深紅の冠 ~鈺神朱冥~

 

 第1話 紅玉 9

 

 

 

―――宿儺の生得領域

 

 

 

「許可なく見上げるな。不愉快だ――小僧」

 

 

 

その声の主がにやりと口元に笑みを浮かべる。

すると、少年――虎杖が口元をひく付かせながら、

 

「だったら、降りてこい。見下してやっからよ!」

 

そう叫んだ。

虎杖のその言葉に反応する様に、その声の主が理解出来ないとばかりに息を吐いた。

 

「随分と殺気立っているな」

 

「当たり前だ、こちとらオマエに殺されてんだぞ!」

 

そう――虎杖悠仁を殺したその声の主――両面宿儺は、「はぁ~」と溜息を零すと、

 

「腕を治した恩を忘れるとはな……」

 

 

「その後、心臓取っちゃったでしょーが!!!」

 

 

全くもってその通りであった。

あの時――、宿儺が虎杖の心臓を“人質”などと言って引き抜かなければ、こんな事にはなっていないのだから。

虎杖は死んでいなかったし、こうして宿儺と対面する事もなかった。

 

虎杖は辺りを見渡した。

血の様な赤い水が足元に広がっていて、無数の骸骨が積み上げられ、巨大な怪物の骨の様な柵が何重にも折り重なっている。

 

空気は澱み、瘴気が犇めき、呼吸をするのも辛いぐらいだ。

 

正気言って、気味が悪い場所だった。

 

「……ココ、地獄か? 正直、死んでまでテメェと一緒なのは、納得いかねぇけど……。丁度いいや――」

 

そう言って、虎杖が角のある頭蓋骨を掴んだ瞬間――。

 

 

 

「――泣かす!!!!」

 

 

 

そう叫ぶなり、思いっきり宿儺めがけてぶん投げた。

 

ドゴオオン!!!

という、音と共に投げた頭蓋骨が宿儺の座っていた場所を破壊してくる。

が――宿儺は、ひらりと軽くかわすと、そのまま少し後ろへと降り立った。

 

だが、虎杖は攻撃の手を止めなかった。

そのまま、巨大な怪物の骨の様な柵を駆け上がると、拳をぐっと反動付ける様に引いた。

 

「はあああああ! 歯ぁ、食いしばれ!!」

 

「必要ない」

 

その言葉に、宿儺がにやりと笑いながらそう返す。

 

虎杖は一気にそのまま宿儺めがけて拳を振り上げた。

そのまま何度も攻撃を繰り出す。

 

しかし、宿儺は余裕そうに笑いながら、あっさりその攻撃をいなしていた。

その余裕そうな顔が、余計に腹立だしい。

 

「はぁ!!」

 

その時だった。

虎杖が、渾身の一撃とばかりに、ぐっと腕を引いたかと思うと、そのまま一気に拳を宿儺の顎めがけて突き出した。

すると宿儺はにやりと笑い、初めて反撃する様に、己の拳を虎杖めがけて振り上げたのだ。

 

刹那。

虎杖が拳を宿儺から宿儺の足元の巨大な骨めがけて、振り下ろしたのだ。

 

瞬間、ぐらりと宿儺の足場が揺れた。

 

「ほぅ」

 

こやつ、ハナから足場を――。

この後、虎杖こぞうがどう出るか――見ものだな。

 

そう、宿儺が思った時だった。

虎杖が、そのまま手と片足を軸に、一気に左足で下から回し蹴りを繰り出してきた。

宿儺の、顔面横めがけて――。

 

「――とった!!!」

 

と、思った矢先――何故かその攻撃が空振りに終わり、すかっという抜けた音と共に、足が戻ってきた。

 

 

…………

………………

 

「アレ?」

 

虎杖は確実に入れたつもりだった。

しかし、掠りもしなかったのだ。

 

まさかの、事実に一瞬行動が止まる。

 

すると、その虎杖の攻撃を見抜いてあっさり避けた宿儺が、呆れたように、

 

「オマエ、つまらんな」

 

そう言って溜息を洩らすと、固まっている虎杖を後ろからげしっと蹴り飛ばした。

 

「ああ~」

 

