら!!」

 

「え? 主……って、凄いお酒の匂い……。一体どれだけ飲んで――」

 

「のんれません!!」

 

そう叫ぶと、審神者はぐいっと燭台切の襟を鷲掴みにして引っ張った。

 

「わっ! ちょ、ちょっと主……っ」

 

突然引っ張られて、燭台切が体制を崩しそうになる。が、審神者はお構いなしに、

 

「今の今まれ、ずっとあろ子と一緒らったの!?」

 

「え……、あーうん。中々離して貰えなくて――」

 

「……」

 

瞬間、審神者の表情が益々険しくなった。じっと燭台切を見た後、ふいっとそっぽを向いて、

「そ、らら、あろ子の所にいけばいいらない」

 

それだけ言うと、ぱっと掴んでいた手を離すと、背を向けた。そのまま歩き出そうとするが――足取りが怪しくて、ふらふらしていた。それを見た燭台切が慌てて手を伸ばす。

 

「主!! 危な――」

 

そう言って、審神者の腕を掴み掛けるが、ぱしっと審神者がその手を弾いた。その瞳には薄っすら涙が浮かんでいる様にも見えた。

 

「ある――」

 

 

 

「みつららなんて……いららい!!」

 

 

 

そう叫ぶと、審神者はそのまま駆け出した。

 

「主!!」

 

燭台切が追い掛けようとしたが、鶴丸がすかさず止めに入る。

 

「鶴さん!? 主が――」

 

「落ち着け。とりあえず、お前はここにいろ。俺が行くから」

 

そう言って、鶴丸が審神者の後を追う。燭台切はただその後姿を見ている事しか出来なかったのだった。

 

 

 

 

 

   ****    ****

 

 

 

 

 

 

―――翌朝

 

 

「う……」

 

審神者はずきずきと痛む頭を押さえながら、寝台から身体を起こした。

 

「なに、これ……」

 

頭が割れる様に痛いし、喉はからからだし、身体もだるい。そして、極めつけはこの気持ち悪いぐらいの吐き気だ。初めて感じる異変に、審神者の頭が付いてこなかった。せめて、頭痛だけでもどうにか……いや、頭痛と吐き気だけでもどうにかして欲しい。

 

「あ~薬研の所に行かないと駄目かな……」

 

何でもいい、とりあえず楽になりたい。このまま寝ていたい気持ちもあるが、今日は現世の仕事もあるし、そういう訳にもいかない。審神者はもそもそと起き上がると、支度を始める事にした。

 

 

 

 

 

 

 

「二日酔いだな」

 

仕事前に薬研の所に行くと、そう言われた。正直、いまいちぴんっとこなくて、思わず首を傾げてしまう。

 

「二日酔い? 私が?」

 

過去一度として経験した事はないが、存在は知っている。お酒を飲んで酔うとなるあれだ。しかし、審神者は今までどれだけ酒を呑んでも、酔った事など一度としてない。なのに、その自分が「二日酔い」だという。

 

「何かの間違いじゃないの?」

 

思わずそう聞き返すと、薬研は呆れたように溜息を零し、

 

「日本酒の一升瓶六本、杏露酒三本、テキーラ二本、ウイスキー四本。これだけ飲めば、嫌でも酔うだろうな。というか、普通ならアル中になるぞ」

 

そう言いながら、薬研が処方した薬を渡してくる。

 

「とりあえず、頭痛薬と吐き気止め。これ水な」

 

審神者はそれを受け取ると、取りあえず一包ずつ飲んだ。気のせいか少し楽なった様な気がする。一包で収まるか分からないので、幾つか貰うと、審神者は席を立った。

 

「ありがとう、薬研」

 

そう礼を言うと、薬研が「あ」と声を洩らして、

 

「あんまり飲み過ぎは注意な」

 

「……分かってる」

 

審神者が少しだけ、不満そうな顔をしてそう答えると、そのまま部屋を後にした。

廊下に出て風に当たると、少しだけ気分も晴れた気がした。これなら、仕事に行っても大丈夫かな……。そんな事を思っていた時だった。

 

「えっと、流石に受け取れないよ」

 

と、本丸の入り口の方から燭台切の声が聞こえてきた。話の内容が分からず、審神者が首を傾げる。どうやら誰かと話をしている様だが……。こんな朝から? という疑問が浮かぶ。

