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◆ 第2話 -人鬼- 7
―――帝都・古城区 四獣神家の屋敷 夜
真夜は自室で神家の屋敷にある書庫から、いくつかの書物を持ちだして調べ物をしていた。
ぱら、ぱらっと、ゆっくりページをめくる。
それは、神家に古くから伝わる古文書だった。
「四獣神家」
それは、四つの獣神の恩恵を受けた家系。
五匹の狐神を従える「尾崎家」
二股の猫神を従える「緋ノ塚家」
巨大な白い巳神を従える「観月家」
犬神を従える「里見家」
そして―――。
それとは別に、美しい八咫烏神を従える「夜刀神家」だ。
夜刀神家については、基本表沙汰にされていない獣神であり、ずっと空席だった。
――何十年もの間、ずっと。
だが、3年前突如として教会に現れたのが真夜だ。
しかし、真夜が一度死んだのは5年前の“大塚村”あの事件の時だ。
そう――あの時、確かに “私は死んだ”。
筈。
だった。
それなのに……目が覚めたら知らない祭壇に寝かされていた。
視界に入ったのは、美しいステンドグラスに巨大なパイプオルガン。
そして、自分を見つめていた美しい金髪の青年――里見莉芳だった。
そう、それが“夜刀神真夜”としての始まり―――。
『目を、覚ましてしまったのだな……』
と、莉芳が哀しそうに、そう呟いたのを今でもはっきりと覚えている。
あれはどういう意味だったのか……。
そして記憶のない、死んでから目覚めるまでの空白の2年間に何があったのか―――。
その“答え”をずっと探しているのに、見つからない。
そして……何故、私は今 生きているのか。
「……」
真夜は小さく息を吐くと、ぱたんっと書物を閉じた。
莉芳に聞くのが、一番早いのかもしれないのは分かっている。
でも、出来れば彼の口からは聞きたくない。
聞けば、それが“事実”となってしまうから――。
私は、何を恐れているのだろうか……?
真実を知る事?
それとも、もっと別の……。
「はぁ……」
真夜がまた息を吐いた時だった、不意に部屋の扉をノックする音が聞こえたかと思うと、トレイに紅茶の入ったティーセットを持った夜刀が現れた。
「夜刀……」
夜刀は、すっと手慣れた手つきで、真夜のいるテーブルにクッキーの入った皿を置く。
そして、ティーポットを持つと、高い所から優雅にカップに紅茶を注ぎながら、
「真夜、少し休憩にしませんか? 根を詰め過ぎはよくありません」
そう言って、紅茶の入ったカップをテーブルに置いた。
真夜は小さく息を吐くと、
「……わかったわ」
そう言って、夜刀の淹れてくれた紅茶に口付ける。
すると、アールグレイのほのかな香りと共に、口当たりの良い紅茶が真夜の心を落ち着かせてくれた。
「ふふ、やっぱり夜刀の淹れる紅茶に勝るものはないわね」
半分冗談めかしてそう言うと、夜刀がすっと少し頭を下げて、
「勿体ないお言葉、ありがとうございます」
そう言って、微かにその瞳を細めた。
と、その時だった。
不意に、誰かが部屋の扉をノックする音が聞こえてきた。
思わず、真夜と夜刀が顔を見合わす。
もう夜も更けている。
こんな時間に一体誰だろうか……?