そのまま、情けない声を共に虎杖が元居た場所へと落ちていく。

ばしゃ―――ん!! という、軽快な音と共に血の水に顔ごと突っ込んだ。

 

「なんで!? 完ペキ 入ったと思ったの――――ぶはっ!!」

 

叫びながら起き上がろうとした瞬間、宿儺が虎杖の上に降ってきた。

そのまま、足蹴にされる。

 

「ごぼごぼ(クッソー)!!!」

 

じたばたと、水の中で暴れる虎杖を抑える様に、宿儺はそのままどっかりと虎杖の上に座り込んだ。

 

「ここは、あの世ではない。俺の生得領域だ」

 

「しょ、生得領域……? 伏黒が言ってたような……」

 

「ふん、馬鹿め。“心の中”とでも言い換えてもいい。――つまり、俺達はまだ・・死んでいない」

 

「は!?」

 

宿儺のまさかの言葉に、虎杖が素っ頓狂な声を上げる。

だが、宿儺は気にした様子もなく、にやりと笑みを浮かべると――。

 

「オマエが条件を呑めば、心臓を治し生き返らせてやる」

 

宿儺のその言葉に、虎杖がひくっと顔を引き攣らせた。

 

「偉っそうに! 散々イキっといて、結局テメェも死にたくねぇんだろ!!」

 

「……」

 

虎杖の威嚇に、宿儺は余裕そうに笑みを浮かべると、

 

「事情が変わったのだ。近い内――」

 

宿儺の脳裏にあの時の式神使いの少年と、漆黒の髪の神妻の姫巫女が思い出される。

その口元が微かに笑った。

 

 

「面白いモノが見れるぞ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

      ◆      ◆

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

―――呪術高等専門学校・東京校 地下

 

 

 

「僕はさ、性格悪いんだよね」

 

五条が徐にそう呟く。

すると、伊地知がきりっとした顔をして、

 

「知っていますっ」

 

「伊地知、後でマジビンタ」

 

伊地知の即答に、即返しした五条に思わず凛花がくすっと笑う。

突然笑い出した凛花を見て、五条が伊地知をジト目で見ると、

 

「ほらー、伊地知のせいで凛花ちゃんに笑われちゃったでしょ」

 

と、言いだしたものだから、伊地知が理不尽だとばかりに、

 

「ええ!? わ、私のせいですか……!?」

 

「伊地知のせいだよ。だから、マジビンタ2回ね」

 

「マ……マジビンタ……2回!?」

 

そんなやり取りと見ていると、こんな時だが面白くて、また凛花は笑ってしまった。

すると、五条がふっと笑みを浮かべて凛花の頭をぽんぽんっと撫でてくる。

 

「凛花ちゃんは、やっぱり笑ってた方がいいよ。真面目な顔も可愛いけどさ」

 

そう言って、彼女の頭を撫でた後、ちょいちょいと手招きした。

 

「……? 悟さん?」

 

凛花が不思議そうに五条に近づく。

すると、五条がぽんぽんっと自分の座っている椅子の隣を叩いてきた。

そこに座れというのか……。

 

凛花は少し考えた後、立っている伊地知に申し訳なく思いつつも、五条の隣に座った。

 

「僕はさ、教師なんて柄じゃない。それなのに、なんで僕が高専で教鞭を取っているか――伊地知、“聞いて”」

 

半強制的に「聞いて」と促されて、伊地知がしどろもどろになりながら、

 

「な、なんでですか……?」

 

と、聞いてきた。

すると、五条は少しだけ遠くを見る様な眼差しで――。

 

「……夢があるんだ」

 

「夢……ですか?」

 

「……」

 

五条の夢――それは……。

 

「そっ。悠仁の事でも分かる通り、上層部は呪術界の魔窟。保身馬鹿、世襲馬鹿、傲慢馬鹿、ただの馬鹿。腐ったミカンのバーゲンセール。そんなクソ呪術界を――リセットする」

 

「……」

 

ずっと前から、言っていた。

五条の“夢”。

 

凛花以外には話していなかった“夢”。

それは、非現実的にも聞こえるかもしれない。

それでも、彼ならば……いや、彼だからこそ成し得られるかもしれない――“未来”。

 

「上の連中を皆殺しにするのは簡単だ。でも、それじゃ首がすげ替わるだけで“変革”は起きない。そんなやり方じゃ、誰も付いてこないしね――だから、僕は教育を選んだんだ。強く聡い仲間を育てる事に――」

 

他の誰にも出来ない。

五条悟だからこそ、叶えられる “遠くない未来”。

 

「そんな訳で、自分の任務を生徒に投げる事もある。いわゆる愛のムチ」

 

それはサボりたいだけでは……?