とりあえず、出勤する為に入り口に向かい掛けた時だった。不意に後ろから肩を掴まれる。ぎょっとして振り返ると、鶴丸が口元に指を当てて「しっ」としていた。

 

「鶴丸?」

 

何だろうか。審神者が首を傾げるが、鶴丸は小声で、

 

「(いいから、きみはここに隠れてろ)」

 

と、何故か審神者を入り口の死角になる柱の陰に押し込んだ。一体なんだというのだ。鶴丸と一緒にそっと入り口の方を見る。すると、そこには燭台切と見覚えのある女の子がいた。

 

「あの子……」

 

そうだ。昨日、街で会ったあの何処かの審神者だった。その何処かの審神者は、相変わらずもじもじしながら何かを燭台切に差し出していた。

 

「だから、流石にここまでしてもらう訳には――」

 

「でも……っ。その……燭台切さんに食べて頂きたくて、作ったんです。受け取って……貰えませんか?」

 

そう言って彼女が紙袋から手作りとおぼしき、バウンドケーキを差し出していた。

 

「……」

 

何あれ。というか、何故この本丸の場所をあの子が知っているのか。そもそも、燭台切も燭台切だ。断るならきっぱり断ればいいものを、曖昧に返事をするから相手も期待するのではないか。それがこの結果だ。恐らく昨日も、こうしてなあなあに対応して、ずるずると一緒にいたのだろう。

 

そう考えると、なんだかむしゃくしゃしてきた。全部、燭台切の態度が悪いのではないか。審神者の表情がどんどん不機嫌になっていくのを、鶴丸が見ながら小さく息を吐いた。

 

「ったく、光忠もはっきりすればいいのになぁ」

 

「……そうよね。やっぱり、光忠が悪いわよね」

 

そう言うと、審神者が柱の影から出た。慌てたのは鶴丸だ。

 

「お、おい。きみっ」

 

だが、審神者はそんな鶴丸の制止を聞かずに、ずかずかと入り口で会話する二人の所に向かった。それに気づいた燭台切が、少し焦った様に口を開く。

 

「あ、主っ。こ、これは――」

 

「光忠、さっさと受け取ったら?」

 

審神者のまさかの言葉に、燭台切が「え⁈」と声を上げた。だが、審神者は構わず、

 

「折角、作ってきてくれたんでしょ? 貴方の為に」

 

「や、あの……」

 

「私は気にしてないし、気にする理由もないから。後、そこで話されると皆の邪魔」

 

それだけ言い捨てると、さっさと靴を履いて出て行こうとする。それを見た燭台切が慌てて審神者に声を掛けた。

 

「あ、主!! 何処に――」

 

「仕事だけど」

 

さも当然そうにそう言う審神者に、燭台切は少し困った様に視線を泳がせながら、

 

「えっと、現世の仕事だよね? なら、僕が護衛を――」

 

そこまで言いかけたが、審神者がばっさりと「必要ない」と答えたものだから、返答に困った様に燭台切が口籠もらせた。燭台切としては、この場から何とか脱しようとしているのかもしれないが、その思いは今日の審神者には全く通じていない様だった。

すると、見かねた鶴丸が頭をかきながら柱の影から現れる。そして、燭台切と審神者の間に割って入ると――、

 

「まぁ、そういう訳にもいかないだろう? 主に何かあったら一大事だしな。ここは光忠を連れて行ってやってくれ」

 

「は? 何で……」

 

突然そんな事を言い出した鶴丸に、審神者が訝しげに顔を顰めた。今、燭台切はこの何処かの審神者と会話中じゃないのか。そう思って、思わず審神者が二人を見る。どう見たって、自分がお邪魔虫だ。なのに、鶴丸はその燭台切を連れて行けという。意味が分からない。

 

「……護衛なら、光忠じゃなくて鶴丸がくればいいじゃない」

 

審神者があえてそう言うと、鶴丸は両手を上げて首を振った。

 

「俺は今から“大事な用事”があるんだ。だから、きみは光忠を連れて行ってくれ」

 

「大事な用事……?」

 

どう見たって暇そうなのに、鶴丸は「大事な用がある」と言う。だが、それなら燭台切に拘る必要はないのではないだろうか? そう思って、審神者は小さく息を吐くと、

 

「だったら、光忠以外の他の誰かに――」

 

そこまで言い掛けた時だった。突然、鶴丸が審神者と燭台切の背中に手を伸ばすと、

 

「そんな時間は無いだろう? 遅刻するぞ。ほら、行った行った」

 

