深紅の冠 ~鈺神朱冥~

 

 第1話 紅玉 18

 

 

―――巳の刻(午前10時)

都内・神妻家本家

 

 

 

到着して、車から降りるなり、誰も手を出していないのに勝手に本家の門が開いた。まるで、五条と凛花が時間通りに来ると解っていたかのような対応に、五条が「はぁ~~~」と、諦めにも似た溜息を零しながら、

 

「胃が痛い……」

 

本当に痛いのではなく、ストレスの所為で今から痛くなりますの意なのは明白だった。普段の五条というか、他の所へ行くのならば、彼は時間通りには動かない。否、むしろ遅れてくる。それが、五条の「当たり前」であり、周知の事実でもあった。

だが、この“神妻家本家”に来るときだけは違った。

 

時間ぴったりにいつも現れる。それが意味するものは凛花には良く解からないが、少なくとも、五条には思う所があるようだった。

 

外門をくぐると、屋敷の前に3つの大きな鳥居がある。それらは、それぞれが天地開闢の“三神”を表しており、外の鳥居から順に、神産巣日神かみむすび高御産巣日神たかみむすび天之御中主神あめのみなかぬしを祀り表現している。

 

使用人と呼べる人は誰一人外に立っておらず、巫女が2人。鳥居の奥先に立っているだけで、静かだった。まるで、早朝の神宮にいるかのような神秘的な雰囲気を肌でびりびりと感じる。

 

「相変わらずだね、ここは――下界じゃないみたいだ」

 

ついには、五条がそんな事をぼやき始める。嫌……というほどではないが、昔から苦手意識があるようだった。凛花は――まあ、実家なので慣れてしまっていたが、慣れてない人から見たら、間違いなく身構えるか、引くか……どちらかだろう。

 

「……悟さん、これを」

 

凛花は、そっと自身の髪の一部を結っている小さな鈴の付いた赤いリボンを解くと、それを五条に渡した。ちりん……五条の手のひらの中で、小さな鈴が音を鳴らす。

 

「凛花ちゃん?」

 

「……使わないに越したことはないですが――万が一もありますので」

 

そう言いながら、その小さな鈴をぎゅっと五条の手に握らせると、にこりと微笑んだ。そんな凛花の心配する仕草を見て、五条がくすっと笑う。

 

「僕、最強だよ。忘れたの?」

 

「知っていますよ」

 

そう、知っている。彼は、最強だ。きっと今の時代、彼に敵う人はいないだろう。だが、それでも心配してしまう。そんな凛花の表情を見て、五条は一度だけその碧色の瞳を瞬かせた後、にっと笑うと凛花の手を取った。そして、真っ直ぐに前を見据え――、

 

「いこっか」

 

そう言ってそのまま鳥居をくぐったのだった。

 

 

 

 

神妻家本家は、まるで最古の神宮のように広い敷地を持っている。勿論、五条家もそれ以上の敷地を所有しているが、神妻家は、別の意味で“別格”だった。

それは、この屋敷が“神の領域”であり、この屋敷自体が“神の領域”を護る結界のようなものになっているのだ。

 

 

――不可侵領域。

 

 

人は、それをそう呼ぶのかもしれない。

この結界の中心であり、柱でもある当主・神妻零你。彼に、許された“もの”のみ、この“領域”の中に入る事を許される。

逆を言えば、許しのない“もの”は、それがなんであろうとも、この“領域”に入る事すら許されないのだ。

 

外門の先にあった3つの神の鳥居こそが、その結界の始まりである。“許されざるもの”は、その先には進めないのだ。下手をすれば、永久に歪んだ迷宮の中で彷徨する事となる。

 

それが、呪霊であろうと、人であろうと――だ。

 

神の鳥居を、ひとつくぐる事に空気が振動していった。まるで“禊”をさせられているかのような、気分になる。そうして、3つめの鳥居をくぐり終えた時だった。

り―――んという、鈴の音と共に、ざあっ……と視界が一気に開けて、目の前に1人の巫覡が姿を現した。それは、紫地に白の文様の入った袴を穿いた巫覡だった。

 

その巫覡は五条と凛花を見ると、ゆっくりと頭を深く下げた。最敬礼である。

 

「お待ち申し上げておりました、五条様。お嬢様」

 

