華ノ嘔戀 ~神漣奇譚~

 

 弐ノ章 出陣 43

 

 

――― 丹波・亀山城 “庵・奥の間”

 

 

小竜が沙紀を連れてきたのは、静けさの漂う数寄屋だった。

露地と称する庭園の中にあり、そこだけ俗塵を離れた非日常的空間を作っていた。

 

「こっちだよ」

 

そう言って、小竜が入り口からそのまま入っていく。

沙紀は戸惑いつつも、その後に続くしかなかった。

 

「……失礼致します」

 

そう言って、足を踏み入れる。

すると、美しい数寄屋建築様式の建物が視界に入って来た。

 

奥の茶室から、しゅんしゅんっという茶釜でお湯を沸かす心地の良い音がしていたが……。

とてもじゃないが、沙紀は茶の湯を楽しむ気分にはなれなかった。

 

ふと、視線を奥の茶室に向けると、茶釜の前に誰かが座っていた。

その人物を見た瞬間、沙紀が驚いた様にその躑躅色の瞳を大きく見開く。

知らず、身体が震えた。

言葉が上手く出ない。

 

「あけ、ち、さま……?」

 

それは、沙紀の事を勝手に自分の娘だと言った挙句、あの土蜘蛛に焚き付け、大包平と一期一振を始末したと言った、あの明智光秀だったのだ。

そして――一連の、“首謀者”。

 

まさか、小竜の案内した先に光秀がいるとも思わず、一気に緊張が走る。

 

小竜は、一度だけその紫水晶の瞳でこちらを見た。

その瞳があまりにも鋭くて、沙紀がぎくりと顔を強張らす。

 

すると小竜は光秀の傍に行ったかと思うと、そっと何かを耳打ちしていた。

何を話しているかは、聞き取れなかったが……。

もしかしたら、鶴丸達の事を報告していたのかもしれない。

 

小竜様の“主”は、やはり明智様……?

 

そんな考えが、脳裏を過る。

もしそうだとしたら、同じ“黒い力”を使って顕現していた地蔵も、光秀が主だったという事になる。

 

それに――。

 

沙紀は、ごくりと息を呑んだ。

最初に会った時は感じなかったのに、今の光秀からは、隠す気がないのか……禍々しい程の力を感じる。

そう――小竜や地蔵、そして、土蜘蛛から感じたあの“黒い力”が――。

 

だが、分からないことが幾つかあった。

 

まず、どうやって小竜や地蔵を顕現させたのか。

時間遡行軍とはどういう関係なのか。

土蜘蛛を何故、使役出来たのか。

そして――その力をどうやって手に入れたのか、だ。

 

しかし、それを光秀があっさり言うとも思えなかった。

 

そもそも、刀剣の顕現は“審神者”にしか使えない力だ。

確かに、沙紀自身はまだ“華号”を授与していない為、“審神者”としての力は行使出来てない。

沙紀の場合は“神凪”としての力がある為、刀剣の顕現が可能だっただけだ。

それは、例外中の例外なのだ。

 

「……」

 

沙紀が考え込むようにその場に立ったままでいると、

ふと、光秀はこちらを見てにっこりと微笑んだ。

 

その笑顔が余計に不気味に見えて、沙紀はとてもじゃないが笑い返す気にはなれなかった。

すると光秀は、すっと手を自身の反対になる場所に向けると、

 

「姫、そこに突っ立ていないで座ったらどうだい?」

 

“姫”。

また、光秀はそう沙紀を呼んだ。

まるで、沙紀が玉子だといわんが如くに――。

 

「……」

 

沙紀が、困惑した様に動けずにいると、光秀がその眼光を鋭くさせた。

 

「“玉子”」

 

一等低い声で、はっきりとそう呼ぶ。

そして、その瞳が怪しく光り、

 

「――座りなさい」

 