そう言って、ぐいぐいと背中を押してくる。

 

「ちょ、ちょっと鶴さん!?」

 

「急に何を――」

 

燭台切と審神者がそれぞれ言葉を発するが、鶴丸は聞こえて無いかの様に笑みを浮かべると、

 

「後は任せておけ。じゃ、気を付けてな」

 

そう言って、ぴしゃんっと入り口の扉を閉めた。締め出される形で外に放り出された燭台切と審神者が、お互いの顔を見る。が、なんともいえない気まずい空気が漂っていた。

だが、先に折れたのは審神者だった。「はぁ……」と小さく息を吐くと、ぶつぶつと、「一体、何なのよ……」とぼやきながら、燭台切を見る。

 

「……もういいわよ。行きましょ」

 

そう言って、一人すたすたと転移装置の方に歩き出した。それを見た燭台切が少し戸惑いつつも、「主!」と声を掛けながら後を追うのだった。

 

一方――。残った鶴丸は、そっと二人が行くのを見届けた後、くるっと振り返ると ぽかん……としている何処かの審神者を見た。それから、にっこりと微笑んで――。

 

「さて、少し話しをしようか」

 

そう言った鶴丸の目は笑っていなかった。

 

 

 

 

 

 

      ◆      ◆

 

 

 

 

 

―――現世

 

 

電車に揺られながら職場の大学へ向かう。だが、時間が時間の為、電車の中は満員だった。少し揺れただけで、人がどっと押し寄せてくる。ただでさえ、二日酔いで気分が優れないというのに、これは最早 地獄でしかなかった。心なしか、頭痛もする。

審神者が気持ち悪そうに口元を押さえていると、審神者を電車のドアの方にして庇っている燭台切が、心配そうに顔を覗き込んできた。

 

「主、大丈夫? 顔色悪いけど――」

 

そう言って心配してくれるが、そもそも飲み過ぎたのは自分なので、自業自得だし。それをどうこう言っても仕方ないので、審神者は軽く手を上げると「平気……」と今にも消える様な小さな声で答えた。だが、その様子はとても平気そうには見えなかった。

 

何処か座れる場所があればいいのだが、生憎と車内の席は全部埋まっていた。燭台切は少し考えた後、審神者の背にそっと自身の手を添えた。そしてそのまま審神者が自分に寄り掛かれる様にする。

驚いたのは他ならぬ審神者だ。半分抱き締められる様な形になり、知らずかっと頬が熱くなるのを感じた。

 

「ちょ、ちょっと何?」

 

それを誤魔化す様にそう声を上げると、燭台切はそっと審神者の耳元で囁く様に、

 

「僕に寄り掛かっていいよ。立ってるの辛いだろうし」

 

「いや、あの……」

 

「いいから。こういう時ぐらい、役に立たせてよ」

 

そう言って、ぎゅっと審神者を抱き締める手に力が籠められた。

 

「……っ」

 

余りにも突然の事に、思考が付いていかない。何でこんな事に……っ。そう思うのに、力が入らない。いつもなら、平気で押し返しているのに、何故か今日に限ってそうする事が出来なかった。きっと、二日酔いの所為だ。そうに決まっている。そう自分に言い聞かせる。その時だった。

 

「あの、さ。主、今日も来てたあの子の事だけど――何も無いから」

 

「え?」

 

「昨日も何も無かったし、今日も受け取る気無かったから」

 

「……」

 

突然何の話を彼はしているのだろうか? と、審神者が心の中で首を傾げそうになった。

 

「だから、その……僕が言いたのは――」

 

「……?」

 

瞬間、燭台切が少し頬を染めながら口元を抑えた。そして、視線だけ審神者に送ると、そっと彼女の耳元で、

 

「主――だけだから」

 

「……っ!?」

 

囁かれる様にそう言われ、知らず審神者の顔が朱に染まった。いつの間にか、心臓がばくばくと煩いぐらいに音を鳴らし、身体が熱くなる。

 

こ、こんな状況でそんな事言うなんて……っ。

 

反則だと思った。逃げる事も、避ける事も叶わない。すると、燭台切は更に顔を寄せると、

 

「だから、僕の事要らないなんて言わないで欲しい」

 

「そ、それ、は……」

 

昨夜の朧気な記憶を呼び覚ます。確かに、そんな事を勢いで言ったかもしれない。でも、それはそもそも燭台切があの何処かの審神者に――。

 