夜刀がすっと一礼し真夜から離れると、扉の方に向かって歩き始めた。
すると程なくして、扉が開かれノックの主が姿を現す。
「こんばんは、真夜。少しお邪魔してもいいかな?」
「え……? 要様、に莉芳??」
てっきり、信乃や浜路かどっちかかと思ったのだが、来訪者は予想に反して要と莉芳だった。
真夜は慌てて立ち上がると駆け寄り、
「すみません、お出迎えもせずに……」
そう言って、莉芳と要に頭を下げる。
すると、莉芳は半ば少し呆れたかの様に、
「気にするな。こいつが勝手にこんな時間に来たいと言ってきただけだ」
そう言って、莉芳が溜息を洩らすと、要がずいっと莉芳を押しのけて、
「あ、莉芳は“おまけ”だから。なんか、勝手についてくるって聞かなかったんだよね」
「……おい」
「僕としては、二人きりでキミと会いたかったんだけど」
そう言って、そっと真夜の手を握るとその甲に口付けを落とす。
「今日も綺麗だよ、僕の真夜」
真夜が唖然としていると、要はにっこりと微笑み、
「ここは邪魔者が多いから、二人で夜の庭園でも散歩なんてどう? ――キミに話したいことがあるんだ」
**** ****
「……これ」
ベッドの上でとある新聞記事を読んでいた信乃が、大きく目を見開く。
そこには、“鬼、帝都に現る――”と記されていた。
「なぁ、村雨。これって……」
そう隣にちょこんっと座っている村雨に、話しかけようとした時だった。
「信乃、お風呂どうぞ」
不意に、風呂あがりだろうか……、濡れた髪にタオルを頭に掛けたままの姿で、荘介が部屋に入ってきた。
それを見た信乃が「あああああ!!!」と叫んだのは言うまでもなく……。
「シャンプーなら、俺がしてやったのにっ!!」
(※注:グルーミングです)
「結構です。風呂ぐらい一人でゆっくり入らせて下さい」
そう言って、ベッドに座るとそのまま自分で髪を拭き始める。
信乃が「ちぇ」っと、ぶすくれた様な顔をするが……やはりうずうずしてしまうのだろう。
「かせよ」
そう言って荘介のタオルを取り上げると、彼の頭を拭き始めた。
「……信乃」
「んー?」
「……改めて聞きますが。今朝――里見さんと、一体何の話をしていたんです?」
「……」
今、この場でそれを聞かれるとは思っていなかったのか……、一瞬 信乃が言葉に詰まる。
だが、直ぐに何でもない事の様に、
「荘介。お前、明日浜路を連れて先に村へ帰れ」
「は?! 何です? 急に……」
「急じゃねえよ。最初からそうするつもりだったし」
視界に入る――。
荘介の後ろ首にある、大きな傷で裂かれた牡丹の痣。
「……とにかく、お前は先に帰ってろ。ああ、そうだ、真夜も一緒に連れて行ってくれると助か―――「信乃!」
「……っ」
荘介の瞳がじっと信乃を真っ直ぐに見ていた。
「まだ、俺の質問に答えていませんよ?」
痛い所を衝いてくる。
信乃は小さく息を吐くと、
「……里見とは約束があるんだよ。5年前から」
「里見さんとの約束!? 何を?」
「内緒。とりあえずお前には全然 関係ねえ事だから――」
「……関係、ない?」
瞬間、ぴりっとした空気が一気に押し寄せてきた。
ぎくり……と、信乃が顔を強張らせる。
「それを信乃が、俺に言うんですか?」
「……あ……」
ヤバ……。
本気で、怒ってら。
いつもの穏やかな荘介とは違い、今の荘介の目は本気で自分に対して怒っていた。
流石の信乃も、それに気づかないほど鈍くはない。
むしろ、荘介の“変化”に対しては敏感な方だ。
「あ、あ~いや……うん……」
信乃が視線を泳がせながら、すっと荘介の頭を拭いていたタオルごと手を放すと、
「その、ゴメンナサイ。今のは……俺が悪かったです」
こういう時は、即座に謝る。
荘介を本気で怒らせたら、正直 後が怖い……。
身を以て何度も経験している信乃にとっては、そこらの幽霊よりも怖かった。
そんな信乃の様子を見て、荘介は小さく息を吐くと、
「では、“約束”とは?」
「ん? あ、あー別に大した事じゃねーよ。5年前の“借り”を返すだけ。俺の手が必要な時は、いつでも呼べって言っておいたからな」
「……いつの間に、そんな約束……っ」
「ああ、お前も浜路も覚えてないだろうけど、大塚の村で瀕死の俺らを助けたのは――里見」
その言葉に、荘介が一瞬驚いたような顔をする。
「……里見さんに、助けられた?」
「ああ」
今でも思い出す――あの時の莉芳の言葉。
『このまま、ただの“人”として命を終えるか、それとも身の内に“化け物”を飼ってでも生きながらえるか―――好きな方を、選べ』
「あの後……、里見に借りは必ず返すと約束したんだ」
「……さっぱり覚えてないです」
「うん、だからお前はいいんだっ―――のわっ!!?」
突然、荘介が信乃の右足を引っ張った。
ぎょっとしたのは信乃だ。
「荘介!! 何しやが―――」
「あの男が、信乃に村雨を選ばせたんですか?」
「それは……」
そこまで言いかけて、信乃は「はぁ……」と溜息を洩らしながらベッドに頭を付けた。
「“死ぬ”以外の選択肢を与えてくれたんだ。俺はとにかく死にたくなかったし」
「……13歳の姿のままで、時が止まったままでも?」
「中身まで止まってるワケじゃねーもん!」
「……それは……」
どうだろう?