まるで、強制力でも働いているかの様に強くそう“命令”してくる。

それでも、それに抗うかの様に沙紀が座らずにいると――光秀が自身の後ろで控えている小竜を見た。

 

光秀の視線に気付いた小竜が、仕方なさそうに溜息を洩らしたかと思うと、突然立ち上がり沙紀の方にやってくる。

そして、沙紀の腕を掴むと――。

 

「……大人しく従った方がいいと思うよ? ここには、キミを護ってくれる刀剣男士はいないんだから」

 

そう言ったかと思うと、半強制的に腕を引っ張られその場に座らせられる。

 

「……っ」

 

沙紀が小竜を睨み付けるが、小竜は両手を上げて軽く肩を竦めた。

それから、ぽんっと一度沙紀の肩を叩くと、まるで沙紀を監視するかの様にその後ろに座る。

 

沙紀は、光秀と小竜を見てぐっと握る手に力を籠めた。

前に光秀、後ろに小竜がいては、いざという時逃げ出す事も叶わない。

 

今は、従うしか――。

 

そう思った沙紀は、落ち着かせる為に、息を吸うと吐いた。

背筋を伸ばし、真っ直ぐに光秀をその躑躅色の瞳で見据える。

そして、その桜色の唇をゆっくりと開いた。

 

「私に、一体なんのご用でしょうか、明智様」

 

そう言って、光秀を見た。

すると、光秀は面白いものでも見たかの様に、ふっと笑みを浮かべ、

 

「どうしたんだい、玉子。“明智様”なんで他人行儀な。いつも通り・・・・・、父上と呼びなさい」

 

「……。“明智様”、何か勘違いされているようですが、私は玉子様ではありません。お間違え無きようにお願い致します」

 

沙紀がそう答えると、一瞬光秀がその顔を歪めた。

が、それはほんの少しの間で、直ぐにまた元の笑顔に戻った。

 

「はは、姫は何か混乱している様だね。父の事を忘れてしまうとは……。よほど細川殿がお亡くなりになったのが堪えたらしい」

 

「……」

 

どうやら、光秀はあくまでも、沙紀を“玉子”として扱うようだった。

いいわ、それなら――。

 

「おかしですね。何故、あの土蜘蛛が死んだことをご存じなのでしょう。あの場に、明智様はいらっしゃいませんでしたよね? それとも――」

 

すぅ……っと、沙紀がその瞳をゆっくりと開ける。

 

「いらっしゃったのですか? 例えば――あの土蜘蛛を使役していたのは、明智様だった。とか」

 

沙紀がそう嗾けると、光秀は少しだけとぼけた様に、

 

「土蜘蛛? 姫は何の話をしているのやら……。私は細川殿の話をしているのだがね」

 

「明智様が私に炊き付けてきたあの男性は“土蜘蛛”の妖でした。幸い、私は助けて下さった方がいたので無事ですが……、あの場に、明智様はおられなかったと記憶しております。なのに不思議ですね、何故 土蜘蛛が倒された事をご存じなのでしょう」

 

「……」

 

沙紀がそこまで言うと、光秀が一瞬黙り込んだ。

が、次の瞬間、面白い話でも聞いたかのように笑いだしたのだ。

 

「ははは! 姫はまだ御伽噺が好きらしい。細川殿が“土雲”などと、面白い事を――」

 

「私、一度も・・・その細川様と仰られる土蜘蛛の真名が“土雲”だなんて言っておりませんが? 明智様の中では、その細川様は“土雲”なのですね」

 

「……!」

 

沙紀のその言葉に、光秀がその表情を歪ませたのは一目瞭然だった。

すると、沙紀はにっこりと微笑み、

 

「ご都合が悪い話ですか? では、質問を変えましょう。明智様はどうして、その細川様と思われる“土雲”が倒された事をご存じなのでしょうか? あの場に居なかった明智様が知る唯一の方法は、あの“土雲”と繋がっている・・・・・・事でしか、知り得ない筈ですが。繋がっているとは即ち、使役していた事に他なりません」