「……」

 

そこまで考えて、審神者は押し黙った。

違う、そうじゃない。私が勝手に嫉妬して、勝手に怒っただけだ。燭台切は何も悪くない。

 

「光忠……」

 

そう思うと、自分が凄く身勝手な事をしていたんだと気付かされた。それなのに燭台切は怒りもせず、こうして気遣ってくれる。それが酷く優しくて泣きたくなった。

 

「……ごめん、光忠。その……要らないなんて、嘘……だから」

 

気付けば、審神者はそう言っていた。でも、それが素直な本心だった。だから、正直になろうと思った。審神者のその言葉を聞くと、燭台切が少しほっとした様に小さく頷くと、

 

「うん、ありがとう」

 

そう言って、嬉しそうに笑った。その様子に、審神者が安堵すると、不意に燭台切が「あ」と声を洩らした。それから少し考える素振りを見せてくる。

審神者が、何事かと思って首を傾げた時だった。突然、燭台切が「聞いてもいいかな」と尋ねてきた。

 

「え? 何?」

 

何を聞かれるのか予想が付かなくて、思わず審神者がその瞳を瞬かせる。すると、燭台切がそっと顔を近づけてきたかと思うと――、

 

「どうして僕とあの審神者の子が一緒にいたら、機嫌。悪くなったのかなって」

 

「え……っ」

 

燭台切からのまさかの問いに、審神者がぎくりと顔を強張らせた。まさか、「嫉妬です」と言う訳にもいかず、思わず視線を逸らそうとする。が、燭台切がじっと追及する様に見つめてきた為、逸らす事が出来なくなってしまった。

 

「そ、それ、は……」

 

「うん」

 

卑怯だ。と、審神者は思った。そんな風に優しく聞かれたら、どう答えていいか分からなくなってしまう。それと同時に、安易に誤魔化してはいけない気がした。

 

「その……少し……」

 

「うん」

 

つい先程、正直になろうと思ったのに、そこには正直になれない自分がいた。でも、このまま逃げる訳にもいかない。審神者は少し視線を逸らしながら小さな声で、

 

「ちょと、その……いらっとしたと、いうか……」

 

そう呟く審神者の顔は、ほのかに赤くなっていた。自分でも何を言っているのだろうと、突っ込みたい気分だ。だが、実際そうだったのだから、他に言い様がない。

すると、審神者のその反応を見て、燭台切が大きくその金の瞳を見開いた。それから、何故か顔を赤く染めたのだ。

 

「あの……?」

 

突然、耳まで赤くなって口元を抑えた燭台切に、審神者が首を傾げる。だが、燭台切が不意に審神者を抱き締めている手に力を籠めた。そして、

 

「それって、僕とあの審神者の子が一緒にいるのが、嫌だったって事――だ、よね?」

 

そう問われて、審神者が「え!?」と、声を上げた。

 

「それは――」

 

そこまで口を開き掛けて、言葉に詰まる。嫌だったから、いらっとしたのかと問われると……正直、困る。もし、そうだとしたら、自分が――。

そこまで考えて、審神者はかぶりを振った。そんな筈……。だって、彼は刀剣男士で、自分は彼を顕現させた“審神者”で。自分と彼は、人と――。

 

「……」

 

でも、嫌だったかと問われると――嫌だった。不快だった。燭台切が他の子にも優しくする姿を見た瞬間、自分の中のどす黒い〝何か〟が蠢くのが分かった。だから、私は……。

 

「……嫌、だった……の」

 

気付けば、審神者はそう答えていた。

 

「あの子に、優しくする光忠見ていたら……何だか、光忠が凄く遠く感じて……。ああ、彼は私以外にも優しくするんだって思ったら、何か凄く……嫌で――」

 

そこまで言った時だった。審神者の瞳から一滴の涙が零れ落ちた。

 

「あ、れ……?」

 

審神者が慌てて目を抑える。だが、一度零れた涙は止まらず、次から次へと溢れ出てきた。泣きたい訳じゃない。でも、涙が止まらなかった。

 

「ごめん、見ないで――」

 

審神者がそう言って、燭台切から視線を逸らそうとした時だった。不意に、燭台切が周りから審神者を隠すかの様に、深く抱き締めてきた。

 

「光――っ」

 

「大丈夫。主が見ないでって言うなら見ないから」

 

そう言って、背を撫でてくれた。その手が余りにも優しくて、審神者は今度こそ本当に泣いてしまった。

 

