◆ 第１話 紅玉 ６
「神妻の姫巫女」の“浄化の蒼炎”。
それは、“人”には一切効かない代わりに“人ならざるもの”には絶大な効果を表す業火の蒼い炎。
“人ならざるもの”のその身を焼き、魂を焼き、消し去るのだ。
解術の方法は２つ。
術者が解くか―――術者を殺すかだ。
「は、はは、ははははは！！！ ―――死ねえ！ 女！！」
そう叫ぶや否や、宿儺が一気に凛花に向かって攻撃を仕掛けようと襲い掛かってくる。
「―――凛花さん！！！」
瞬間、それに気付いた伏黒が叫んだ。
慌てて影から術式を発動しようとするが―――間に合わない。
このままでは、凛花が殺されてしまう―――っ！！！
伏黒は素早く手を合わせて印を結ぶと叫んだ。
「―――来い！ 『大蛇』！！」
そう叫んだ瞬間、巨大な白い蛇が影から現出する。
そして、そのまま一気に背後から宿儺へ襲いかかった。
だが、宿儺は『大蛇』など気にも留めずに、一直線に凛花に向かって呪力の籠った拳を放ったのだ。
その拳が、凛花を粉々に破壊せんとするかの勢いで繰り出さる。
「……っ」
―――間に合わないっ！！！
伏黒が、宿儺の意識を少しでもこちらに向かせ様と、無理やり更に３体目の式神を出そうとしたその時だった。
り――――――ん……。
鈴の音が辺り一帯に響いた。
刹那。
まるで、世界が『停止』したかの様に止まった。
「な……っ」
伏黒がその瞳を見開く。
なにが、起きたのか……。
風も、雨も、空も、雲も、
全てが止まっている。
まるで、“時間”という概念が無くなったかの様に。
「凛花、さ、ん……？」
伏黒が、ごくりと息を呑む。
彼女の目の前には、当たる直前で止まった宿儺の拳があった。
凛花が、それまで閉じていたその深紅の瞳を、ゆっくりと開く。
瞬間、その両の目が紅く宝石の様に光ったかと思うと、突伽天女の紋様が現れ―――。
「―――神域・月読」
彼女がそう呟いた時だった。
まるでガラスでもあるかの様に、宿儺と凛花の間の空間にびきびきっと“ヒビ”が入る。
「な、ん―――」
伏黒が、言葉を発しようとした時だった。
ぱり――――ん という、音と共に、空間が割れた。
その時だった。
「……とっ、うん？」
伏黒の後ろから、宿儺の声が聞こえてきたのだ。
はっとして、振り返ると―――先程までいた場所に宿儺がいて、空振りに終わった拳が音を立てて、振り下ろされた。
宿儺は、何が起きたのか気付いていないのか、自分の拳を見て首を傾げていた。
「…………」
伏黒は夢でも見ているのかと、一瞬その場で呆けてしまった。
今、確かに凛花の目前に宿儺の拳はあった。
なのに、一瞬の間に宿儺は元の場所に戻っていた。
気付けば、空も風も雨も元に戻っている。
時間が、数秒前に戻った……？
いや、違う。
それなら、自分も戻っているはずだ。
なのに、伏黒はなんの影響も出ていなかった。
時間が戻ったというよりも、宿儺の周りの空間だけが戻された に、近かった。
一体、どういう―――。
思わず凛花の方を見ると、凛花は人差し指を唇に当てて、「しっ」という動作をした。
『後で、教えてあげるわ。今は―――』
頭の中に、彼女の声が響く。
その声で、伏黒が はっとする。
そうだ。
今は、そんな事を考えている場合ではない。
この距離なら―――届く！！！
「『大蛇』！！！」
伏黒がそう叫んだ瞬間、『大蛇』が首を傾げていた宿儺の身体に噛み付くと、そのまま一気に遥か上空まで銜え上げたのだ。
刹那、帯電した『鵺』が声を発しながら宿儺に向かって、猛スピードで飛んでくる。
「―――畳み掛けろ！！！」
瞬間―――。
バチイイイン！！！ という音と共に、何度も何度も『鵺』が多方面から宿儺に向かって攻撃を開始した。
動きを封じられた上に、早さに電撃を加えた猛攻撃は、普通なら耐えられないだろう。
しかし―――。
「くっ……はは、はははは！」
宿儺の笑い声が辺り一帯に木霊したかと思うと―――、その爪でいとも容易く自分を捕まえていた『大蛇』を粉々に砕いたのだ。
伏黒が驚いているその時だった。
「なぁ、言ったろ？」
何故か、自分の背後から宿儺の声が聞こえてきたのだ。
ぎくりと身体を強張らせた時には、もう遅かった。
制服を鷲掴みにされたかと思うと―――、