と、荘介が首を傾げたものだから、信乃が顔をひくっと引きつかせ、
「オマエ、今 すっごく失礼な事考えてるだろ!!」
そう言って、タオルを思いっきり投げつけた。
そして、
「平気だよ。俺には、お前や浜路がいるし、今は真夜もいる。一人でないならどんな姿だって生きてられる。な!」
「……」
そう明るく振る舞われると、追及したくともこれ以上追及出来なかった。
荘介は、小さく息を吐くと、
「わかりました。里見さんの用件は明日にでも聞いてみましょう。今日はもう遅いですから――」
「ああ」
そう言って、信乃が布団にくるまる。
それを確認した後、荘介は部屋の電気を消した。
ぱたんっと扉を閉め、自分に宛がわれた部屋へ向かう。
ふと、先程の信乃の言葉が気になった。
『平気だよ。俺には、お前や浜路がいるし、今は真夜もいる。一人でないならどんな姿だって生きてられる。な!』
信乃はそう言っていたが……。
いつか―――。
一人取り残されても、信乃は正気のまま生きていけるのだろうか……。
そんな風に考えながら窓の外を見た時だった。
ふと、見慣れた姿が視界に入った。
あれは……。
「真夜……?」
**** ****
神家の屋敷の夜の庭園は、所々光が灯されていてとても綺麗だった。
いつもなら、真夜は一人で散歩する事が多いのだが……何故こうなったのか……。
真夜の隣には要が居た。
そして、その真反対には莉芳。
後ろの方に夜刀がいるのは感じるが……。
何故、こんな事に……。
真夜が頭を抱えそうになった時だった。
要が、不満そうに莉芳を見て、
「なんで、莉芳までいるのかな? 僕は真夜だけを誘ったんだけどね」
「……」
要のその言葉に、莉芳は完全無視だった。
「ねぇ、莉芳、聞いてるかな?」
「……うるさい。嫌ならお前が部屋へ戻れ」
何やら頭上でバチバチと火花を散らされて、真夜は半分うんざりしながら小さく溜息を零していた。
「そうだ! ねえ、真夜。この先に新しく東屋が出来たんだけど、行ってみない? 今なら丁度花も咲いていて綺麗だよ」
そう言って、要がすっと右手を差し出す。
真夜は一瞬その手を見た後、じっと要の方を見た。
その視線に気づいた要がにっこりと微笑む。
だから嫌でも気づかされてしまう。
これは、わざと右手を出しているのだと。
真夜は小さく息を吐くと、あえて左手をその手に乗せた。
すると要は真夜の手をぎゅっと握ると、
「ほら、行くよ! 真夜!」
そう言って、真夜の手を引いて駆け出した。
「え、ちょっ……お、お待ちくださいっ、要様っ」
真夜が慌てて声を掛けるが、要は楽しそうに笑っているだけだった。
そんな要の様子を見ながら、莉芳が溜息を零したのは言うまでもなく……、
「ったく、呆れるな」
そうぼやくと、二人が行ったであろう後をゆっくりと歩き始めた。
要に案内されて辿り着いた先は、綺麗な東屋だった。白い花が幻想的に咲き乱れ、水面に姿見の様に写っている。
「……いつの間にこんな場所を……?」
個人的に、庭園の散歩は良くしていた方だと思うのだが、この場所は初めて見る場所だった。
真夜が少し驚いた様にそう声を洩らすと、要はちょいちょいっと手招きしながら、
「ん? ああ、つい最近だよ。開放したのは。真夜が丁度、帝都を離れている間かな?」
「そう、なんですね」
それなら、見た事が無いのも納得いく。
夜見ても幻想的だが、昼見てもとても綺麗そうだと思った。
と、その時だった。
ふいに、要がそっと真夜の手を取ると、
「それで、キミは一体いつになったら僕のものになってくれるのかな?」
「え?」
唐突にそう言われ、真夜がその金にも似た琥珀の瞳を瞬かせる。
すると、ふっと要が笑い、
「とぼけても無駄だよ。僕がキミに何度プロポーズしたと思ってるのかな、真夜」
「そ、それ、は……」
どれの事を言っているのだろうか?