 

 

 

 

 

 

「落ち着いた?」

 

三駅ぐらい通過した所で、燭台切にそう聞かれて審神者が小さく頷いた。泣いている間、ずっと燭台切は審神者を周りから隠してくれた。それが何だか、嬉しくもあったが、恥ずかしさの方が勝っていた。

 

ま、まともに光忠の顔が見れない……っ。

 

早く、大学のある駅に着いてほしくて、審神者がそわそわしていると、燭台切がくすっと笑った。その笑顔が余りにも優しげで、見惚れそうになる。

 

「主?」

 

審神者が言葉を失っていると、燭台切が声を掛けてきた。瞬間、審神者が はっと我に返ると、顔を真っ赤にして慌てて視線を逸らした。

その時だった。丁度、大学のある駅に着いたアナウンスが電車内に流れて、ドアが開いた。

 

「あ、降りなきゃ――」

 

審神者が恥かしさのあまり、逃げる様に降りようとした時、

 

「ねぇ、主――」

 

不意に伸びてきた燭台切の手が、審神者の手を掴んだ。

 

「主、言ったよね? あの子と僕が一緒にいるのが嫌だったんだって」

 

燭台切が、何かを確認するかの様にそう呟く。

 

「ちょっ、光忠? 早く降りないと――」

 

審神者がそう言って、電車から降りようとするが、燭台切に手を掴まれていて、動けなかった。

 

「光忠?」

 

「……それって、自惚れていいのかな」

 

掴まれた手が熱い。

 

 

 

「君が――僕を好きなんじゃないかって」

 

 

 

じりりりりりり――。

発車のベルが駅構内に響いた。

 

「光忠? 聞こえな……」

 

「それなら、僕も遠慮。しないから――」

 

瞬間、ぐいっと手を引っ張られたかと思うと、そのまま燭台切の唇が一瞬、微かに触れた。

 

え……?

 

審神者がその瞳を驚いた様に見開く。目と目が合った。

今、何――が……。

そう思った刹那、再び唇が重なった。今度は一瞬などではなく、はっきりと。

 

「みつ、た……んんっ」

 

燭台切からの突然の口付けに、審神者がぴくんっと肩を震わせた。周りから、ざわめきが消える――。

 

「――」

 

燭台切が、初めて審神者の名を呼んだ。「主」ではなく、名前を。

 

「ずっと、僕はこうして君の名を呼んで、触れたかったんだ」

 

そう言って、燭台切がぐっと審神者を引き寄せる手に力を籠める。その手が熱を持ち、その熱が痛いほど審神者に伝わってきた。

 

「……ぁ……み、つ……だ、ひと、が……っ」

 

周りには出勤や、通学途中の沢山の人がいた。皆、目の前で起きている“それ”を、食い入るように見ているのが、視線で分かった。

審神者は、何とか逃れようと考えた。しかし、思う様に身体が動かなくてどうする事も出来なかった。その内、駅構内からアナウンスが聞こえ、ドアが音を立てて閉まったのだった。

 

 

 

 

どのくらいそうしていたのだろうか。やっと解放された時は、既に電車が走り出していた。いつの間にか、周りもざわめき始めていた。

 

「――」

 

燭台切が、熱い声で審神者の名を呼ぶ。審神者がゆっくりと目を開けると、唇が触れるか触れないかの距離に、燭台切の顔があった。

 

「……ぁ……」

 

瞬間、一気に恥かしさが込み上げてくる。

わ、私……。

たった今、自分の身に起きていた“それ”に、顔がどんどん熱を帯び紅潮するのが分かった。見ると、燭台切もほのかに顔が赤くなっていた。

 

「み、光忠……」

 

「何?」

 

そっと、燭台切が審神者の頬に触れる。瞬間、ぴくんっと審神者の肩が揺れた。知らず、顔が熱をどんどん帯びていくのが分かる。審神者は慌てて視線を逸らすと、

 

「あ、あの……ここ、電車の、中。だ、から――」

 

そう言って、何とか精一杯の虚勢を張る。すると、燭台切は一瞬だけその金の瞳を瞬かせた後、くすっと笑った。

 

「そうだね。でも――」

 

そのまま燭台切が、腕で審神者を周りから隠す様にドアに肘を当てた。そして、そっとその顔を近づけてきて、

 

「もっと、君に触れていたいって言ったら――駄目かな?」

 

「え……。あの、それはどういう――んっ」

 