「―――広く使おう、とな！」
そのまま一気に、片手でぶん投げられたのだ。
「恵君！！！」
凛花の声が遠くから聞こえてくる。
だが、今の伏黒にその声に応える余裕はなかった。
思いっきり投げられたせいか、木々の間をバキバキとなぎ倒しながらそのまま上空へ放り出される。
「――――っ！！」
何が、起きたのか。
それを判断する間もなく―――吹き飛ばされた空中で、必死に耐えていると――。
『―――恵君、前！！！！』
凛花の声に、はっと伏黒が目を開けると―――目の前の上空に笑う宿儺がいた。
ぎくりと、身体が強張る。
宿儺は、にやりとその口元に笑みを浮かべると、そのまま思いっきり伏黒を蹴り飛ばしたのだ。
「ぐぁ……っ！！」
爆風とも呼べる音と共に、上空で態勢を維持出来なかった伏黒は、
なす術もなく、そのまま再び下の建物のコンクリートめがけて吹き飛ばされた。
コンクリートを何層もえぐる様に横に飛ばされると、再び上空へと打ち出される。
そこへ追い打ちをかける様に、また宿儺が現れると今度は拳で横に殴り飛ばされた。
「――――っ！！！」
建物の壊れる轟音と共に、伏黒の身体が建物を壊しながら吹き飛ぶ。
声も出す事すら叶わず、ただただ やられるままでしかいられなかった。
呪術うんぬん、じゃない……っ！
実際、宿儺は“呪術”は一切使っていない。
“呪力”で殴っているだけだ。
膂力も！！
敏捷性も！！
その時だった。
『鵺』が飛んできたかと思うと、建物をぶち破ってきた伏黒を支える様に捕まえると、地上に降りようと降下し始めた。
しかし―――。
「いい、術式だっ！！！！」
―――格が違うっ！！！
いつの間にか、傍まで来た宿儺がそう叫ぶや否や、今度は拳を両手で絡めると上からスレッジハンマーの様に思いっきり下へと殴り飛ばされた。
素早く『鵺』が翼で防御に入るが―――そのまま、ばきばきばきという音と共に、下の建物に落とされる。
「いっ……ぅ……」
散々、空中で殴られて 漸く地上に落とされた時には、既に伏黒はボロボロだった。
ぐいっと、口から流れる血を拭うと、横でぐったりしている『鵺』を見た。
刹那、宿儺が傍まで下りてきた気配を感じた。
どうする……。
生得領域抜けるのに式神も一通り使ってしまった。
『玉犬・白』と『大蛇』は破壊され……。
その上、『鵺』ももう限界だった。
伏黒はそっと『鵺』の頭を撫でると、そのまま術式を解いた。
壊される前に、術式を解いた方が賢明だと判断したからだ。
それを見た宿儺が、面白そうに笑いながら、
「成程、オマエの式神。影を媒体にしているのか」
「……？ なら何だ」
今更、影を媒体に使う事がバレたところで、問題はない。
だが、宿儺にはそれが引っ掛かったのか、何か考え始めた。
「フム、分からんな。それだけの物を持っていながら、オマエ。何故あの時、逃げた。宝の持ち腐れだな」
あの時……？
特級呪霊とやり合った、さっきの事を言っているのか？
だが、あの時はああするしかなかった。
それを何故、宿儺がそう言うのか、伏黒には理解出来なかった。
だが、宿儺の言い方だとまるで―――。
「まぁいい、どの道その程度ではこの身体は返さんぞ？」
「…………」
……バレバレか。
宿儺の言葉に、伏黒は乾いた笑みしか浮かばなかった。
なんとか、気力を絞って立ち上がる。
凛花さんは、無事だろうか……。
きっと今頃、自分を探しているかもしれない。
早く……戻らない、と……。
そんな伏黒を他所に、宿儺はくっと喉の奥で笑ながら、
「つまらん事に命を掛けたな。この小僧に、それ程の価値は無いというのいうのに」
「…………」
瞬間、伏黒の脳裏に虎杖と初めて会った時に言われた言葉が思い出された。
『じゃあ、なんで俺は助けたんだよ！！』
あの時―――。
虎杖が殺されると、なった時。
伏黒は、五条に頼み込んで虎杖を助けてもらった。
何故かなんて関係ない。
私情だった。
―――不平等な“現実”のみが、平等に与えられている。
助けたいと思ったから、助けた。
それだけだった。
後の事など、何も考えていなかった。
『誰かを呪う暇があったら、大切な人のことを考えていたいの』
津美紀と―――虎杖が、重なって見えたから……。
疑う余地のない「善人」だった。