巫覡はそう言うと、ゆっくりと頭を上げ、五条と凛花に道を譲るように、一歩後ろに下がる。どうやらその巫覡は、五条と凛花の“顔”をしっかりと記憶しているようだった。

 

すると、五条がひそひそと、突然凛花に耳打ちしてきた。

 

「ねぇ、凛花ちゃん。紫の袴の色の人って偉い人だっけ?」

 

「……そう、ですね。紫地の袴の色でも、彼の様な白い文様の方は、一級の位の方です」

 

基本、巫覡の位は袴の色で分かる。

四級から特級まであり、浅葱色から白色まである。加えて二級上にまで上がると、袴にどのような文様が入るかでさらに分かれるのだ。ちなみに、無地の松葉色や白色の袴は基本、研修中の者や、事務の者だ。

 

特級位は、呪術界と同じで本当にごく一部の神職の者にしか許されない。それでこそ、トップの大宮司クラスにならないと、与えられない位なのだ。

そして、他の巫覡とは異なり、白地に白い文様の入った、特別な袴を許される。

 

「……てか、なんでそんな偉い一級位の人が僕を出迎えに来てんの?」

 

「それは……」

 

何故かと問われると困るのだが……普通に考えて、五条が、呪術界御三家のひとつである、五条家の当主であり、かつ、5人しかいない特級呪術師の1人だからではないだろうか。

それだけ神妻側が、“五条悟”に敬意を払っているという事に他ならない。

 

と説明しても、五条は納得しないだろう。凛花の父であり、神妻家当主・神妻零你のあの“呼び出し方”では……。

五条家の結界を無視しての、突然の霊狐での呼び出し――。これが、五条家ではなく、禪院家相手などだった場合、大問題になっていた事間違いない。考えただけでも、ぞっとした。

 

凛花が、こっそりと回りに気付かれないように、小さく溜息を洩らす。そうこうしている内に、巫覡の案内で、屋敷の方へと近づいていた。

広い石畳の階段を登ると、美しい庭園に出る。朱色の橋が架かった池があり、大きな石灯籠が置かれていて、まるで、京都の神宮を思わせるような造りだった。

 

そんな、庭園を抜けると、屋敷の玄関へ辿り着く。すると、待っていたかのように、使用人達が一斉に五条と凛花に向かってに頭を下げた。そして、その中に1人、五条ですら覚えている使用人がいた。使用人頭の牧田だった。

 

牧田は、五条と凛花を見ると、にっこりと微笑み、一礼する。

 

「五条様、凛花お嬢様、お久しぶりで御座います。牧田で御座います。早朝からお越しいただき、申し訳御座いません」

 

「それは構わないのですが……それで、お父様は今どちらに――」

 

そう凛花が、話を切り出した時だった。

瞬間―――。

 

 

 

 

 

  り――――――ん……

 

 

 

 

 

何処からともなく、鈴の音が聞こえてきた。その音に凛花がはっと、何かに気付いて慌てて五条の方を見る。五条も“それ”に気付いたのか、慌てて凛花の方に手を伸ばした。

 

 

 

 

 「――凛花……っ!」

 

 

 

 

駄目だ……っ、間に合わない……っ!!

 

 

「悟さん……っ。鈴、を――」

 

 

伸ばし掛けた五条の手が、宙を切る。

 

「……っ」

 

凛花が――五条の目の前でその姿が消えたのだ。まるで、最初からそこにいなかったかのように……影も形もなく――。

瞬間、五条がその碧色の瞳を大きく見開いた。それと同時に、六眼を全方位に発動させる。刹那、ここら一体、否、東京都内全ての情報が頭の中に一気に押し寄せてきた。

煩いほどの、人の声・気配・そして――。

 

 

『悟さん……』

 

深紅の瞳が微笑む。

その声で、名を呼んでくれる――筈、なのに……。

 

 

 

「いな、い……?」

 

 

 

そんな馬鹿な、筈……っ。

 

そう思うのに、凛花の気配も声も、姿も、何もかも、“元から存在しなかった”かの様に、綺麗に消えているのだ。

これだけ広範囲に広げたというのに、凛花の気配も声も聞こえない。

 

五条が震える手で、拳を握り締めた。

 

うそ、だ……。

あんなに、直ぐ傍にいたのに……。護れなかった……っ!