 

「……」

 

「やはり、明智様があの“土雲”を使役していたのですか? それに、城の迷宮化も全て明智様の仕業では? 加えて、貴方様は私の連れである、お二方を“邪魔なので始末した”と仰いましたが、一体どういう事でしょうか? 貴方様にとっては、お二方が生きていると邪魔だったという事ですか? それは、何故?」

 

「……っ」

 

沙紀の、質問攻めに光秀が押し黙る。

しかし、沙紀は止めなかった。

 

「他にも不思議なことがあるのです。どうして明智様は、地蔵様と小竜様を“ひとがた”に出来たのでしょう。その“力”は、貴方様が本来持っている筈のない“力”なのですが。彼らの“主”は、明智様。やはり、貴方様でなのですか? その身体の内に眠る“黒い力”はどうやって、どなたから得たものですか?」

 

そこまで言うと、沙紀はすっと立ち上がった。

そして、小さな声で「布留御魂大神」と呟く。

 

瞬間、光秀の胸元が黒く光った。

 

「ぅ……っ」

 

光秀が、思わずその胸元を押さえて顔を顰めた。

そこは、どす黒く光っており、それは常人の身体にあるものではないのは明白だった。

 

「その“力”を手放して下さい。貴方様に扱える力ではありません。現に――」

 

そう言って、沙紀がある一点に視線を送る。

それは、光秀の腕だった。

その腕は、真っ黒に染まっており、明らかに“力に侵食”されている証だった。

 

「今も、全身が軋む様に痛いのではありませんか? このままでは、貴方様は死にますよ」

 

大きな力は、それだけ身体に負荷が掛かる。

そして、その力に耐えられる程の“身体うつわ”でない限り、必ずその力に負けてしまう――。

 

光秀の状態を見れば、それは明らかだった。

少なくとも、彼はその“力”に耐えうる程の器ではないのだ。

 

その時だった。

 

「……さい」

 

光秀が、何かを呟いた。

と、思った瞬間――突然、光秀の手がばきばきばきと、異音を立てながら異形の姿へと変わっていく。

そして、その手がいきなり伸びたかと思うと、そのまま沙紀の首をぐっと掴む様に襲い掛かってきたのだ。

 

「……っ、う……」

 

沙紀が、苦しそうに眉を顰める。

その力は異常なほど強く、とても人の力では無かった。

 

ぎりぎりと、どんどん首を絞められていく感覚に、頭がくらくらしてくる。

 

「あけ、ち、さま……っ」

 

それでも、沙紀は諦めなかった。

否、ここで諦める訳にはいかなかった。

 

「その、ちから、を……お捨て、くださ……い……っ」

 

そう言いながら、何とか説得を試みる。

だが――。

 

「……煩い」

 

ゆらりと、光秀の身体が揺れた。

その瞳が、赤く怪しく光る。

 

 

「煩い、煩い、煩い!!! お前に何が分かるっ!!!」

 

 

「……っ、あけ、ち……さ……っ」

 

沙紀の首を絞める手に、更に力が籠められる。

ぎりっと骨の軋む音が、耳に響いてきた。

 

「お前達はいつも、そうだ……。私を見下し、蔑み……っ。私を、私の……っ!」

 

光秀の声が揺れる。

それと同時に、沙紀の首がみしみしと悲鳴を上げた。

 

「ぅ……っ」

 

沙紀が小さく呻くが、光秀は手を緩める所か、更に力を籠める。

その瞳は、今や赤く怪しく光り、最早人のものではなかった。

 

この、ままでは……っ。

 

沙紀は、何とか自身の手で光秀の異形と化した手を掴むと、

 

「あめ、の……はば、き……り……っ」

 

そう口にした瞬間――。

 

ずがああああん!!! という、けたたましい音と共に、上空から稲妻が光秀に向かって降り注いだ。

 

 

 

「がああああああ!!!」

 