誰よりも、「幸せ」になるべき人だった。
それでも、津美紀は―――“呪われた”。
俺の性別も知らずに“恵”なんて名前を付けた父親は、今も何処かでのうのうと生きている。
因果応報は全自動ではない。
悪人は“法”の下で初めて裁かれる。
呪術師は、そんな“報い”の歯車のひとつだ。
少しでも、多くの「善人」が平等を享受出来るように―――。
俺は―――。
“不平等”に人を助ける―――っ！
呪力が、伏黒の身体へ満ちていく。
その力は今までの非ではない様に―――。
宿儺も、それをびりびりと感じ取ったのか、にやりとその口元に笑みを浮かべた。
「いい。いいぞ、命を燃やすのはこれからだった訳だ」
そう言って、宿儺が伏黒に一歩近づく。
「成程、そうか。―――魅せてみろ！ 伏黒恵！！！」
そう言って、歓喜の声を上げる。
だが、伏黒は冷静だった。
否、冷静ではなかった。
纏う呪力が、表情のない伏黒の身体を徐々に包んでいく。
そして、その口がぽつりと呟くように……。
「……布瑠部……由良由良……」
『八握―――』
そう唱えようとした時だった。
「―――恵君！ 駄目よ！！ それは―――っ！！！」
凛花の声が遠くの方から聞こえてきた。
伏黒がはっとして顔を上げると、飛んできたのだろう。
上空から、凛花が伏黒の傍に降りてきた。
「恵君！！ しっかりして！！」
そう言って、伏黒を思いっきり抱きしめた。
「……凛花、さ、ん……？」
そこでやっと我に返ったのか……、伏黒の瞳に色が戻って来る。
「俺、は……」
今、あれを呼ぼうとしたのか……？
無意識だった。
でも、それしか方法が無いと思った。
でも―――。
ぎゅっと、伏黒が凛花を抱き締め返す。
「凛花さん……」
ぽたりと、伏黒の髪から雨の雫が零れ落ちた。
「……言っておくが、俺はオマエを助けた“理由”に論理的な思考は持ち合わせていない」
ぽたりと、また髪から雨の雫が零れる。
「だとしても、オマエの様な善人が死ぬのは見たくなかった。それなりに迷いはしたが……結局は、俺の我儘な感情論だ」
凛花が伏黒を見てから、宿儺――いや、虎杖を見る。
そして、伏黒もまっすぐに虎杖を見て、
「でも、それでいいんだ。俺は正義の味方じゃない。―――呪術師、なんだ」
そう言って、ぎゅっと凛花を抱き締める手に力を籠めた。
「だから、オマエを助けた事―――、一度も後悔した事はない」
「…………」
その時だった。
宿儺の紋様がすぅ……と虎杖の身体から消えていった。
そして、少し恥ずかしそうに宿儺ではなく、虎杖が笑う。
「そっか。伏黒は頭いいからな。俺よりも色々考えてんだろ」
その声は、間違いなく虎杖のものだった。
「オマエの真実は正しいと思う。でも、俺が間違ってるとも思わん」
「…………」
ぼた、ぼたと虎杖の心臓の傷から血が地に流れ落ちる。
ふらりと、虎杖の身体が揺れた。
それを見た凛花がはっとして、慌てて伏黒から離れようとした。
だが、伏黒は離さなかった。
行かせまいと―――ぎゅっと凛花を抱き締めたまま静かに虎杖を見ていた。
「恵君！ このままだと虎杖君が―――」
「…………」
伏黒は答えなかった。
それを見た、虎杖は「はは」と笑いながら、
「なんだよ、伏黒の彼女かあ？ 水臭せえなぁ、ちゃんと紹介……しろ、よな」
そう言って、冗談まがいに笑いながら言う。
「あー悪い。そろそろだわ。伏黒も、釘崎も……あー五条先生……は、心配、いらねぇか……」
ぐらりと、虎杖の身体が揺れた。
「虎杖君！！！」
凛花の声が木霊する。
「彼女さん……コイツ、よろしく頼んます……、無茶……ばっか、するから……」
そう言って、虎杖が笑う。
「オマエら、長生き、しろよ、な……」
それだけ言うと、そのままその場にどさっと倒れたのだった。
「な、んで……」
凛花の声が震える。
それでも、伏黒は凛花を抱き締める手を緩めなかった。
そのまま凛花の肩に顔をうずめ、その手に力を籠めた。
その手は、微かに震えていた。
「恵君……」
そんな、伏黒の手を振りほどくことなど、凛花には出来なかった。
雨が。
ただ、静かに。
雨だけが、降っていた――――。
あれ……？
これは、五夢ですよ？ｗｗ
伏夢ちゃうよｗｗｗ
2023.12.08