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◆ 弐ノ章 出陣 44
―――天正7年7月・丹波 山姥切国広部隊
―――山城・小竜寺城 城下町
「な……っ」
目の前に広がる“それ”に薬研も膝丸も目を奪われた。真っ赤な灯篭が道なりに並び、灯をともし、赤い楼閣がいくつも並び立つ。辺りは眩いほどの光で灯されており、ここが夕刻の城下だという事すら忘れてしまいそうになる。赤い楼閣の欄干からは、美しく着飾った女達が顔を出し、道行く人たちは、皆、楽しそうだった。
今の今まで通ってきた、薄暗い裏道とはうって変わったその光景に、唖然としてしまう程だ。
薬研と膝丸が言葉を失っていると、先導していた銀が面白い物を見たかのように、けたけたと笑った。
「なんだよ、あんたらこういうとこは、初めてかい?」
と、半分小馬鹿にしたかのように笑いながら、ちょいちょいっと手招きしてくる。
「さっさと付いてきな」
そう言って、その赤い街並みの中へと慣れた様に入っていく。薬研と膝丸は顔を見合わせると、慌てて銀の後に続いた。
見慣れない光景に膝丸が唖然としながら歩いていると、楼閣の上から、煙管を吸う綺麗に着飾った女がくすくすと笑いながら、
「お兄さん、初めて見る顔じゃない。でも、凄く色男だわ。ねぇ、遊んでいかない?」
「は? 遊ぶ……?」
女の言う意味が理解出来ず、膝丸が首を傾げると、見かねた銀がぐいっと膝丸の後ろ襟を引っ張った。
「カモられるぞ、兄ちゃん。あそこの店は“杏寿楼”の次にタチが悪いからな」
「は? いや、意味が分からないんだが……」
と、本気で分かっていないのか、膝丸が首を捻る。それを見た薬研が、「はぁ~~」と、盛大に溜息を付きながら、
「……あれは、妓女だぞ? つまり、“遊ぶ”ってのは、そういうことだ」
「ぎ、じょ……? はっ……ま、ままま、まさかここは……っ」
今さら気づいたのか、膝丸が顔を真っ赤にさせてその口をぱくぱくさせる。そんな膝丸を見て、銀がやれやれという風に肩を竦めた。
「こっちの兄ちゃんは、見た目のわりにうぶなんだな。それに比べてこっちは――」
と、薬研を見たが、薬研はけろっとしたまま、道行く妓女に手を振られると、にこやかに手を挙げてさらっと流している。なんというか、手慣れてる感満載だった。
そう――ここは、所謂“花街”といわれる場所なのだ。そして、煌びやかな花街とは裏腹に、一歩奥へ入ると、廃れた裏町へと変わる。それは、ここでは当たり前で、表裏一体ともいえるのだ。
銀はそんな花街の街並みを、平気な顔をしてどんどん奥へと歩いていく。時折、顔見知りなのか、声を掛けてくる者もいた。そうして辿り着いたのは、今までで一番真っ赤で豪華絢爛な門を構えている妓楼だった。
そのあまりにも豪華すぎる門構えに、薬研と膝丸が驚いていると、銀は平気な顔をしてその門を通り抜けていく。
「何やってんだ。さっさと来な」
そう言い捨てて、そのまま妓楼の中に入っていく。二振りは顔を見合わせると、銀に続いた。中に入ると、今まで見たことないような豪華で派手な調度品や、柱、天井があり、その奥の方に、初老の女が座っていた。女は銀を見ると、大きく溜息を付いて、
「なんだい、あんたかい。どうせ、また鷹尾に用があって来たんだろう?」
「よく分かってるじゃないか、ばーさん」
「まったく、いつもいつも……ここは、あんたらの根城じゃないんだよ?! たまに客を連れてくるならまだしも――ん?」
そこまで言いかけて、初老の女が、銀の後ろにいた薬研と膝丸を見た。そして、にやりと笑うと、何故かばしばしと銀の背を思いっきり叩いた。