 

と、伊地知は思ったのは言うまでもない。

凛花も思ったが、あえて口にはしなかった。

 

「皆、優秀だよ。特に三年の秤。二年の乙骨。彼らは僕に並ぶ術師になる。そして――」

 

そこで言葉を切る。

ぐっと、五条の握る拳に力が入った。

 

「――悠仁もその一人だった……!!」

 

「……悟さん……」

 

泣いてはいないけれど、凛花には五条は泣いているように見えた。

だからだろうか……。

このまま放っておくことなど出来なかった。

 

そっと手を伸ばすと、五条の握る拳に触れた。

そのままその手をぎゅっと握りしめる。

 

「……っ、凛花……ちゃん?」

 

本来なら、こちらからは五条の能力によって触れる事すら叶わない。

でも、いつも凛花にだけはその制限を解除してくれている――。

 

その事が、酷く嬉しく感じるなんて――どうかしている。

 

彼は、あの時。

兄の昴を殺した、憎むべき人なのに――。

 

「大丈夫です。虎杖君は、必ず助けますから――だから」

 

もう片方の手を、そのまま五条の頬に添えた。

そして、自身の額を彼の額にくっつけ、その瞳を閉じる。

 

「悟さんは、いつもの悟さんでいて下さい。……らしくないですよ? 最強で、ほんの少し優しくて、でも、ちょっと態度に難ありな唯我独尊の五条悟はどこにいったんですか?」

 

「……凛花ちゃん、それ褒めてない」

 

五条がそう言うと、凛花はにっこりと微笑んで、

 

「褒めてませんから」

 

と言った。

すると、五条が突然くつくつと笑いだした。

 

「流石は、僕の凛花ちゃん!」

 

そう言うなり、突然 凛花をぎゅっと抱き締めた。

驚いたのは、他でもない凛花だ。

 

「あの……っ! ちょっ、悟さ――」

 

だが、五条は離れようとする凛花を無視して、思いっきり抱きしめると、

 

「うんうん、やっぱり凛花ちゃんは、婚約者である僕の心配してくれてるんだよね? 可愛いなあ」

 

そう言って、凛花の頭を撫でるが――凛花はと言うと、超冷静な顔で、

 

「いや、もう婚約者じゃないので」

 

「えー? 凛花ちゃんは今も僕の婚約者でしょ」

 

「違います」

 

「違わないよー」

 

「違います。3年前のあの日、破棄しましたので」

 

「僕は了承してないから、無効だよ」

 

という、不毛な言い争いが始まった。

それを見た伊地知が「どっちなんだ!?」と思ったのは言うまでもない。

 

その時だった。

 

「ちょと、君達。こっち終わったんだけど――」

 

と、家入が術式を解いて現れたが……、五条と凛花の不毛な争いを見て思わず、

 

「あのさ、いちゃつくのは結構だけど、時と場所考えたら?」

 

半分呆れ顔でそう言ってきた。

瞬間、凛花が真っ赤になって慌てて無理やり五条を引き剥がすと、

 

「い、今すぐそちらへ行きます!」

 

そう言って、家入の方へ向かおうとした時だった。

不意に伸びてきた五条の手が凛花の手を掴んだ。

 

「悟さん……? あの、離し――」

 

「凛花、まさかあの術を使う気が?」

 

五条のその言葉に、凛花の肩が一瞬ぴくっと反応する。

だが、次の瞬間 凛花はにっこりと微笑んで、

 

「大丈夫ですよ。あの時・・・と今回は状況が違いますので」

 

「駄目だ! あの術は……っ」

 

「悟さん」

 

少し強めに名を呼ばれ、五条が微かにぴくんっと反応した。

 

「信じてください――というのはあの日・・・を見ていると難しいかもしれませんが――。今回は・・・大丈夫ですから」

 