 

 

光秀の呻き声が、部屋中に響き渡る。

 

すると、その異形と化した手が沙紀の首から外れて、光秀自身の胸元を苦しそうに掴んだ。

そして――そのままぐらりとその場に倒れ込んでしまう。

 

沙紀はその場に座り込み、はぁはぁと肩で息をした。

先程よりも酷い眩暈に襲われているのが分かる。

 

三神の内、二神の力を短縮して使ったのだ。

沙紀の身体にそれだけの負荷が掛かるのは、当然だった。

 

それでも、ここで倒れる訳にはいかなかない。

 

沙紀は、よろめく足で立ち上がると、倒れている光秀に近づこうとした。

その時だった。

 

突然、後ろから誰かに腕を掴まれたのだ。

沙紀が驚いて振り返ると、それまで黙っていた小竜が腕を掴んでいた。

 

「お放し下さい……っ、小竜様! 今の内に明智様を力から解放しなければ、明智様は――っ」

 

「駄目だよ」

 

その声は、今までにないくらい、低く冷たかった。

その声音に違和感を覚える。

 

「小竜、さ、ま……?」

 

何だろうか。

何かが違うと囁く。

 

小竜から感じる“力の気配”から……、もっと違う別の“何か”の気配が――。

 

な、に……?

 

沙紀が、その違和感の気配を探ろうとしたその時だった。

 

 

 

「――この女を殺せ」

 

 

 

低く唸る様な声で、小竜が言った。

その小竜の言葉に、沙紀が目を見開く。

 

今、何て――。

 

沙紀が視線を光秀の方に移そうとしたが……それは出来なかった。

何故なら、そこには先程までの光秀の姿はなく、代わりに異形の姿になったそれが佇んでいたからだ。

 

それはまるで巨大な黒豹の様な姿だった。

全身から、瘴気を辺りにまき散らしており、明らかに普通とは異なっていた。

 

「明智、さ、ま……?」

 

それは、最早 光秀とは似て非なるものだった。

そこには、もう光秀の面影すら残っていなかったのだ。

 

その黒豹は唸りながら、沙紀を狙い定めると、獲物を狩るかの様に、その赤い瞳をぎらぎらとさせていた。

 

「明智様に、何をされたのですか……っ」

 

沙紀が小竜に掴まれた手を振り払いながら、小竜に向かって叫んだ。

が、その瞬間。

黒豹姿の光秀の姿が掻き消えたかと思うと、沙紀の目の前に忽然と現れたのだ。

 

「きゃ……!」

 

その素早さに沙紀は反応しきれず、そのままどさりとその場に倒れ込んでしまう。

そんな沙紀を見下ろしながら黒豹はゆらりと赤い瞳を怪しく光らせ、その鋭い爪を沙紀に向けて振り下ろしたのだ。

 

「……っ!?」

 

 

りんさん―――っ!!

 

 

それは、本当に一瞬の出来事で――。

沙紀が堪らずぎゅっと目を瞑る。

 

 

 

 

 

だが――いつまで経ってもその瞬間は訪れなかった。

 

代わりに聞こえてきたのは、ばきぃ……! と何かが折れる音だった。

黒豹の苦しそうな呻き声が聞こえてくる。

 

それと同時に、誰かに抱き寄せられていた。

 

え……?

 

な、に?

恐る恐る、閉じていた瞼を開くと……そこには、ここにいる筈の無い――。

 

「りん……さ、ん……?」

 

沙紀が、信じられない様にその躑躅色の瞳を見開く。

その手の主は自身の腕を盾にし、沙紀を守ってくれていたのだ。

 

 

 

「悪い、沙紀。遅くなった」

 

 

 

 

そう言って、沙紀を抱き締める手に力を籠める。

 

 

  それは、紛れもなく鶴丸国永、そのひとだった―――。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

さてと、とりま……

こりゅスキーさん、スミマセン汗

 

2024.02.01