「意味」と聞こうとしたが、そのまま再び唇を塞がれた。二度、三度の角度を変えて唇が重なり合う。その口付けは、とても優しいのにどこか強かった。

 

「……っ、ぁ……んンっ」

 

頭がくらくらする――。

唇が離れる度に、燭台切から熱い吐息が漏れた。そして、何度も何度も深くなる口付けに審神者の意識が朦朧とする。

 

どう、して――。ふと、そんな事を思う。でも、そんな事よりもっと触れていたいと審神者は思ってしまった。唇を離す僅かな時間も惜しくて、気付けば自ら唇を重ねていた。

それが分かったのか、燭台切もまたそれに応えるように強く唇を吸ってくる。

その感触に、審神者の頭の中に電気が走った様な気がした。

 

「みつ、た……だ……ぁ、ん……っ」

 

やっと燭台切がゆっくりと唇を離した時、審神者は夢中で酸素を吸い込む様に息を吸い込んだ。だが、足りないと思った瞬間、燭台切が再び口付けてきて、それを妨げる。

 

何だか……可笑しい――。そう審神者は思った。でも、もうそんな事はどうでも良かった。今はただ、この時間が続けばいいとさえ思った。だから――自分からも唇を強く押しつける様にして求めた。

すると、燭台切が一瞬驚いたように審神者の唇を吸う力を強めたかと思うと、急に唇にぬるりとした感触がした。その感触に驚いて目を見開くと、その視線の先に金色の瞳が映った。

 

え……?

 

その時だった。突然、燭台切の舌が唇の隙間から滑り込んできて、審神者の舌を絡め取ったのだ。

 

「――ぁっ」

 

あまりの事に驚いていると、そのまま強く吸い上げられる。その瞬間、ぞくっと審神者の背中が不思議な感覚に襲われたかと思うと身体中に甘く響いていった。

 

「ふ、ぁ……っ、は、ぁ……んっ」

 

気が付けば、無意識に燭台切の舌に自分の舌を絡ませていた。もっと触れていたい。その思いに駆られる様に、夢中で口付け合った。気が付けば、もう次の駅に着いていて電車が停車していた。ドアが開く音がしても、二人は唇を離す事が出来なかった。

 

 

 

漸く離れたのは、他の乗客が降りた時だった。

 

「っ……」

 

慌てて唇を離した審神者だったが、身体に残る感触と痺れる様な感覚に戸惑う。

――何これ、こんなの……知らない……っ。

ふと、燭台切の唇が目に入ると、審神者は思わず息を呑んだだ。その唇が微かに濡れていて、妙に艶めかしかったからだ。

 

すると、燭台切が切なげに眉を寄せて呟いた。それは――甘く掠れた切ない声で。

 

「ごめん、でも――ずっと、君に触れたくて、愛おしくて。この気持ちが抑えられないぐらいに。だから……君も同じだって思ったら、もう我慢できなくて。もっと深く繋がりたいって……思ったんだ」

 

「……っ」

 

燭台切からの告白に、審神者が息を呑んだ。

 

「そ、そんなの……私だって……」

 

でも、それが本当は苦しくて堪らなかったんだと。今更ながら、分かった。審神者はそう思ったが、

――ああ、でも駄目、だ……。それだけは絶対に口にしてはいけないと思った。言ってはいけないのだと、審神者は必死に堪える様に唇を噛み締めた。だが、燭台切の手が伸びてくると、そっとその唇に触れる。そしてゆっくりと唇を撫でながら囁いたのだ。

 

「好きだよ、主」

 

「み、つ……」

 

そんなの狡いと思った。そんなの我慢出来る筈がないじゃないかって。だから――もう自分の気持ちを隠す事は出来なかった。だから、審神者はそっとその手を握った。燭台切の手は暖かくて、触れられた手から一気に熱が広がっていった。

好き――そう、口にしたい衝動を必死に堪えると、審神者はゆっくりと頷く事で精一杯だった。

 

そんな審神者の想いを分かっているのかいないのか――燭台切は審神者を見て嬉しそうに微笑むと、再び唇を塞いだのだった。

 

 

 

この時は思わなかった。あの日以来、燭台切が妙に触れてくる様になって困ると、鶴丸に相談する事になるとは……。

 

そして、例のあの審神者の子は、どうやらあの日 鶴丸にきつーく言われたらしく、その後 姿を見せる事はなかったのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

2025.08.08