そう言って、そっと五条の手に自身の手を重ねる。

 

「離して下さい。虎杖君を助ける為に――」

 

「……」

 

ぐっと、凛花の手を握る五条の力が強くなる、が……。

するりと、その手が離された。

 

「ありがとうございます」

 

凛花がそう礼を言うと、五条が小さな声で、

 

「……無理は、するなよ。もう――これ以上置いていかれるのはごめんだ……」

 

「……悟さん……」

 

その言葉が何を意味しているのか――。

伊地知には理解出来なかったし、何のことを指しているのかも分からなかったが――少なくとも、五条と凛花の間に何かあったのだけは分かった。

 

凛花はそっと、一度だけ五条を抱き締めると、

 

「置いていきません」

 

そうとだけ告げ、そのまま離れる。

そして、そのまま家入のいる方へと向かった。

 

 

 

「すみません、お待たせして」

 

凛花が家入に申し訳なさそうにそう告げると、家入は少し珍しそうに五条の方をみて、

 

「あんな、弱々しい五条は初めて見るな」

 

「そうですか? 時々あんな感じになりますよ」

 

凛花がくすっと笑いながら、治療の終わった虎杖の身体を見た。

綺麗に傷跡すらなくなっている。

流石と言うべきか……。

 

「……では、始めますね。神域・伊邪那岐いざなぎ――」

 

凛花がそう唱えた瞬間、虎杖の身体を中心とした半径10mぐらいの紋が現出する。

 

「それは、神妻。アンタが相手だからだよ」

 

不意に家入の声が聞こえて、凛花が「え?」と思った瞬間――。

そのまま、凛花の意識は沈んでいったのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『駄目だ、凛花!!』

 

『でも――こうするしかお兄様を助ける方法は――』

 

『……昴は、もう――』

 

『認めない! 私は……認めないっ!!! 神域――』

 

 

 

 

『凛花! やめろおおおおおおお!!!』

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

意識が、沈んでいく。

あの時と同じ――。

 

世界の全てが見渡せるような――不思議な感覚。

 

 

 

 

 

 

ぴちゃ―――――ん。

水の音が聞こえる。

 

凛花がその瞳をゆっくりと開けと、そこは、真っ暗な深淵の世界だった。

 

何もない「闇」。

何もかもを飲み込むような「闇」が一面に広がっている。

 

聞こえるのは、水の音だけ。

 

真っ暗なその「闇」の中に1人――凛花は立っていた。

足元から、水の波紋がゆらゆらと揺れている。

 

でも――。

 

そっと、凛花は自身の瞳に触れた。

そして。

 

 

 

「“紅黎せきれい”」

 

 

 

凛花が小さな声でそう呟いた瞬間、彼女の宝石の様な紅い瞳が淡く光り、突伽天女ドゥルガーの紋が現出する。

刹那、目の前に巨大な赤い人骨の門が姿を現した。

 

「これが――」

 

ごくりと、息を呑む。

 

「宿儺の生得領域への入り口――」

 

そっと手で押すと、その門はぎぎぎぎ……という音共にゆっくりと開かれた。

 

瞬間、むわっとした息苦しいほどの瘴気と、澱んだ空気が一気に押し寄せてくる。

息をするのも苦しいぐらいのそれは、凛花を「歓迎」していない証だった。

 

「……」

 

息を呑むと、凛花は一歩その門の中にゆっくりと足を踏み入れた。

刹那。

 

ばんっ! と、門が激しく閉まる。

はっとして振り返ると、そこには門はもう存在していなかった。

 

その時だった。

 

 

 

「ほぅ? 招かれざる者が現れたようだな」

 

 

 

声だけで、圧し潰されそうな程の威圧感が、凛花を襲ってきた。

ぎくりと、身体が一瞬で強張るのが分かる。

 

凛花が、ゆっくりと声のした方を見ると……そこにいたのは――。

 

 

「……両面、宿儺」

 

 

そう――そこにいたのは、

 

   虎杖の上に座ってこちらを見ている、宿儺だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

さてさてさて笑

五条先生はさておき(おい)、また宿儺と対峙するお時間ですよ~

 

 

2024.01.06