余りにも日常茶飯事的に聞いていた為、どれを指して言っているのか、真夜には見当も付かなかった。
真夜が困ったように視線を逸らしたのを見て、要は一瞬きょとんとしたが次の瞬間、くすっと笑って、
「その顔は、本気で分かってなかったのかな?」
「あ、そ、その……すみません」
正直に謝罪を述べると、要は笑いながら、
「そういう素直な所も好きだよ、真夜。ねえ……」
不意に影が落ちたかと思うと、いつの間にか東屋の柱際に追い詰められていた。
「あ、あの……っ」
真夜が慌てて逃れようとするが、要の手がそれを遮るかのように伸びてきて彼女の手を掴んだ。
「真夜、僕のものになってよ」
「か、要様……っ」
「冗談なんかじゃないよ? 僕は本気で言ってるんだ。ねぇ、真夜。僕の――」
その時だった。
突然、要の肩に誰かの手が掛かったかと思うと、そのままぐいっと引っ張られた。
「う、わっ……!」
そのまま、反動で要が反対側に倒れそうになるのと、真夜の肩を誰かが抱き寄せるのは同時だった。
「まったく。油断も隙も無いなお前は」
「あ……」
美しい金髪の髪が視界で揺れる――それは……。
「莉芳……」
それは、後ろを歩いてきた里見莉芳だった。
莉芳の予定よりも早い登場に、要が肩を竦める。
「まったく、莉芳は気が利かないな。こういう時は、空気を読んでもう少し後から出てくるものじゃないのかな?」
と、文句を言う要を無視して、莉芳は真夜をすっと椅子に掛けさせると、
「……御託はいい。さっさと本題に入れ」
「え?」
まるで、何か別の話があるかのように言う莉芳に、思わず真夜が要と莉芳を見る。
すると、要は降参とでもいう様に両手を上げて、
「はいはい。わかったよ」
そう半分冗談めかして答えると、自身も椅子に座り、
「……これは街の噂なんだけど、笙月院が“鬼”を捕らえたそうだよ」
「!」
要のその言葉に、真夜がぴくっと反応する。
「鬼……?」
莉芳が怪訝そうにそう言葉を発すると、要は少し哀れんだような眼をして
「鬼も可哀そうに。よりにもよって“あの人”に捕まるなんてね」
“あの人”……。
真夜の脳裏に、あの時の青蘭の顔が浮かんだ。
「“村雨”の事も注意した方がいいよ。強大な力を欲しがる奴は“教会”だけじゃない」
「……」
莉芳は無言だった。
だが、真夜は……、
笙月院
鬼
そして――。
碧みがかった綺麗な瞳の“彼”が脳裏を過ぎる。
違う。
彼は“鬼”なんかじゃ――。
「まぁ、“鬼”が、まさか“あんな姿”をしてるとは夢にも思わなかったけど――」
「ち……違いますっ!! “彼”は“鬼”などでは―――!!」
「真夜?」
突然叫び出した真夜に、驚いたかのように要が目を見開く。
「あ……」
真夜は、はっとして慌てて口元を手で押さえた。
それから、小さく首を振りながらその琥珀の瞳に涙を浮かべる。
『真夜――――』
“彼”の声が木霊する。
あの地下牢で、“彼”は――現八は捕らわれていた。
でも、“彼”は……。
「どうした、真夜」
莉芳の手がそっと真夜の髪に触れた瞬間、びくんっと真夜の肩が揺れた。
「あ……」
「何か、“鬼”について知っているのか?」
「……」
莉芳が優しく、まるでなだめる様にそう問うが……真夜の瞳から溢れ出た涙が、彼女の頬を伝って落ちた。
「ち、がう……」
違う。
「違う、の……」
彼は……現八さんは……。
「人、な……の……」
「真夜!!」
遠くで、莉芳と要の呼ぶ声が聞こえた―――気がした。
意識が……遠のいてゆく―――。
そのまま、真夜は自身の意識を手放したのだった―――。
続
新:2025.05.18
旧:2023.07.28