 

「……どこだ」

 

声が震える。しかし、その碧色の瞳には怒気が混じっていた。今にも、誰か人を殺しそうな瞳で、目の前にいる牧田を睨みつけると、その胸座を乱暴に鷲掴みにする。

 

 

「凛花を何処へ、“飛ばした”!?」

 

 

「……」

 

牧田は答えなかった。答える代わりに、にっこりと微笑みながら、

 

「五条様、ご安心ください。凛花お嬢様はご無事です。今は、心を落ち着かせて頂けますか?」

 

 

「――これが、落ち着いてられるか!!」

 

 

そう言って、五条の手が牧田の襟元を更に締め上げようとした時だった。

 

り――ん……

 

またも、あの鈴の音が聞こえてくる。それは、凛花が消えた時よりも小さく、そして、どこか悲し気だった。その鈴の音は、まるで五条の怒りを鎮めるかのように優しく響いてくる。すると、徐々にだが、五条は頭が冷えていくのが分かった。

 

「……」

 

ゆっくりと手の力を緩めると、そのまま牧田から手を離したのだった。そんな五条に、牧田が襟元を直しながら、優しく微笑む。

やがて、牧田はすっと五条の前から一歩下がると、深々と頭を下げた。そして――。

 

「五条様、神妻の御当主様が“神命の間”でお待ちです」

 

「……」

 

その“神命の間”という言葉に、五条の表情がより一層険しくなる。五条は、ちっと舌打ちをすると、ずかずかと屋敷の中に入っていった。

 

「何をしている。さっさと案内しろ」

 

淡々としたその言葉に、牧田は表情ひとつ変えず、にっこり微笑みながら、

 

「畏まりました。ご案内させて頂きます」

 

そう言って、そのまま五条を案内する様に、屋敷の中へと入っていったのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

      ◆      ◆

 

 

 

 

 

 

 

 

―――呪術高等専門学校・東京校

 

 

 

「あれ? 五条先生は?」

 

朝、教室に行くと、いつも通りとはいえ五条がいない事に、釘崎が突っ込んだ。伏黒はというと、ぼんやりして、外を眺めていた。

今までならここに虎杖がいて、場を和ませていたんだが、今となっては、なんだか殺伐としていて、正直感じが悪いと、釘崎は思った。伏黒も伏黒もなんだか、あの日から「心ここに非ず」といった感じで、ぼんやりしている事が多かった。

 

昨日の2年組との合同特訓の時もそうだ。ずっと考えている時間の方が多かった気がする。考えるより、身体動かした方がマシだろうに……。

 

「……アンタさ」

 

不意に、釘崎が伏黒に声を掛けた。すると、伏黒がゆっくりと振り返る。

 

「なんだよ。五条先生なら今日は、昼までいないらしいぞ」

 

と、今更の様な情報をだしてきやがった。何処情報だ!? とも思うが、今はそんな事どうでもいい。正直、虎杖が死んだからといって、ここまで伏黒が腑抜けになるとは思えない。となると――答えはひとつだ。

 

そう思った瞬間、ばんっ!と釘崎が伏黒の机を叩いた。突然机を叩かれた伏黒が、驚いたかのように、その翠色の瞳を瞬かせる。すると、釘崎はずずいっと、顔を寄せ、

 

「――ずばり! アンタ、あの少年院の時、虎杖の件以外で何かあったでしょ!?」

 

 

 

「……………………は?」

 

 

 

し――ん……と教室内が静まり返る。が、次の瞬間、伏黒がばっと顔を真っ赤に染めた。伏黒のその反応で確信を持った釘崎は、にやりと笑うと、机に座り、足を組む。

 

「何があったか当てて見せましょうか? 私は見てないけど、あの時、もう1人助っ人で来てくれた人がいたらしいじゃない? 綺麗な女の人が。ずばり! アンタはその人に一目惚れしたのね!?」

 

「……」

 

「分かるわ、分かるわよ~。ピンチの時に助けられたら惚れちゃうわよねえ~。それは、吊り橋効果も発動しちゃうと思うの」

 

うんうん、と、釘崎が頷く。が、言われた当の本人は、呆れにも似た溜息を洩らした。

 

「……バカらしい……。そもそも凛花さんは、ずっと前から知ってる人だよ」

 

「ん? その人“凛花”って名前なの?」

 

「あ……」

 

やべぇ、という感じに、伏黒がつい滑らせた口を手で押さえるが……。時すでに遅し。釘崎がにやぁっと笑って、「そっかそっか~」と、言い出した。

 