「なんだい、客をちゃんと連れてきてんのならそう言いなよ!! ほら、あんた達、“お客様”をお出迎えしな!」
そう言って、ぱんぱんっと手を叩いた。瞬間、何処からともなく、着飾った妓女たちが現れる。ぎょっとっしたのは、薬研と膝丸だった。特に、膝丸は慌てて銀の方を見ると、
「お、おい!」
と、焦った様におろおろしている。そんな膝丸の様子を見て、銀が「あ~」と声を洩らした。それから頭を掻いて、手で後ろに下がるように妓女たちに合図する。
「ばーさん。俺は、鷹尾の姐さんに用があって来たんだ。こいつらも、そっちの“客”だ。勘違いすんじゃねーよ」
銀のその言葉を聞くと、初老の女は「ちっ」と舌打ちをすると、
「はいはい。何だい、少しはいいじゃないか。あ、正面からは入るんじゃないよ!」
「わーってるよ。ほら、あんた達、こっちだ」
そう言って、銀が顎でしゃくると、横の方にある仕切りの布を開いて奥へと入っていく。そんな様子を見て膝丸が薬研にひそひそと耳打ちをしてきた。
「おい、薬研! こ、ここの奥に本当に入るのか……? なんか、ここの女達、皆 目がぎらぎらしていて不気味なんだが……」
「ん? ああ、旦那を狙ってるのかもな。“自分の客”として?」
「はぁ!? お、おお、俺は女を買ったりしないぞ!?」
「いや~。ここは、そういう店だからな」
そう言って薬研が、けろっとした顔で銀の入っていった奥の方へと歩いていく。それを見た、膝丸が「お、置いていくな!」と小声で叫びながら慌てて付いて行くのだった。
◆ ◆
―――丹波・亀山城“庵・奥の間”
「え……?」
沙紀は、自分の目を疑った。
そんな筈……。
そう思うも、知らずその瞳に涙が浮かびそうになる。
「りん……さ、ん……?」
沙紀が、信じられない様にその躑躅色の瞳を見開く。その手の主は自身の腕を盾にし、沙紀を護ってくれていたのだ。
「悪い、沙紀。遅くなった」
そう言って、沙紀を抱き締める手に力を籠める。それは、紛れもなく鶴丸国永、そのひとだった。
「……っ」
自分は、都合のよい幻でも見させられているのだろうか? それとも、夢でも見ているのだろうか?
確かに、あの時――鶴丸達とは引き離された筈なのに――。それ、な、のに……。
「……り、ん……さ……っ」
その名を呼ぼうとして、声が上手く出せない。溢れた涙が、頬を伝って落ちていく。そんな沙紀を見て、鶴丸がふっと微かに笑った。
「……馬鹿。泣くやつがあるか」
そう言って、優しく沙紀の涙をその手で拭ってくれる。それでも、沙紀の瞳からはぽろぽろと涙が零れ落ちた。
「……だ、って……っ」
堪らず、鶴丸の胸に顔を埋める。すると鶴丸は、沙紀の頭を撫でながら、
「よしよし、怖かったよな」
そう言いって、沙紀を片手で抱き締めた。その手が余りにも優しすぎて、沙紀は今度こそ泣き出してしまった。
と、その時だった。鶴丸によって弾かれた黒豹が「ぐるるるる……」と鳴き声を唸らせながら、その赤い目をぎらぎらとさせて、こちらを睨んでいた。何処から狙おうかと、考える様に、沙紀と鶴丸の前で、ゆっくりと横に足を動かしながら、こちらを見ている。それは、一瞬の隙でも見せれば飛び掛からん勢いだった。
鶴丸は左腕で沙紀を抱きしめたまま、右手に「鶴丸国永」を顕現させると、そのまま目の前の黒豹を睨み返した。心なしか、沙紀を抱く手に力が籠もる。
一触即発。
そう思えた。その瞬間、黒豹の赤い目がくわっと見開かれたかと思うと、一気に鶴丸の喉元目掛けてその牙をむき出しに襲い掛かって来たのだ。鶴丸は「ちっ」と軽く舌打ちをすると、素早く沙紀を抱く手を後方にして、刀を持つ右手を思いっきり横に凪ろうとした。しかし――。
―――がきぃいん!!
「鶴丸国永」の刃に、黒豹の牙がぶつかり、剣戟のような音が茶室一帯に響いた。
「ぐるるる……!」
黒豹が今にも「鶴丸国永」を折ろうと、その牙に力を籠める。そんな黒豹を見て、鶴丸が「はっ」と小さく息を吐いた。
「こ、の……馬鹿力が……っ」
片手で刀を支えている所為か、徐々に鶴丸の腕が押されて後ろへと下がっていく。それを見て、沙紀が慌てて叫んだ。
「りんさん……っ。私をお放し下さ――」
沙紀を庇っているから、鶴丸は両手が使えず押し負けそうになっているのだ。そう気付いて、沙紀が慌てて鶴丸の腕から抜け出そうとする。が――逆に、沙紀を抱く鶴丸の腕に力が籠められた。
「……っ。主を、護れなくて……何が刀剣男士――だっ!!」
そう叫ぶや否や、鶴丸は思いっきりその足で黒豹の腹部を蹴り飛ばした。刹那、「ぎゃん!」という声と共に、黒豹が後方の壁へと吹き飛ぶ。鶴丸は「はぁ……」と息を吐くと、ゆらりと沙紀を抱えたまま、立ち上がった。そして、「鶴丸国永」をひゅん!と風を切るように、縦に振って音を鳴らすと、そのまま黒豹の方に近付いていく。
黒豹は「ぐぅうう……っ」と、苦しそうに、叩きつけられた壁際でもがきながらも、こちらを威嚇していた。そんな黒豹を、鶴丸は冷ややかな瞳で睨みつけながら、
「――呪うんだったら、沙紀に手を出した己の身を呪うんだな」
そう言って、すらっと「鶴丸国永」を振り上げたその時だった。沙紀が、はっとして慌てて鶴丸の手にしがみ付いたのだ。
「――ま、待ってください……っ、りんさん……っ。この方を斬っては駄目です……っ!」
「沙紀!?」
まさかの沙紀の妨害に、鶴丸が一瞬躊躇する。すると、その瞬間を狙ったかのように、黒豹が「がぅ!!」と吠えると同時に、その爪を鶴丸めがけて振り上げた。が――、その爪が振り下ろされるよりも前に、鶴丸の持つ「鶴丸国永」が横に振り切られる。
「――ぎゃうう!!」
ざんっ!という、肉が斬れる音と共に、黒豹の振り上げた前足が、ぼたりと畳に落ちる。
「……っ」
それを見た瞬間、沙紀が堪らず口元を抑えて、声にならない叫び声を上げた。
「沙紀、見たくないなら目を閉じてろ」
鶴丸はそう言うと、すっと、沙紀の視界を遮るように、手で彼女の眼を覆った。
「ま……待って……っ」
声が震える。怖い。
でも、ここで止めなければ、鶴丸は――。
「だめ……駄目です……っ。りんさん……」
―――“歴史修正主義者”と同じになってしまう。
「――殺しては駄目です……っ。この人は……この、かた、は……っ」
―――“歴史”を改変した事になってしまう……!!
「――この方は、明智様なのです……っ!」
「――は?」
し――ん……。と、一瞬 茶室が静まり返った。鶴丸が沙紀のその言葉に大きくその瞳を見開く。そして、目の前に蹲る黒豹を見た。
「……これが……この獣が“明智光秀”、だと……?」
鶴丸の言葉に、沙紀がこくりと頷いた。それから、鶴丸の方を見て、
「ここの時間軸は既に改変されていますが、これ以上悪化させれば、どうなるか……。それに、明智様はここで死ぬ方ではありません……。ですから――っ」
「沙紀……」
「……すみません。りんさんは、私を護ろうとしてくださっただけなのに……」
そう――鶴丸は、沙紀を護る為に、敵を排除しようとしただけ。でも、そうだとしても、万が一、鶴丸がここで光秀を殺してしまって、歴史がさらなる改変をされれば、時の政府が鶴丸をどうするか――。考えただけで、ぞっとした。
ぎゅっと、沙紀が知らず鶴丸の衣を強く握りしめてしまう。心なしか、その手は微かに震えていた。
そんな沙紀を見て、鶴丸は小さく笑みを浮かべ、息を吐くと、ぎゅっと彼女を抱きしめる手に力を籠めた。
「大丈夫だ。止めてくれてありがとな」
「……はい……」