「伏黒は、その“凛花さん”って人が好きなのねぇ~しかも、ずっと昔から!」

 

「な……っ、ち、違っ……」

 

かぁっと、伏黒の顔がどんどん真っ赤に染まっていく。それを見て、釘崎がにやにやしながら、

 

「照れる照れるな。アンタも健全な男だったのね」

 

と、訳の分からない持論を持ちだしてきた。だが、釘崎の質問はそれだけでは終わらなかった。

 

「で? その凛花さんとはどこでどう知り合ったの? 何年前? どのくらい片想いしてるの~?」

 

「そ、違っ……俺は……っ」

 

「アンタは絶対年上好きだと思ってたけど、やっぱりそうだったのね。憧れのお姉さん的存在みたいな? 私も病院に搬送されてなかったら見れたのにな~~~、そのアンタの大好きな“凛花さん”。あ~悔しい!!」

 

「だから……っ、違っ……」

 

「んん~その人高専の人? 会う期間あるかなー。あ、なんなら、私がキューピットになってあげようか?」

 

 

 

 

 

「~~~~っ、違うって言ってんだろ!!」

 

 

 

 

 

突然、伏黒が顔を真っ赤にして席を立ったかと思うと、叫んだ。一瞬、それに釘崎が驚くが、直ぐに、にやぁ~と笑って。

 

「バカねーそうやってムキになって否定するのは、肯定してるのと同意語だって知らないの?」

 

「……っ、俺は……っ!」

 

「?」

 

「俺は……、俺じゃ、駄目なんだよ……。あの人には、昔から五条先生が……」

 

そう――。凛花は自分を「男」として見てくれていないだろう。せいぜい、「弟」が関の山だ。それに……。

 

「……多分、嫌われた……」

 

虎杖を見殺しに伏黒を、凛花は軽蔑しているかもしれない。そう思っただけで、胸の奥が、軋んだ。

 

何を言っているんだ、俺は……。

 

しかも、釘崎相手に。釘崎は釘崎なりに、場を明るくしようと話を振ったのだという事は容易に想像付く。すると、そんな伏黒の呟きを聞いていた、釘崎が「はぁ~~~」と溜息を洩らしたかと思うと、

 

 

――ばしんっ!

 

 

「痛っ……!」

 

何故か、思いっきり背中を叩かれた。

突然の背中からの衝撃に、伏黒は前につんのめりそうになり、思わず机に両手を付いた。

 

「いきなり、何しやが――」

 

反論しようとして、前を見ると、そこには仁王立ちした状態の釘崎がいた。

 

「何、女々しい事言ってんのよ。このバカ! 男ならシャキッとしなさいよ!」

 

「は?」

 

言われた意味が分からず、思わず伏黒が眉を寄せる。すると、そんな伏黒の目の前に、釘崎が、びしっ!と人差し指を付きだし……。

 

「いい? 私はアンタじゃないから、その凛花さんとやらの気持ちは分かんないわ。でも、これだけは言える」

 

「……なんだよ?」

 

「“嫌われた”なんて勝手に決めつけんじゃないわよ! まだ何もしてないでしょ!」

 

ずばっと、そう言われた。

そんなの……分かってる。でも、だけど……。そう言おうとして、伏黒は言葉に詰まった。言えなかった。口にしてしまえば「真実」になってしまいそうで――。

 

ぐっと、拳を握り締める手に力が籠もる。

 

「あ~後、五条先生と、その凛花さんの関係? は、私は知らないけど、まあ、頑張れ伏黒! いけるいける!! 私は、アンタに付いてあげるわよ!」

 

と、何故か謎の自信で、親指をぐっと立てられた。そんな釘崎を見ていたら、うじうじ悩んでいるのが、馬鹿らしくなってくる。

凛花と五条の関係は、今に始まったことではないし、出逢った当初から分かっていた事だ。それを今どうこう考えても仕方のない事で……。虎杖の件もそうだ。

 

そこまで考えると、なんだか頭が少しだけすっきりしてきた。それが、この釘崎のお陰というのが、若干癪だが……。

 

「……」

 

伏黒が、深呼吸をひとつした。そして、何かふっ切れたかのように口元に笑みを浮かべると、小さな声で、「……ありがとう、な」と言ったのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

2025.01.20