鶴丸のその言葉に、沙紀がほっとする。ただ、問題は――。ちらりと、目の前で苦しみ蹲る黒豹を見た。この姿の光秀をどうやって、元の姿に戻して、彼の中にある“黒い力”を排除するかだ。
恐らく、彼自身が手放す事を望めばすぐに浄化出来そうだが……それは難しいだろう。となると、残す方法は……。
と、その時だった。
突然、後方からぱんぱんっ!と手を叩く音が聞こえてきた。はっとして振り返ると、それまでそこで傍観していた小竜が、不気味な笑みを浮かべたまま手を叩いていたのだ。
「なんだ、せっかく政府の刀剣男士が“歴史改変”する所を見られると思ったのに……残念だな」
「……お前……」
鶴丸が険しい顔で小竜を見る。だが、小竜は飄々としたまま、鶴丸と沙紀を見てにっこりと微笑んだ。
「なんでそんな怖い顔してる訳? 俺、キミに何かしたかな」
「は……っ。沙紀をさらっておいて何言ってやがる」
「ああ……、そんな事もあったかな」
と、白々しいぐらい、今、思い出したといわんばかりに小竜がとぼける。そして、何でもないことのように、鶴丸と沙紀の横を通り過ぎると、黒豹の前に歩み出た。足元で蹲る黒豹を一瞥すると、くすっと微かに口元に笑みを浮かべ――。
どかっ……!
「!?」
思いっきりその腹を蹴ったのだ。それを見て、鶴丸と沙紀がぎょっとする。
「小竜様……っ、何を――」
堪らず沙紀がそう叫ぶと、ぴたりと小竜の足が止まった。そして、不気味なほど口角を上げると、その紫水晶の瞳が怪しげに光った。
「何って……使えない道具の始末だけど? キミ達がしないなら、俺がしようかと思って――効率的でしょ?」
どかっ!と、また黒豹の腹を蹴る。
「どうせ、獣のまま生きるなら――」
――どかっ!!
「や……」
「死んだ方がマシだって思わないかい?」
「――やめてください……っ!!」
―――どかっ!!
沙紀の声が響いた瞬間、小竜の足が止まった。それから、大きく溜息を洩らすと、黒豹の方を見たまま、視線だけ沙紀の方を見た。
「――理解出来ないよ。キミ、こいつに殺されそうになったんだよね。なのに、何故止めるのかな。……ああ、“審神者”だから、かな」
「……それは」
「ま、どうでもいいけど。俺には関係ないし。まあ、せいぜい頑張ればいいよ」
それだけ言うと、小竜は懐から何かを取り出すと、それをぐっと握りしめた。瞬間、ぱりん……っ!と何かが割れる音が聞こえたかと思うと、小竜の目の前に“時空の歪み”が現れたのだ。
「な……っ」
鶴丸がすかさず、警戒態勢に入る。が――そこから何かが出てくる気配はなかった。小竜は一度だけ沙紀を見た後、くすっと笑みを浮かべて手を振ってきた。そして、そのままその“時空の歪み”に足を踏み入れだす。
それを見て、沙紀がはっとして慌てて口を開いた。
「お……お待ちください……っ、小竜様……っ」
瞬間、小竜が一瞬だけその動きを止める。沙紀はごくりと息を呑みながら小竜を見た。
ずっと、疑問だった。小竜も刀剣男士なのに、不可解な行動が多いことに。沙紀をさらったときも、『怖がるふりでもしてればいい』と言った。最初は、地蔵と同じく光秀に操られているのかと思った。しかし、小竜からは光秀のものとは違う別の“力”を感じた。それは一体何なのか。そして――。
『――この女を殺せ』
小竜は沙紀を殺そうとした。まるで、光秀に命令するかのようにその言葉を口にしたのだ。光秀が命じたわけではなく、小竜が命じた。それは、光秀に操られているなら、ありえない事である。
もし、小竜が光秀に“黒い力”を与えたのならば――。何の為に……。そして、彼が“主”と言った相手は……。
「……貴方様は、何者……なのですか?」
「……」
一瞬、小竜の瞳が動いた――気がした。だが、小竜は何事もなかったかのように、にっこり微笑むと――。
「秘密」
それだけ言い残すと、そのまま“時空の歪み”の中に消えたのだった――。
続
2025.04.19

